[加賀] 寺尾観音山 228m (加賀市曾宇町)5
[加賀] チハカ山 42m (加賀市分校町)
[加賀] カンザン前山 30m (加賀市分校町)
[加賀] 大 山 86m (加賀市高尾町)
[加賀] 日谷城跡 115m (加賀市日谷町)
[加賀] 蓮台寺城跡 54m (小松市蓮代寺町)
[加賀] 五百羅漢と相棒K君と(加賀市大聖寺町)5 |
第34回 2024.02.04. 国道8号線より「チハカ山」と「カン山前山」を散策。
第33回 2024.01.30. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第32回 2023.02.12. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第31回 2023.01.11. 錦城山の帰りに国道8号線より「カンザン前山」を散策。
第30回 2022.02.26. 国道8号線より「チハカ山」を探索。
第29回 2022.01.08. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第28回 2021.12.14. 餅の駅「こまつ木場潟」より、「蓮台寺城址」を一周。
第27回 2021.09.17. 大聖寺の「全昌寺」の五百羅漢と、相棒K君の事。
第26回 2021.09.01. 日谷町の「日谷城跡」と、蓮代寺町の「蓮台寺城跡」散策。
第25回 2021.02.11. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。続いて「チハカ山」を一周する。
第24回 2021.02.03. 加賀市中央公園を歩いた跡「大山」の三角点確認。
第23回 2020.03.23. 高尾町より「大山」に登り、曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第22回 2019.06.14. 国道8号線より「チハカ山」と「木場潟花菖蒲園」
第21回 2019.02.11. 錦城山に続き、曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第20回 2018.12.09. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第19回 2018.03.17. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。
第18回 2017.01.07. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。 続いて国道8号線より「チハカ山」を探索。
第17回 2016.01.17. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第16回 2015.03.02. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第15回 2014.06.14. 国道8号線より「カンザン前山」-「チハカ山」を探索。
第14回 2014.02.09. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第13回 2013.06.15. 国道8号線より「チハカ山」-「カンザン前山」を探索。
第12回 2012.01.15. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第11回 2010.12.18. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。 続いて国道8号線より「チハカ山」を探索。
第10回 2009.12.16. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第09回 2009.06.13. 国道8号より「チハカ山」を探索。
第08回 2009.06.03. 国道8号より「チハカ山」を探索。
第07回 2009.03.02. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第06回 2008.06.07. 国道8号線より「チハカ山」を探索。 私の初登頂。
第05回 2007.11.10. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。±
第04回 2006.11.04. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第03回 2005.07.09. 曽宇町より「寺尾観音山」を往復。 三谷温泉泊り。
第02回 2005.06.02. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。
第01回 2005.04.19. 曾宇町より「寺尾観音山」を往復。 私の初登頂。
|
2024年02月04日(日)34回 国道より「チハカ山」-「カン山前山」
腰の痛みを治すため温泉が良いかなと、その前に「分校古墳群」でも歩こうかな、と漏らしたらS女史がお付き合いをしてくれる事になった。チハカ山登山口駐車場12.30分集合・国道8号の「分校南」を入ると、右にチハカ古墳の駐車場がある。左は「カンザン古墳」
すぐ横にチハカ山古墳群の登り口。
すぐ古墳のある丘になる。ササユリが咲くので有名。
チハカ山には古墳が18基あるとの事。最近下刈下のが藪が無い。第15番円墳。
第9号円墳上に展望テラス。江沼三山の案内板。「鞍掛山・大日山・富士写ヶ岳の事。雲があり白山と大日山は見えず。
海の方面。新幹線の線路。
展望テラスのあるのは第9号円墳の上。
さらに進むと「チハカ山大やま桜」
桜の先は第2号円墳。
その隣に「第1号円墳」があり、上に三角点。「3等三角点・分校・42m」。ここがチハカ山の頂上である。
いつもは藪に埋もれているが、今年は古墳が整備されていて、探す必要が無い。
さらに進む。昔は「チハカ山西麓古墳群3基」があり降りた事があるが、今は道が無くなの標識も無くなっていたので戻る。
ヒイラギ
円墳の下を戻る。
チハカ大やま桜、まで戻ってきた。
白山が見えそうなのでテラスへ登る。
白山が顔を出した。手前左の山は?
鞍掛山。大日山は見えず。
富士写ヶ岳は見える。
チハカ山を降りて、池の向こうの「カン山前山」に登りに行く。
これから登るのは「前山古墳群」になっている。最初の看板は「カンザン古墳」になっている。「前山見晴台」の標識もある。
しばらく歩くと「カン山前山古墳」への登り口がある。
遊歩道を登って行く。
すぐ古墳群に登り着く。ここも古墳は藪が下刈されて何処でも歩ける。
カン山前山古墳には30基の古墳があるとの事。第1号前方後円墳跡の標識。
この横を抜けると前山展望台に出る。先程歩いた「チハカ山」
目の下に国道8号線。
新幹線線路の向こうは柴山潟。
戻って古墳の奥を散策。「カン山 前山古墳群」となっている。第4号方墳。
展望地点となっている。下が工事中。
カン山前山古墳群「第8号前方後円墳」。 この辺りが1番高くて大きい。
「第10号円墳」 色々ある。
山側の崖の上に「空襲監視所跡」の標識。以前ここから白山が見えたが、今日は又雲の中。
この先へ降りる道がある様だが、今日はここで引き返す。見晴台近くまで戻り、陽の当たる場所に座り込んで、日向ぼっこしながらホットコーヒーを入れて貰う。
下損開始。また池のほとりを車に戻る。15時。これから、ゆめのゆのお風呂で温まって帰ろう。
■次回登山は、2/9「岩倉観音山」へ■
2024年01月30日(火)33回 曽宇町より「寺尾観音山」往復
調べたら2005年以来20回目の徘徊だ。低い山大好きだが、今では低い山しか歩けない老人だな。
曽宇町の細い町を抜けた先の駐車場、雪が降ったので心配だったがすんなりと到着。先着一台3人が急な坂を登って行った。10.40分。
登山道の左の谷「寺谷」から登る予定。10時35に鎖を跨いで出発。S女史と同道。
この間から腰が少し痛い。いきなりの急坂が嫌なのでここかに登る。この作業道は遠回りになるが、急坂が無い。
しばらく歩くと分岐。「寺尾観音線848m」の標識。ここから尾根まで戻るように作業道が伸び、さらに観音堂の下まで続いた。
作業道なので階段は無し。私は2005年が初登山。この作業堂が出来たのは1018年の事だ。
階段からここまで来たら、谷から作業が上がり尾根の上の登山路がぐちゃぐちゃになっていた。
寺尾観音堂この先600mの標識。作業道が出来て雰囲気か変わった。前の方が良かった。
今でも昔の道が並行しい残っている所がある。そんな所を歩く。先着3人は作業道を行く。右に昔の道が少し残る。
先客三人は登山客では無くて麓の曽宇町の人。観音堂の見回り当番の人らしい。年配の人。
左に作業道の分岐。荒れている。降りた事なし。昔は尾根道に、寄進者の名札が下がった桜の苗木が植えてあったが、残らなかった様だ。
作業道の終点手前に、左への標識。
参道となる。
突き当りに寺尾観音堂。
登って来た方面。大聖寺辺りが見える。
坂東三十三観音霊場の加観音石像が並ぶ。
西国33霊場は全部回った。坂東33霊場はここで廻ろう。曽宇町に伝わる「観音像」は、坂東の修験者が奈良時代にもたらしたもの。秘仏だが2010年に御開帳があった。その記念に坂東33霊場が建てられた。
御開帳を拝観した人に話を聞いたら、坂東から「ふところ観音」として運ばれたので、ごく小さな観音像だったらしい。この観音堂に秘仏は収まっているようだ。60年に一度の御開帳と聞く。観音堂の右より三角点のある「寺尾観音山」頂上を目指す。
今は登山道が出来ている。
三角点頂上に到着。12時。白山の方がちょっとだけ開けて居て、今日は白山が見える。
三角点の周りを踏み固めて昼食。座っていても白山だけ見える。「三等三角点・点名は二ノ谷・228m」
最近は曽宇町ばかりで無く、直下町町の方から登っている方がいらっしゃる。一度私も挑戦するかな。
下山開始。秘仏をもたらした、坂東の修験者像。
降りは作業道をまっすぐ降りて見た。
登る時迂回した「石川縣十名勝地」の石碑。建っている岩が地震で動いた様だ。
ジグザグの坂を降りると、置いた車が見えてくる。
登り口の石仏。いつも花があり、水が供えてある。
■次回登山は、2/3「西尾観音山」へ■
2023年02月12日(日)32回 曽宇町より「寺尾観音山」往復
この時期、老人でも登れる山を探して一年ぶりの「寺尾観音山」に来た。曽宇町を通り抜け、前の軽四に付いて駐車場まで来たら、軽四は登山者では無くて戻りにかかる。積雪のある駐車場、車が動けなくなりスコップで除雪。ようやく軽四は戻って行き、さらに除雪して方向転換をして車を置く。出発前に疲れてしまった。
S女史と二人長靴で登り出す。
ジグザクの遊歩道は積雪が少ない、尾根の上まで登って来た。
「石川縣十名勝」の石碑。昭和4年に新愛知新聞が、投票で十名勝を選定した。この歩いた「和田山・白髭神社」も選ばれている。
広い作業道と合流する。開けた場所は積雪がある。
昔はこんな作業道は無かった。樹木伐採の為なのだろう。
所々に昔の道が残っている。作業道を歩いたり、昔の道を歩いたり。
今日の足跡もある様だ。
大きな木の下は積雪が無い。
女性が一人降りてきた。曽宇町ハズれの水汲み場に車を置いた人だな。こんにちわ。
作業道の終点から上へ登ると寺尾観音の境内になる。
向こうに観音堂が見えてくる。
大聖寺の方が見える。
箕輪修験尊像と坂東33観音霊場の石像が並ぶ。鍵の掛かった社務所がある。寺尾観音の御本尊は、坂東箕輪の修験者がもたらした。
御本尊は秘仏。外でお参りして右横から三角点頂上を目指す。
思ったより雪は少ない。
しかし長靴は歩き難くて疲れるな。
頂上に到着。三角点のそばにシートを敷いて昼食。
座っていても白山の裾が見える。枝が邪魔で撮れない。今日は寒くなくて有難い。
3等三角点・点名は二ノ谷・標高は228m。
男性が一人登って来た。福井の人。
下山開始。観音堂の周りに、西国33ヶ所観音霊場の観音様の、石像が並んでいる。この遊歩道を周る。遊歩道に足跡は無し。昔大雪の跡に登った時、石像がほとんど前に倒れていた。起せるものは起したが心が痛んだ。今日は倒れていないな。
同じ道で駐車場まで下山。車はスムーズに雪の駐車場より脱出できた。
■次回登山は、2/17能美市「虚空蔵山」へ■
2023年01月11日(水)31回 8号線より「カンザン前山」散策
錦城山の帰りにまだ時間が早いので、S女史がまだ歩いていないと云うので、チハカ山の隣の「カンザン前山」を案内する事にした。案内と云っても私も10年ぶり。
国道八号の「分校南」交差点を入ると、突き当りに標識あり。左折して登り口に車を置く。
荷物を持たずに入る。よく手入れされている。
尾根まで登ると見晴台への標識あり。
下に8号線、海の方が見える。
ここは「第29号方墳」の上である。
崖の上から「チハカ山」方面。
展望台より降りて高い地点へ。
二股のの木が多いな。
「カンザン前山・ヤマザクラ植林」の看板。10年前はキンランが咲くとの案内板があったが今は無し。
ここからも下が見える。桜あり。
一番高い地点を目指す。
一番高い地点は「第8号前方後円墳」の上だった。
戦時中、ここから敵機襲来を監視していたらしい。
木の間からの「白山」
「鞍掛山」も見えた。
カンザン前山古墳群を降りて加賀ゆめのゆで解散。久しぶりの暖かい晴天。まだ帰りたくなくて、通り道の木場潟西園地による。
「大笠山」「笈ヶ岳
白山を眺めてひなたぼっこ。満足して老人は帰る。
■次回登山は、1/15地元の「茶臼山・清水山」へ■
2022年02月26日(土)30回 錦城山に続き「チハカ山」を一回り
錦城山の帰りに国道8号線横の「分校古墳」による。池を挟んで「チハカ古墳」と「カンザン古墳」がある。「分校南信号」を入ると池がある。右の山が「チハカ山」で左が「カンザン前山」である。チハカ山登り口に車を置く。池の向こうが「カンザン前山」である。
チハカ山は「ササユリ」が咲くので有名。階段を登るとパンフレットが置いてある。
古墳の並ぶ尾根に遊歩道がある。
行きは山側の遊歩道、帰りは海側の遊歩道の予定。
第9番円墳の上に展望台がある。
展望台に上ると「白山」が見えた。錦城山出羽見分けがつかなかったが、ここからは辛うじて何とか判別出来る。
「霊峰白山と江沼三山」の案内板がある。左より白山・三童子山・鞍掛山・大日山と見える。写真には無いが富士写ヶ岳も見える。鞍掛山・大日山・富士写ヶ岳を江沼三山という。
国道側の展望もある。
さらに進むと第2円墳に出る。円墳の前に大きな桜の木がある。「チハカの大山桜」である。
その先の第1号円墳の上に「3等三角点がある。
三角点情報 |
三角点名・分校
等級・3等三角点
標高・42 m |
戻りは国道側の遊歩道を戻る。
カンザン前山の見える急坂を降りると駐車場。今日はカンザン前山には行かず。
■次回登山は、3/9福井の「雨請山-木落山」へ■
2022年01月08日(土)29回 曽宇町より「寺尾観音山」往復
加賀の里山逍遥の会も「加賀の低山徘徊の会」となったが、何とか歩いている。S女史と今年最初の徘徊は、19回目の「寺尾観音山」である。9.30分。
雪の状態が判らない。曽宇町の細長い道を抜けると、雪が多くなったが、車の通った跡がありなんとか駐車場まで辿り着いた。何とか邪魔にならない場所に車を置く。
いつもの駐車場からの坂に取り付く。ジグザグに登ると尾根の上のピークに登り着く。
ピークに「石川縣十名勝地」の石碑がある。
少し降りると作業道と合流する。
左下から作業道が登ってきている。
作業道が出来る前は、細い登山路だった。
作業道の終点近くから、左の斜面を登ると寺尾観音の境内となる。
突き当たれに「観音堂」がある。
登って来た方に大聖寺町が見える。
「観音堂」に観音像をもたらしたのは奈良時代に、武蔵国の修験僧。みれに因んだ「坂東三十三観音札所」がある。
観音堂。今年もよろしくお願いします。女性が1人登って来たが、観音堂の掃除に来られたらしい。
観音堂の右より、三角点のある頂上を目指す。思いがけず好天気になりました。
頂上到着。11.15分。三角点の横から「白山」が見える。
以前は木の枝が邪魔になり、白山を撮るのに苦労したが、白山だけが見える様になっている。広角には見えず白山だけが見える。
三角点を掘り出す。三角点と私のツーショット。
「3等三角点・二ノ谷・228m」
頂上広場の三角点横で昼食。
もう新しい山札は作っていないが、昔の札が残っていたので持ってきた。
下山開始。観音堂の周りの遊歩道を折れる。
遊歩道は足跡無し。
今年は建下りた像は無し。
同じ道を降りる。
帰りは作業道を降りる。
谷まで降りると、駐車場の方へ降りる。
作業道の先に、駐車場に置いた車が見えてきた。
13.30分。
■次回登山は、1/10加賀の「西尾観音山」へ■
2021年12月14日(火)28回 「蓮台寺城跡」散策
晴れてるので気晴らしに、前回途中で戻った「蓮台寺城址」を徘徊に来た。11時に道の駅「こまつ木場潟」に車を置く。後ろの小山が「ショラ山」である。11.00時。
ショライ山登山口。木場潟眺望と書いてある。
展望櫓に登っても、木場潟の西の端っこが見えるだけ。
こちらは道の駅の方面。
「里山ロード20」より歩き出す。車道の向かい側に案内板が見える。
遊歩道は「物見坂」から「中の堤」の締め切り部に出る様だな。
国道8号線の下を抜け、遊歩道の駐車場に着く。
すぐ横に「清游処」言う建て蓑がある。蓮台寺城址の資料館らしいが入れない。
駐車場から遊歩道に入る。
この前と同じ。クマ除け鐘。
滑る橋。
段々遊歩道が荒れてきて遊歩道があやふやとなる。
前回戻った場所。道は下りで荒れていそう。右の斜面が明るくて上に登ると白山が見えそう。道を外れて上まで登る事にする。
上に登っても展望は無く何も見えない。雑木林が続くのみ。
もとより道の無いのは判っている。地図に東側に林道が走っているので、そこへ降りるつもり。
林道に降りれる場所を探して尾根を進んでゆく。ようやく降りれそうな場所を見付けて無事滑り降り成功。
林道を降ったら案内板に載っていた「濁堤」に出た。堤は濁って居なく景色を綺麗に映している。
広い林道を降りてゆく。
「中の堤」に出た。遊歩道はこの堤の土手に出る様だ。
サギが一羽。
林道は8号線の下を通る
「里山ロード5」がある。「木場潟園地」から「憩いの森・絆の森」を一周する長いロード。一度だけ通して歩いた事がある。
今日はこの先の蓮代寺小学校にある「三角点」に寄る予定。校庭運動場の桜の木に9年前に提げた三角点名札が残っていた。
ゴールポストの横に「三等三角点」。点名は「蓮代寺」。標高「11.85m」。
戻って国道下の道を、道の駅まで戻る。案内板に載っていた「弓打ち場」はこの辺りらしい。
道の駅まで戻ってきた。13.00時。
家へ帰る通り道。木場潟北園地で白山を撮る。
真っ白だ。
■次回登山は、12/23砺波の「頼成の森」へ■
2021年09月17日(金)27回 「全昌寺」と「相棒K君追悼」
芭蕉の「奥の細道」に、大聖寺の「全昌寺」が出てくる。境内に「五百羅漢堂」があり、その中の一体をシェアしている。その会費を払いに全昌寺へ行く。
国道8号線の「花房」信号を入るとすぐ「実性院」の前を通る。大聖寺藩歴代藩主の菩提寺で、「萩の寺」として有名である。
今日は拝観はせず、満開の白萩を写す。
実性寺のすぐ先に「全昌寺」がある。拝観料が必要だが、今日は会費納入で羅漢さんと面会である。
この寺は「芭蕉」と「曽良」が奥の細道の旅で泊っている。
本堂。ピンクの花が咲き誇っている。
「五百羅漢堂」
中に入ると両側に五百羅漢像がびっしりと並んでいる。大聖寺の住人で笛方の能楽師のY君が、檀家総代の家柄らしく、この羅漢堂新築の際、持ち主の居なくなった羅漢像の一体のシェアを頼まれた。
羅漢像一体ごとに、持ち主がある様である。私も太鼓方の能楽師であるので、彼は太鼓を打っている羅漢さんを選んでくれた。
この85番の羅漢さんが私の担当。羅漢さんの名前が書いてあるが、覚えられない。
突き当りの、右の一番下に鎮座している。
庭に「芭蕉塚」と「曽良の句碑」がある。真ん中が芭蕉塚で側面に句が彫ってある。この寺に泊まり、その朝に詠んだ句「庭掃いて いでばや寺に ちる柳」
右側が曽良の句碑で、芭蕉の前日に泊まった弟子、曽良の句「夜もすがら 秋風聞くや 裏の山」
柳の木があるが、芭蕉の詠んだ柳では無いでしょうね。
「日本百名山」の著者、深田久弥は大聖寺の人である。「九山」の俳号で俳句も読んでいる。芭蕉忌詠んだ句「翁忌や 師をつぐ故に 師を模さず」
本堂の中も拝観できる。芭蕉の小さな銅像があった。
芭蕉の停まった部屋は「茶室」になっていた。
相棒K君の加納君が亡くなった。ショックで何をする気力もなくぶらぶらとしていたが、お寺にならと思い「全昌寺」を訪れお参りしてきた。
■次回登山は、9/20加賀の「岳峰」へ■
「相棒K君」としてこのホームページに載せた「加納 雅君」が、4日前の13日に亡くなった。その記録を少しだけでも残したいので、少し書きます。相棒K君とは15年間程の山仲間。私の1歳年上。2年ほど前から身体の調子を少し崩し、車に乗るのを家族に止められ、一緒に山を歩かなくなっていた。金沢の仲間とは少し歩いていたと思われる。今年の夏、ほんの一月ほど前に、山写真の暑中見舞いのハガキを出したら、8月12日に返事の手紙が来た。要約すると「ごく最近、膵臓がんが見付かり肝臓にも転移。余命1年2ケ月の告知。8月2日より自宅でで点滴と痛み止め、何を食べても良いが美味くない。泣き言はよして山の話をしたい。日本百名山は77登ったが、その内16座は貴殿のおかげで増えた分。登った山は668座。貴殿と同伴した山は298座。私の山は68冊のアルバムにあり、遺品整理の難物だと家族に言われている・・・・」。
驚いたがどうしても声が掛けられず、「里山徘徊報告」と称して、病気には一切触れず最近登った山の様子と、昔の山の写真を載せた写真ハガキを送る事にした。これから50枚も作って送れると思っていたのに、加納君は告知より3ケ月未満で亡くなり、ハガキは4枚で終了した。日曜日の12日に「猪臥山」に登った時、N女史とS女史に彼の手紙を見せた。何とか励ましたいね、と話していたのに翌日の月曜日に、亡くなったと奥様より電話があった。15日の葬儀に顔を出したら、娘様よりハガキ喜んでいましたヨ、と云われた。お棺の中にリュックと帽子が入っていた。
小生、軽い脳梗塞になり医者に運動を勧められており、2004年12月に家内を病気で亡くし、2005年4月より石川県の山案内の本で、近くの低い里山を単独で歩き出し、一念発起で「加賀の里山逍遥」というホームページを立ち上げた。半年後に能楽仲間に山好きの先輩K君を発見、案内同行を頼み、初めて「鈴ヶ岳」へ連れて行って貰った。百名山を目指す先輩は、ピークハンターだが、低い山でも文句を言わずに付き合ってくれる。かくして私も低い百名山に同行するようになった。2008年4月に「奥城山」で、地元のN女史とS女史のコンビと遭遇。以後時々メールで連絡して、4人で里山を歩くようになり、「加賀の里山逍遥の会」という実体のない会を作った。以後実にいろいろの山を歩いている。仲間がいればこそである。この度、加納君が亡くなり、適当に昔の写真を引っ張り出しここに載せた。
2021年09月01日(水)26回 「日谷城跡」-「蓮台寺城跡」
天気が悪いが、気晴らしにちょっと歩きに出る。ヤマップの記録を読んでいると、地元の自分が知らない所を皆様が歩いておられる。その中で「日谷城跡」と「蓮台寺城跡」を探しに行く。どちらも地理院地図には名前が載っていないし、全然知らない場所である。
大聖寺近くの国道8号線より日谷町に向かうと、「日谷城址里山自然苑」の標識を見付けた。今は新しいトンネルが出来ているが、昔はここを通っていた。ゴルフ場の中の「日谷三角点」を探しに来た記憶がある。
標識を入り600m位で。右に舗装道路が分岐していて、標識もある。ここを走って1km位で、右側に登り口を見付けた。
道り広い所に車を置き、戻って林道を歩き出す。頂上まで420mと書いてある。
シュウカイドウ
右の登り口に標識あり。「登り口・頂上まで310m。
荒れた谷を歩くのかな、と思ったら右側の斜面に道らしい跡。
標識、カキ、コナラ。
本丸まであと100m。
本丸到着。
少し草ぼうぼう。案内板がある。
ヤマザクラ かな。
ちょっとだけ何処かが見える。木が茂っちゃった。何処かな。何も無いので下山開始。
一段下の二の丸に「ツキノワグマ生息環境調査」のカメラを見付けた。熊と似ていますが私は熊でありません。お間違え無き様。
車道に置いた車が見えてきた。やはりこの辺りはクマが出そうだな。
8号線を戻って「「道の駅木場潟」に車を置く。この道の駅の東側の里山に「蓮台寺城跡」がある事は知らなかった。
こうもり傘を杖にして8号線の下の道を行く。少し歩くと8号線の下を抜ける道がある。
通り抜けると広場があり、駐車場と書いてある。古い無人の民家がある。案内板に依れば休憩所らしい。駐車場に登り口がある。標識らしき物が壊れている。
早くも遊歩道が怪しくなってきた。公園みたいな処を想像していたのでビックリ。
ここにもクマ除けの鐘?。ぜんぜん鳴らないな。
橋を慎重に渡る。
竹藪になって来た。
竹藪の中の案内張り紙だけが残っていたが良く読めない。
遊歩道が藪化しているし、道があやふやになって来たし、湿地が見えてきたし、おまけに雨が降って来た。傘をさすと道が悪いのに杖が無い。今日は老人は無理しない。戻り始める。百合が咲いてある。
道の駅近くに綺麗な案内板を見付けた。これを見ても公園みたいに見える。
その内にまた行くとするか。
■次回登山は、9/5滋賀の「山門水源の森」へ■
2021年02月11日(祝)25回 「寺尾観音山」-チハカ山
この間の岩倉観音山に続き今日は「寺尾観音山」だ。観音様のご利益があるかも知れないな。今日も相棒と春探しである。国道8号の曽宇信号を山に向かうと一直線で曽宇町に着く。曽宇町の入口の案内碑が新しくなっていた。
狭い曽宇町を通り抜ける。なかなか大きい町だ。10.25分に寺尾観音登り口の駐車場に到着。先着は1台。
駐車場の横の石仏に挨拶して、ジグザグの尾根道に取り付く。
登り切ると「石川縣十名勝地」の石碑を通過。
少し降ると左から林道が上ってきて、登山路と重複する。3年前に出来た。前の方が雰囲気が良かった。
林道の脇に登山道が残っている所もあるが、林道しかない処もある。林道は突き当りで終点。左横の急坂を登る。
登ると観音堂の境内となる。突き当りに観音堂がある。
この町に観音像をもたらした箕輪修験尊像。先着二人の登山者は、地元の人で掃除の為に登っておられたようだ。ご苦労様。
武蔵の国箕輪発祥、曽宇寺尾観音、ゆかりの坂東三十三観音札所を建立す、と書いてある。御開帳記念らしい。
観音様は秘仏。60年だったか33年だったかに一度の御開帳。10年ほど前に御開帳があり、私のお弟子の話では、5㎝くらいの観音像だったらしい。その観音像が収められている観音堂。
観音堂の横を抜けて尾根に入り込むと三角点のある頂上に到着。11.25分。三角点の横で昼食。三角点がコップ置き場。すみません。三等・二ノ谷・228m。白山が見える事がある。今日は見えず。
降りは石仏が並ぶ遊歩道を一周する。
林道の終点広場の下に、荒れた作業道が下から登ってきている。今日はここを降りて見る。
とても荒れた作業道で、杉林の手入れの為に着けられた道らしい。思った通りの地点へ出た。駐車場からの林道がここから尾根へ登って居る。前回の登山の時、この道を降りた。もうすぐ駐車場だ。
先頃まで居た寺尾観音山は、向こうに見える辺りらしい。
寺尾観音より降りて、集合場所近くの「チハカ山」を徘徊したぞ。
下に続く。
2021年02月11日(祝)25回 寺尾観音-「チハカ山」散策
寺尾観音山から降りて時間が余ったから、加賀ゆめのゆの近くの「チハカ山」を歩く事にした。国道8号線の「分校南」の交差点から入り、池のふちを右に回ると駐車場があり、チハカ山の登り口がある。荷物を持たずカメラとタブレッドを持ち、古墳の山に登る。
ササユリが咲くので有名。古墳が18基あるらしい。
9号古墳の上が展望台になっている。白山と江沼三山の標識がある、江沼三山とは「富士写ヶ岳」「大日山」「鞍掛山」。白山は今日は見えない。
同じ9号古墳から海側の眺め。
さらに進むと「1号古墳」がある。この古墳の上に三角点がある。
大体一回りして戻ってきた。駐車場の向こうの山は「カンザンジ前山」で、あそこにも30基の古墳があるとの事。今日は寄らず、
登り口の周りで、今年初めてのフキノトウを発見。春は近いぞ。
■次回登山は、2/14加賀「赤穂山」へ■
2021年02月03日(水)24回 山田光教寺-「大山」-菅生石部神社
加賀中央公園を一回り。ついでに巨大電波塔の建つ小山が、ヤマップ地図では頂上に認定されているので、相棒が確認したいというので行く事にした。公園で地図を見ているとすぐ近くに「蓮如上人旧跡」の字が山田町にあるので、気になって寄ってみた。「山田光教寺」というお寺らしい。「こうせんぼう」と今は言うようだ。
蓮如上人の像がある。蓮如が建てた光教寺があったらしい。
蓮如上人御舊跡の碑もある。加州三ヶ寺の一つであったが、勢力争いが起きて、闇討ちで燃えたとか。詳しい事は判らない。立て札も無く、大山へ移動。
高尾町の道路沿いのため池の側に車を置く。電波塔に向かって林道を歩く。車でも登れるがせめて少しでも歩かないと、頂上の三角点に申し訳ない。
突き当りに広場がある。一台留まっている。塔の反対側の高みに三角点があり、広場から白いポールが見える。斜面をよじ登れば3分で到着。
三角点情報・「大山」 |
三角点名・大山
等級・4等三角点
標高・86m |
一番高い所に石積があり祠らしいものがある。壊れている。何の標か赤いテープが多数下がる。山の中を通って戻る道は無いかと探したが無い様だ。
続いて敷地町の菅生石部神社に参拝。
神門には仁王像ではなく神官?、提げてあるのは下駄の絵馬?。この神社は天満宮らしい。
境内に青竹が置いてある。2/10の竹割神事の用意だろう。後ろに神楽殿がある。「敷地物狂」というこの神社を舞台にした能楽がある。菅生の何某の子「若松」が比叡山に登り、年経て故郷に戻ると父母もおらず家も無かった。若松は敷地の天神の説法に集まった人の中に、狂気した母を発見、再会する。
今は廃曲になっているが、大阪の先生により復曲され、何度か演能されたことがある。ゆかりのこの神社でも、最近演能された。
■次回登山は、4/6加賀「岩倉観音山」へ■
2020年03月23日(月)23回 「大山」と「寺尾観音山」
「ヤマップ」で「寺尾観音山」が山として認定された。登ると「登頂した山」として認定されるので、登って来ようと調べていたら、近くに「大山」と云う山も認定されていた。はてな?そんな山が有ったかなー?と調べたら、9年前に加賀市の三角点探訪で訪れた事がある場所だった。
加賀市高尾町に大きな電波塔がある。重要な電波塔らしく車道が通じ、終点がヘリコプター発着場になっていた。車で上ってすぐ三角点を見付け、山に登った感覚は無かった。今日は山らしく登ろうと、高尾町の端の池のほとりに車を停める。池の向こうに見えるのが電波塔で、その近くに三角点がある。12.15分登山開始。
舗装してあるがちょっと細い道を登って行く。
15分ほどで電波塔横の広場に到着。今ではヘリコプター発着場では無い様だ。
電波塔と、広場の反対側に三角点がある。登りやすい所をちょっと登ると、すぐ三角点が見つかる。
三角点情報・「大山」 |
三角点名・大山
等級・4等三角点
標高・85.87m |
少し離れた所に、石を積み上げ祠を置いた場所がある。三角点地点よりもここの方が少し高いような感じ。札が下がっている。全国の「大山」を巡っている人がいるらしい。
ショウジョウバカマ キブシ スミレ
頂上からは何も見えないが、降ってきたら「白山」が見えた。車到着12.45分。
この後「寺尾観音山」の登山口に移動する。
下に続く
2020年03月23日(月)23回 「大山」と「寺尾観音山」
曽宇町の細長い町を通り抜け、「寺尾観音山」の駐車場に、13.15に到着。車が一台あったので、登山者がいると思われたが、山の中では誰とも遇わなかった。
登り口の地蔵に花が供えてある。「カタバミ」「スミレ」が咲いていた。
「石川縣十名勝」の碑がある。
「旧道」が所々残っている。
「桜」が一本だけ咲いていた。
観音堂の境内は広い。加賀市が見える。
観音堂にお参りして、堂の右横から尾根の細道に入り込む。
三角点のある「寺尾観音山」の頂上到着。14.05分。「シキミ」「クロモジ」
木の間から「白山」が見えるのだが、枝が邪魔をして撮れないな。
三角点情報・「寺尾観音山」 |
三角点名・二ノ谷
等級・3等三角点
標高・228.05m |
昔作った山札があったので提げた。
帰りは、石仏を巡る遊歩道を通る。
新しくできた林道を降りた。大分遠回りになるな。前方に駐車場に置いた自分の車が見えてきた。
■次回登山は、3/25加賀「雲龍山」へ■
2011年03月16日(水) 「大山」の三角点探し初めての大山をここにコピーした
今日三つ目の「大山」三角点を探しに行く。地理院地図に「大山」と山の名前が記入してある。しかも頂上まで道路の記入がある。道路の記入があるのは、そこに建物があるのだろうと見当をつけていた。いつも近くを通るたびに、大きな電波塔が見えるので、あそこかな?と考えていたが、探すのは今日が初めてだ。
今日その電波塔を見てびっくりした。緑のシートで覆われている。巨大なお化けである。「金ヶ城」の三角点を降りて、小松の方へ少し進むと、緑のお化けが見えた。高尾町のこの山を登ってみたら、鉄塔の横が広く空いている。○にHの大きい模様が地面に埋め込まれている。ヘリポートらしい。重要な電波塔なので、ヘリポートまで付属しているのかな?。電波塔とヘリポートを挟んだ、反対側が崖になっており、少し高い雑木林になっている。
低い崖なのでよじ登ったら、そこに三角点が鎮座していた。そばに白いプラスチックの標識が在ったのですぐわかった。
三角点情報「大山」 |
三角点名・大山
等級・四等三角点
標高・85.32m
所在地・石川県加賀市高尾町 |
三角点が赤く塗ってある。ほかでも見掛けた事がある。何故こんな事をしたのかな。少々痛々しい。雨が止んでいるので、この広場でお湯を沸かしてもらって、コーヒーを入れて貰い、パンで昼食にした。この後「錦城山」へ出かけた。
2019年06月14日(金)22回 「チハカ山」と木場潟菖蒲園
明日あさっては大荒れの予報。今日は晴れの予報。午前中だけ空いているので、花好きのFさんを案内して「チハカ山」の散歩。ちょっと時期が遅いかな?、何とか咲いているぞ。
9号円墳の上が展望台。抹茶休憩。
1号円墳の三角点は草の陰
三角点情報「チハカ山」 |
三角点名・分校
等級・三等三角点
標高・41.77m |
チハカ山を降りて、木場潟の花菖蒲園を訪れる。白山が見えたぞ。
■次回登山は、6/19富山県「祖父岳」へ■
2019年02月11日(祝)21回 曽宇町より「観音山」を往復
錦城山で抹茶休憩してひと回り。すぐ車で「寺尾観音山」の駐車場に移動してきた。10分しかかからない。11.00時に到着。今日は尾根へ直接登る道は通らなくて、新しく出来た林道を登ってみる予定。いつも新しい道が気になる。駐車場の前の鎖の掛かった林道に入り込む。「曽宇町・寺谷」の黄色い標識がある。
350mほど林道を進むと、右手に戻るように新して林道が分岐している。「寺尾観音線・延長848m。竣工平成三十年七月」の標識がある。ここから観音堂の下まで848mしか無いようだ。
登ったら思った通りの地点だった。石川県十名勝地の碑から少し登った地点だ。遊歩道が砂利を敷いた林道になり、ちょっと趣が無くなった感じ。
途中で、この山で人に逢うのは珍しいですね、と声かけて追い抜いて行った人が、頂上に居た。
昨日も登ったし、今年にもう4.5回も登って居るらしい。私と同じく里山専門らしい。記念に写真に入ってもらった。またどこかでお逢いしましょう。
コーヒーを入れて貰って昼食。11.50分。
頂上は雑木林で見通しが利かない。あれは「富士写ヶ岳」と聞かれたが、方向が判らない。地図を見るとここから「刈安山」まで尾根が続いているが、どの尾根が判らない。情けない。
下りはいつもの道を降りた。13.25分に車に着いた。
■活動時間2時間21分 ■活動距離2.8km ■高低差206m
2018年12月09日(日)20回 曽宇町より「観音山」を往復
9月30日(日)に友達の家で麻雀をした。実はその日は京都で「平成30年度地域文化功労者大臣表彰」の表彰式があることになっていた。どうゆう訳か今年の受賞者に私が選ばれている。年を取ると貰える賞らしい。石川県から二人だった。京都の「国立京都国際会館」で、文化庁創立50周年の記念式典の中で全国の受賞者と共に表彰式がある事になっていた。話のタネに参加を予定していたが、台風の為に急に中止になった。そういう訳で麻雀に参加出来たのだが、その時仲間がお祝いをくれた。新聞に小さな写真が載っただけなので、誰も気が付かないかなと思っていたのに。
昨日今日と空いていたが、今年初めての寒波襲来となった。昨日は平地に初雪が降った。しばらく歩いていないので歩きたいと考えていたが、やはり天気が悪い。麻雀仲間のМ君は「寺尾観音山」の登り口近くに住んでいる。お祝いを頂いたのでお返しを持っていって、様子を見て歩いて来ようと、歩く用意をして加賀市大聖寺に向かう。途中はみぞれが降りしきり、やっぱり駄目かなーと思っていたら、みぞれが止んできた。11.30分に曽宇町を抜けて登り口駐車場に到着。
杖の一本をコウモリ傘に持ち替えて。いつもの登り口を登って行く。ジグザグ道を登り切ると尾根の上に出る。「石川縣十名勝地」の石碑があるピークが見えてくる。
ピークから少し下がると左下から林道が登ってきていて合流する。前回登った3月は、ガチャガチャの道だった。、
今回は砂利が入って歩きやすくなっていた。砂利道林道を、傘をさしたりすぼめたりして、段々と登って行く。
林道の突き当りが駐車場みたいになっている。観音堂まで100mの標識がある。
ここまでくると少し雪が残っている。
参道を歩き、お参りして、堂の右から頂上を目指す。12.15分。三角点を写してすぐ下山開始。
堂の周りの遊歩道を廻って下山。砂利道を駐車場まで降りるつもりだったが、合流点で砂利道が、急カーブで戻るようにずーっと遠回りで降りている。砂利道ではないが、直進に近い林道が降りているので入り込む。ところがその林道は突き当りで止まっていた。右側の谷底に道が見えるが、危なそうで降りられない。左に少し藪を上ったら、「石川縣十名勝地」の石碑があるピークのすぐ下に出た。
登り口にある石仏。
13.05分に駐車場に着いた。
駐車場→頂上まで45分。
頂上→駐車場まで50分。
2018年03月18日(日)19回 曽宇町より「観音山」を往復
昨日はキゴ山を歩いた。しばらく歩けなかったうっぷんを晴らすように、今日も「寺尾観音山」を歩きに来た。まさにお子様向けの山ばかり。お恥ずかしいかぎりだが、80歳となればこんなものだ。家を出て30分ほどで、大聖寺の曽宇町を抜けて、寺尾観音山の駐車場に到着。全然雪は無し。10.30分。
いつもの通りよく手入れされている参道を登って行くと、突然右下から新しい林道が上がってきていた。
どうも杉林の下刈りらしい。でかい機械が入った様で、道はグダグダ。
参道と並行している所もあるし、ブルトーザーの跡しかない所もある。
11.20分過ぎに、神社にお参りして三角点のある頂上へ行く。
11.40分に頂上到着。昼食。丁度大阪のN女史よりメールが入った。奥城山の石楠花を見に行きたい。日曜にして連絡してほしいとの事。
座っていても白山が見える。
色々歩き回って、木の枝が邪魔にならぬ場所を探したが、バカチョンカメラではどうしても駄目だった。ところで帰って地図を眺めていたら、この観音山から「刈安山」迄尾根が続いていることを発見。白山の手前の尾根がそれらしい。道が出来たら面白いな。
ミヤマシキミ シキミの実 ギフチョウではなかった。
マンサク ツバキ
12.20分頃下山開始。神社の裏から、、石仏が建っている遊歩道に入ると、石仏が前へ倒れ居てるのが7.8体もあった。全部斜面に立っているので、今年の雪の重みで前へ倒れたのだろう。起こしてみると思ったほど重くなかったので、倒れていたのは全部起こしてきた。
石仏の横に犬が猫の墓もあり。 この石仏は、起こしてきた。
倒れないのもあり。 この石仏は、起こしてきた。
これも起こした。
これも起こした。
12.40分頃車に戻り着く。山で白山の写真が撮れなかったので、「加賀ゆめのゆ」のお風呂に入る前に、近くの「さえぐさの丘」に寄り、写真を撮ってくる。
■活動時間 3時間12分 Ⓢスタート10.24→(1時間16分)→観音山11.40-12.20(40分)→
(1時間16分)→Ⓖゴール13.36
■活動距離 2.5km ■高低差 192m ■累積標高上り/下り 293m/331 ■次回登山は、3/24「額谷山」へ■
2017年01月07日(土)18回 「寺尾観音山」-「チハカ山」
昨日は「おくりび山」。今日は久し振りにS女史と「寺尾観音山」を歩く事になった。12/11の水無山以来である。彼女は以来歩いていないとの事。私も連れがある山歩きは、水無山以来である。登山口の畑のバケツの水に、氷が張っていた。霜も降りている。10.50分。
「石川縣十名勝地」の石碑がある。十名勝地を再表示しておく。ここは10番目である。
ネットで「十名所」に付いて調べたら、図書館のデーターベースに記事があった。
①昭和2年5月20日 新愛知新聞で中部日本各府県新十名所選定事業を行う旨が新聞記事に載りました。それには、先に一般投票で名古屋市の十名所を選定し、好評を博したことから、隠れた名勝を世上に紹介するため、中部県下毎の新名所を投票で選定する旨が記載してあります。②昭和4年4月21日の新愛知新聞に福井石川両県の新十名所を選定として記事があり石川県は次の通り。
1.江沼郡 |
気多 御子神社 |
|
6.能美郡 |
狭野神社 |
2.江沼郡 |
塩屋海岸 |
|
7.金沢市 |
尾山神社 |
3.河北郡 |
義経旧蹟 鳴和滝 |
|
8.石川郡 |
能美郡 手取峡谷 |
4.能美郡 |
久常 白髭神社 |
|
9.能美郡 |
明公園 九谷庄三碑 |
5.珠洲郡 |
九十九湾 |
|
10.江沼郡 |
曾宇 寺尾山観音 |
上から夫婦連れらしい二人の登山者が降りてきた。この山で登山者に会うのは初めてかもしれないなー。近くの福井県の人だった
「寺尾観音堂」に近づくと海まで見える。
観音堂の横を通り抜けて、山頂の三角点を目指す。11.50分に頂上に到着。なんと木の間から白山が見えた。良く見えないが白山が見えて感激。
丁度お昼で三角点に、淹れてもらったコーヒーのコップを置いて、サンドイッチを食べる。
腹拵えを済ませて、「白山」を撮りたいと彼方此方藪を漕いでみたが、どうしても木の枝が邪魔になる。
それにしても、この寺尾観音山から「白山」がこんなに立派に見えるとは知らなかった。13回目の登山で初めて「白山」が見えた。観音堂付近では見えない。頂上近くまで登らないとだめだ。ダダちょっと木が茂っていて見えにくい。
海の方も木立の中。
戻って観音堂の後ろに回ると、加賀市の方が開けてくる。下山途中また一人男が登って来た。
寺尾観音山から降りて、待ち合わせた「加賀ゆめのゆの」の駐車場に戻るとき、すぐ近くの「チハカ山」をついでに歩く事にした。13.45分。
一番奥にある「第1号古墳」が一番高い。この上に三角点がある。
戻った「第9号古墳」の上が展望台になっている。ここからも「白山」が見える。今までで実際に見えたのは初めてである。少し空が曇ってきた。
頂上にある看板。江沼三山とは「鞍掛山」「大日山」「富士写ヶ岳」である。同じ山が見える。
■次回登山は、01/08「宝達山」へ■
|
2016年01月17日(日)17回 曽宇町より「観音山」を往復
昨日、俱利伽羅山を歩いて、ちょっと足の筋を痛めて、今日は無理かなと考えていたが、朝起きたら足は痛くなかった。昼頃になって、頂上でカップラーメンの昼食をしようと「寺尾観音山」に出かけた。ポットにお湯を詰め、コンビニでカップラーメンを購入。曾宇町の登山口駐車場に12.55分に到着。
日曜なのに、もちろん車一台無い。今年に入って低山7座目の、単独一人ぽっちの山歩き。人が見たら狂気の沙汰?と思うかもしれない。急坂を登りきると「石川縣十名勝地」の大きな石碑がある。4日前に歩いた能美市の「和田山古墳」にも、同じ石碑がある。昭和4年の人気投票で選ばれている。
13.50分に頂上の観音堂の境内に入る。
観音堂の右横を通って、尾根を歩くと、三角点のある「寺尾観音山」の頂上に着く。
座る場所が無いので境内まで戻り、ベンチに腰を掛けてカップラーメンの昼食。
30分もあちこち眺めて散策。坂東33観音霊場の観音像の並んだ入口の、手水鉢に、氷が張っていた。今冬初めて氷を見る。15.00に車まで戻る。
★次項2016年・第8回登山は、1/23「キゴ山」へ★
|
2015年03月02日(月)16回 曽宇町より「観音山」を往復
昨日は舞台で「西行櫻」の太鼓を勤めた。舞台に出された作り物の塚に、桜の造花が混じり、舞台の上は春である。今日は午後が空いたので、昼飯のカップラーメンを頂上で食べようと、熱湯をポットに入れて、実際の春を探しに「寺尾観音山」にやってきた。自宅を出て8号線を走り、曽宇町信号を左折して、突き当りの曽宇町を通り抜けて、突き当りの登山口駐車場に13.35分に到着。登山口に杖置場が作られ、20本ほど立ててある。
雪は完全に溶けて全然無し。春は近い。フキノトウでも無いかと思ったが、この山には無いようだ。ツバキの木が多いが、あまり花は着いていない。14.10分に観音堂に到着。枯れた木が切られて片づけられ辺りが綺麗になっている。
坂東33ヶ所観音霊場の向こうに、雪のある山が見えるが何処だろう?。刈安山かな?。
椿の木の花が散っている。
目に付くのは赤いツバキの花と、赤いミヤマシキミの実だけ。14.25分に頂上に到着。
三角点周りは頂上らしくなってきた。カップラーメンを食べる。
15.30分に車まで戻る。誰ひとりにも遇わなかった。春はまだ見付からなかった。
●次稿2015年14回登山は、3/3「鞍掛山」へ●
|
2014年06月14日(土)15回 「カンザン前山」ー「チハカ山」
宿ノ岩やら入道山など、ひょっとするとキンランギンランがあるかもしれないと、歩いてみたが無かった。でもササユリは見かけたので、ちょっとの時間に「チハカ山」のササユリを見に行った。
まずチハカ山の隣の「カンザン前山」に登る。池の向こうがチハカ山。
登山口より入る。 ここにもササユリ キンランは未だのようだ
雑木林の中で、古墳はハッキリと区別できない。
鞍掛山が見えた。そのあと「チハカ山」へ移動。
チハカ山のササユリは散り掛け。いつもより少ない。 奥の円墳の上に三角点。
三等三角点。 ハグマノキ・スモークツリー
いつもは一号古墳から先は、段々と低くなるので戻っていたが、今日は突端まで行ってみようと進む。チハカ山西麓古墳群三基があり、その先に「松山遺跡群へ」と書いてあったので、さらに進んだら道が無くなった。前方に大きな工場がありフェンスが張り巡らされている。荒れ地の藪を漕いで、工場のフェンス沿いに歩いたら、松山町のはずれに出た。八号線の松山信号まで出て戻る。途中民家の庭にふわふわの珍しい花があった。スモークツリーらしい。
●次項2014年・第46回登山は、6/15「護摩堂山」へ●
2014年02月09日(日)14回 曽宇町より「観音山」を往復
今年に入って平地ばかり歩いていたが、今回初めてちょっとだけ坂のある「寺尾観音山」を歩いた。昨日の東京は大雪で27cm積もったとか。北陸より雪が多いのではないかと思う。寺尾観音山の駐車場は、車の通った跡があったので無理に入り込む。帰りに方向転換できるかちょっと心配。11.15分。
長靴を履いて歩き出す。登り口だけが坂で、後はほとんど緩やかな道。杉などの木の下の道は積雪が少ない。
12.25分にようやく観音堂に到着。用心して息がはずまないように歩いてきたので、滅茶苦茶時間が掛かった。積雪は30㎝を越える。
観音堂にお参りして、ベンチが雪でいっぱいなので、立ったままお菓子を食べる。この山を拓いた箕輪修験者の像には雪の笠。海が近く見える。
一人だと心細い。あられが降ってきた。頂上の三角点までは行かなかった。15分ほど居て下山開始。下りはいつもと同じ30分で車にたどり着いた。Uターンも成功。ゆめのゆに入って帰った。
●次項2014年・第6回登山は、2/12「おくりび山」へ●
|
2013年06月15日(土)13回 「チハカ山」-「カンザン前山」
朝から久しぶりの雨。午後からだんだん止んできた。時々一緒に山に行くH女史が、「ササユリ」を見たいみたいと言っているので、写真を送ってあげようと用事のついでに「チハカ山」による。夕方の5.00時。のぼりがが立ててあり明日が探索会とかでテントが用意してある。
ササユリは雨に濡れている。
以前はもっと多く咲いていた様な気が。
「チハカ大山桜」がある。桜の花は見た事が無い。ふもとにもササユリ。
三角点も確認しょうとずーっと奥まで入り込むと、一号古墳の下に「イチヤクソウ」
この山で「イチヤクソウ」は初めて見た。
「ヒヨドリソウ」?
これが1号古墳。この上に三角点が在る。藪をかき分ける。
池を挟んだ小松側に「カンザン前山古墳群」がある事は知っていたが、遊歩道は無いと思っていた。
今回、案内板が有ったので行ってみたら登山口があった。分校の町が見える。
前山にも「ササユリ」が少し咲いている。
三角点のある「チハカ山」が見える。近くに射撃場があり、鉄砲の音が絶え間なく聞こえる。
「カンザン前山」には30基の古墳があるようだが、特に標識とか番号は見えない。
見えるのは、ポールを立て「キンラン」と書いてある。よく見るとキンランが生えている。キンラン群生地、花を取らないでください、の標識がある。こんな記事は載せない方がいいのかな?。
分校地区史跡保存会様。素晴らしいキンランの群生地になる事を期待しています。
**次回登山は、6/16「みつまた山」へ**
2012年01月15日(日)12回 曽宇町より「観音山」を往復
天気が悪いが、大聖寺に用があるので、ついでに「寺尾観音山」に登って来ようと一人で出かける。途中串町の「串川跡」を通ったので写真を写す。先日「額見」の三角点を探したら川岸に在った。その川はここから続いている。碑文に寄れば、明治初期に安宅港から、今江潟、柴山潟と繋ぎ、大聖寺藩に続く大事な水路で風光明媚な所だったらしい。与謝野晶子の歌碑「串の橋 二つの潟を つなげども 此処に相見て 我等は別る」がある。二つの潟の内「今江潟」は埋め立ててしまった。この歌は与謝野晶子と夫の鉄幹が、松村町の親友の名医「麦谷良作(号は亜星)」を訪ねて詠んだ歌、と書いてある。我家は串町のお寺の檀家である。親の親は串町の出身である。ひょっとするとこの名医は、我が家と関わり合いがあるかも知れないな。
大聖寺に用とは、「全昌寺」の五百羅漢一体の維持費を払う事。久しぶりに羅漢さんと対面。この寺は芭蕉が奥の細道の帰途泊まったお寺として有名。「庭掃いて いでばや寺に ちる柳・芭蕉」「夜もすがら 秋風聞くや 裏の山・曽良」の句碑がある。深田久弥が芭蕉忌に詠んだ句碑もある。「翁忌や 師をつぐ故に 師を模さず・九山」。九山とは深田久弥の俳号。
その足で寺尾観音山の駐車場に11.15分到着。積雪が心配だったが難なく駐車場まで入れた。小雪が舞っている。荷物を持たなく空身で出発。
11.55分にお堂に到着。トイレが出来ていた。有難い。12.00時、三角点に到着。三角点の頭だけが顔を出している。
御堂の周りは、枯れた木を切り倒して、綺麗に整備してある。観音像は寒そう。
観音像をめぐる遊歩道からの眺めも良くなった。少しだけ雲が切れてきた。12.50分に車まで戻り着く。
▲次回登山は、2012/01/18「茶臼山」へ▲
|
2010年12月18日(土)11回 「寺尾観音山」-「チハカ山」
今日も、時雨れている。それでも我々一同は、いそいそと出かける。運動と美容と健康の為。天気が悪い日は、近くの低い山。今日は「寺尾観音山」。45分で登れる。9.00に加賀ゆめのゆ集合。9.30分に登山口。新しい石の標識が建っている。御開帳記念、今年の9月18日と彫ってある。
御開帳の事は新聞に載っていた。33年に一度だったか60年に一度だったかの御開帳らしい。御開帳に登って来たという、この近くに住んでいるお弟子さんに話を聞いた。秘仏の観音像は実に小さいもので、5㎝位しかなかったらしい。
この秘仏の十一面観音像は、武蔵の国箕輪から来た修験僧が納めたもので、それにちなんで「坂東三十三観音霊場」が造られていた。33の観音像が並べてある。西国33霊場は全部廻ったが、坂東の霊場は廻ったことが無い。
10.20分頂上着。観音堂から三角点までの道は、訪れる人が多くなったようで、踏み跡から登山路になった。三等三角点はなかなかいい顔をしている。
雨が止んだので「抹茶休憩」
帰りに「ヒラタケ」をゲット。11.30分に車まで戻る。あまり早いので、ゆめのゆに戻る前に、通り道の「チハカ山三角点」を確認に行くことになった。今日のメンバーは、まだ誰も見た事が無いらしい。
後日、寺尾観音山の集合写真が届いた。右より、K君、N女史、М、S女史。「加賀の里山逍遥の会」はこの4人で歩くことが多い。
天気が悪い中、「寺尾観音山」を歩いてきた。その帰り「チハカ山」に寄る。私以外の3人は、まだ三角点を確認していない、というので案内することになった。チハカ山の前の国道8号線は、先日4車線化が完了。近くに信号が出来た。信号を山の方へ入ると池に突き当り、右に折れる。やっていないモーテルの前を通って登り口に着く。11.50分。登ると新しい展望図が出来ていた。白山・三童子山・鞍掛山・大日山・蟹ノ目山・富士写ヶ岳が書き込んである。今日は白山以外は望める。
展望台を過ぎ、一番奥の「第一号円墳」の上に三角点はある。
以前より笹が茂っており、見付け難くなった。
「ソヨゴ」に赤い実がなっている。
第九号円墳の上が、展望台と休憩所になっている。ここに陣取って昼食をとる。
昼食をしながら辺りを見渡していたら、前方にヒラタケの生えている楢の木を発見。
すぐ近くの「ゆめのゆ」に入って帰る。
|
2009年12月16日(水)10回 曽宇町より「観音山」を往復
天気が悪い。時間も余り無い。それでも何処か歩きたい。S女史を誘って「寺尾観音山」に出掛ける。SN女史コンビが、二人で登ったとき、三角点は見つからなかったと言うし、私もまだ山名札を提げて無い。
9.15.曾宇町の登山口に到着。小雨の中を傘を差して登りだす。10.00.に神社に到着。海岸線がかすかに見える。
神社の右裏から尾根に入る。以前は藪だったが、今は登山路になったようだ。
10分程で広い頂上に到着。広いが雑木林の中。展望無し。それでも以前より整備されて、展望が良くなる様に、手を入れた気配がある。
この山は登山路が、広く手入れされており、急坂も無いので、傘を指して歩ける。頂上に居る間は雨が止んでいたが、また降ってきた。11.20.車に到着。
曾宇町から河南町のほうへ抜けるトンネルが、開通と新聞に出ていたので、山中へ出て、お蕎麦を食べる予定だったが、その前に三谷温泉から「刈安山」へ抜ける林道の視察に出掛けた。途中で通行止めありと書いてあったのに、バリケードが開けてあった。そのまま進んだら頂上の「刈安山」の三角点まで登ってしまった。雨は降り続き、みぞれ混じりになった。周りは全然見えない。三角点の写真を撮って、山中温泉の方へ降りる。落石がゴロゴロ落ちていて、少々気味が悪い。車一台にも遭わない。明日から雪の予報だから、「刈安山」は来春まで閉じられる事だろう。
山中温泉へ降りる道は、目的地のお蕎麦屋さんのすぐ側に出ます。私のお弟子さんのお蕎麦屋さん、「山ぼうし」は美味しいですよ。
|
2009年06月13日(土)9回 国道8号より「チハカ山」
今晩大聖寺の友達の家でマージャンをする。あわてて山名札を作って、通りすがらの「チハカ山」に寄る。10日前と違って「ササユリ」は咲いている。ほぼ満開かな。
国道が見下ろせる。
去年と違って三角点は、笹が茂ってきて見つけ難くなっている。
三角点情報「チハカ山」 |
三角点名・分校
等級・三等三角点
標高・41.77m
所在地・石川県加賀市分校町湯野谷 |
この間、札を忘れたから今日、近くの木に小さな山名札を提げる。
あたりが暗くなってきた。
2009年06月03日(水)8回 国道8号より「チハカ山」
14.00時に「チハカ山」の登山口に到着。
杖が置いてある。
チハカ山の最大古墳。上が展望台になっている。
ツツジ コアジサイ
第1号円墳の上に三角点がある。
「白山」らしきものが微かに見える。
「富士写ヶ岳」
「鞍掛山」
2009年03月02日(月)7回 曽宇町より「観音山」を往復
急に午後が空いた。お天気が良い。今度の土曜日に、「熊坂妙高山」を予定している。その下調べを兼ねて「寺尾観音山」を登りに行く。
13.30に駐車場到着。登り出して尾根まで上ると、道の脇に、添え木をした桜の苗が植えてある。植えた人の名前が書いた札もある。大聖寺高校野球部とか、ソロプチミスト加賀とか、個人の物もあり、恋人募集中とか書いてある。去年の5月に植えたらしい。早く桜並木になると嬉しいね。観音堂の周りは、枯れた木が伐採されて広く感じる。北に鉄塔の林立している、小山が見える。あれが今度登る「熊坂妙高山」らしい。
加賀温泉駅の後ろの、金色の観音菩薩大像も、今日は良く見える。
14.05.三角点到着。頂上標識が無いので、今度またぶら下げに来よう。
三角点情報「寺尾観音山」 |
三角点名・二ノ谷
等級・三等三角点
標高・228.04m
所在地・石川県加賀市直下町 |
14.40.駐車場に帰り着く。いつも静で人に遇った事の無い山だ。
帰りに、旧熊坂峠道を見つける。途中で車道は切れていたが、何とか向うがわに抜けられそうだ。また八号線を走り、牛の谷の信号を左折して、林道に少し入り込んでみて、道を確認して帰る。これで熊坂妙高山の下調べは終わり。
帰りに木場潟で「白山」を撮る。
2008年06月07日(土)6回 国道8号より「チハカ山」初探索
このカタカナの山は、去年新聞で見て知っていた。ササユリが咲いているとの事である。ところが「チハカ」でなく「チカハ」と覚えたので、ネットで調べたが出て来なかった。所が今年の新聞に、地図付きで載っていた。チカハではなく「チハカ・血墓山」だった。場所もいつも通っている国道8号線沿いだった。
夕方17.00時、国道8号線を加賀市の方へ進み、小松バイパスの合流点を過ぎると、右側が山になる。昔この上にモーテルがあったが最近やめて廃墟になっている。このモーテルへ入る道を入ったら、目の前に大きな堤があった。今までモーテルが邪魔をしてこの道を入ったことがなかった。
右に廻るとすぐ、広い駐車場があり、登山口が見えた。立札に「チハカ山・古墳と里山植物観察園」とある。登り口に「往復約40分、約550m」と書いてある。
登り出すとすぐ「ササユリ」が咲いている。蕾のものも多い。ササユリは保護育成中で一本ずつ、番号札が下がっている。
目の下を国道8号線が走っている。しかし山に入ると静かである。
ここはもともと古墳群のある小山で、ササユリが数本散見されただけだったが、古墳の整備の為、里山を間伐、下刈りしたら、日当たりや風通しが良くなり、古代先人の墓に捧げる供花のように、ササユリが群生するようになった。と書いてある。
一番高い「第1号円墳・直径20m、高さ4m」に登ったら、なんと三角点を発見。家に帰って調べたら、41.8mと判明。あちこち廻って山から降りて来たら、看板通り40分掛かっていた。
八号線にある看板に拠れば、分校チハカ山古墳群は18基。大堤をを挟んだ小松側の、カンザン前山古墳群は30基と書いてある。いずれも紀元5世紀頃のものらしい。中世に近くに城が出来、戦に明け暮れたので、血墓山と呼ばれたのではないか、と言われている。地元の人は「チャーカ山」と呼ぶらしい。ササユリ見頃は6月中頃とある。
|
2007年11月10日(土)5回 曽宇町より「観音山」を往復
仕事が午前中に終わったので、今年まだ登っていなかった「寺尾観音山」に向かう。自宅を13.40分に出て、曾宇町の登り口の駐車場に14.15分に着く。広い駐車場だが、いつもからっぽである。
登り口の石仏に花が手向けてある。
登り口は急坂であるが、登り切ると、広い緩やかな尾根の道になる。突き当りが観音堂である。
観音堂の裏を、踏み跡を頼りに分け入ると、5分くらいで、一番高い地点にある三角点に着く。雑木林の中の小さな空間。京都の人の標識が有った。15.05分。
観音堂の周りは、紅葉の木が色付いてきた。観音を彫った石像が、幾つも置いてある。
この石像は、この山を開いた箕輪からきた修験僧らしい。
16.05分、車まで降り立つ。 登り45分。下り35分。
|
2006年11月04日(土)4回 曽宇町より「観音山」を往復
加賀市大聖寺に「全昌寺」がある。奥の細道で芭蕉が泊まった寺である。この寺の羅漢堂には、500羅漢が全部揃っている。
この町の仲間の笛方のY師の紹介で、羅漢の一つ太鼓を打っている像が、我が家の持物になっている。もっとも年間2千円の維持費を払うだけなのだが。この維持費を払いにお寺に出かけ、久し振りに羅漢さんと対面した。
「日本百名山」の著者「深田久弥」は大聖寺の人。境内に久弥の句碑があった。
その足で「寺尾観音山」に出かける。全昌寺より15分で曾宇村の登り口駐車場に着く。
整備された登山路を登ると、30分も掛からずに観音堂に着く。像は拝めないが、曾宇町の守護仏「十一面観音像」らしい。側に、この山を開いた箕輪修験尊の像がある。
観音堂の裏からは、今日は大聖寺の町が良く望める。
観音堂の後ろを入ってゆくと三角点がある。雑木林の中で展望は無し。こんな赤い実がいっぱい実っていた。
「ミヤマシキミ」の実らしい】
曾宇町から駐車場の間の道路脇に、小さな地蔵さんが置いてあり、下から水が出ていて、柄杓が置いてあった。いつもは気が付かずに通り過ぎていたが、今日は車が1台停まって、水を汲んでいた。私も停まって、水を頂いてきた。
|
2005年07月09日(土)3回 曽宇町より「観音山」を往復
今年3回目の「寺尾観音山」登山。
此花は何かな。「オカトラノオ」らしい。
登り口の曾宇町の隣村に、直下町があります。ここに三谷温泉の一軒宿「特月荘」が在ります。ここで、麻雀仲間の祝いの会がありました。その会の前に、メンバー三人で登ってきました。展望の利かない頂上で、三角点に腰を掛けてしばし団欒。月一回の麻雀仲間、М君とH君です。
帰りは雨が降り出したが、すぐ温泉だと思うと、濡れても気にならない。
連れのある登山は初めてだ。
|
2005年06月02日(木)2回 曽宇町より「観音山」を往復
「寺尾観音山」。1回目登山の時、白い野いちごの花が咲いていましたが、2度目の時は、真っ赤な実が付いていました。
「ササユリ」の花に、
「ヤマボウシ」の花。
三角点のある、誰にも遭わない静かな山です。
|
2005年04月19日(火)初登山 曽宇町より「観音山」を往復
「寺尾観音山」に登りに行く。小松の自宅を車で出て、8号線を走り、加賀市の曾宇の交差点を、大聖寺駅の反対に、左へ折れ一直線。曾宇の細い集落を通り抜けてしばらくで、登山口の駐車場に着く。ここまで30分。この先から林道は通行止めになっている。ここは初散策。
立て札によれば「寺尾山は養老元年717年に、武蔵の箕輪からきた修験僧によって開かれました。安置されている十一面観音は、曾宇の守護仏として信仰され、後に当地は大聖寺藩前田家の祈願所となりました。」
この由緒ある観音堂への道は、実に良く手入れされていて、山路とは思えないきれいな道だ。しばらく坂を登ると尾根に取り付く。ここに「石川縣十名勝地」と言う大きな石碑が建っている。昭和4年に新聞社の人気投票で選ばれたと彫ってある。私の生まれる前は、凄い名勝地だったのですね。
ゆったりとした尾根を行くと、登り始めて35分で観音堂に着く。観音堂を中心に遊歩道が作られ、石観音が何体も置かれている。村人のためのお籠り堂みたいな建物もある。「ササユリ」が咲いています。
遠くに大聖寺方面の展望が少し開けている。観音堂の右奥の尾根に分け入っていくと5分位で頂上に着き、三角点がある。周りの展望は全然ない。
「ヘビイチゴ」の白い花が咲いています。帰りはぶらぶらと歩いても、30分ぐらいで下山できます。
|