2006.09.より登山順
車で登れる
[富山] 二上山 274 m (富山県高岡市) 110 [富山] 稲葉山 347 m (富山県小矢部市) [富山] 宮島峡・俊寛塚 302m (富山県小矢部市) [富山] 御坊山 200 m (富山県小矢部市) [富山] おやべ城山 186m (富山県小矢部市) [富山] 矢部山 221 m (富山県小矢部市) |
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第12回 2024.07.13. 二上山万葉ラインで「城山-二上山-大師ヶ岳」を一周。 第11回 2021.12.11. 弁慶岩より中部北陸自然歩道で「矢部山」を一周 第10回 2021.10.31. 南駐車場より「おやべ城山」を周回。 第09回 2021.05.19. 宮島公民館より中部北陸自然歩道で、能登坂経由で「矢部山」を一周。 第08回 2021.05.12. 道坪野集落の国道より、送電線巡視路で「御坊山」を往復。車で城山公園へ移動。 第08回 2021.05.12. 城山公園上部より「おやべ城山」を往復。戻って公園内散策。 第07回 2021.04.21. 宮島峡一ノ滝駐車場よりヴィーナス像探索で「俊寛塚」を往復する。 第06回 2021.04.03. 道の駅近く法楽寺町より林道で嶺町。鉄塔巡視路で「稲葉山」。降りは牧場の車道一周。 第05回 2020.02.15. 道の駅より徒歩で「稲葉山」を目指すも藪で敗退。戻って車で頂上三角点確認・ 第04回 2019.12.14. 二上山万葉ラインで「城山-二上山-摩頂山-大師ヶ岳-鉢伏山」周遊。 第03回 2019.07.14. 「城山」に車を置き、二上山-摩頂山-大師ヶ岳-鉢伏山と一周する。 第02回 2014.03.24. 車で「稲葉山」を初散策。 第01回 2013.11.08. 二上山万葉ラインで「城山-二上山」 |
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2024年07月13日(土)12回 「城山」-「二上山」-「大師ヶ岳」 低い山を探して「二上山」へ。二上山には頂上が五つある。「二上山・城山・摩頂山・大師ヶ岳・鉢伏山」。昔は全部いっぺんに登ったが、年を取ったら少しつらい。摩頂山と鉢伏山を除いて残り三つを登る予定。氷見へ向かう国道の途中に「二上山万葉ライン」の登り口がある。 万葉ラインをくねくねと車で上ると、城山の駐車場に着く。トイレと自販機がある。10.30分。荷物を持たずに「城山」を往復する。 「城山」は展望が良い。昔は守山城があったらしい。高岡市の方面。今日は立山・剣岳は見えない。 伏木港の方が見える。 大きな「平和観音像」がある。 その横に三角点がある。ここが「城山」の頂上である。「2等三角点・点名は守山・標高は259m」 氷見の方が見える。能登半島。車まで戻り、車道を歩き「二上山」へ向かう。 クルマバハグマ マムシグサ しばらく車道を歩くと、左に「二上山」に登る登山道があった。 「二上山」は、フタガミサンと読むらしい。 、 左側が切れ落ちた、尾根のふちを歩く。落ちないように気を付けて。 「二上山」の頂上に出た。歩いて来た道は「中部北陸自然歩道」らしい。今から1270年以上前の頃、万葉集の編集にかかわる事になる大伴家持が、越中国府に赴任してきた。万葉集には越中で詠んだ歌が223首あり、二上山の歌が12首あるらしい。 小さな社と「二上山頂上・274m」の標識。展望は無し。 頂上を通り過ぎて一度車道へ降りる。 車道を歩くと分岐。左に入ると「摩頂山」に登れる。展望無し、道あやふや、急坂で、今回はパス。 車道の右に句碑がある様だ。「雪山に雪の降り居る夕かな」前田普羅。 草に覆われている。 車道の左に「大師ヶ岳」への登山口がある。ここから入り込む。 ウツボグサ ギボウシ カラスウリ この道も「中部北陸自然歩道」である。 標識。「大師ヶ岳」の方へ行く。反対側は車道にすぐ出る。 竹藪の道となる。手入れされた道で気持ちが良い。 雰囲気のある道が続く。なかなか遠い。一度降ってまた登る。 小さなピークに、通り抜ける「あずま屋」がある。 一度降って最後の坂を登ると「大師ヶ岳」の頂上あずま屋に着く。12.50分。横にテレビ中継アンテナ。 誰も居ないので「展望あずま屋」に登って昼食。富山湾が広がり能登半島が伸びる。 氷見の港らしい。風が通り涼しい。 下山開始。あずま屋の下に三角点がある。 「3等三角点・点名は大師峰・標識は254m」 同じ道を戻る。竹藪の道。 アベマキの木が混じる。 分岐からすぐ車道に降りて、車道を歩いて車まで戻る。 ヨウシュウヤマゴボウ ヒヨドリバナ クリ 二上山に登る分岐に「日吉社」の標識。頂上の社は日吉社らしい。 大伴家持の像の下を通る。大伴家持は29才のときに國守として赴任。5年間の在職。 車道からの高岡市の方面。山は見えなかったが、梅雨の中では、良い天気だった。 駐車場に戻り着いた。15.20分。自販機があるのは有難い。5年ぶりの二上山、4回目の徘徊だった。 ■次回登山は、7/16地元の「粟津岳山」へ■ 2021年12月11日(土)11回 弁慶岩より「矢部山」を一周 S女史がまだ歩いていない「矢部山」を案内する。前回とは反対周りだ。 国道8号線から宮島峡の方へ入り、分岐を左に矢波町の方へ入る。集落を抜けると「弁慶岩」が見えてきて、その手前に冬季通行止めの標識がある。12/6日から3/31日まで通行止め。その手前に車を置きここから歩く。歩くのは通行止めでは無いでしょうね。 「弁慶岩」。私の住んで居る小松の「安宅関」を突破した、義経弁慶の一行は奥州を目指してここを通った。この岩に弁慶の足跡がついて居る。10.00時。 少し林道を歩くと左下に「鼓ヶ滝」が見えてくる。降りる。 滝の裏側が凹んでいて降りることが出来る。「岩屋堂」と呼ばれ小さな祠に愛染明王像がある。水量が少ない時に滝の音が響いて、鼓の音に聞こえる。だから「鼓ヶ滝」と呼ばれる。今日は轟々と響く。 義経が別れてきた静御前の、鼓の音を懐かしみ笛を吹いて合奏した。新しい「弁財天像」があり、鼓を打っている。 川まで降りる道がある。 横の岩壁に「鼓ヶ滝露天摩崖仏」がある。江戸時代のもので上市町の大岩不動尊を模したもの。 林道を進み分岐を鋭角に戻るように登る。標識がある。 舗装の無い林道になり、鉄塔のそばを通ると、主尾根になる。 右に「能越幹線89鉄塔」への分岐がある。ここの左の地点が「矢部山」で221mと地図に載っている。道は無いようだ。 鉄塔の下で昼食。今日は風が無く暖かい。目の前の矢部山ヒークは、藪を漕げば上れそうだが、展望は無さそう、老人は登らず。11.30分。 下山開始。「88番鉄塔」の下を通る。 舗装道路に合流。 右に坂を降って行くと、左に「能登坂」の分岐がある。「自然歩道」の標識が埋もれている。地理院地図に「能登坂」と載っている位の重要な道らしい。しかしここだけは藪道になっている。 藪道を250m程我慢して通り抜けると、カーブて突然に広い道となり、ぶらぶらと降りると了輪の町に入り、高い木の生えている神社に出る。 宮島峡の総社「宮島神社」。右手の巨岩は周囲17m。鷹さ3m。その上に根回り3.6m、樹高35mの「欅」の木が生えている。 「岩抱きのけやき」。 大杉もある。古代からの霊地に、神社が建てられたようだ。表通りの車道迄下りて宮島峡の方へ進む。 小撫川の橋を渡り「観音滝」へ行く。 山裾に別所滝集落の村社「瀧之社」がある。 境内に「宮島の大杉」がある。別名「俊寛杉」。 平家討伐を企てた俊寛がこの地に流され、都に帰れるように杉箸を地面に刺したのが大杉となった。横の小さな「観音堂」には、一緒に流された平康頼の守り本尊が収められている。 「観音滝」がある。熊野権現を信仰していた平康頼は、那智の滝に似ているこの滝で修行し、流罪放免を祈願した。後に康頼は赦免され都に戻り、俊寛は赦免されず久利須集落の「俊寛塚」に葬られた。「平家物語」では流されたのは宮島峡では無くて、鹿児島県の鬼界ヶ島になっている。 ピンク色の公民館館からは、車を置いた場所まで長い車道歩きとなる。 ようやく矢波町の、車を置いた所が見えてきた。 ■次回登山は、12/14地元の「蓮台寺城址」へ■ 2021年10月31日(日)10回 南駐車場より「おやべ城山」周回 健康登山。S女史がまだ歩いていない「おやべ城山」を案内して、前回見残した所を周り、林道で一周する予定。前回は駐車場が判らず適当に空き地に置いたが、今回は写してきた案内板の写真で、「南駐車場」に直接上がった。トイレがあり27台留められるそうだ。他に駐車場は大谷池の方に4台と載っている。9.50分。 ここから歩き出す。向かい側に見える銅像に寄る。「平和の礎・神武天皇像」。じんむ広場もある。 もう一つの銅像「上埜安太郎翁」。政治家で衆議院議員。富山、高岡の市長も務めた人。 少し林道を上って、「十辺舎一九」の歌碑から園内に入る。江戸時代のこの作家は、北陸を歩いた事がある様だ。「往来を駕籠に乗せても宿の名の ゆする気遣いなきぞ頼もし」。 歌碑の横から下の方へ降りると、野外舞台があり、アメリカン楓が色づいて綺麗だ。 丸い菖蒲園が二段になって続いている。 天皇陛下の歌碑。昭和33年の富山国体の時の歌。学が無くて読めない。 庭園らしいがちょっと荒れている。 「大谷池」の赤い橋を渡り、舗装路に上がる。 少し下に「昭龍寺」があった。前回はここから公園に入った。 今回は、ここから前回歩かなかった「消防神社」に登る遊歩道に入る。まとい型の招魂碑がある。 石動消防団が先達組員の霊を慰めるために建て、後に静岡県の秋葉神社の御分霊をお迎えして「消防神社」となった。 植えてある木は「サザンカ」だな。白もある。 セイタカアワダチソウ 更に登ったら「あずま屋」があった。「白馬山広場」である。頂上の「今石動城」は4万石城主・前田利秀の居城。城山は別名「白馬山」だったらしい。 更に登って広場に出た。ここは前回寄った。「桜井与蔵氏像」。小矢部市出身の医学博士。市長も務めた。 「秩父宮殿下のお立ちよりの地」の碑。 案内板に「聖天堂跡」とあるので寄ってみたが、廃墟の藪で壊れたトイレしかなかった。城山に登る林道に滑り降りて、林道を登り城山の登山口に着いた。ここから頂上まで、楽なハシゴが何か所もある。 頂上の本丸跡に登り着く。小矢部市の方が開けている。ここに座り込んで昼食。11.20分。 「医王山」。遠くは「道宗道」の山並みだろうな。 小矢部の「クロスランドタワー」。立山方面は雲の中だった。 城山から降りて、今日は林道を先へ進む。 分岐の「中部北陸自然歩道」の標識に出た。5月に「矢部山」を歩いたとき、歩道の出発点が「石動駅」になっていた。ここに繋がっていたのだ。 ちょっと8号線の方へ覗いて見たが、遠いので戻って石動駅の方へ林道を降りる。「本覚院」を通る。案内板が無いのでスルー。 段々と降って行く。 「砂防ダム」の横を通過。 「上野本」という集落に敷いた。サッカー場とプールがある。 城山の「砦」の横を通過。 マムシグサ アケビ 地図を見て、適当に駐車場に登る道に合流した。この道は、朝に車で登った道である。駐車場が見えてきた。13.30分。 日曜なのに誰も歩いていなかった。 ■次回登山は、11/04加賀の「鳥越城山」へ■ 2021年05月19日(水)9回 公民館より能登坂越で「矢部山」一周 ひと月ほど前に宮島峡の奥、能楽古跡「俊寛塚」を久しぶりに歩いた。時間が無くてその時に見逃してきた能楽古跡を、再訪したいなと思っていたら、最近歩いている人の記録を見付けた。「矢部山」という山を通過するらしい。さっそく老人は「矢部山」を歩きに行くぞー。 天気は悪いが雨は降らぬ予報。今日も単独の老人徘徊。宮島峡に入る手前のピンクの建物の駐車場の隅に車を置かせてもらう。この建物は今は公民館になっている。後ろに広い駐車場がある。10.05分。 公民館前の「稲葉山・宮島峡県立公園」の案内板がある。今日歩く「中部北陸自然歩道」の標識もある。横の橋を渡って「宮島大杉・観音滝」の方へ進む。 山裾の農道を歩いてゆく。長靴をはいたお婆さんとと立ち話。わざわざ観音滝を見に来たのけ。あら私の七つも年上だわ。 「滝之社」の前に出る。別所滝集落の村社である。久しぶりの再訪だな。10.25分。 階段を登ると、神社と大杉、その間に滝が落ちているのが見える。大杉のそばに小さな祠(観音堂)がある。 宮島大杉は別名「俊寛杉」。能楽に「俊寛」があり、俊寛は平安の昔、平家討伐を企てたとして、鹿児島の鬼界ヶ島に流刑となった。所が実はこの宮島に流された、というトンデモナイ話がここに伝わる。その俊寛が植えた杉である。 俊寛塚の傍らに小さな観音堂があり、俊寛と共に流された「平康頼」の、守り本尊の観音像が祀られている。熊野権現を信仰した康頼は観音像を祀り、この観音滝を那智滝になぞらえて修行し、流罪放免を祈願した。滝は那智の滝に似ているので小那智滝ともいうらしい。落差10m。滝の裏に聖が収められている。観音像 更に先へ進み、次の高坂集落の手前で橋を渡り、車道を戻る。出発点のピンクの建物が見える。 少し戻って、了輪集落に入り「宮島神社」を探す。 神社には、大きなケヤキの木が巌の上に生えている。「岩抱きの欅」である。 苔むした神社である。10.55分。 「岩抱きのけやき」の根元の部分。立て札によれば「境内には自然石の露頭が多くあり、かっては神霊を招き、祭祀を行った霊地で、神社が発生する以前の霊域だった」との事。 中部北陸自然歩道の案内板があった。眺めていたら、出発点がJR石動駅で、この間登った「おやべ城山」を通ってここまで続いていた。 神社の右横の道で「能登坂」を越える。地理院地図に名前が載っている坂なので、昔は能登に通ずる重要な坂だったのかもしれないな。 途中から方向を替える地点から、急に手入れがしてない藪漕ぎ状態の林道になった。 草を掻き分け進む。今日は天気が悪くて、ズボンが濡れるな。 ようやく、合流する車道が見えてきた。 合流天に標識があった。 「宮島神社・岩抱きの欅・宮島の大杉・観音滝・鼓ヶ滝・弁慶巌」と、全部載っている。 車道を登って行く。前方に送電線鉄塔が見えてくる。 峠の上に到着。ここは四辻である。右に登れば見えていた鉄塔に出るのだろう。左の林道に入る。 少し荒れた感じの林道である。こちらにも鉄塔が見えてきた。「能登幹線№88」の登り口通過。 緩やかな尾根道の林道は、安全に歩ける。 どんよりと曇り雨が降り出しそう。かすかに何処かが見える。 中部北陸自然歩道の標識は、その内に藪に飲み込まれそうだな。 誰一人歩いていない。 分岐に「能越幹線№89」の標識があった。鉄塔の方へ入る。少し上ってその先下った所に、鉄塔があった。この道の一番高い所にヤマップのランドマークが付いている。 国土地理院地図にも、道の横の高みに「矢部山」の名前が載っているし、221mの記入がある。頂上らしくないが頂上に登ったのは確かである。鉄塔の足の土台に腰を掛けて昼食。パンをかじる。12.15分。 ナルコユリ ヤマボウシ タニウツギ 朴ノ木の花 下山開始。次の赤白鉄塔が見える。鉄塔の方へ降りて行くが、この鉄塔の近くは通らなかった。 送電線が交差している地点。地図で確認。 段々と降って行く。ヤブニンジン。 舗装された道に降り立った。ここから左に戻るように降りてゆく。 舗装とてあるが、細い林道である。 滝の音が轟々と聞こえてきて、鼓ヶ滝の下り口に出る。20年ほど前に来た覚えがある。 落差5mの滝で、滝の裏が洞になっている。水量の少ない時、水の落ちる音が滝の洞に反響し、鼓を打つ音に聞こえるそうだ。能楽「安宅」の一行がここを通り、義経が静御前の鼓を懐かしみ、笛を吹いて合奏をしたと伝わる。滝の裏の洞へ降りる道があったが危なそうなので老人はやめておいた。 洞の中には、いろんな仏像が置いてあるのが見える。 横の岩壁に「露天摩崖仏」が彫ってある。下に小さい祠がある。 河原に降りる道を慎重に降りて見た。13.30分。 更に下って行くと道の横の「弁慶巌に出た。 能楽「安宅」で、私の住む小松の「安宅関所」を抜けた弁慶一行がここを通った。 巌に、その時の弁慶の足跡があるらしい。どれだ? てっぺんの穴かな?。 ようやく、朝に車で通った塔路に合流した。ここから車まで車道歩きだ。歩道がある所が多いので安全だ。 桐の花の向こうに、車を置いたピンクの公民館が見えてきた。今日の山歩きは、ほとんど林道歩きで、いつの間にか「矢部山」も登ってしまう、老人にとっては楽しい徘徊コースだったぞー。 ■次回登山は、5/26富山「梨ノ木平山・枡山へ■ 2021年05月12日(水)8回 国道より巡視路で「御坊山」往復-おやべ城山 国土地理院の地図に、小矢部市の辺りに「御坊山」と「城山」がある。ヤマップでは、この二つの山と地図に名前の載っていない「砂山」の三つがランドマークが付いて山に認定されている。三つの山を一遍に登って居らっしゃる方もいらっしゃるが、老人は「御坊山」と「城山」を一人で徘徊の予定。 小矢部市の国道471号線に、「道坪野」という集落がある。近くに「家坪野」とか「谷坪野」があるが、道坪野が一番小矢部に近い。集落を過ぎた所の、送電線鉄塔が見える所に車を置く。集落から農道を走れば近くまで行けそうだが、歩くのが目的であるから国道から歩く予定。送電線巡視路から登って居る方がいるので、巡視路を探す。9.40分。 山裾に、鉄塔の方へ登る道があったので入ってみる。突き当りにイノシシ捕獲の檻があり、その先道が無さそうなので戻る。 続いてもっと鉄塔の下あたりまで行ってみたら、鉄塔巡視路の標識があった。「能越幹線№94」と書いてある。 この道に入り込む。 すぐ「能越幹線№94」に登り着く。 鉄塔を通り越して先へ進むと、段々と降って行く。 一度田んぼへ降りる様だ。 田んぼの向こうに、続きの送電線鉄塔が見える。その右側の一番高い地点が「御坊山」らしい。地理院地図には、田んぼから頂上までまっすぐ登る道の記入があるが、皆さんの記録を読むと道は無くて、藪漕ぎで登って居られる。 振り返って通って来た鉄塔。畔を歩いて農道に出る所に「能越幹線№93」の標識がある。老人は藪漕ぎが嫌なので、とりあえず鉄塔№93に登るつもり。 農道を左に歩いてゆくと、この先溜池あぶないの標識。 向こうに溜池が見えてくると、右に山に入る道があり、「能越幹線№93」の標識がある。 プラスチック階段の坂。典型的な巡視路階段である。山肌を登りその先少し下がった所に鉄塔があった。 突き当りの「№93鉄塔」である。鉄塔の向こうの一番高い地点が「御坊山」らしい。 ここへ来るまでの一番高い地点まで戻り。地図を見て山に入り込む。道は無いが坂は緩く、お広い尾根の感じ。藪もほとんどなし。 苦労せずに、一番高い地点にすぐ三角点を見付けた。三角点マニアかピークハンターしか登ってこないだるう。展望無し。10.50分。
帰りは又「鉄塔№94」に登り返す。登りの時は気が付かなかったが遠くに平野が見えた。 国道に置いた車が見える。11.40分。2時間の徘徊だった。 この後、車に乗って、小矢部市城山町の「城山公園」を目指す。続きは下の稿。 2021年05月12日(水)8回 御坊山-城山公園より「おやべ城山」往復 「御坊山」より降りて、ナビに「城山公園」と入れたら、小矢部の市内を抜け細い道ですんなりと城山公園に入り込めた。駐車場が判らず桜並木の道をまっすぐに登って行ったら、駐車場では無いが大きな空き地があったので車を留める。案内図の現在地に車を置く。一番下から桜並木をまっすぐ上がって来た。城山は各地にあり、ここは「おやべ城山」である。ここから城山に登る予定。12.05分。 すぐ横が分岐点で「今石動城址まで1.4km」の標識がある。女性が一人降りてきた。山菜取りのようだ。この山で出会ったただ一人の人。 新緑の舗装してある林道を登って行く。細い林道だが通行止めになっていないので車は通れるのだろう。 ヘアピンカーブを曲がる。今石動城址1.3kmの標識。車は曲がれないので、突き当りの広場でUターンするらしい。広場には、秩父宮記念碑と桜井与蔵氏像がある。 峠の上から、少し降りてゆく。地図を見ると右手前の崖の上が頂上らしい。登り口はまだ先の様だな。 林道にカキツバタが咲いていた。マムシグサ。オオカメノキ。かな。 峠を過ぎて少し下がった所に登山口があった。山に入るハシゴがあった。案内板もある。この上が本丸跡で、本丸跡が城山の頂上である。 途中にもまたハシゴがある。観光客でも登れるようにしてある様だ。 登山ならばこんな坂はハシゴを掛けないだろうな。本丸跡に登り着く。12.35分。背後は太い杉があるが、小矢部市街の方は大展望である。スギ林の下で昼食。 市街の方は木が切ってあり、崖になっている。右の山は医王山と思われる。 左の方は高岡市まで見えるのかな。一段下にある広場は二の丸辺りらしい。 真ん中に小矢部クロスランドタワー。晴れていれば北アルプスも見えそうだが。 下に降りる階段があったので二の丸に降りて見る。ここから林道まで降りる道があるのかな、と思っていたが周りは崖ばかりで、見付からない。すぐ下に林道が見えるが、老人には降りられない、ワラビを摘んで本丸まで戻る。 13.45分。車まで戻り車に荷物を置いて、公園の探索に出掛ける。太い桜並木を進んで下って行く。 神武天皇の銅像がある。近くにもう一つ銅像があり、広い駐車場があった。 少し戻って、十辺舎一九の歌碑の横から下に降りてゆく。 野外ステージがあり、菖蒲園が上下二か所もあるが、どうゆう訳か花が無い。残念。 大谷池まで降りてきた。 橋の上から黄色い菖蒲が見えた。この辺りは公園の入口辺りだな。 桜並木を上がって車に戻る。車を置いた広場の奥に階段があったので登って見たら、句碑があった。倒れていた案内板によれば、芭蕉の弟子、支考の「裸子よ、物着はやらん、瓜一つ」と書いてあるらしい。 芭蕉の「花むくげ、裸わらわの、かざしかな」という句の跡を訪ねての句らしい。「花むくげ塚」が菖蒲園の近くにあったのを、案内板に載っていたのに、見逃してきた、残念。 ■次回登山は、5/15小矢部「城ヶ平山・清水山」へ■ 2021年04月21日(水)7回 宮島峡より「俊寛塚」往復 月初めのこの間「稲葉山」を歩いて登った。宮島峡のすぐ近くである。ここから稲葉山に登っている人も多い。いろいろ調べていて、21年前に「能楽古跡探訪」で「俊寛塚」行った事を思い出した。このたび宮島峡のハイキング道に、12体の「ヴィーナス像があり、それを訪ねて「宮島緑の村」まで歩いて居る記事を見付けた。確か「緑の村」のキャンプ場に「俊寛塚」があったはずだ。老人もヴィーナス像に会いに行き、俊寛塚を再訪だぞー。 国道8号線から宮島峡の方へ入る。この間の稲葉山もここから入った。一本道で宮島峡へ入ると「一ノ滝駐車場」がある。トイレ舎があり下に一ノ滝が見える。案内板に12体の「ヴィーナス像」があると書いてある。八重桜が咲いている。ここから歩き出す。 まず「一ノ滝」に降りる。横に長い滝である。甌穴がいっぱい空いている。 車道まで上がると、➊番目の「紺碧の像」がある。ギリシア神話の「水瓶で水を汲むヴィーナス」である。バチカン美術館にある像の写しらしい。 しばらく歩いて河岸の遊歩道に降り進む。宮島温泉のそばを通りる。「二ノ滝」に降りる。よく見ると滝の向かい側の崖の中の、くぼみの中にヴィーナス像が見える。 ➋番目の「水辺の像」である。案内板が見当たらないので詳しい事は判らない。この像だけは近寄れないし、見付けにくい。 下の滝のすぐ上に低い滝がある。この滝も「二ノ滝」に含まれている様だ。 しばらく車道を歩き、左に「竜宮淵」の方へ入ると、川の中に、➌番目の「人魚の像」がある。この像は見た事がある。デンマーク・コペンハーゲンにある人魚の像である。アンデルセンの童話の人魚姫との事である。 その川の少し下に「三ノ滝」がある。 イチリンソウ 西洋タンポポ 車道に戻って「子撫川ダム」の方へ登って行く 子撫川ダムが近づくと、右の切り開きの上にヴィーナス像があった。道路からは見えにくく、下手をすると通り過ぎる所だった。➍番目の「泉陽の像」である。ルーブル美術館にあるアングルの絵画「泉」を象徴して作ったとか。壷から水が落ちる仕掛けになっている。 子撫川ダムに登り着いた。ロックフィルダムである。八重桜が奇麗だ。 ダム堰堤の左の広場にヴィーナス像が見えた ❺番目の「湖畔の像」である。ルーブル美術館蔵のクリストフ・アルグラン作「水浴のヴィーナス」を象徴したとの事。 像はダムの方を向いている。 八重桜が満開だ。 子撫川ダムを過ぎると、緩やかな車道になる。 しばらくで「宮島緑の村 3.1km」の標識の下に、❻番目の「潮汐の像」があった。 潮汐の像はダム湖の方を向いている。案内板は無いが、スイスのレマン湖のほとりに立つ像らしい。 右に車道が分岐して降りてゆく角に、❼番目の「永遠の像」があった。この像はルーブル美術館で本物を見た事がある。ミロのヴィーナスである。 原作は紀元前200年頃の作で、大理石で出来ており、ギリシアのメロス島で、1320年に発見とか。すぐ横に「宮島緑の村」 2.7kmの標識。 林道は舗装されているが、ほとんど車は通らない。 頭の上を通る、送電線と鉄塔が近づいて来ると、左に❽番目の「朔望の像」があった。 この像は全世界で、最も古く最も美しいと言われる、紀元前4世紀の彫像で、「クニドスのヴィーナス」と云うらしい。イタリアのバチカン美術館にあるらしい。 ムラサキケマン キンポウゲ ? ? 地図に三角点マークのある地点通過。すぐそばの高みらしいが、藪漕ぎが嫌で通過。その先に像があった。➒番目の「清風の像」である。「メディチのヴィーナス」で、紀元前200年頃の作で、フィレンツェのウイッツイ美術館にあるヴィーナス像らしい。 左に「久利須」の村に降りる車道の分岐に、❿番目の「山渓の像」があったギリシャ神話の、全知全能の神ゼウスの血を受けた、3人の女神が象徴であるらしい。 ここに陣取って昼食である。像のある所はどこでも八重桜が植えてある。この時期満開である。美女のお尻を眺めての食事は、老人にとって最高の時間である。 あと少しだ。左に「宮島緑の村」に入る分岐に出た。あと700mの標識。しかし車止めがあり「当施設は令和3年4月1日より休止」の張り紙。 ヴィーナス像と俊寛塚を見るため入らせて貰う。建物が見えてきて、背の高い標識に「俊寛塚この下」と書いてある。 まず建物の近くから右に登ったら、⓫番目の「聖眸の像」の前に出た。ルーブル美術館にあるレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」の絵が象徴らしい。小さい絵が大きな像になっていてビックリである。前に大駐車場が見下ろせる。更に登って行く。 キャンプ地らしい所を抜けたピークの上に、⓬番目の像「生誕の像」があった。見た事があるな?。この像はイタリア・フィレンツェの美術館にある、ポッテチエリの絵画「ヴィーナスの誕生」が元らしい。そういえば絵のとおりである。像には案内板が全部あった様だが、残っているのもあるし、見当たらないものもあり、ここのは壊れて地べたにあった。 この像のすぐ、先に、「大嶺山」という山が有り登る人も居る様だが、道が無い様だ。老人はヴィーナス像12体を全部見付けて大満足で下山開始。 建物と大駐車場、向こうの山は、今月3日に登った「稲葉山」だ。 建物の横を降りてゆくと、今日の目的地「俊寛塚」がある。能楽や歌舞伎に「俊寛」がある。俊寛は平家打倒の陰謀を企てた罪で、鹿児島県の鬼界島に3人で流される。赦免があり二人は舟に乗り、残され俊寛は舟に取り付くが・・悲劇の話。三人の流されたのは、鹿児島の鬼界島ではなく、実はここ宮島峡の山奥だった、と云う奇想天外の伝承。二人は赦免され俊寛はこの塚に葬られた、とか。 「はなもみじ みやこはいづこ はるかなり 野辺の仮寝の 俊寛塚」の碑がある。能楽師の端くれとしてこの地を再訪出来て嬉しい。21年前は車での探訪だったが、今回は徒歩である。下山開始。久利須の村まで直接降りる道がありそうだが見付からない。 登って来た車道を戻り、昼食をした像の分岐まで戻り久利須まで車道を降りる。遠回りだな。 久利須の手前で、ヘアピンカーブを降りてゆく。 地蔵さんでも入っているのかな。祠は修理され花が飾ってある。近くに民家一軒も無し。 人家も無く、車も通らず、寂しい林道をトボトボと降りる。なかなか遠い。 また祠。地蔵さんが見える。付近には全然民家は無し。 いやー遠かった。へたばってへたばって、老人は一ノ滝近くの車道に合流したぞー。なに二万歩突破だって。 ■次回登山は、4/26加賀「箱屋谷山」へ■ 2021年04月03日(土)6回 徒歩で「稲葉山」一周 本当は道の駅から歩けばよいのだが、老人は距離を少しでも短くする為に、法楽寺町の老人ホームのそばの空き地に車を置き、老人ホームの横の林道を歩き出す。清楽園の桜が満開だ。 林道は舗装してあるが、落ち葉で埋もれている所が多い。 キブシ。林道にはみ出している。 この看板の、林道の一番高い地点から、地理院地図に登山路の記入がある。去年単独で入り込んだが、激藪で登山路が見当たらず敗退した。今日は嶺町まで行き、車道を歩いて稲葉山を目指す予定。 嶺町までは段々と下りになる。ちょっともったいない。結構高い地点を歩いているぞ。 エンゴサク イカリソウ キクザキイチゲ シャガ 初見 カタバミ 初見 地理院地図に神社マークがある。この神社だな。もうすぐ嶺町だ。道路に座り込んで一休み 嶺町の車道に合流した。地図を見ると、この車道はくねくねと曲がって稲葉山まで登って居る。 車道を歩き、町はずれから少しで、右に入る鉄塔巡視路を見付けた。鉄塔巡視路がある事は予想していた。実際に歩いて居る記事はあまり見かけない。「石川幹線 №79巡視路」と書いてある様だ。この巡視路に入り込む。 送電線鉄塔に登り着いた。「№79鉄塔」に登り着いたと思ったが、鉄塔の番号は「北金沢線78」となっていた。ちょっと訳は判らんが、登山路としては間違っていない。すぐ近くを車道が通っており、上に次の鉄塔が見える。 まだ車道を横切らずに巡視路が続いている。 初めて車道横断。向かい側を登る。 ハシゴが架かっている所がある。しばらくで二度目の車道横断。 車道より登って来た方を見下ろす。 スミレ オウレン キジムシロ かな。 二本目の鉄塔が近づいて来た。 2本目の鉄塔に到着。「北金沢線77号」である。すぐ上が車道である。ここから車道を歩く。 車道の横は、稲葉山牧場地らしい。牧草が植えてある様だ。次の送電線鉄塔のあるのが頂上らしい。風力発電機があるぞ。 桜の大木がある。小矢部の方が見えてきたぞ。 車道から頂上鉄塔へ登る道に入る。 頂上鉄塔の横に三角点がある。小矢部高岡方面が切り開かれて展望が良くなっている。すぐ下が広い駐車場になっている。車で登って来ると、頂上まで3分である。鉄塔下で昼食。
単性が一人登って来た。牧場から登って来たらしい。我々と反対周りだ。一周するようなので鉄塔巡視路を教えてあげた。初めてらしいな。 昼食を済ませて今度は車道に降りて、稲葉山牧場の中の車道を歩いて降りる予定。 347mの低い山だが、展望は抜群である。晴れていれば立山・剣が良く見えるが、今日はちょっと曇っている。マスコットは三日前の倶利伽羅の火牛のようだ。角に松明を着けている。倶利伽羅はすぐ近く同じ小矢部市だ。 車道は歩くのはなかなか遠いぞ。牛は数頭しか外に居なかった。田川と云う町を抜けて、車を置いた車道を歩く。車に到着。道の駅とアウトレットモールが見える。歩いて登っても中々面白い山だった。 ■次回登山は、4/6小松の「奥城山・大鶴山へ■」 2020年02月15日(土)5回 徒歩で「稲葉山」は敗退-車で登頂 「稲葉山」は6年前に、ドライブの途中に頂上まで登り三角点を確認している。登った記録として下に載せてある。しかし頂上三角点まで5分では、どうも気が引ける。一度下から登ってみたいと思っていた。地理院地図を眺めて調べていると、小矢部の道の駅「メルヘンおやべ」に車を置いて、車道や林道を歩いて登ったり一周したりしている人が居る。登山路は無いのか?と調べると、林道の途中から頂上まで登山路が記入してある。しかしヤマップの記録でも登山ほとんどない。二人いたが、ひとりは積雪時、一人は藪漕ぎ。 今日は一人。富山県小矢部市八号線の、三井アウトレットパークの隣の「道の駅・メルヘンおやべ」に車を置く。歩くのが目的で「稲葉山」の登山路を探索に来た。山が見える。11.30分。 道の駅で昼食用に「昆布餅」を買って出発。「子撫川」を渡り堤防を歩いて、林道の入口へ。 大きな建物「デイサービスセンター清楽園」の横の林道を歩き出す。12.10分。 林道は広く車も通るようで舗装してある。落ち葉がいっぱいの舗装路。 日当たりの良い舗装路に座り込んで、昼食に買って来た昆布餅を食べる。おやべ名物と書いてある。車も人も通る気配がない。 登山に関する標識無し。「無花粉スギの森を造っています」の標識あり。 だんだん林道が降ってくるので、変だなと思ってタブレットの地図を見たら、登山路分岐点を過ぎていた。戻る。 さっき見た標識の裏が登山口の分岐らしい。細い作業道を斜めに少し進んだが方向が違う。また戻り、戻るような方向の藪の中の獣道を登る。 上にまた古い作業道の跡、昔の赤いテープ。地図を見ながら頂上方面を確かめて、あっちウロウロ、こっちウロウロ。最後に、急斜面の笹藪が登山路方面だが、笹藪に突入する気分にならず、老人はここで敗退決定。13.35分。 フキノトウを採りながら同じ道を降りる。家へ帰って、見よう見まねで「ふき味噌」と「天ぷら」にして食べた。春の味だ。 土手にはタンポポもイヌフグリも咲いていた。道の駅の裏から「稲葉山」が良く見える。15.10分。 車に乗って、稲葉山に登る。途中歩いている人がいた。車だとあっという間に頂上の駐車場に到着。鉄塔のある頂上三角点まで、3分ぐらいで登れる。
頂上まで登ると展望は無し。ここまで上る登山路を探してみたが判らない。 駐車場の下が展望台。小矢部市のシンボルキャラクター「メルギュー君」と「メルモモちゃんがお迎え。今日は「北アルプス」は見えない。 ■次回登山は、小松市の「おくりび山」へ■ 2019年12月14日(土)4回 「二上山」の5ピークを周る 今日は午後から雨予報。今日も相棒の歩いていない「二上山」を案内する。北陸道から小矢部砺波JCTで能越道に入り、高岡北ICで降りると、目の前に「二上山」がドカリと鎮座している。山に向かって走ると氷見街道に出る。左に折れ300mで、右に「二上山万葉ライン登り口」がある。万葉くラインを上ると、城山の広い駐車場に到着。トイレ寮がある。トイレは早くも冬じまいで使えない。 カメラだけ持って「城山」の三角点を往復。平和観音像の側に三角点がある。9.45分。
まだ晴れていて、氷見の方が見える。 伏木の方も見える。上に山が見えるが雲に半分隠れてきた。 「ブログ書いている人ですね?」と声を掛けられた。このホームページを見てくださっているらしい。 今日はさらに、「大伴家持像」のある広場駐車場に車を移動し駐車する。10.00時。 大伴家持は29才で越中守として赴任。5年間の間に二上山の歌をはじめ、223首の歌を詠んだ、と書いてある。この家持の歌を中心に337首が万葉集に収められている。「越中万葉」と称するらしい。 「二上山」の頂上到着。10.15分。展望なし。真ん中の祠は「日吉社」らしい。「越中國庁の背後にある二上山は、神の山であるとともに、家持の愛好したホトトギスの飛来する、親しい山でもあった」と書いてあった。 万葉ラインまで降りて、車道を少し歩き、左に弘源禅寺への林道を歩く。毘沙門天堂が上に有り、弘源禅寺は下へ降りた所にある。10.35分。 上へ登る林道を歩き、赤いテープの下る竹藪の獣道を入る。テープを頼りに高い所を目指して登ると、最後はロープの下った急斜面になる。短いのだが手掛かりがなく良く滑る。転びながらも泥だらけで「摩頂山」頂上に登り着く。標識のみで展望なし「加賀の里山ファンクラブ」の山札があった。10.45分。 また万葉ラインの車道迄戻り、車道を歩いて今度は「中部北陸自然歩道」の標識から「大師ヶ峰」へ続く登山道に入る。11.10分。午後から雨の予定が、午前中なのに雨が降り出した。 高岡市と氷見市の境界の尾根を登ったり降りたりして進んでゆく。 竹藪に大きい木は何の木かな。 自然歩道の上にあずま屋がある。向こうに見えてきたのが「大師ヶ岳」だ。もう少し。 頂上あずま屋が見えてきた。横にアンテナ搭みたいなものがある。 前回、三角点を見逃していたので。どうしても探すのだと意気込んでいたが、何のことはない目の前にあった。夏は深い藪になっていて気が付かなかった。今は藪を刈ってある。12.00時。
あずま屋は風が強くて冷たい雨が吹き込む。いっぱい着込んで、風が当たりにくい階段の踊り場に座って、昼食。暖かいコーヒーが出てくる。ありがとう。 雨が少し止んできて、氷見の方が少し見えてきた。手が冷たくて凍える。しばらくで下山開始。 万葉ラインの車道まで戻り、車道を歩いて、二上山頂上下の駐車場まで戻る。13.25分。 「平和の鐘」のある広場駐車場に移動し、平和の鐘を突く。大きな鐘で撞木も大きく、撞くのが難しい。 鐘を撞いた後、傘をさして、今日五座目の「鉢伏山」まで歩いてゆく。大きな「仏舎利宝塔」の周りを一周してくる。雨に降られたが、予定通り二上山の五つのピークを踏んできたぞ。 仏舎利塔周りの歩道の紅葉。歩数計は12.000歩を越えていたな。 ■次回登山は、12/18「岳峰」へ■ 2019年07月14日(日)3回 「二上山」の5ピークを周る 年に一回の、我が社中・清響会の発表会が一週間後になった。毎年夏の発表会で46回目である。46年間も欠かさずにお弟子の発表会を行ってきたが、世代が変わり、お稽古する人が少なくなり、何時まで続けられるか心配なものである。 もう発表会までは、用意の為歩く事は出来ない。会が終われば梅雨が空けて、夏シーズン到来を楽しみにしている。高山植物に逢いに行きたい。 今日は一人、「二上山」を歩くことにした。地理院地図を見ると二上山には、「城山」「二上山」「摩頂山」「大師ヶ岳」「鉢伏山」の五つのピークに山の名前が付いている。それ全部を歩こうと考えている。 北陸道から能越道に入り、高岡北ICで降りると、目の前に「二上山」がドカリと鎮座している。山に向かって走ると氷見街道に出る。左に折れ300mで、右に「二上山万葉ライン登り口」がある。万葉ラインを上ると、城山の広い駐車場に到着。トイレ寮がある。10.40分。 靴を履いて、杖の一本をコウモリ傘に変えて「城山」の方へ行く。守山城址の案内板がある。昔の城跡らしい。今は真ん中に大きな「平和観音像」が建っている。10.50分。
2等三角点がある。見晴らしの良い城山である。氷見の街が見える。 高岡市の方も良く見える。晴れていれば立山も見えるだろう。 駐車場まで戻り、万葉ラインを歩き出す。11.05分に小さな広場に出る。山の方に大伴家持の像が見える。像の後ろから「二上山」に登る道が続いている。 11.15分に「二上山」の頂上に登り着く。真ん中に石の祠がある。展望は無し。標高274m。ここが最高地点である。頂上から先へ歩道が続いている。「中部北陸自然歩道」の標識がある。 万葉ラインに降り立ち進むと、左に「大平線」という林道が分岐している。11.30分。看板があり「弘源禅寺」という寺があるらしい。 5分ほどで広場に出る。右上に弘源禅寺の「毘沙門天堂」があるらしい。登らなかった。 弘源禅寺は左の坂を降りて行った広場にある様だ。赤い紅葉の木のあるのは、入口の標識。11.35分。 ここから「摩頂山」に登る予定だが、遊歩道が無く、もちろん案内板などない。ヤマップに大体のコースの記入があるのが、頼みである。林道から離れて山へ入る道を進む。 すぐ右に広場があり、元はお寺のようで、石仏が並べてある。地図を見るとこの裏山辺りがピークのようだ。探したがここには登り口は無かった。 林道を又進んだら、竹藪の中に道らしきものを発見。目印の赤い布が続いて居る様だ。11.45分。 赤い布を頼りに竹藪の中を進み、最後に急坂の滑る斜面を登り切ったら、「摩頂山」の標識があった。やはり登る人入る様だ。12.00時。丸い尖ったピークのようだが、展望なし、何も見えない。すぐ下山開始。 摩頂山から降りて弘源禅寺にも寄ってみた。誰も居無い様だ。 万葉ラインまで戻って少し歩くと、12.30分に「中部北陸自然歩道」の標識に出た。ここから山道に入り、「大師ヶ岳」を越えて、氷見の国泰寺から雨晴海岸まで続いて居る様だ。 地理院地図には登山路の記入は無いが、高岡市と氷見市の、市境の尾根を上り下りしながら進んでゆく様だ。 誰も通らず竹藪の中の道を進む。実に雰囲気の良い遊歩道である。 頂上一つ手前のピークにあずま屋があった。遊歩道は東屋の中を通っている。13.05分。休憩昼食。 一度降って更に登り切った所が「大師ヶ岳」の頂上だった。鉄塔があり、ここにもあずま屋があった。この頂上に三等三角点がある有るはずだが、見逃した。あずま屋の下あたりにあると思われる。残念。
あずま屋に登ると、氷見の街が一望できる。13.35分。 富山湾の向こうに能登半島の先端が伸びている。 同じ道で14.20分に万葉ラインまで戻り、さらに進むと、14.35分に「佛石寺」への分岐に到着。入り込み登って行くと、佛石寺があるが寺へは寄らず、上を目指す。 頂上に「佛舎利宝塔」がある。この辺りが一番高いので、地理院地図ではここが「鉢伏山」となっている。大きな宝塔の周りを一周して下山開始。アジサイがいっぱい植えてある。 佛石寺のすぐ下に「平和の鐘」があり、営業している食堂がある。観光の車が何台も留まっている。ペットボトルを一本買って下山開始。万葉ラインの車道を城山の駐車場までまっすぐ歩く予定。 佛石寺より少し下がった所に林道が分岐している。地図を見るとこの先のピークに三角点がある事になっている。調べに行きたかったが、関係者以外立入禁止の標識があるので入れない。
三角点名は「鉢伏山」になっているが、さっき登った「佛舎利宝塔」地点よりだいぶ低い。 15.50分に車まで到着。広い駐車場は一台のみ残っている。今日は久しぶりに歩いた気分。携帯記録では18.000歩。 ヤマップ記録 ■活動時間 5時間11分 ■活動距離 9.5km ■高低差 121m ■累積標高851m/854m Ⓢスタート 10.40→城山10.47-10.55→二上山11.02-11.02→摩頂山→11.42-12.10→ 大師ヶ岳13.28-13.45→鉢伏山14.30-14.36→Ⓖゴール 15.53分 ■次回登山は、7/24「石鎚山・剣山」へ■ 2014年03月24日(月)2回 車で「稲葉山」初散策 天気が良ければ、家にじっとしていられない。午前中で仕事を済まし、不良老人は、今日もドライブ。小矢部市を走っていて、大きな発電用風車が、三基回っている山を見付けた。山裾を通ると「稲葉山牧場」の標識を見付けた。山頂が公園になっているようだ。 牧舎などを通過して登って行くと、駐車場が有った。砺波平野が、目の下に広がる。なだらかな山は薬師岳。右端の方は黒部五郎岳。と書いてある。 その右は、立山。剣岳も見える。珍しく剣岳は白く見える。毛勝三山の左は、白馬岳となっている。 牛嶽や、八乙女山、大寺山など、南砺市の山も見える。 良く調べてこなかったが、三角点が在りそうなので、一番高い所に有る鉄塔を目当てに登ってみたら、2等三角点が鎮座していた。加賀低山徘徊部の札も下がっていた。車で登れる山だが、展望抜群、ここに一座として載せた。 ●次項2014年・第22回登山は、3/31「平栗の森」へ● 2013年11月18日(月)1回 「二上山」初散策 「二上山」は砺波平野を走っていると必ず見える。二つのピークを持つ山である。あまり高くないが平地に在り、周りに高い山が無いのでカッコよく見える。頂上を通る万葉ラインと云うドライブコースがあるので何度も通った事がある。今日も友達とランチしようとドライブに出掛け、時間つぶしに車で登ってきた。時雨れて寒くなってきた。 今から1260年以上も前、万葉集の編纂に関わったという「大伴家持」が、国府に越中守として赴任してきた。この二上山の麓に役所があったようで、赴任5年間の間に、万葉集に223首の歌を残し、その内この二上山の歌を11首読んでいるとの事である。奈良にも二上山があり、同じ名前の山に愛着を持ったらしい。 国道8号線を高岡で、国道160号線で氷見の方へ折れるとしばらくで二上山万葉ラインの入口がある。登って行くと「城山」に着く。守山城址で、今は大きな平和観音像が建っている。まことに見晴らしが良い。天気が悪くて残念。高岡市方面。 こちらは氷見方面。氷見湾が見える。 三角点が在った。低山徘徊部の札がある。
続いて「摩頂山」と云うピークに登ろうと細い道に入り込んでみた。地図に名前があるが登山路は無いらしい。雨の中の藪漕ぎは嫌だから戻った。 さらに進むと「鉢伏山」付近に日本一の大釣鐘が下がっている。誰でも自由に搗いても良いらしい。一つ鳴らす。 地図を眺めていたら「二上山」の頂上もあるらしい。車を戻す。途中に展望台があり登ってみる。立山が良く見えるのだそうだ。 さっき通ったが、カーブに大伴家持像が在ったので気が付かなかった。カーブには駐車場もある。 家持像の裏に二上山山頂に登る遊歩道があった。10分と書いてある。雨の中を帽子をかぶって登る。頂上の真ん中に祠があった。展望は無し。 ブナの木が少しあり、紅葉している。雨がひどくなったのですぐ降りる。今日はここまで。 帰って地理院地図を眺めていたら、二上山に五つの山名のあるピークがあった。「城山」と「二上山」は登った。あと「鉢伏山」の三角点と「大師ヶ岳」の三角点と「摩頂山」は、付近の古寺古社探索を兼ねて又登りに来よう。 カメラを持って来なかったので携帯カメラです。 **次回登山は、11/28「阿陵山」へ** |