2005.04.より登山順
なかうみの里より登る里山の三山
①「遊泉寺砂山」「加賀国府」 ②「阿稜山・中海山」は下の項
[加賀53] 遊泉寺砂山 140m (小松市鵜川遊泉寺町) [加賀53] 加賀国府・府南山 13m (小松市古府町) |
第22回 2024.10.20. 駐車場より時計の反対周りで砂山一周。そのあと車で虚空蔵山へ。 第21回 2024.09.01. 加賀国府跡散策。 第20回 2024.04.28. 駐車場より時計回りで「砂山」一周。 第19回 2024.03.02. 枝垂れ梅梅園。 第18回 2024.01.19. 駐車場より時計反対周りで「砂山」一周。 第17回 2023.05.02. 駐車場より時計周りで「砂山」一周。 第16回 2023.02.11. 駐車場より時計反対回りで「砂山」一周。 第15回 2022.12.17. 加賀国府跡散策。 第14回 2022.05.17. 駐車場より時計回りで「砂山」一周。 第13回 2021.07.10. 駐車場より時計反対周りで「砂山」一周。 第12回 2019.11.27. 駐車場より時計回りで「砂山」経由、巻上装置跡より、観音山駐車場に降りて「観音山」往復。 第11回 2019.05.01. 駐車場より、「砂山」逆回り一周。 第10回 2018.03.12. 駐車場より、「砂山」一周。 第09回 2017.01.02. 駐車場より、「砂山」逆回り一周。 第08回 2015.12.15. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 第07回 2015.03.07. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 第06回 2012.11.27. 遊泉寺駐車場より「砂山」頂上経由して、観音山水汲み場まで藪漕ぎ。「観音山」往復。 第05回 2012.02.25. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 第04回 2011.02.08. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」往復。 第03回 2009.09.16. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 第02回 2007.06.16. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 第01回 2006.07.23. 小松鵜川遊泉寺駐車場より「砂山」一周。 |
2024年10月20日(日)22回 駐車場より時計反対周り「砂山」一周 健康維持徘徊は今日は三人参加。「遊泉寺砂山」の駐車場に、S女史と金沢のA女史と私の車、9時15分に集合。昼食はこの後の「虚空蔵山」を予定しているので・軽装で出発。 いつもの「何かの炉」の横を通り 、 今は咲いていないが、スイレンの咲く池を通り、向こうに「枝垂れ梅の梅園」が見えて、 まっすぐに「桜を植えている広場」を通る。 どら焼きみたいなコケ 分岐を、今日は右回りで行こう。 巨大煙突を通り、 突き当りの立坑付近の「鍛冶屋の炉」の手前から左に階段を登る。 階段の途中の真ん中あたりに、ベンチのある休憩場所。 最後の階段を登ると「巻上げ装置」の残骸。向こうに「遺水観音山」が見える。最近ここから遺水観音山の水汲み場まで登山道が出来た。 ここから観音山に背を向けて、小松市と能美市の境界線の尾根歩きとなる。 マムシグサ ミヤマシキミ 少し登ったり降ったり。 お待たせしました頂上で2人がお待ちかね。 砂山頂上に到着。10.30分。標高140m。小松市が少し見える。10.40分。 頂上ベンチで休憩。荷物無しで登っても、何処からかお菓子がいっぱい出てくる。 下山開始。鉱山時代の選鉱滓の捨て場「砂山」を越え、 突き当りから左に谷道を降りる。 結構急坂の階段。 ようやく下の道に、池が見えてきた。車道に降り立ち戻り始める。 アケビ 赤い葉っぱ 小さい花 しばらく歩くと、登る時歩いて来た道に合流。 里山みらい館まで戻ってきた。今日はこれから靴を履いたままで、車を運転して「虚空蔵山」の登山口まで移動する。11.45分。 ■次回登山は、車で移動し「虚空蔵山」へ■ 2024年09月01日(日)21回 「加賀国府跡」を散策 去年2003年は「加賀立谷1200年」だった。石川県加賀地方は「越前国の加賀郡」だったのが、国府が置かれ「加賀国」となった。22年12月に一度歩いている。健康維持の徘徊場所に思い出し歩いて来た。今年の夏はとても暑い。 今回は「府南山」の石部神社から歩こうやって来たら、大きな駐車場が出来ていた。あずま屋はである。 「府南山歴史公園」になっていた。 国府の南にあるから「府南山」。国府の重要な場所だったらしく、今でも発掘調査して居る様だ。 散策ルートの地図も載っている。この通りに散策ルートを一回りしよう。 石部神社の鳥居から「府南山」に入る。 「加賀総社・石部神社」となっている。 境内は「南野台遺跡」となっており、平安末期から中世の遺跡がある様だ。 神社の左側から神社の裏に周り、散策路は梯川に出る。加賀国府は梯川と加賀三湖と繋がり、船運に恵まれていた。 府南山を一周して駐車場に戻り、今度はそのまま「十九堂山遺跡」の方へ、町の中を進む。 民家の花 「十九堂山遺跡」の下に着いた。ここに国分寺があったのではないか、と云われている。今は町の墓地になっている小山である。 山に上がってみる。今日は白山は見えず。 今度は加賀産業道路の「舟見ケ丘」交差点へ歩く。保育所や中学校があるので、地下道が通っている。自転車と歩行者専用。地下道を通る。 地下道を出ると「前田利常公灰塚」への登り口がある。 加賀前田家の三代前田利常は、隠居後は小松城に住み、66才で亡くなりここで荼毘にされた。 加賀産業道路の歩道を歩いて小松の方へ戻る。次の信号交差点に「埴田の虫塚」への登り口がある。 江戸時代の古い石碑。天保時代にウンカが大発生、大飢饉が起きた。その時の害虫を埋めた所。 交差点信号を渡り、府南山に戻る。 府南山の右裾に置いた車が見える。 「加賀総社、府南、延喜式、石部神社」 9月に入っても猛暑。短い徘徊でもへとへと。逃げ帰った。 ■次回登山は、9/8「加賀市中央公園」へ■ 2024年04月28日(日)20回 駐車場より時計回りで「砂山」一周 昨日もちょっと歩いたが、突然に思い立ち近くの「遊泉寺砂山」を歩く。アル中(歩き中毒)だな。午後になってから出てきた。いつもの駐車場を通り過ぎて、梅園の駐車場に車を置く。ここまで車の乗り入れ可能。13.40分。 熊が現われる時期になった。鈴を鳴らして歩く。 ここはシャガが多い。増やしているようだ。 分岐。ハート型の下の部分。今日は時計回りで歩こう。 花の名前はテキトォー。 シャガ キンポウゲ フキ イモカタバミ カラスノエンドウ カキドウシ 桐の木谷の用水池。 池の反対側の階段を登る。 階段を登り切り、尾根の縦走路に入る。 ツクバネウツギ 虫食い痕 ガマズミ 遊泉寺砂山の頂上到着。ベンチ在り。展望台。ちょっとだけ平野が見える。14.40分。 下山開始 ガマズミ ツクバネウツギ ヤマツツジ 下山開始。 ミツバツツジ ツクバネウツギ ヤマツツジ 遺水観音山への分岐。水汲み場に下りられる。観音山が見える。 急階段を降りる。崖崩れで階段が宙に浮かんでいる所あり。 階段途中の休憩場所。ベンチ。 階段を降りて舗装してある遊歩道。 遊歩道を降りて行く。 シャガ 巨大煙突の下を通る。 15.40分、枝垂れ梅の駐車場まで戻ってきた。2時間の誰とも遇わない徘徊。午前中は亡き奥さんの月命日でお経を上げてもらう。午後は若き頃デートした 砂山を歩いて来た。 ■次回登山は、7/3「鳥越城山」へ■ 2024年03月02日(土)19回 中川氏追善と「枝垂れ梅」 新聞に載った小さな記事。下山途中で吹雪き、視界がほとんど無かったらしい。中川さんが一番前で、一人だけだいぶ先を歩いていたらしい。待ち合わせ場所に現われなかったので遭難が判明。吹雪でヘリが飛べず、翌日ヘリが見つけたが、途中で死亡したらしい。 今日は中川公平さんの葬儀の日。S女史と参列。 私と加納君が2008年4/19日に「奥城山」で、小松のN女史・S女史のコンビと遭遇。時々一緒に山を登った。その後N・S女史コンビが「大日山」で中川氏と出会い、お互いに声を掛け合い五人で登るようになった。私が「加賀の里山逍遥」というホームページを書いていたので、「加賀の里山逍遥の会」というグループを作って一人で喜んでいた。今回私のホームページから中川さんの写真を適当に引っ張の出して、ここに載せる事にした。悪しからず。 中川さんといっから一緒に山に登ったか覚えていない。気が付いたら5人で何度も山を登っていた。 2009.12.13 「三童子山」 2010.4.3 「大峰」 2010.4.17 「倉ヶ岳」。抹茶休憩。加納宗匠 2010.11.3 「越前甲山」、この山の頂上は 小松市である。小松方面から巡視路で登る。 2010.11.6 ホワイトロードから、瓢箪谷上園地に登り、そこから藪を漕いで「瓢箪山」の三角点を探しに行った。瓢箪谷上園地からは猛烈な藪で、中川氏の先導で、三角点を見付け、「瓢箪山」に登頂した。この三角点まで到達した人はあまり居ないだろうな。 2011.2.19 「雲龍山」に雪のある時に登りに行った。土砂採掘場の方へ降りた。尻セードが良かったな。 2011.2.20 「日野山.」に登った。五人全員が揃った。フルメンバー。 2011.3.27 「奥獅子吼山」に雪山登山。犀鶴峠辺り。中川氏の跡を一生懸命歩いたが、奥獅子吼山は時間切れで途中敗退。私でも雪山満喫。 2011.4.9 「猿山」フルメンバー。 2011.4.17 「青葉山」 2011.5.15 「富士写ヶ岳」 2011.6.19 「金剛堂山」 フルメンバー 2011.12.23 「動山」小屋で忘年会。 2012.04.15 「鷹落山」 2012.8.5 「雨飾山」 中川氏に誘われて日本百名山に登った。真夏でも谷に雪があった。中川氏が岩に乗っていた。一人だけだいぶ遅れて皆に迷惑かけた。良い思い出だ。 2013.1.20 「小佐波御前山」 2013.4.29 「飯降山」中川氏と二人だけで。 2013.6.16 「みつまた山」 2013.11.9 「蓬莱山」 2013.11.16 「大御影山」 2014.5.25 「大日山」 小松の最高峰。 2015.3.15 「高野山」 2015.3.22 「文殊山・奥之院」 2015.5.2 「鈴ヶ岳」 2015.9.13 「大山」 日本百名山に行った。 2016.4.10 「野坂岳」 2018.4.22 「奥城山」 里山逍遥の会10年目 2019.11.10 「火燈山」 2023.4.9 「奥城山」偶然中川氏と出会った。 2023.11.11 「八乙女山」 去年11月、毎年恒例の私の誕生日登山。中川氏も参加する事になり、中川氏の三百名山完登の祝いも兼ねる事になった。一日目は八乙女山に登り、その晩は川合田温泉に泊まって三百名山完登の苦労話を聞いた。翌日は「牛嶽」に登って別れた。 2023.11.26 「天筒山」 敦賀の天筒山で、今は大阪に住んで居るN女史と落ち合いあずま屋で鍋パーティーを開いた。N女史が腕を振るい豪華版のパーティーだった。中川氏と会ったのはこれが最後となった。 5人メンバーのうち、加納君が亡くなり、このたび度中川公平氏が亡くなり、今はN女史は大坂に住んでいるので、加賀の里山逍遥の会は私とS女史の二人になってしまった。 葬儀の帰りに、小松の「遊泉寺砂山」の、「しだれ梅」60本が植えてあるという梅園に寄ってみた。ここまで車で乗り入れ出来る。昨夜雪が降り地面は真っ白。枝垂れ梅が紅白60本あるとの事だが2.3本しか花が咲いていなかった。 中川様、さようなら。 ■次回登山は、3/3「和田山」へ■ 2024年01月19日(金)18回 駐車場-「砂山」一周時計反対回り 今日を逃すとまた天気が悪くてしばらく歩けない様だ。S女史と健康徘徊。 待ち合わせ場所の、なかうみの里より「里山みらい館」まで移動。すぐ近くだ。里山みらい館は開いていない様だ。前のバイオトイレも閉鎖中。 10.20分出発。いつもの「炉遺跡」より出発。 次は「しだれ梅」100本の梅園。気の早い蕾でも無いかと思ったが、一輪も無し。 続いて「桜の広場」。まだ造成中らしく桜の木が少し植えてある。 一つ目の林道分岐。一度間違えて入り込んだ事がある。舗装してない。コースではない。 二つ目の林道分岐。今日は右から廻ろう。分岐に休憩所。舗装している道を行く。 巨大煙突がある。銅山の余波。 さらに進むと「立坑跡」がある。見ることは出来ない。 その手前に登山道がある。舗装は無くなり、頂上まで450mの標識。 急な階段となる。 中間に休憩場所。 後半の階段は、少し道が壊れている。 尾根上まで登り着くと「巻上げ装置跡」。右に「遺水観音山」の水汲み場に降りる作業道が出来た。標識がある。 左の尾根を進む。 気持ちの良い縦走路。 少し登り降りがある。 突き当りの「遊泉寺砂山」の頂上に到着。 狭い区間だが海の方が見える。小松方面。 ベンチで昼食。11.40分。風が通り寒い。 アップで撮ったら小松空港の飛行機が留まっていた。 下山開始。「砂山」の標識。採石屑や選鉱屑などを捨てた山。私が20代のころ遊びに来た頃は。本当に砂の山で木が生えていなくて展望が良かった。 木の間から「遺水観音山」が見える。 尾からの下山地点、ソヨゴの木が倒れて道をふさぐ。 こちらの降りも急坂。ロープが下がる。 「桐の木谷」の用水池に降り立つ。ここからは舗装路をぶらぶらと戻るだけ。 ヤブイチゴの実 ソヨゴの実 カキの実 かな 梅園まで戻ってきた。梅園の後ろから赤い橋を渡り、遊歩道で帰ろうと思ったら、川のほとりに「ロウバイ」が一本だけあり満開だった。 赤い「むろと橋」を渡り遊歩道を歩く。 駐車場が見えてきた。直接駐車場出る道を行ったら、川に橋が無かった。以前はあったハズ? 少し戻って橋を渡り駐車場に戻る。 徘徊中は誰一人歩いていなかった。明日から又天気が悪そうだ。 駐車場にのそばの、川のふちを歩いたら「フキノトウ」を見付けた。採らずにそのままにしておいた。 ■次回登山は、 ■ 2023年05月02日(火)17回 駐車場-「砂山」一周時計回り ゴールデンウイーク後半突入。山友S女史、お孫さんの里帰りで今日しか空いていない。ちょっとだけ歩く事になった。いつもの「里山みらい館」の駐車場に車を置く。隣にトイレ。駐車場の右奥から小川を渡って と思ったら道が壊れていて、橋が無かった。 「シャガ」 満開の道。 遊歩道を歩いて車道に戻る。 一面の黄色い花。 「ハルジオン」も満開。 梅林から先は車は入れない、 キンポウゲ タニウツギ ヘビイチゴ シロツメクサ イモカタバミ ヤマデブリ 一周コースの分岐。今日は直進して時計回り。 「タラノメ」でもないかな。 池の向こうに「フジ」。池の反対側に登山口。 急な谷道。階段 階段は苦手。 尾根まで登り周走路に入る。 昔、鉱山の排出物を捨てた「砂の山」。緑を取り戻すのは大変と云われたが、あっという間に緑の山になった。 「遊泉寺砂山」の頂上に到着。ベンチで早い昼食。小松の平野が見える。11.00 下山開始 タニウツギ」 「ホウ 「ヤブイチゴ」 すぐ下に作業道が並行している。降りて作業道を歩く「観音山」が見える。 そのまま作業道を歩く。この作業道は「観音山」の水汲み場まで下りられるらしい。 ツクバネウツギ タニウツギ ヤマデブリ 作業道は、巻上げ装置跡で游歩道と合流。 降り道の途中に休憩場。 坂を降りると、竪坑跡。 遺跡 巨大トンネル。 一周してきて少し戻ると、遊歩道でない作業道が分岐している。少し入り込んで見る。昨夏の豪雨で林道はほとんど崩れていた。 フジ キジムシロ ヤマデブリ 梅林から山裾の遊歩道に入る 赤い橋がある・ しばらく歩いて、駐車場に出る。 ■次回登山は、5/4「箱屋谷山」へ■ 2023年02月11日(土)16回 駐車場-「砂山」一周・時計回り 昨日は遅くまで雨が降って降り、今日は歩くのは無理だろうと思っていた。所がどうした訳か天気が良い。午後になってから急に、雪の様子と梅林の様子を見に「遊泉寺砂山」へやってきた。いつもの駐車場に車を置く。里山みらい館とトイレ寮は冬季閉鎖。12.50分。 長靴徘徊。車道は除雪してある。 「梅林苑」、少しは咲いているかと思っていたが、一輪も見えず。 「さくらの広場」は雪原。 雪が多くなり、轍だけの道となって来た。 分岐の「砂山口」を右に。車の跡は無し。 「巨大煙突」を通過。 突き当りの「竪坑跡」手前で登りになる。 頂上まで450m。一周は1.000m位と思われる。 階段は見えている。 途中に休憩所がある。ベンチで休憩日向ぼっこ。荷物無し。雪の様子を見に来てここまで来た。 坂を登り切ると「巻上げ装置跡」 ここから遺水観音山が見える。藪を漕いて水汲み場まで降りた事がある。今は作業道が水汲み場まで続いていて、藪を漕がなくて良い。 砂山は、左へ尾根を行く。思ったより雪が少ない。 「遊泉寺砂山」頂上に到着。14.40分。 小松市の方が少し見える。 一周で降りだす。砂山の案内板。銅山の廃鉱を巻上げ装置で上げ、この辺りに捨てたのが「砂山になった。二十歳頃小松駅より電車に乗り良く遊びに来た。「うかわ古代桜」辺りに終点駅があった。当時は本当に砂山のハゲ山だった。 尾根の先で谷を左へ降りる。階段が続く。 「桐ノ木谷」の標識へ降り着く。 ここからは広い道。除雪して無い。車の跡も無い。 分岐の「里山口」まで戻ってきた。 誰一人歩いていない。物好きは私だけかな。 ■次回登山は、2/12加賀市の「寺尾観音山」へ■ 2022年12月17日(土)15回 「加賀国府散策」 来年の2023年が「加賀立国1200年」になるらしい。新聞に記事があった。小松の国府地区に「国府」が置かれて加賀の国が出来たらしい。記念に加賀国府を散策するラリーがあったらしい。ネットで歩くコースが載っていた。しばらく天気が悪くて歩けない。今日もまだ天気が悪いが、傘を差しても歩けるので、昼になって歩きに来た。12時に国府公民館に車を置く。 杖の一本をコウモリ傘に持ち替えて、河田町に向かう。向かいは国府地区体育館。 ゴミ置き場の壁に「白山」の写真。今日は本物の白山は見えない。 民家の庭の赤い花。ネットで調べたら「ブラシの木」かな。 国府中学校の運動場の道を行く。 「十九堂山」が近づいて来た。ここが加賀国分寺の推定場所になっている。 十九堂山は今は墓地になっている。登って見る。15m位。遺水観音山が見える。 頂上に石仏が置いてある。古代の瓦が採取されたとか。 今度は「府南山」に向かう。「加賀国惣社府南延喜式内社石部神社」の石碑。 「加賀総社石部神社」の石碑。加賀国府庁の南にあるから「府南社」とも云うらしい。 ふむふむ。 加賀一之宮の地位を、白山比め神社と争ったらしい。 広く発掘調査が行われているようだ。 石部神社より降りて、いつも車で通る加賀産業道路まで歩く。交差点の向こうに「埴田の虫塚」が見える。 虫塚は冬囲いのこもの中。天保10年(1839)にウンカが大発生。村の人が虫を大量に駆除して埋めた。その時建てた江戸時代の石碑。虫供養の思いと共に、駆除方法も書いてあるとか。 加賀産業道路を歩いて戻る。次の「舟見ヶ丘」の交差点を渡った所に「前田利常公灰塚」がある。 加賀前田家3代の利常公、小松城に隠居していて、66才で亡くなりここで荼毘した。 車道の下を通る地下歩道に、国府中学校の卒業生の陶版モザイク画が幾つも掛けてあった。ウサギかなと撮って来たがネズミだな。 本河田八幡神社を通り一直線で戻る。 コウモリ傘を杖に歩いたが、上手い具合に使うことは無かった。帰りの車で雨が降り出した。明日から大寒波が襲来するらしいな。 ■次回登山は、12/21小松市の「粟津岳山」へ■ 2022年05月17日(火)14回 駐車場-「砂山」一周・時計回り しばらく歩けなかった。お昼を「遊泉寺砂山」で食べようと何時もの駐車場に車を置く。12.30分。 シャガの咲く道を登って行く。 スイレン イモカタバミ 分岐。今日は左へ、時計回りに。 「桐の木谷」の池は水が無いぞ。 池の反対側に登山口がある。 なかなかの急坂。 尾根まで登っ羅、右の方へ尾根歩き。 ハルジオン アマドコロ アズキナシ 「砂山」。昔は本当に砂の山で、見晴らしが良かった。 すぐ横が「砂山頂上」。ベンチで昼食。 少しだけ平野が見える。13.30分。 下山開始。 「巻上げ装置跡」。ここから降りとなる。 またここから「観音山霊水場」に降りる道が出来た。 急坂を降りると、左に竪坑跡がある。行ってみても竪坑は蓋がしてあり見えない。寄らず。 右へ降りてゆく。いつの間にか舗装路になっている。 ニガナ タンポポ ヤマデブリ 巨大煙突の前を潮る。 駐車場の車が見えてきた。 キジムシロ タンポポ 2時間ほどの徘徊。 15.40分。 ■次回登山は、5/18金沢の「箱屋谷山」へ■ 2021年07月10日(土)13回 駐車場-「砂山」一周・時計反対周り 梅雨のさなか。18日の日曜日に金沢能楽堂で、社中のお弟子さんの発表会をするので何かと忙しい。ちょっと晴れ間に気晴らしに「遊泉寺砂山」を徘徊に来た。自宅から15分。いつもの駐車場に車を置く。遊泉寺銅山のあったここは「コマツ」の発祥の地で最近は「遊泉寺銅山ものがたりパーク」として開発整備が進んでいる。11.30分。お茶、バナナ二本、単独。舗装道路を行く。登山路は💛形である。 右側がいつの間にか広場になったぞ。 脇道もカラー舗装。 本道左側の和風泉水。スイレンが咲いている 「しだれ梅」の園地にも駐車場がある。この先から車は入れない。しかし舗装路になったぞ。 ハートの尻尾部分の分岐。ベンチがあり「砂山口」の標識が出来た。今日は右側から登る。 「巨大煙突」の前も大きく切り払われたぞ。 突き当りに「竪坑跡」がある。竪坑は覆われているので見るべきものは無い。ここまで舗装された。ここから左に山道を登り出す。あと400m。 途中の休憩地に若い人が一人休んでいた。身体を壊して体力が落ちたのでリハビリだという。お大事に。 この階段も、新しく整備されている。 尾根上の「巻上装置跡」に登り着く。右に作業道が降りている。 以前ここから藪漕ぎで観音山霊水場に降り、観音山に登った。最近ヤマップにここから観音山に登る道が載せてあるので覗いて見たが、標識などは無かった。 砂山までは、ここから小松市と能美市の境界尾根を行く。 二つ三つの瘤を過ぎると「砂山」頂上に到着。ここも様変わり、広場になっている。ベンチで昼食。12.30分。ここはハート形登山路の上のくぼみに当たる。 小松の方が少しだけ開いている。見えるのは小松空港の自衛隊の基地らしいな。 若者が追いついて来た。入れ替わりに下山開始。「砂山」の標識。ここらあたりが砂山だった。昔の景色とどうしても一致しない。 尾根から峠まで降りて、左に急な階段を降りる。 「桐の木谷」に降り着く。小さな池がある。 戻ってきた。「さくらの広場」も整備中。 隣の「しだれ梅の広場」を抜けて山裾の道に入る。 「むろとばし」と書いてある。 「越の細道・加賀国府・哲人の杜」の手作り標識があったぞ。 駐車場に置いた車が見えてきた。新しい建物は「里山みらい館」である。今日は寄らなかった。 ■次回登山は7/21長野県「小遠見山」へ■ 2019年11月27日(水)12回 駐車場-「砂山」-「観音山」を往復 ちょっと「遊泉寺砂山」でも歩いて来ようと、S女史と「なかうみの里」で待ち合わせ。あんまり簡単すぎるから今日はついでに「遺水観音山」にも登ってこようと云う事になった。 いつもの「遊泉寺銅山跡遊歩道」の駐車場に着いてびっくりした。トイレ楼の前に大きな建物が建っていた。資料館?か休憩所?かなと思う。ここへ入る道も工事中で、大きく広げているようだ。 遊歩道へ入って行くと、ここも大きな変わり様。広く機械を入れて明るくなっている。どうも公園にする様だ。 ここはいつもの分岐点だ。立て札が残って居なかったら、気が付かないほどの変わり様。今日は直進して桐の木谷の登山口から登る予定。 登山口から尾根の上まで登り着く。ここに「観音山・仏大寺町方面」の看板がある。まっすぐ仏大寺へ降りる道がある。7年前にはこの道を降りたが、非常に荒れていて、途中で不明になり、川を飛び越えたりして道路にたどり着いた。今日は砂山の方へ登って行く。ナラの木が紅葉している。気分が良い。 7年前に観音山から戻る時、観音山霊水汲み場の駐車場から、谷を詰めて藪漕ぎをして登り着いた、巻上げ装置跡まで行く。今回はここから観音山を目指す。所が巻上げ装置跡まで来たら、すぐ下に作業道が出来ていた。 地図を見ながら分岐のある作業道を歩く。観音山が近くに見える適当な所から藪を漕いで谷に降りた。藪漕ぎ距離は50メートル。 谷に降りると、なんとなくけもの道が続いているので、歩きやすい。 しばらく歩くと、水汲み場横の園地にたどり着いた。向こうに車が見えた。 ここからはいつもの「遺水観音山」の登山になる。 10.50分。 11.30分に観音堂に到着。砂山では休憩場所が無かったので、ここでゆっくりと休憩。 観音堂から上は、紅葉が終わってしまっている。 12.00時頃に頂上到着。展望あずま屋に誰も居ないので、独占して昼食。 1時間ものんびりしていて、同じ道を下山開始。水汲み駐車場より園地に降りて、一番奥より谷を進むけもの道を歩き出す。前方に林道が見えてきたら、適当に藪を漕いで作業道に登り着く。 何をするのか判らないが、作業道があちこちに広がっている。 巻上げ装置跡まで戻り、周回のように坂を降りる。ここも広く刈られていて、びっくりだ。 巨大煙突もむき出しになっている。 15.05分に駐車場に到着。 ■次回登山は、11/30「岩倉観音山」へ■ 2019年05月01日(水)11回 駐車場より「砂山」一周・時計回り 今日から年号が変わり、平成が「令和」に変わった。10連休のさなかであるが、特に変わった事もない。夕方よりお稽古に出掛けるので、それまでに記念に「砂山」を歩いてくる事にした。細かい雨が降っている。県道55線から入る道は工事をしていたようだが、今日はすんなりと入れて、トイレ棟も使える。すぐ横のシャガの畑が満開だ。11.40分。 遺跡の後ろ一面もシャガである。 遊歩道の案内矢印は、右に入り込むが、今日は反対周りの予定で、直進する。林道に大きな木が倒れ込み、ちょっと荒れた感じになる。 桐の木谷の池は干上がっている。ここから山道に入って行く。12.10分。 小さなスミレ チゴユリ コシアブラ ガマズミ ツクバネウツギ ハンショウヅル 12.35分に頂上通過。木が茂って展望はゼロ。 すっかり新緑になった。 シャガ 一株だけの水芭蕉。 一面のシャガ畑。 傘を持って登ったが、邪魔くさくて差さなかった。カップラーメンを食べようと持ってきたが、座る場所が無く、13.40分に車に戻り着いた。車の中でポットのお湯を注いで、昼飯とした。 平成の終わりに、親子で表彰状を頂いた。ここに記録を残しておく。 2018年03月12日(月)10回 駐車場より「砂山」一周・時計反対周り 急に暖かくなった。今日は晴れるらしい。午前中でお稽古も終わり、山でお昼のランチにしようと、コンビニに寄り、「遊泉寺砂山」の駐車場を目指す。昨日遺水観音山に登った時、駐車場への道を覗き込んだが、雪はなさそうだった。12.40分に駐車場に到着。少し駐車場が除雪してある。トイレ寮は閉鎖中。 除雪してあり、ぶらぶらと歩き出す。しだれ梅の100本の梅園はまだ雪ノ下。2006.3月に植えたと書いてあるが、今年は咲くのか?。 道路に積雪が出てきた。今年初見の「フキノトウ」を発見。春だ。うれしい。しかしたったの一つだけ。 除雪がしてなく、雪の上歩くようになった。13.05分に遊歩道の分岐に到着。ここからは谷を登って行くので、残雪が多くてびっくり。頂上まで800mと書いてある。 足跡が無い。倒木が多い。時々膝まで踏み抜く。スパッツがはがれそうだ。谷が広くなってくると、何処が道だか判らなくなる。ストックはもぐって、あまり役には立たない。頂上まで500mを見付けて一安心。この先方向を変えて、坂を登り出す。 坂の途中に、頂上まで400mの標識。この坂の上に休憩所があるはずなので、そこで昼食にしよう。 14.00時に休憩所に登りつく。石のベンチがあり、日向ぼっこには最高。ゆっくりとパンをかじる。時々一人で歩いて居て寂しくないか?、と聞かれるが、自分としてはあまり寂しさを感じない。変かな?。 休憩所の先は急坂だが、距離が短くすぐ尾根上に到着。左に尾根を行くと、頂上まで200m。 14.30分に頂上到着。展望台と書いてあるが、木が茂ってきていて、ほとんど展望なし。 砂山と書いた標識を通ってゆく。右に、昨日歩いた遺水観音山が望める。 突き当りの谷を、左に降りてゆくと林道に降り着く。雪の多い林道を、ぽかりぽかりと踏み抜きながら歩く。腰が痛くなりそうだ。除雪がしてある地点まで出てホッとする。15.35分に車に到着。 ■活動時間 3時間9分 Ⓢスタート12.32→(3時間9分)→Ⓖゴール15.41 ■活動距離 3.4km ■高低差 139m ■累積標高上り/下り 359m/369m ■次回登山は、3/12「鳥越城山」へ■ 2017年01月02日(祝)9回 駐車場より「砂山」一周・時計周り 昨日元旦は「二堂山」まで歩いた。今日正月二日目。今日も暖かくて日差しが出ている。午後になってからちょっと歩こうと「遊泉寺砂山」へ行く。昨日と同じでポケットにミカンが三個。今年初めて登山靴を履いて、ストック二本で歩き出す。今日はいつもと反対周りで歩く予定。分岐を曲がらず通行止の方へまっすぐ歩いてゆく。 右側にある池を背中に、小さな谷を登り出す。尾根の上まで登ると「観音山(仏大寺町)方面」「の看板に出る。この先下ってゆく道の看板だが、完全に荒れ果ててしまっている。ここから尾根伝いに右へ登って行く。「砂山」の看板がある。この辺りが一番標高が高い頂上と思われる。 展望台を通るが、木が茂ってきていて、展望はほとんど無くなってしまった。展望台より方向を変えて静かな尾根道を行く。 「遺水観音山」が右手に透けて見える。 「ソヨゴ」の木に赤い実がいっぱい。 赤い色が目立つ。 赤いシキミの実。ツバキの花。アオキの実。 駐車場より分岐の間に、以前柵がしてあり畑があり野菜が植えてあったように思う。その場所が一面に拓かれて、「しだれ梅」の畑になっていた。看板に「しだれ梅・白20本、桃80本、2016.3」と書いてある。 他にも「シャガ」を一面に植えた場所もある。また駐車場に至る道の両側にも、いろいろと植えた畑が続いている。近々お花の名所になるかもしれないなー。 ■次回登山は、2017.01.04「遺水観音山」へ■ |
2015年12月15日(火)8回 駐車場より「砂山」一周 S女史より、ちょっと歩かないかとメールが入ったが、午前の予定を入れたのでと断ったら、午後からでも良いという。12.30分に「なかうみの里」で待ち合わせ。女史の母親が近くの「やわた病院」に入院したので、ついでにこちらに来たと言う。今「遺水観音山」に登ってきたのだという。まだ登り足りないからもうちょっと歩こうという。元気な人だ。 すぐ近くの「遊泉寺砂山」へ登ることにした。いつもの駐車場に車を置いて歩き出す。駐車場のトイレは、早くも閉鎖されていた。13.30分に頂上到着。コーヒーを点ててもらう。この頂上の少し先に「砂山」の標識がある。二十歳代にこの「砂山」へよく遊びに来ていた。その頃は本当に砂の山だった。どうも現在の姿とギャップがありすぎて、記憶が結びつかない。昔の写真があったので載せておく。 「緑の会」と云うサークルの「砂山」ハイキング。市街の方も、観音山の方もよく見えた。結婚前の奥さんも居る。私ももちろん居る。 その一年後の「砂山」。後ろは遺水観音山だ。ホヤホヤ新婚1ヶ月。 「砂山」は鉱毒のため、木が生い茂るまでに、時間が掛かると言われていたが、今はもう昔の面影はない。小松駅の裏から鉄道があったはずだ。 ●次項2015年83回登山は、12/19「岳峰」へ● |
2015年03月07日(土)7回 駐車場より「砂山」一周 この一週間は春探し。「寺尾観音山・鞍掛山」に続き、久しぶりの「遊泉寺砂山」へ春探しに来た。自宅より20分で遊泉寺銅山跡の駐車場に着く。9.35分。遊歩道を進む。辺りを整備中らしく、綺麗になっている。銅山の遺跡も見やすくなった。整備中で立ち入り禁止の看板が所々に在る。今年初めてのフキノトウを発見。春だ。 いつもの右に曲がる広い分岐に出た。林道は広くなり車も入れるようだ。何の気なしに、遊歩道を整備して歩きやすくなったと入り込んで歩いていたが、いつもと地形が違っていることに気が付いた。右手が開けて遺跡が在る筈だが、崖になってきた。初めて違う道に入り込んだと気が付いたが、ついでに先の方まで行ってみたら、林道は行き止まりだった。戻る。 入り込んだ林道の100mほど先に、いつもの分岐があった。ちゃんと標識も残っていた。この道はいつもの通りガタガタ道。右手に遺跡が残る。 突き当りより急坂を登る。ダンコウバイらしき花の芽があった。 11.05分頂上に到着。ここだけ杉の木の間に小松が見える。ベンチでポットのお湯でカップラーメンの昼食。 頂上から続く尾根に「砂山」の標示がある。どうしても若い頃の記憶と結びつかない。 花かと思って近寄ったら、どうもさなぎが入っている袋のようだ。他の山でも見掛けたことがある。色が綺麗な袋だ。12.10分に車まで戻る。誰も居ない山である ●次項2015年16回登山は、3/8富山県の「尖山」へ● |
2012年11月27日(火)6回 駐車場より「砂山」と「観音山」往復 日曜日は快晴だったのに、あくる日から大荒れ。今日もグーンと冷えた。北海道方面は大雪とか。それでも空いているのでS女史と低い山を目指す。今回は「砂山」から直接「遺水観音山」に登って来ようと云う予定。 10.40分。いつもの遊泉寺砂山銅山跡の駐車場に車を置く。雨は止んだ。いつもの通りのコースを歩く。よく整備されている。 急坂を登り、「巻き上げ装置跡」に着く。ベンチがあり「頂上まで200m→」の表示板がある。ここから尾根伝いに頂上を目指す。途中で大きなナメコを収穫。 11.30分。頂上からは小松市街の中心部が見える。我家もこの中に入っている。小さいボロ屋は見えるはずは無い。 11.35分、少し降ると「観音山方面」の看板がある。観音山が見える。 いつもは左に池の方へ降って戻るが、今日は右に観音山の方へ下りる。地図を見ると「観音山」の水汲み場あたりへ出るようだ。50年ほど前の若い頃降りた記憶がある。溝みたいな道を降りるが、誰も歩かないらしく、倒木と藪でガチャガチャ。ようやく下まで降りたが道が無くなった。下まで降りるとすぐいつもの林道に出ると思っていたのに、当てが外れた。もう一つの山が前方に塞がっていた。右は登りになるので、左に谷を降りるようにして、山の裾を周る。川を飛び越えたら、ようやくいつもの舗装道路に出た。右に少し歩いたら水汲み場に出た。12.05分。30分間ほど藪を漕いでいた。 昼食場所が無いので、観音堂まで登る事にした。12.40分、観音堂到着。雨が降りそうなので、扉を開け入り口に座って昼食。 昼食を済ませて、荷物を観音堂に残して頂上往復。登り15分。辛うじて海岸線が少し見える。黒い雲が雨を降らしながら、近ずいてきた。降り15分。雨ではなくみぞれが降り出した。 14.05分、水汲み場に到着。前に立ちはだかる山の、左の谷に道があるように見えるので、水汲み場下の「親水公園」を抜けて左の谷を登って行く。ここも藪漕ぎである。突き当りで右の尾根を目指す。尾根からその先の谷を降りると、朝の藪漕ぎ地点に合流すると読んだ。 ところが、尾根を登り切ったら、「巻き上げ装置跡」の立札が左の尾根の先に見えた。朝通った地点で、頂上まで200m地点だ。ちょっと呆気にとられた。14.30分。しかし雨が強くなるし、藪漕ぎともお別れ。また頂上に登り返し、観音山分岐を、今度は左に降りて池に出て、桐の木谷林道をぶらぶらと車まで一直線。 「砂山」と「遺水観音山」を一緒に登る計画は成功したが、予想通り藪漕ぎの連続。入り込む人は御用心。 |
2012年02月25日(土)5回 駐車場より「砂山」一周 朝は雨が降っていたが昼頃止んだ。午後1時に「遊泉寺砂山」へ歩きに出かけた。帰ってからこの頃持ち歩いている、ソニーの携帯ナビの軌跡をを調べていたら、ホームページに載せていた地図の書き込み登山路が、全然間違えていたことに気付き愕然とした。一本谷を間違えていた。まことに情けない。まさかあの地図を見て遊歩道を歩かれた方は居ないと思うが・・・。訂正してまた載せておきます。今度は大体正確だと思います。コースはハート形になっていました。恋人と歩くと良いかも。 ここ2.3日突然に暖かくなって、雪がいっぺんに消えた。国道360の立ち寄り湯の「湧泉寺」の手前から県道55に入り、鑓水観音山の方へ走ると、鵜川町のはずれに「遊泉寺銅山跡」の標識→が出来た。去年はその先で除雪が無かったので歩いた。今年も行き止まりを覚悟していたら、なんと農道の雪が全部消えていて、突き当りの駐車場までなんなく入り込んだ。 カンジキだけ持って13.05分、雪の無い林道を歩きでしたら、分岐手前で急に残雪が増え、分岐でカンジキを履いた。分岐からは足跡が全然ない。 見た事のない動物の足跡がある。初めて見た。一つ一つにお尻の跡がある。何だろう?。(よくよく考えたらウサギの足跡が、段々溶けてこんな形になったようだ) 一年前の同じ頃に歩いた時、右に行こうか左に行こうか迷って、引き返した地点に出た。巻上げ装置跡である。 今回もここで迷うかなと思っていたら、矢印の付いた「頂上まで200m」の標識が在った。去年は無かった。ここから尾根を左に進む。地図を見ていたらこの尾根は、小松市と能美市の境界線だ。展望台までに2.3の瘤がある。どれが頂上か判らない。 展望台からは小松の街並みが見える。 展望台から降りて尾根を先に進むと「砂山」の標識がある。どうも若い頃の記憶と合致しない。右手に雑木の間から「遺水観音山」がみえる。よく観察したら頂上あずま屋が見えた。 尾根を段々降りると分岐に出る。順路は左に谷を降りてゆく。右は「観音山(仏大寺町)方面」の標識がある。観音山が見える。一度歩いて見ようかな。 左へ降りると林道に着く。前に池が在り「銅山街の水源地・桐の木谷(キンノキダン)の堤」の標識がある。ここまでくれば、あとは駐車場まで一直線の林道だ。 15.25分に駐車場到着。 駐車場の看板に、「現在地より遊歩道分岐まで0.8km。遊歩道一周1.5㎞、60分」と書いてある。誰ひとり歩いていない、足跡の無い遊歩道でした。 ▲次回登山は、2012/02/29「おくりび山」▲ 2011年02月08日(水)4回 駐車場より「砂山」途中敗退 運動の為に歩いているので、なるべく暇があると飛び出すことにしている。今日は一人なので危ない所は行きたくない。寺井の和田山でもと思ったが、雨が降っていないので、「砂山」に出掛けた。表通りから砂山の方へ入ったら、すぐ除雪がしてなくて行き止まった。ここに車を置く。除雪の山を越えて、足跡のない道を歩き出す。10.30分。50m程歩いて、あんまりゴボルのでカンジキを着けていたら、男が一人スノーシュウを着けて追い越して行った。 10.50分、駐車場のトイレに着いたら、冬季の為閉鎖中の札が下がっていた。追い越して行った男は、山を歩くのかと思ったら、「コマツ」の記念碑を一回りして帰って行った。やっぱりこの山は、一人で歩くのが似つく山なのだな。 林道を歩き出したら、横の側溝があふれて、林道が川になり、雪が解けている場所がある。カンジキを外すと、また着けるのが邪魔くさいので、そのまま進む。11.20分に分岐に到着。 分岐からは雪が多くて、木が多数倒れていて歩きにくい。林道の跡もはっきりとしない。 ようやく、林道らしき所が終わり、左にカーブして登って行く。細い場所がある。 12.30分、頂上と思われる地点に着いたが、どうも違うようだ。ここからは右にも左にも行ける。たぶん右に行くのだろうと思ったが、標識も無いし、疲れたし、どうしょうかと考えていたら、雷が鳴った。今日は一人なので心細いので、これで戻る事にした。 雪は深いが、膨らんだ木の芽があった。 前回見付けられなかった「レンガ造りの巨大煙突・高さ20m直径2.5m」の標識があったので、山すそを探したら、上の方にそびえていた。以前は蔦に覆われ、緑の煙突だったが、今は茶色の煙突である。 2009年09月16日(水)3回 駐車場より「砂山」一周 お天気が良い。午前中が空いたので、ほんとに近くの 「砂山」にS女史を案内する。ほとんど誰も知らない山だろう。我々年寄り向きの山だ。9.00に登り口に着く。 「ベニバナボロギク」が咲いている。私の知らない花は彼女が全部ネットで調べてくれる。ところでレンガ積みの煙突があったはずだが見当たらない。どうなったのかな。 頂上は雑木林の中の高み。小松市の方が切り払われていて、少し展望がある。 これは「ネジバナ」 同行者がいる砂山歩きは初めてだ。 途中に「遺水観音山」に下りていく道が分岐しているが、木の枝で入り込まないにしてある。覗いても藪で入り込めないようだ。若い頃ここから観音山に登った記憶がある。 この白い花は「ノブキ」というらしい。ぐるりと回って林道に降り立った。以前はそこに池があったはずだが無かった。干上がっていた。 このあと「阿稜山」に周る。 2007年06月16日(土)2回 駐車場より「砂山」一周 ササユリでも咲いていないかと、小松遊泉寺銅山跡の遊歩道を歩きにゆく。自宅より車で15分、昔は小松駅より遊泉寺までの電車があった。銅山の精錬滓を廃棄して出来た砂の山で、我々は「砂山」と呼んでいた。本当に禿げた砂山で現在の緑の山が想像出来ない。駐車場まで来て驚いた。駐車場が広くなり、舗装してあり、立派なトイレが建っている。バイオトイレだそうでますますびっくり。 15.45分歩き出す。案内板に拠れば、駐車場より0.8kで遊歩道入口、遊歩道一周60分と書いてある。「ドクダミ」が咲いている。「ヘビイチゴ」の赤い身がいっぱい生っている。 16.25分展望台に着く。小松の平野が遠望できる。南の斜面の木が切られており遺水観音山の方面が見える。鉄塔が見えるので観音山頂上ではなさそうだ。 展望台から少し歩いた尾根に「砂山」の立札があった。昔の禿げた頂上は此処だったのだろうか。 16.30分に遊歩道が観音山への分岐に出た。右に観音山方面と書いてあるが、歩く人が居ないようで荒廃している。左に折れて段々下ってゆくと、お目当ての「ササユリ」が一本だけ咲いていた。 「ショウマ」が咲いている。池のある林道に降り立ち、ぶらぶらと駐車場まで歩く。17.05分到着。 誰にも遇わない遊歩道でした。 2006年07月25日(火)1回 駐車場より「砂山」一周 新聞に小松製作所のОB達が、小松の遊泉寺銅山跡の砂山の、遊歩道の整備と補修をした、と載っていた。この「遊泉寺砂山」は、我が青春の甘い想いでの場所である。私の二十歳の頃は小松より、今の国道360号線沿いに遊泉寺まで電車が通っていた。折からフォークソング全盛期、オンチの会とか、仲間の会とか、緑の会とか、サークル活動も全盛期。仲間を集めては電車に乗って、この遊泉寺砂山に遊びに来てきて、歌を唄ったりフォークダンスをしたものだ。家内と知り合ったのもそんな中であるし、二人だけでデートに来たこともある。砂山は、銅山の精錬滓を廃棄して出来た「砂の山」であった。今でも、禿げた砂でザラザラした丘、だったと記憶している。すぐ後ろは「遺水観音山」で、ついでに登ってきたこともある。 新聞記事を見て、50年ぶりに歩きに来て見た。梅雨の末期九州地方は大変だが、今日の北陸は降っていない。 自宅より15分で「遊泉寺ハニベ岩窟院」の前を通る。大仏を建てたいのが悲願で、大仏の頭だけがある。最近院主が警察沙汰を起こしている。立派な腕があるのにもったいない。前を通り真っ直ぐ鵜川の町を通り抜けると、案内看板があり、遊泉寺銅山の記念碑と駐車場があった。 記念碑によれば、1807年に創業、藩政時代は加賀藩の有力な財源であった。明治に入り土佐藩士の竹内綱に採掘権が渡り、その長男竹内明太郎(吉田茂元首相の実兄)が経営にあたった。小松まで軽便鉄道を引くなど最新の経営で、大正の頃は家族とも5000人が住み、小学校、病院、郵便局まであったが、鉱脈不足や第一時大戦後の不況などで、大正9年に閉山。銅山の私設鉄工所が現在の「コマツ」株式会社小松鉄工所である。 ようやく「砂山」と「コマツ」の関係が判り納得。 林道を800mほど歩くと道が二股に分かれ、案内図に従い右に入る。砂山には関係なく緑ぎっしりである。 右手に大煙突が見えてくる。レンガで積み上げたようだが、今は蔦に覆われ緑の煙突である。この先で林道は終点になり、登山路は階段ののぼりとなる。尾根の上まで登ると道は左に曲がり林の中を緩やかに登ってゆく。昔の砂山のイメージは少しも残っていない。まさに緑の里山になっている。 やがて前方を切り開いた展望台に出る。ここが頂上らしい。小松市の中心街方面が見える。歩き出して35分だ。 一休みして下山に掛かる。道は右に折れ谷を下ってゆく。しばらくで林道に降り立ち、横に池がある。昔の鉱山町の水源地跡との事である。林道を左にぶらぶら下がると、分岐地点に出て車までたどり着く。案内板に一周60分と書いてあるが、感慨にふけって歩いたので80分近く掛かった。 誰にも遇わない、静かな時間だった。 この白黒写真は我が妻君である。日付けが入っているので結婚ホヤホヤと判る。結婚後1ヶ月に、ここ砂山で撮った写真である。計算すると44年前の事である。 その妻君も病気で亡くなって、もう1年半も経っ経ってしまった。 |
[加賀53] 阿稜山 120.50m (小松市原町) [加賀53] 中海山 109.96m (小松市中海町) |
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第16回 2024.03.07. 鉄塔巡視路より登り、「阿稜山」。降りは岩渕町「岩渕城跡入口」へ降りる。 第15回 2023.03.25. 岩渕町岩渕城跡入口の黄色い標識より登り、「阿陵山」。鉄塔より降りる。 第14回 2022.03.23. 赤穂谷温泉の先より「中海山」。降りは中海町へ。 第14回 2022.03.23. 中海山から降りて、原町「阿陵山」を往復。 第13回 2020.05.07. 原町の佛御前荼毘の地より「阿稜山」に登り、鉄塔へ降りる。 第12回 2019.01.23. 岩渕町岩渕城跡入口の黄色い標識を登り、「阿陵山」三角点頂上往復。 第11回 2018.05.03. 原町の佛御前荼毘の地より「阿陵山」登り、鉄塔へ降りる。 第10回 2017.02.18. 岩渕町岩渕城跡入口の黄色い標識を登り、「阿陵山」三角点頂上より鉄搭を降りる。 第09回 2016.03.20. 赤穂谷温泉の先より「中海山」往復。 第08回 2015.03.28. 原町の仏御前荼毘の地より「阿陵山」登り、鉄塔へ降りる。 第07回 2013.11.28. 阿稜山付近の三角点探し。阿稜山は登らず。5日後に「阿稜山」に登る。 第06回 2011.03.09. 赤穂谷温泉の先より「中海山」往復。寶生寺の裏山散策。 第05回 2010.12.04. 赤穂谷温泉の先より「中海山」往復。 第04回 2010.03.13. 鉄塔より直接藪漕ぎで「阿陵山」城跡往復。 第03回 2009.09.16. 原町の仏御前荼毘の地より「阿陵山」往復。 第02回 2009.03.08. 原町の仏御前荼毘の地より「阿陵山」往復。 第01回 2008.12.10. 原町の仏御前荼毘の地より「阿陵山」往復。 |
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2024年03月07日(木)16回 鉄塔巡視路より「阿稜山」-城跡入口 能楽にゆかりの「仏御前」の生まれた所。「阿稜山」は何度も歩いている。去年はコバイモが幾つも咲いていた。今年も咲いたらしいの情報があり、さっそくS女史と確かめに行く。原町手前の山裾の「岩渕城跡入口」の近くの三差路に車を置く。今日は向こうに見える鉄塔巡視路より登る予定。9.50分。 農道の山裾に、「2015年全国植樹祭・記念樹さくら」が一本。 もう咲いてる。普通のさくらでは無い様だ。 昔は斜面の上が開墾されていて、木の苗が植えてあった。 さらに農道を小松の方へ戻り、送電線の下を過ぎた辺りに入口がある。 柵を開け閉めしてこの標識を入る。赤い標識で関西電力の物である。 プラスチック階段がある。 鉄塔が見えてきた。 マンサク。今年初見。 「階段がある・大黒部幹線・112番」の鉄塔。登って来た方面。 ここから完全に道は無い。とにかく歩きやすい所を上を目指す。 平地みたいな山なので、とにかく下りないように高い所を目指す。 ヤマップの無い頃はいつも迷っていた。 松にもキノコが生えるのだな。 この時期、あまり藪が無いので有難い。 突然に黄色い標識が見えてきた。三角点ピークに到着。11.00時。 「3等三角点・点名は高山・123m」。ここを「阿稜山」の頂上としている。平らな山なのでここが最高地点では無いように思う。「阿稜山」の名前は、原町入口の案内板に山として書き込んである。昼食。 昼食後下山開始。三角点の後ろは崖になっている。崖を降りると谷が右に降りている。谷に井戸跡みたいなものがある。いつもこれが目印となる。今日はこの谷を降る。谷の左側の尾根の上に「仏御前荼毘の地」からの道が通る。井戸跡を目当てに谷に降りる。 谷道にコバイモが咲く。大分荒れているぞ。 お目当ての「コバイモ」が出てきた。まだ小さい、小さい。 カンアオイ オウレン キクザキイチゲ コバイモ コバイモ 小さくて閉じた花が多い。 コバイモ 開いたものもある。 オウレン もう谷も終わりだ。 農道に置いた車が見えてきた。 ■次回登山は、3/11「霊宝山」へ■ 2023年03月25日(土)15回 城跡入口-「阿陵山」-鉄塔巡視路 S女史と「阿陵山」を登る。待ち合わせの「なかうみの里ロードパーク」より、目の前に「阿陵山」の丸いピーク。中腹に鉄塔が一本。右の山裾より頂上に登り、あの鉄塔経由で戻る予定。 原町の手前、山裾の農道の三差路に車を置く。 目の前に金網戸のある登り口がある。「岩渕町西光寺谷」標識があり、少し入ると「岩渕町・岩渕城跡入口」の標識。 谷を登って行く。 少し荒れている。去年ここで「コバイモ」を一本だけ見付けた。 今年もコバイモを見付けた。小さい「コバイモ」が何本もあった。 また谷道が荒れてきた。ピンクテープが右の尾根に登るように付いていた。尾根には原町より「仏御前荼毘の地」経由の遊歩道が通っている。谷道が荒れてきたので、ここから尾根道に登る事にした。 30mほど登るとすぐ尾根に着く。少し登ると阿陵山が見えてくる。尾根道は右から大きく回り込む事になり、谷道とは遠まわりになる。 オウレン ミヤマシキミ カンアオイ 広い尾根で何処でも歩ける。ピンクテープがある。 タムシバ タムシバ クロモジ 広い尾根。いつも方向が判らなくなってうろうろする。ピンクテープで歩いている・ 横切る小さな谷に井戸跡のような物を見付ける。いつもこの井戸跡が目当てになる。 井戸跡の向かい側が三角点頂上。左側のテープから登る。 三角点横で昼食。「三等三角点・高山・120m」。展望は無いが気持ちの良い空間。昼食を済ませて鉄塔の方へ下山開始。ピンクテープがあったので、適当に降りる。何処でも歩ける。 ん ? ん ? ツバキ 広い尾根でどこでも歩ける。 ピンクテープの下の赤いテープは、昔自分が付けた物の様だ。 ピンテはいつの間にか無くなった。いつも途中で道が判らなくなり、植林地を降りたり、反対側の林道に降りたこともある。今回は何とか「関西電力大黒部幹線112番」にたどり着いた。 登って来た方の岩渕町の方へ鉄塔巡視路を降りる。 ショウジョウハカマ ヤマツツジ ミツバツツシ ヤマツツジとタムシバ シュンランも在った。 プラスチック階段を降りると山裾の農道。柵を開けて農道に降りる。 農道に桜が咲いていた。「2015.第66回全国植樹祭記念樹さくら」の標識。以前、鉄塔へ行けず植樹帯を通ってここに降りた事があった。 向こうに置いた車が見えてきた。 ■次回登山は、3/29「倉ヶ岳山麓」へ■+ 2022年03月23日(水)14回 「中海山」 近くの山を健康徘徊。S女史と「なかうみの里」で待ち合わせ。すぐ近くの赤穂谷温泉の前を通ると、突き当りに林道がある。鎖が掛かっている。ここを入るのだが車は置けないので、右へ200mほど進むと道の広い所がある。赤穂谷温泉の裏に当たる。 林道へ入る。10.30分。 左の分岐地点に赤い標識。「大黒部幹線№115」「北陸幹線№157」の鉄塔へ上れるようだ。 さらに進むと今度は右側に「北陸幹線№158」の赤い標識がある。ここを入る。 突き当りの尾根が近づいた。 御練斜面に石切り場のあとと思われる穴が幾つも見える。その間に尾根に登る書いた線がある。上がると「ヤマザクラ」が咲いていた。 ヤマザクラ クロモジ すぐ横に「北陸幹線№158」の鉄塔がある。その先の鉄塔「№159」が見える。 「№159鉄塔」の方へ登る。 登り着いた林の中の、なだらかなピークに三角点がある。私はここを勝手に「中海山」の頂上にしている。 12年前に提げた三角点探訪「中海」がまだ残っていた。 「4等三角点」、点名は「中海」、標高は「109.94m」 すぐ近くの「北陸幹線№159」へ行く。送電線の下が刈ってある。 「北陸幹線№159」に到着。並行している「大黒部線幹線№116」が見えて巡視路が続いている。 「大黒部幹線№116」まで来たら「白山」が見えて嬉しい。 鉄塔からは白山に続く山も見える。この巡視路はこの先林道まで降りれるが、今日は初めての道を降りる予定で三角点まで戻る。 海の見える所がある。 タムシバ マンサク 今日の下山は、三角点から北側に延びる尾根を降りる予定。道は無いが中海町から林道が近くまで来ている。藪に突入。初めてのコース。 藪は薄い。高低差のあまり無い広い尾根。目印に千社札一枚張る。 竹藪が見えてきた。道らしい物が現れた。 地図に載っている林道に到着。何か建物が見えた。林道を降りる。昔は電波塔みたいなものが今は無いようだ。 中海町近くまで降りてきた。この山裾の道は車を置いた所まで続いている。今日はこれから向こうに見える「阿稜山」に登る予定。 置いた車が見えてきた。そのまま車で原町まで移動。12.15分。 ●続きの「阿稜山」は下の稿へ● 2022年03月23日(水)14回 「阿稜山」 国道360号線沿いにある小松市原町の、入口の「原町町内案内板」に「阿稜山」が書き込んである。下に「仏御前荼毘の地」「仏ヶ城跡」の記入もある。今日は仏御前荼毘の地から仏ヶ城跡に登り阿稜山に登る予定。 案内板から町に入ると、民家の間に「仏御前墓参道」の標識があり、車を置く。12.30分。 一直線に進むと山裾の杉林の中に「仏御前荼毘の地」が見えてくる。平家物語に語られる、清盛に可愛がられた白拍子仏御前はこの町の出身。出家して戻ってきた。 美貌ゆえに村の男たちが騒ぎ、女房達にねたまれて阿稜山誘ひ出され殺された、という話が伝わる。ここがその荼毘の地で、お墓と云われる。ここから登山開始。初めて登った14年前には、遺跡の右後ろに「仏ヶ原城登り口」の標識があった。 今は標識は無く、もちろん道も無い。紫の布切れが下がっている。 斜面をトラバース気味に斜めに、尾根の一番低い所を目指して藪を漕ぐ。 尾根の上の鞍部に到達。昔は「←仏ヶ原城・岩渕城→」の標識があった。左の仏ヶ原城跡には何も無し。右に登る。 広い尾根になり、。腹が空いたので昼食。13.00時。 地図を眺めて三角点の方へ進む。回り込んで右の低い谷に井戸跡らしきものを見付けて安堵。これは見覚えがある。 その先の坂をよじ登り、左側から回り込むと三角点がある。 ここが「阿稜山」の頂上。「三等三角点」、点名は「高山」、標高は「120.41m」。 展望は無し。「岩渕町・岩渕城跡」の標識。原町の隣の岩渕になる様だ。下山開始。井戸まで戻る。 阿稜山は何度も登って居る。最近は町はずれに「岩渕城跡入口」の黄色い標識を見付けて、そこから登る。登りの谷筋はこの井戸まで一直線である。 その谷道を降りる。道らしいものがかすかにある。 ツバキ オウレン キクザキイチゲ 「コバイモ」を一輪だけ見付けたぞ。久しぶりの御対面。 山裾の農道迄降りてきた。「岩渕町・岩渕城跡入口」の標識。 「岩渕町西光寺谷」標識から道に降りる。 原町町内案内板の反対側に「仏御前屋敷跡」がある。 ■次回登山は、3/27小松「清水山」へ■ 2020年05月07日(木)13回 原町-「阿稜山」-鉄塔 一応は「能楽囃子太鼓方」の端くれとして、少しお弟子も居たが、コロナ騒ぎで能楽堂が閉鎖。今年の発表会も取りやめ、お稽古も中止せざるを得なくて、ゴールデンウイークが済んでも、毎日が休日である。今日も近くの「阿稜山」に健康登山単独徘徊に行く。「岩渕城跡」が頂上である。町はずれの農道に車を置く。今日はここから登らなくて、「佛御前荼毘の地」から登る予定。 国道わきの「佛御前屋敷跡・佛御前墓」に参る。所で、この原町の佛御前を主人公とした「仏原」という能楽がある事はあまり知られていない。 「阿稜山」も誰も知らない山だが、案内板には山の名前が書いてある。 町へ少し入ると「佛御前墓参道・300m」の標識がある。屋敷跡と共にここも墓と言われている。 突き当りに「佛御前荼毘の地」がある。石仏と五輪塔がある。 12年前に初めてここから登った時、「仏が原城跡」と「岩渕城跡」の登り口の標識があった。今は朽ち果てて何もなし。 誰も登らぬようだ。テープを頼りに尾根の上まで登る。ここにも標識があった。記憶を頼りに左の「仏が城跡」まで往復。何もなし。 今度は「岩渕城跡」の方へ登って行く。広い斜面になっても、左側の崖から離れないように歩く。タブレットのヤマップ地図が頼りである。左の堀跡みたいな所に「井戸跡」みたいな大穴を見付ける。 この井戸跡の、向かい側の小山が「岩渕城跡」である。三角点がある小さなピークである。ここまで歩いて来た広い小山は、三角点地点よりも標高が高い様だ。座り込んで昼食。
降りは鉄塔の方へ降りる予定。地図を眺めて降りてゆく。なだらかな山で、どちらを向いても歩ける。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。 赤いテープは昔自分で付けたものらしい。 木を刈った地点に出た。鉄塔まではまだ遠い。昔あの鉄塔から三角点まで登った覚えがあるので、鉄塔までと思ったが、疲れたので伐採斜面を降りた。 うまい具合に獣除けの柵に扉があり、外へ出ることが出来た。農道に置いた車が見えてきた。 ■次回登山は、5/8加賀「小松火燈山」へ■ 2019年01月23日(水)12回 赤穂谷温泉より「中海山」三角点 冬は荒れなければ健康の為、ごく近くの里山を歩く事にしている。今日は「なかうみの里」でS女史と待ち合わせて、「虚空蔵山」を歩く予定だったが、その前にこの駐車場から見える「中海山」の三角点を確認してくることにした。赤穂谷温泉の前の突き当りの林道はいつも鎖が架かっている。右に温泉の裏の方へ回り、道の広い所に車を置く。リュックは置いて、タブレットだけ持ち長靴履く。 林道を歩きだし、いつもの赤い関西電力の巡視路標示より入る。道はガタガタなので、20mほど手前の作業道より入り込む。突き当りに石切り場の跡らしい処を左の階段を登ると鉄塔に出る。左に急な坂を登ると三角点がある。 4等の小さな三角点で、点名が中海なので、ここを勝手に「中海山」と称している。 鉄塔より戻って三角点を撮影。14.53分。
三角点の先を、巡視路を辿って行くと、鉄塔を二つ過ぎ段々と降りになり林道に降り立つ。 左に林道をぶらぶらと戻ると、もとの場所に出る。 ここで相談して、ついでにすぐ向かいの「阿陵山」の三角点も確認して来ようという事になった。ここから5分ほどで登り口に着く。 2019年01月23日(水)12回 岩渕町より「阿稜山」三角点往復 上の「中海山」の項より続く。 「中海山」より降りてすぐに「阿陵山」の岩渕町の登り口に移動。長靴を履いたままで車で移動してきた。前回と同じ所から登り出す。11.00時。谷道で倒木がゴロゴロ。荒れたような感じ。頂上近くの広場で前方の谷を登るか、左に分かれた谷を登るかちょっと迷う。タブレットを出して確認すればよかったが、直進してしまった。 三角点は最高地点に無い。原町から登る最高地点に登り着いたようだ。左に回りながら少し下がって行き、井戸の跡のようなものを見付けて、遠回りしたが無事11.35分に「阿陵山」の三角点に到着。 持ってきた山名札を提げる。下りは井戸のある谷を降りたら、登った時に迷った地点に合流。
12.05分に車に到着。 少し雨模様になってきたが、すぐに今日の目的地「虚空蔵山」に向けて車を走らす。 続きは「虚空蔵山」へ 2018年05月03日(木・祝)11回 原町より-「阿稜山」三角点-鉄塔 ゴールデンウィークの後半は雨で幕開け。里山歩き三昧を考えていたのに残念だな、と思っていたら昼過ぎから雨が止んできた。新調山札を持って、すぐ近くを歩きに行く。 どこから登ろうかと考えたが、久しぶりに「佛御前の荼毘の跡」にお参りして、その裏の道を登ろうと考えた。原町に入り込み道の広い所に車を置き、佛御前墓参道を入る。町角に標識あり300mと書いてある。一本道で墓に突き当たる。14.50分。 墓の裏の山に入る道は、荒れ果て標識も無く記憶を頼りに登ると尾根に出る。左の高みが仏ヶ原城跡であり、右に進む。尾根の間は獣道があるが、広い場所になるとどこでも歩けて、方向が判らなくなる。 あちこちに小山がある感じで、どれが三角点ピークか判らない。タブレットの三角点マークをめがけてあちこちうろうろ、15.35分にようやく三角点到着。見晴らしなく、天気も良くないのですぐ下山開始。 最近認知症が進み、新調山札を提げに行ったのに、また持ち帰ってしまった。あほ馬鹿※。三角点から鉄塔の方へ降りようと思うが、なだらかで広いので方向が判り難い。タブレットの地図とにらめっこをして、ようやく開墾地に出る。 この斜面をガタガタと降って、田んぼのあぜ道に降りる。イノシシ除けの網を開けて降りる。原町の入口の国道沿いに「佛御前の屋敷跡・仏御前墓」がある。 謡曲に「仏原」がある。ここが能の舞台になっている。しかし宝生流では廃曲になっており、宝生流が主流である石川県では、お能を拝見する機会が無い。 ■活動時間 2時間11分 Ⓢスタート14.38→(59分)→三角点15.37→ (1時間12分)→Ⓖゴール16.49 ■活動距離 2.1km ■高低差 99m ■累積標高上り/下り 207m/213 ■次回登山は、5/4「小松火燈山」へ■ 2017年02月18日(土)10回 岩渕町-「阿稜山」三角点-鉄塔 うちの風呂は寒いので涌泉寺温泉に入りに行くことにした。ついでにすぐ隣の「阿陵山」に登れないかと考えた。標高120m。何とか登れるだろう。いつもこの山で迷うので、赤ガムテープを用意した。一時過ぎに肩リュックにありあわせの菓子を詰めて出発。原町の手前だから「岩渕町」になるらしい。 山裾の農道三差路に車を置く。イノシシ除けのネットがあり、「岩渕町西光寺谷」の黄色い標識がある。ネットを外して入り込むと「岩渕城跡入口」の標識がある。標識はこの二本だけで、頂上まであとは無し。 「オウレン」みたいな小さな花が咲いていた。生の山の花は今年初めてだな。 谷を忠実に登って行く。道はあるような無いような状態で、上の方になると完全に道は無くなる。 前回ここから登った時、右のピークか左のピークか、どちらに三角点があるか判らず、勘で右ピークに登ったら方向が判らず迷ってしまった。今回は左に登ったのは正解だが、少し早く左の斜面に取り付いて苦労した。家へ帰って地図を眺めていたら、峠の上まで上り詰めた方が正解のようだ。三角点の横に座り込んで菓子を食べる。登り口からここまで1時間かかった。普通の人なら15分か20分で登れるだるぅが、まったくカタツムリのように歩く。 帰りは鉄塔の方へ降りた。踏み跡無し。広い尾根を適当に降りる。いっまで経っても鉄塔が現れないので、また迷ったかと心配になったころ、伐採して植林している地点に出た。前回は鉄塔があったが、ここは鉄塔が無いので、その手前の地点らしい。よく眺めていたらこの伐採地に登る道が付いているようなので、恐る恐るカタツムリのように降りた。 ようやく下が近くなったら、向こうの田んぼに置いた車が見えた。農道に出たら「2015年6月 第66回全国植樹祭・記念樹さくら」の標識が立っていた。あの伐採地の植林は「さくら」だったらしい。 帰りも1時間ぐらい掛かった。情けない。 ■次回登山は、2/24-27「沖縄」へ■ 2016年03月20日(日)9回 赤穂谷温泉より「中海山」三角点 ちょっと午前中だけ歩いて来ようと、11.00時に家を出る。一人なので「中海山」にする。頂上に「四等三角点中海」があるので、私は勝手に「中海山」と呼んでいる。このあたりの丘陵でここが一番高いので、山と呼んでもおかしくはない。 国道360号線を山に向かって走り、市街を抜け、いつもの待ち合わせ場所「なかうみの里」を過ぎて走ると、右に赤穂谷温泉の看板がある。岩渕町の中から一軒宿の赤穂谷温泉の前を通り、その先の寶生寺の前を通ると、鎖の張った林道入口がある。寶生寺で法要があるみたいで車が多く駐車してある。 林道入口にも駐車してあるので、右へ回って少し進んだら広い場所があり車を置く。靴を履き替え菓子とペットボトルをポケットに入れ、杖を突いて林道に入り込む。 しばらく200mほど歩くと左に巡視路分岐がある。赤い標識は関西電力の鉄塔案内の標識である。115と157の鉄塔があるらしい。まだ登った事はない。 さらに200mほど歩くと、右の杉の木の根元に赤い関西電力の標識がある。番号は意味が判らない。道は川になっていて歩きにくいが、少し進んだら作業道に合流。 谷を登りつめると、石切り場の跡みたいな場所に出る。一番尾根の低い所へ階段が刻んであり登る。 登ると鉄塔のある峠に出る。左にある鉄塔に登ると、関西電力北陸幹線158鉄塔に出る。続きの鉄塔が見える。この辺りは日当たりが良いので花が咲いて居る。ヤマザクラ。タムシバの咲いた花を今年初めて見る。ショウジョウバカマとスミレ。 鉄塔の前の斜面に付いた巡視路を登ると中海山頂上に着く。11.35分。 展望は無し。4等の三角点がある。通り抜ける所に鉄塔が見えるので進む。 159鉄塔に出る。さらに下の方に、116鉄塔が見える。 マンサクとヤマザクラのコラボ。 116鉄塔を過ぎると急坂を下る。12.00時に林道に降り立つ。向かい側の谷に、続きの鉄塔への巡視路が登って行っている。私はここから林道をゆっくりと歩いて戻る。 あまり見たことない花の木があった。シキミ?。 12.35分頃車に到着。 岩渕の町はずれの畔に「リュウキンカ」がいっぱい咲いて居る。相棒加納君にもらった苗が、我が家でも花を咲かせいる。 ★次項2016年の22回登山は、3/22日に日本百名山「筑波山」へ★ |
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2015年03月28日(土)8回 原町-「阿稜山」三角点-鉄塔 28日は女房の月命日に当たるので、毎月お経を上げて貰っている。平ぜいはホットケサンなので、なるべくこの日だけは真面目に仏前に手を合わせる。午後から「阿稜山」に出掛けた。急に全国的に気温が上がり、東京などでも桜が満開に近いらしい。もう春だ。 12.35分に原町の仏御前墓参道入口の、壊れかけの建物の前に車を置く。参道入口すぐに「ウメ」が満開。 参道あぜ道に「イヌフグリ」の花がいっぱい。 「ヒメオドリコソウ」の花もある。 「タンポポ」も咲きだした。 仏御前墓の側の「ツバキ」 昔は「仏ヶ原城登り口」の立札があったが今は無し。ほとんど登る人は居ない様だ。「ショウジョウハカマ」 道らしき跡を尾根まで登る。以前は左へ仏ヶ原城、右へ岩渕城の標識があったが今は残骸のみ。 左へ仏ヶ原城址まで行き、戻って岩渕城址へ進む。道も標識も何も無し。6年前に自分が付けた赤いテープが頼り。ぐるりと左へ廻り込み、空堀と思われる低い地帯に、上から覗きこんで井戸跡を見つけてホッとする。その前のピークが頂上である。 13.35分に三角点のあるピークに到着。 三角点の横に座り込んで、持ってきたビスケットをペットボトルのお茶で昼食。一人で記念撮影。一休みして降りはどうせ道もない事だし、鉄塔の方へ降りる事にした。以前一度鉄塔から藪を漕いだ記憶がある 。 葉の裏に白い花を付けた木を見付けた。「サカキ」のような気がするが?。 「ヤブツバキ」 「タムシバ」の蕾がある。急坂を降りないように広い尾根を探して進む。 やっと鉄塔が見えてきて、降り立ったら鉄塔回りが整備されていて見晴らしが良い。14.25分。 「タムシバ」が満開になっている。 タムシバの咲いているのを見るのは今年初めて。 鉄塔までは巡視路が登って来ていた。スミレの咲いている巡視路を降りたら、山際の農道に着いた。 登山口に赤い札の標識があった。関西電力の送電線らしい。 14.55分に車まで戻った。 もう春の花が咲きそろってきたので、近くの「片栗山」のカタクリの様子を見て、そのあと「憩の森」の雪割草を思い出して寄ってみる事にした。 「片栗山」のカタクリと「清水山」の雪割草へ。 ●次稿2015年・第21回登山は、4/7「治郎平山」へ● 2013年11月28日(木)7回 中海町方面の三角点探し 山中温泉の大内峠から、直接に火燈山に登る「火燈古道」が復活したとの事で、歩く予定だったが、大寒波が来て大荒れ100%の予報で、昨日のうちに中止になった。午後から少し雨が止んできたので、買い物ついでに「阿稜山」でも歩き、その周りの三角点を探訪しようと出かけてきた。平野から見ると奥獅子吼山や鷲走ヶ岳辺りまで雪が降りて来た。 「道の駅・こまつ木場潟」に立ち寄ったら、後ろに「ショライ山登り口」があった。木場潟眺望と書いてある。15mほど登る。これが「ショライ山」だが、まさか山とは認定しがたい。 道の駅木場潟と名付けたが、道の駅から木場潟が見えない。そこで展望台を作ったのだろうが、あまり良くは見えなかったな。 ついで「阿稜山」付近の、3箇所の三角点を確認に行く。この三ヶ所の三角点は、地理院地図には三角点記号が載っていない。小松市の三角点を調べた時この三ヶ所が抜け落ちていた。ちなみに、以前は阿稜山や中海山の三角点は地図に記号があったが、現在ネットの地理院地図には、三角点記号が削除されている。何故なのだろう?。 この写真は遊泉寺町の「うかわ古代桜」である。桜の頃に撮ったものである。 ①▲「鵜川町」4等 7.79m うかわ古代桜の前に車を置く。その後ろに広がる水田の畔に、三角点の白い標識を見付けた。低山徘徊部の標識がくくりつけられている。三角点は鉄の蓋の中にある。開け方が判らないので拝見できない。鉄の札には、三角点・国土地理院とかいてある。これと同じものは小松長田町にも有った。 ②▲「遊泉寺町」4等 23.47m この三角点は、湧泉寺温泉からハニベ岩窟院に抜ける、いつも通る道の横にあった。ほんとにいつも通る道なのに気が付かなかった。ちゃんと小松側の畔に白い標識が建っているのにね。泥で埋まっていたが除けたら顔を出した。 ③▲「原町」4等 41.80m 小松から山に向かうと、原町は国道360号線の左側にあり、右側は水田が広がる。その右側の水田の中に立札があるのが見える。以前、何だろうとこの立て札を見に行ったことがある。それは「五重塔跡」の立札だった。周りの小さな山に全部名前がある。岩淵城跡が阿稜山である。三角点はこの看板の前に車を置いて、東に向かって歩いてゆくと、滓上川を橋で渡る。橋を渡り川岸を50m程行った、ガードレールの外側にある。 ついでに前回見付けた「岩渕城跡入口」から「阿稜山」も登ろうと思ったが、雨が降ってきたのでやめた。 2013年12月03日(木)続7回 岩渕町-「阿稜山」三角点-反対側 その5日あと、相変わらず時雨れるので、家でネットで欲しいなぁーと思っている、ガーミンのGPSのカタログを眺めていた。その後15.00時に買い物に出たら雨が止みかけてきた。車に長靴を置いてあったので、買い物あと国道360号の原町へ入る手前の、山ふち水田の農道に車を置き歩き出す。「阿稜山」は久しぶり。この道は初めての道である。 立派な立札があるので、城跡まで直ぐ到着するのかと考えていたが大間違い。案内立て札はコれ1枚。荒れた道なき道を行く。迷うと大変だから、とにかく真っ直ぐに谷を詰めてゆく。地図は持って来なかった。 ようやく一番高い所へ登り詰めたが、辺りは平でどちらが三角点頂上か判らない。あちこちウロウロしていたらまたもや方向が判らなくなった。 ようやく以前見掛けた井戸を見付ける。三角点は近いぞ。 そばの高みをよじ登ったら標識と三角点が在った。 下山は方向が不明。真に情けない。谷を一本詰めてきただけなのにその谷が不明。適当に谷を降りたら堤の上で池がある。何と登り口と反対側に降りたようだ。うろ覚えの頭の地図に確か池が載っていた。林道を降ったらやはり「グリンポート小松」と云う老人施設の前に出た。ずーっと向こうの山裾に置いた車が見えた。 この山では、必ず方向が判らなくなって迷走する。今回は、以前とは違う所から登ったので、以前の記憶とごっちゃになってなほ迷走した。低い山で、すぐ平地に降りられるので心配はないが、我ながら真に情けない。平清盛に寵愛された仏御前は、故郷に戻り茶屋を開いたが、村の男たちが熱を上げるので、その美貌ゆえにこの阿稜山で、村の女房達に妬み殺された、と云う説がある。これはきっと「仏御前」のたたりに違いない。小雨の中を歩いたので風邪も引いた。長靴も穴が開いた。アハハハハ。皆様もこの山に入る時は、迷わぬよう気を付けるべし。祟るかもよー。 **次回登山は、11/30「動山」へ** 2011年03月09日(水)6回 宝生寺より「中海山」三角点 また寒波が戻って寒い。様子を見て近くを歩こうと、S女史と9.00時に小松の、なかうみの里で待ち合わせ。まず目の前に見える、S女史が見ていないという「中海三角点」を探訪する事にする。二回目なのでこの三角点を「中海山」と勝手に命名する。前回と同じ「寶生寺」に車を置き、荷物を持たずに、9.20分に林道を歩き出す。まだ大分残雪がある。 10分ほど歩くと、林道右に赤い「火の用心158」の標識がある。赤い標識は、関西電力のものである。鉄塔巡視路はガタガタの谷道である。 10分ほど登ると「石切り場跡?」に着く。こんな穴が、六ッつか七つほど空いている。その間の急坂を上る。ロープが下がっている。 また10分ほど登ると、158鉄塔の横に出る。鉄塔が続く方に見える山は「遺水観音山」らしい。 ここで「マンサク」の花を見付ける。今年初めてである。寒いけど春は確実に近ずいている。 また10分ほど高みを登ると、一番高い頂上である。白い三角点標識があり、近くを掘ったら三角点が出てきた。10.00時。その先の159鉄塔を往復。 158鉄塔まで戻り、登ってきた反対側の巡視路を降りる。林道竹谷線にすぐ出る。左に折れ、雪の林道を歩く。 10.40分、寶生寺に帰り着く。実に色々の像が建っている。弘法大師もある。 ついでに寺の中を探索しようと、正面の石の階段を登ってみる。石段は何処までも続いていて、とうとう山の上まで出てしまった。奥ノ院と思われる建物に「来光白龍明神」の額が飾ってある。 そのうしろ辺りから中海町辺りが見える。 お寺の事務所があるが、今は留守で無人のようだ。 この後「虚空蔵山」を歩きに行く。 2010年12月04日(土)5回 宝生寺より「中海山」三角点初散策 トガン岳から下りて、近くに、もう一つ確認していない「中海三角点」があるので確認に行く。いつも待ち合わせに使う「なかのみの里」の近くだ。南に丸い電波塔のある小山が見える。あそこは鉄塔巡視路が有るだろうから、簡単に探せるだろうと、前から考えていた。 トガン岳より降りて小松の方へ戻り、岩渕町に入ると山際に、一軒家の赤穂谷温泉がある。その前を先へ進むと左側に「寶生寺」という寺がある。敷地に仏像が一杯立っている。ここに車を置く。14.15分。 100m程進むと林道は封鎖されていて、車は入れない。まっすぐ入ってしばらく行くと、右に関西電力の赤いプレートがある。覗き込むと道は悪そうなので、入らずに直進し、送電線の下を通り過ぎ、林道分岐を右に折れた先、右に、赤い標識159鉄塔への巡視路登り口があった。14.33分。 リュックを車に置いて、杖だけを持ってきた。リュックに着けた鈴も置いてきたので、クマよけに唱歌を歌ったり、謡をうなったりして歩く。登って行くと158鉄塔の横に着いた。上に次の鉄塔が見える。 左に折れ159鉄塔を目指す。登り着いたのが最高地点で、巡視路の真ん中に三角点が鎮座していた。その先に159号鉄塔が見える。ここは送電線が二重に並行して走っている地点である。鉄塔まで行ってみた。14.49分。里山が続いている。 鉄塔より戻って三角点を撮影。14.53分。
158鉄塔まで戻り、登ってきた道とは反対側の道を降りる。途中石切り場みたいな所を通って、林道で最初に見かけた、赤いプレートに出た。すぐ車に着いた。15.18分。 三角点は「なかうみの里」駐車場から見える電波塔の近くかなと思っていたが、別の送電線鉄塔の近くだった。 2010年03月13日(土)4回 鉄塔より「阿稜山」三角点往復 「阿稜山」の三角点は仏御前の墓から登っているが、三角点情報の「点の記」を調べたら、国道から見える「鉄塔」から登っていた。地図を見たらなるほど、高みを目指して登ればすぐ着きそうだ。 トガン岳が早く済んだので、ついでに阿稜山の藪漕ぎをすることになった。 麦口町より原町へ戻り、町を抜けた、鉄塔が見える農道に車を置く。鉄塔巡視路を探すのが面倒で、早速鉄塔目指して藪をこぐ。「山桜」が咲きだした。 13.45.分。10分ほどで鉄塔着。鉄塔からは、向こうに高みが見える。藪漕ぎで頂上を目指す。この時期藪はたいしたことが無い。 「ショウジョウバカマ」が満開である。数も多い。 14.10.一番の高みに三角点を発見。今までとは違った所から登ったので、違った山に登ったような感じだ。記念撮影してすぐ下山。 「オウレン」かな。下りは鉄塔を目指さずに、直接車を置いた場所の方面へ降り出す。同行のN氏はなかなかのベテランらしい。地図もよく読まれる。足が遅いので一生懸命後について歩く。 ちょっと登り返したら、見覚えのある地点に出た。仏原城址だ。城址を越えてそのまま降ったら、車を置いたすぐ傍に出た。 そこに「岩渕城跡入口」の表示があった。ここからも登る道があるらしい。藪漕ぎをしていて、一度もこの道に気が付かなかった。 2009年09月16日(水)3回 原町より「阿稜山」三角点往復 「砂山」に登って、その足で「阿稜山」に向かう。車なら5.6分で着く。原町の仏御前墓参道の分岐の、倉庫の前の空き地に車を置く。11.00.仏御前の墓にお参りして、墓の後ろの仏ヶ原城址の登り口を探す。前回までは初冬と早春で木が茂っていなかったので、すぐ判別したが今は木が茂っていて、登り口が全然見えない。もう廃道寸前だ。なんとか探し出して尾根へ着く。右折して尾根を登ってゆく。春に自分の付けた赤テープが頼りだ。 途中明らかに「けもの道」がある。落ち葉が無くて地面が出ている。ずっと上に続いているので、その道を歩く。低い枝の下を通っているから、カモシカかイノシシか。以前歩いたより少しはずれたような気がする。それでも上部でで赤いテープを見つけてホッと安心。それにしてもこの時期藪が深い。前回までと違って見通しが利かない。時々赤いテープがあるからちゃんと進んでいるはずだが、前回見えた三角点のある高みが見えない。あっちこっちうろうろして、12.00時になったので、少し広い場所でコーヒーを入れてもらって一休み。どうやらいつの間にかもどってしまって、さっき登ってきた地点に居るようだ。 30分ほど休んで、このまま降りるのも癪だから、もう一度だけ探そうと歩き出したら、前回提げた「阿稜山123m」の札を見つけた。そのあと難なく空井戸をを見つけ、三角点に辿り着いた。三角点の周りは気持ちの良い空間だ。ここで昼食の予定だったが。 記念写真を撮ってすぐ下山開始。やはり広い斜面を降りるとき方向が判らなくなった。少し登り返したら、はっきりとした「けもの道」を見つけた。これで藪を漕がなくて、無事に下山が出来た。 2009年03月08日(日)2回 原町より「阿稜山」三角点往復 「阿稜山」に登った地図を相棒に渡したら、彼は一人で登りに行った。三角点までたどり着いたらしいが、いろいろと迷って、あちこちウロウロしたらしい。聞いていても、どうも話が合わないので、二人で確認の為、赤いテープを下げに行き、ついでに頂上に札を提げてこようと出かけた。 9.00.に原町の中の、小さな堂の前に車を置く。仏御前を祀る堂で、向かいが、仏御前の像が安置されている、林さん宅である。頼んでおくと、尊像が拝めて、お話が聞ける。以前に仲間と訪れたことがある。無料駐車場と書いてあるので、しばらく置かせてもらう。 少し戻って、仏御前参道と小さく書いてある道を入る。途中に右に回って林道に続く道がある。この分岐でなんとなく曲がってしまう人が多いようだ。直線の細い道を真っ直ぐ行くと、自然と右に曲がって仏御前のに墓着く。 登り口にこんな小さい花が咲いている。葉は見えない。【オウレン】らしい。 すぐ尾根まで上ると、左が仏ヶ城跡だが何も無い。右に尾根を登って、一番高い所を目指す。尾根が広くなり斜面となる。前回迷ったので赤いテープを付ける。10.00時、一番高い所と思われる所に札を提げる。ここを勝手に阿稜山の頂上にする。 此処から方向を変えて三角点を目指す。今年初めての山桜を見付けた。
10.15.岩渕城址の三角点に辿り着く。札を下げて頂上と認定した所よりも、此処は少し低いが、三角点があるので、ここを頂上にしても良いような気がする。お湯を沸かして抹茶を頂く。 元来た道を戻る。なだらかな斜面では、やはり方向が判らなくなる。自分の付けてきた赤いテープが頼りだ。 下のあぜ道に、小さな花が咲いていた。【イヌフグリ】かな。 三角点のある場所は最高地点では無いが、最高地点の近くだし、ややこしいので今後は、三角点のある地点を「阿陵山頂上」とする事にした。 2008年12月10日(水)初登山 原町より「阿稜山」三角点往復 新聞の「里山の風景」という連載記事に「阿稜山」と言う記事が載った。わが小松市原町の、仏御前の墓の横から登ると書いてある。平家物語に出てくる仏御前は、この町の出身である。能楽にも登場するので、能楽師の端くれとして、お参りに行ったことがある。 12月に入ってお天気の日が多い。ちょっとの時間に登りに行った。自宅から10分。国道360号線を山に向かって走り、加賀産業道路を横切り、しばらくで原町に入る。原町案内の大きな看板のある分岐を左に入る。100mほど入ると左に、斜めに農道がある。「仏御前墓参道300m」の矢印が有る。 12.10分に歩き出す。畑の間の細い道を行くと、5.6分で山裾の杉林の中の「仏御前荼毘の地」に着く。石の堂と五輪の搭がある。由緒の看板も有る。 その廟の右手の後方に「仏ヶ原城登り口」」の立札があった。半分壊れていて地面に落ちていた。よく見ると斜面に登山路みたいな階段がある。登り出す。斜めに左のほうへ登り7.8分で尾根の上に着いた。 左に「仏ヶ原城」右が「岩渕城」と立札がある。立札の向うは谷になっており、向かい側に小山が雑木林の向うに見える。あれが右から回り込んでゆく岩渕城らしい。 まず左に「仏ヶ原城」の方に行ってみる。すぐ傍が小山になっている。ここらしいが何も無い。少し先まで行って見たら大手口の標識があった。こちらから登ってくる道があるのだろうか。 戻って今度は「岩渕城」を目指す。谷を隔てた向うの小山が城址らしいが、ぐるりと大回りする。広い尾根で枯葉が積もった斜面は、何処が道か判らない。標識も無い。歩き易い所を歩く。適当なところで左に回りこみ、一度下ってから先方の高みを目指す。城跡の回りに空堀の跡らしいものがある。井戸の跡らしきものもある。 その先を上りきったら、岩渕城跡の標識があり、三角点があった。雑木林の中の小さな広場で、展望ゼロ。三角点の標高は120.5m。阿稜山とは、岩渕城・仏ヶ原城を含めたこの一帯の名前らしい。ここに至るまでの地点がここより高いので、新聞記事では「阿稜山」123mとしてある。 しばらく佇んでから同じ道を降り始めた。尾根が広くて道が判らなくなった。少し上り返して、それらしき地点まで来たが、折り口が判らない。探すのが面倒だから、見当を付けて藪を漕いで、斜面を滑り降りたら、旨い具合に仏御前の墓の近くに出た。それにしても案外簡単に迷うものだ。心して用心して歩かねばならぬ。今度は赤いガムテープを用意して行こう。 |