2006.09.より登山順
[富山] 元取山 196 m (富山県高岡市) 112 [富山] 三千坊山 264 m (富山県高岡市) [富山] 城ヶ平山 172 m (富山県高岡市) [富山] 清水山 174 m (富山県高岡市) |
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第7回 2024.10.26. 水道つつじ公園より「三千坊山」を往復 第6回 2021.10.24. 浅井神社より「清水山」。舞谷集落に降りる。続いて城ヶ平山へ 第6回 2021.10.24. 舞谷集落の八幡宮より「城ヶ平山」。親王塚へ降りる。 第5回 2010.05.15. 舞谷集落こぶし荘より「城ヶ平山」を登り、降りは神社八幡宮に降りる。続いて清水山へ。 第5回 2010.05.15. 舞谷集落より「清水山」に登り、浅井神社に降りる。 第4回 2021.05.09. 水道つつじ公園より「三千坊山」を往復。 第3回 2019.05.03. 登りは加茂入口より鴨城、「元取山」。降りは雲龍寺の道へ降りる。 第2回 2015.04.21. 登りは加茂入口より鴨城、「元取山」。下りは鉄塔へ降り、林道途中より片山大道。 第1回 2014.04.15. 登りは加茂入口より鴨城、「元取山」。下りは雲龍寺の道が通れず元の道に出る。 |
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2024年10月26日(土)7回 水道つつじ公園より「三千坊山」往復 工事中です書き掛け ■次回登山は、10/31「三方岩岳」へ■ 2021年10月24日(日)6回 浅井神社より「清水山」-舞谷-「城ヶ平山」 介添え人のS女史が、まだ登って居ないと言うので「元取山」の近くの「清水山」と「城ヶ平山」を案内する事になった。一人で歩いた前回とは反対周りに歩く予定。 能越自動車の高岡ICで降車。国道8号を少し戻って清水山の方へ折れると、赤丸町の県道32号の交差点に出た。県道を右に500mほど進んだら、県道に「浅井神社杉並木」の標識があり石の鳥居があった。 鳥居を潜ってまっすぐ神社に向かう。雰囲気の良い杉並木を通る。江戸時代からの並木らしい。 突き当りの「浅井神社」の手前の道の広い所に車を置く。トイレ寮もちゃんとある。9.45分。 「延喜式内社・赤丸浅井神社」にお参りして。横の林道を歩き出す。神社は横に周ると、凄い立派なつくりの神社である。 イノシシ檻の置いてある道を上って行く。 この道を行くのは初めてである。前回は反対周りで、道を間違えてここを通らなかった。 開けだ所に分岐があった。鋭角に戻るように、鎖の掛かった林道を行く。 戻るような方向なので、ちょっと心配? をしたが、すぐ見覚えのある分岐に出た。 ここは十字路で、右に登山道を登れば「清水堂」。直進する林道は「舞谷集落」。左は「浅井城址」に行く林道。前回は浅井城址の方へ進み、城址から浅井神社に降りる道が無く藪を漕いで降りた。 「清水堂」の方へ急坂の登山道を登る。 急に視界が開けてくる。 「清水山観音堂」に登り着く。観音堂の横から、清水山最高地点「174ピーク」に行ける様だが、一応ここが「清水山」の頂上である。 石造の「千手観音像」かいらっしゃいます。案内板によれば麓の浅井神社の末社である。浅井城主が南朝(1330頃)の親王をお迎えした折、京都の風光を慕われて、この地に観音堂を建て「清水寺」と名付けた。霊験あらたかで各地から参拝客が絶えず。との事。 冠雪した立山連峰。 新湊の「新湊大橋」が見える。11.00時。 時間が早いので昼食は「城ヶ平山」と決めて下山開始。鉄塔の方へ降りる。鉄塔はあまり展望は無し。 これは鉄塔巡視路らしいな。 荒れた林道に降り立つ。赤いテープが下がっている。標識はこのテープ岳。他になし。右に林道を降りてゆく。 荒れた林道である 「舞谷」の集落が見えてきた。 集落の道路に降り立った。集落からの「清水山観音堂への登り口」の妙識。ここから清水山までは標識無し。お気を付けてーー。これからすぐ「城ヶ平山」を目指す。 下の項に続く 2021年10月24日(日)6回 舞谷より「城ヶ平山」-浅井神社 上の項より続く。舞谷町の車道を少し歩くと「八幡宮」の前に出る。「赤丸城跡入口」の標識がある。赤丸城跡が「城ヶ平山」である。 住人と立ち話したら「じょうがひら」とおっしゃった。「たいら」では無いようだ。 神社の左の鉄塔巡視路を登る。 「城ヶ平山」には標識が完備している。 杉木の登山道。 鉄塔を通過。 送電線に引っ掛かるが展望地点。真ん中に「剣岳」、右に「立山」 ブナの木が混じっている?。 「堀切」の標識。もうすぐ頂上だ。 広い「城ヶ平山」の頂上広場に到着。少しだけ山が見えるベンチに座って昼食。12.50分。 「剣岳」をアップにしてみる。 昼食後、近くの「殿様池」の方へ降りて見る。赤丸城の井戸らしい。底が見えない。 頂上広場は日差しがあるので、花が残っている。 下山開始。 「城ヶ平横穴古墳」に出た。 6世紀から7世紀頃の横穴墓らしい。52基あり、副葬品が色々と出たらしい。 剣・立山には雲が出てきたが、「薬師岳」はまだ見える。 「親王塚」への分岐があった。前回は通らなかったので入り込んでみる。 柵に囲まれた「親王塚」に出た。二股の杉が有る。案内板が壊れていて良く読めないが「後醍醐天皇の八の宮・宗良親王が、この地に留まられた。」との事である。 親王塚から直接降りる遊歩道があった。「下加茂神社跡」とか「八の宮屋敷跡」とかを通って。車道に出た。地図を見ると、川沿いの車道をまっすぐで、浅井神社に戻れそうだ。 浅井神社の前に戻ってきた。また杉並木をを歩いて車に向かう。日曜なのに誰一人とも遇わない「里山徘徊」だった。 ■次回登山は、10/30「金沢城散策」へ■ 2021年05月15日(土)5回 こぶし荘より「城ヶ平山」-舞谷-「清水山」 この間から小矢部・高岡辺りの低い山を歩いている。何度も登った事のある「元取山」の隣にある「城ヶ平山」と「清水山」にも色々の登山記録がある。それを参考に二つの山を一遍に登ろうと老人は出かける。低い山と知らない山は大好きである。介添え人のS女史はワクチン接種とかなどで今日も不在、単独徘徊である。 二つの山の間の「高岡市福岡町舞谷」の集落に車を置き、両方を登る予定。城ヶ平山は上市にもあるが、ここは福岡城ヶ平山である。こぶし荘の近くに登山口があるとの事で、ナビを入れたら、県道32号線の「赤丸」交差点から舞谷町の方へ入る。「こぶし荘と清水山方面と城ヶ平山方面」と三つ一遍に標識を見付けた。 こぶし荘へ上って行く道の途中に登山口があるが、車が置けないのでこぶし荘近くまで上がり車を置く。9.50分。 少し戻ったヘアピンカーブに登山口がある。案内板は「赤丸城址」と「城ヶ平横穴古墳」である。 ここから入る。 初めは緩やかな道。 マムシグサ キツネノボタン シャガ 分岐に出た。「右・赤丸城跡、城ヶ平古墳」。「左・親王塚」となっている。赤丸城跡が城ヶ平山の頂上だな。木を刈った明るい斜面、急な斜面を登って行く。 ハルジオン オオカメノキ タンポポ 平野が見えてきたぞ。 斜面に横穴古墳。案内板には、52基の古墳が三段にあると書いてあるが、これ一つしか見当たらない。人骨や刀剣が出たらしいぞ。 頂上に近づく、また林の中に入る。 おやっ、ツユクサかな?と、撮っていたらどうも違う。初めて見る花だ。家へ帰ってから調べたら「ホタルカズラ」というらしい。北陸ではあまり見かけなて花だな。珍しいかも。 大きな木があるな。 平野の一角が見えてきた。頂上に登り着いた。 広い頂上広場。誰もいない。ベンチが一つ。一休み。10.50分。大きい木に囲まれて余り展望は無し。これから鉄塔の方へ降りる予定。北の方へ延びる尾根だが方向が判らない。 「殿様池」を見に行く。池では無くて殿様使用の井戸らしい。ヤマップで行動軌跡を調べたら、殿様池は西の尾根にあった。また頂上広場まで戻り、北の方角の尾根を降り始める。 降り口が判らない。よく探せば良かったのだが、藪の薄い所を適当に降りだす。 藪を降りていたら堀切みたいな場所で、上から登山道みたいなものを発見。標識も見えた。滑り降りたら右から登山道が降りて来ていた。やはり何処かに下山口があったのだ。 鉄塔があるので巡視路がある、と思っていたので一安心。道はハッキリとしている。標識も完備。 「鉄塔南福岡線63番」を通過。 鉄塔を過ぎてしばらくで、右に斜面を降りだし急坂となる。 舞谷集落の神社、村社八幡宮の裏に降り立った。11.40分。神社前の道に出ると「赤丸城跡・入口」の標識もあった。 今日は続いて「清水山」に登る予定だ。 下の項へ続く 2021年05月15日(土)5回 舞谷-「清水山」-浅井神社 神社前の車道を左に行くと、集落の中心部に進む。住人のおばさん2人と立ち話。集落の中に「清水山観音堂 登り口」の白い古い標識がある。陰になり半分倒れかけだった。直したがすぐ倒れるだろう。 こんな道を100m程進むと分岐があり、左に藪っぽい林道が始まっている。標識も何も無しそのまま直進してる。 突き当りは畑だった。この先何処へゆけば良いか判らず、先頃の分岐林道が「清水山」の方へ向いているので、戻って荒れた林道に入り込む。 車は通れないような状態の林道をトボトボと歩く。 ヤマップを見ていても、中々清水山の方向に向かない。腹が減ったので林道に座り込み、弁当を半分食べる。地図にはこの林道は載っていない。もし、この林道が行止りだったら、戻るしかないなー、と考えていたら、道は方向を替えて清水山の方へ進み始めた。 ラッキー。 林道の戻るような地点で、清水山に向こうように、赤い布の下がった登山道の入口を見付けた。ここに入る。 道はハッキリとしている。 鉄塔「南福岡線№61」にたどり敷いた。 鉄塔下から、砺波の方が見える様だここまで来ると頂上は近くだ。 何だったかな アマドコロ かな アザミ 13.00時。ピークの上の観音堂に到着。ヤマップのランドマークがここに付いている。ここが頂上である。地図を見ると、堂の横から入るともうチョット高い地点174があるが、行かなかった。観音堂の前に座り込んで昼食の続きを食べる。誰もいない。 観音堂の前から砺波平野が見える。音内板によれば「浅井城主中山一族が、南朝の親王をお迎えした時、京都の風景に似ているとの事で、この地に観音堂を建て、清水寺と名付けた」 昼食を済ませて下山開始。観音堂の前をまっすぐに降りる道がある。 坂を降りたら四ツ辻の分岐に出た。右の道に「至・舞谷集落20分」の標識。私が登って来た道はここに合流する様だ。左は浅井神社から続く林道に通じているようだ。 直進する広い林道には「浅井城跡・赤丸麻畑島古墳群」と書いてある。この道を選び直進する。 右に赤丸麻畑島古墳の標識。林道からは古墳は見えず。通過。続いて「至・寺谷内7分」という標識通過。何処かへ降りられる様だな。 突き当りの「浅井城跡」の案内板に到着。広かった林道はここで終わり。ここから城跡に入るようで細い道となる。 一度堀切に降りる。本丸跡はここから登りになる。地図を見るとこのすぐ下が浅井神社であり、神社へ降りる道があるかな、と思っていたのに降りる道が無い。本丸の方へ登ると何処へ降りるのか判らない。神社の松並木を見たいと考えていたので、ここから下まで降りる事にする。荒れた竹藪の中を降りるとすぐ民家が見えてきて無事参道に降りられた。 神社は遠くから拝んで、古い杉並木を通り、車を置いたこぶし荘までのんびりと歩こう 右の山が「清水山」で、左の山が「城ヶ平山」だろうなー。なかなか面白い徘徊だったぞー。 ■次回登山は、5/19小矢部「矢部山」へ■ 2021年05月09日(日)4回 水道つつじ公園-「三千坊山」往復 初めての山。最近近くの山を歩いていて「三千坊山」を見付けた。老人向きで余り坂が無い様だ。さっそくS女史を誘って、健康の為と称して徘徊に出掛ける。 能越自動車道の高岡インター降車。笹八口と云う町の、「水道つつじ公園」の大きな駐車場に車を置く。トイレもあり、一段上が公園である。20人くらいの大パーティの登山者が出発していった。人気の山らしいぞ。我々も階段を登って公園に入る。9.15分。 この公園は、ツツジとサクラとカタクリが咲くと案内板に書いてある。 今はツツジの頃である。公園全体は周らず、ツツジの間の階段を登る。 水道施設がある。その前から登山道が始まっている。 登山道は登るのではなく、いきなりシャガの咲く道を降って行く。 なんと一度、五十辺町に降りてしまう。町のはずれから農道みたいな道を歩いてゆく。いろんな花が咲いている。右側は開けている。遠くまで露天掘りの鉱山らしいな。 花の名前には自信なし。 ウノハナ シャガ カキドオシ タンポポ ノリウツギ キンポウゲ 「白山池」という溜池がある。鍾乳洞という案内板もある。行って見なかったが、入れないとかという話。 雰囲気の良い道になって来たぞ。 歩いて来た林道からの分岐点。左の斜面を登る登山道に入る9.55分。 ムサシアブミ フタリシズカ マムシグサの群生 尾根の上に登り着く。ここも分岐点、左に降りると江道町に降りられるようだ。右に三千坊山2キロと書いてある。 新緑の緩やかな尾根歩きとなる。 ガマズミ ササに花が咲いている。 フジ 一度、林道を横断する。 まとまった木。 二度目の林道を横断。 頂上は近いな。 突き当りに、氷見市からの登山道が合流していた。 左に進むとすぐ、頂上の展望櫓が見えてまた。 20人ぐらいの団体さんが食事をしていたが、しばらくで下山していって、我々二人だけになった。 我々も昼食。12.00時。 山頂標識が凝っている。標識の上に小鳥が三羽が留まり、カタクリの花が咲いている。 周辺案内図を見ると、広い公園になっているようだ。車でも登れるようで駐車場が記入してある。降りは一周して戻る予定。
高い展望櫓に登って見る。かすかに見えるのは小矢部市辺りか。今日は黄砂が飛ぶ様だ。 下山開始。広い頂上部を一周する。赤い紅葉の木が植えてある所から降りると、大きな休憩小屋があった。車でここまで上がれるようで、駐車場がある。山裾を歩いて、登って来た登山道に戻る。 山の案内板があった。この辺りは能登石動山天平寺の山伏修験の場だったらしいぞ。 大回りして、登って来たとざんどうに戻って同じ道を降りる。 クサイチゴ ニガナ ヤマツツジ ウワミズザクラ ホウ ツクバネウツギ 尾根の突端分岐より、登って来た登山路と別れ、江道の方へ降りる。江道 0.9Kの標識。見た目が藪っぽいので身構えたが、しばらくしたら歩きやすい登山路となり、鉄塔を通過。石川幹線№55番の鉄塔である。 急坂を降りたらすぐ林道に降りた。 ノリウツギ ? ハルジオン トリアシショウマ 江道の町が見えてきた。 林道の側面に「江道横穴群」があった。古墳らしいな。 後は町の車道を歩いて戻る。 オオデマリ こでまり つつじ公園を通らずに下から駐車場に到着。14.40分。 あんまり坂が無くて、老人には楽しい徘徊だったぞ。 ■次回登山は、5/12小矢部「御坊山・おやべ城山」へ■ 2019年05月03日(祝)3回 加茂墓墳-鴨城-「元取山」-袋谷滝 昨日は相棒と二人で、竹橋の道の駅「俱利伽羅源平の郷」より俱利伽羅山を往復した。今日は一人なので3回目で4年ぶりの「元取山」にした。令和元年三山目。前回までは「ヒトリシズカ」の花が見られたので、期待したいがもう終わっているかなー。 場所はよく覚えていなかったが、見当をつけて走っていたら、上手い具合に高岡市福岡町加茂の、登山口の標識看板に出た。山に向かって入り込み、突き当りの、前回と同じ丸い砂防ダムの前に車を置く。11.00時。手前の「雲龍寺石塔・袋谷の滝」の標識を写していたら、畑仕事の男性が手を留めて、鴨城や雲龍寺の由来や、この近くで争われた戦国時代の戦について語ってくれた。雲龍寺石塔・袋谷の滝は、通行止めになっていてまだ寄ったことが無い。帰りに通る予定。横穴墓群の方へ登り出す。 横穴墓は26基確認されているとの事。周りに「ヒトリシズカ」が多く生えているが、花は一つもない。 花はとっくに終わったみたいだ。実みたいなものが見える。 「ハナイカダ」があった。この花も珍しい。以前鞍掛山で見た事がある。 葉っぱの上に小さな花が咲いている。葉っぱを筏に見立て、花は船頭さんと言う事らしい。 「にらみ山砦」と云う所に登り着いた。 高岡市の方が見える。左の山は「二上山」である。ヤマップで地図を出したら、元取山にコースは載っていないが、二上山には登山路の記入があった。車で登る山かと思っていたが、歩いても登れる様だ。 本丸の周りをぐるりと回るようにして進む。新緑である。 12.00時に本丸跡に到着。登って来た方が望める。天気が良すぎて霞んでいるが、立山連峰が有るはずだ。 本丸を降りて、元取山の方へ進む。新緑の林を段々と登って行く。 12.30分に狭い「元取山」に到着。色々と地元の人の建てた標識がある。林道へ降りる道がある。 タニウツギ 元取山頂上三角点 ガマズミ 昼食。好展望。誰も登ってこない。 ツユクサ? チゴユリ ワサビナ? 登って来た方へ戻り、鴨城下の最低鞍部より下山を始める。バッパショウズと云う、城の水源地がある。 分岐を袋谷の滝・雲龍寺跡の方へ降りだす。以前は工事中で進入禁止になっていた。体力に自信の無い方は降りないで下さいと書いてある。 下のの谷迄降りるようで、急坂になった。ロープが下がっている。谷状の道は水が流れてドロドロ。ロープにつかまり恐る恐る降りる。 底まで降りると右側に小さい2mほどの流れが落ちていた。これなの?エッと思ったが、さらにその下に広場があり「袋田の滝」があった。水が少なくて迫力が無く、想像に反して小さい滝だった。 滝から少し降りると「雲龍寺跡」に出た。800年ほど前に雲龍寺が建てられたらしく、その250年後に建てられた「供養塔・無縫搭」だけが残っていて、鞘堂に収められている。土砂崩れで永い間土の中だったが、平成11年掘り出されたと書いてある。雲龍寺自体は今から300年ほど前に、前田利長により、金沢の八坂に移転したと書いてある。金沢の何処だろうと調べていたら、能楽堂の近くだった。今度ちょっと覗いて来ようと思う。 雲龍寺跡のすぐ下が、車を置いた出発点だった。下に置いた車が見えてきた。13.50分に車まで到着。 2015年04月21日(火)2回 墓群-鴨城-「元取山」-林道-島倉町 S女史の娘さんが、連休に出産のために戻っていらっしゃるらしい。小さい子供もいるので、おばあちゃんは大忙しになって、山歩きどころでは無くなるらしい。秋まで登山中止のの予定のようだ。今日だけ空いているので、どこかを歩こうと云うので「元取山」へ「ヒトリシズカ」を見に行く事にした。彼女はまだこの花を見た事がないようだ。 高速金沢東ICを降りて国道8号線を走る。富山県に入り「道の駅メルヘンおやべ」で一休み。ここより県道32号線を走る。近くに「アウトレット」が出来るようで工事をしている。福岡町加茂の集落の、前回のさらに奥の場所に車を置く。環境を考えた丸い砂防のダムの前の広場に車を置く。10.40分。直ぐ横に登山口がある。「加茂横穴墓群・鴨城跡入口」の標識がある。少し登るとすぐ横穴墓群があり、「ヒトリシズカ」が咲いている。去年とは少し小さい花が多い。ちょっと時期が早いのか。 カキドオシ シャガ ネコノメソウ チゴユリ ヒトリシズカ にらみ山砦より、二の丸経由で鴨城本丸跡へ到着。11.35分。コーヒータイム。 東の方に少し展望あり。頂上に向けて出発。 キランソウ ユキツバキ イカリソウ 三角点のある「元取山」頂上に到着。12.30分。昼食。 記念撮影。 小矢部のクロスランド 稲葉山の風力発電のプロペラ。下山は今回は鉄塔の方へ降りる。 鉄塔の近くで林道に合流。林道を降って行くと分岐標識に出た。雲龍寺由来の看板がある。標識の雲龍寺方面がガムテープで消してある。道は荒れてはいるが昔ながらのU字坑みたいな登山路が続いている。構わずに入り込む。 途中に「神明宮跡・岳山砦・武家屋敷跡」の標識があり、入り込んでみたが段々と道が不明になり戻る。 「ホウチャクソウ」 「片山大道登り口」の標識に出た。加茂町の隣の「鳥倉町」だった。13.45分。14.00時に車を置いた地点に戻り着く。 この後、赤祖父山」登山口にある「天然福寿草自生地」に福寿草を見に行った。林道は小石がごろごろしていたがなんとか通る事が出来た。花は咲いていたが天候がよくならず、蕾ばかりだった。 ●次項2015年27回登山は、4/22福井県「一乗城山」へ● |
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2014年04月15日(火)1回 墓群-鴨城-「元取山」-墓群 先頃の、新聞社の雑誌アクタスに「元取山」が載っていた。そのうちにと思っていたら、相棒K君がもう登ってきたと云った。低いけど良い山だよと云った。調べたら地理院地図に、山の名前がちゃんと載っていた。三角点もあるようだ。 初夏のように天気が良い。相棒に負けてはいられない。さっそく出かける。鴨城址と云うので、高岡市福岡町加茂を目的地に、ナビを頼りに走ったら、国道8号線のおやべの「道の駅メルヘンおやべ」の先の、信号を左折し県道32号に入る。稲葉山の麓を走り、「三日市」信号を左折すると「加茂」の集落に着いた。 山裾の加茂の集落を走ったら「案内図」を見付けた。 すぐ横に「加茂横穴墓群・鴨城跡入口。雲龍寺石塔・袋谷の滝入口」の標識がある。山に向かって入る道があるので、入り込んで広い所に車を置く。靴を履き、ペットボトル一本持って歩き出す。10.10分。 道は二つに分かれ、右の「横穴墓群から鴨城址」に進む。堰堤脇の登山口に、鴨城跡へ25分・元取山頂へ40分と書いてある。 登り始めると、春が盛りなのを実感する。 ムラサキキケマン シャガ スミレ ヒトリシズカ ミヤマシキミ 特に「ヒトリシズカ」。いっぱい咲いている。私はあまり他で見掛けたことが無いので感激。 横穴墓は、26基確認され、6世紀から7世紀のものらしい。10.20分。 墓群をのある急坂を登り切ると分岐地点。直進すると「にらみ山砦」から「鴨城跡」へ。左に「バッパショウズ経由で鴨城本丸」へ。 10.30分、にらみ山砦に登り着く。ここから空堀の跡を通って、本丸跡を目指す。木々が少し芽吹きだしている。ツバキの大きい木が多く生えている。 ショウジョウバカマ モミジイチコ ? 10.40分に鴨城跡に到着。本丸の在った所らしい。青く塗ったベンチがある。平野が少し望める。 ここから尾根伝いに「元取山」の頂上を目指す。一度降って上った所が、頂上かと思ったら「元取山砦」のピークだった。さらに登って行く。 ツバキ オウレン イカリソウ 11.00時に頂上到着。尖った地点で狭い。その代り展望は抜群である。元取山遠望の漢詩の看板。鴨城散策道案内図の看板。この看板はビニールに覆われ紐が掛けてある。日本国内のモトドリ山の看板。モトドリ山は全国で5山あるらしい。元取山の御影石の碑は福岡町鳥倉となっている。登り口の加茂の、隣の集落である。標高は195.8mとなっている。三角点と10㎝高くなっている。
頂上の先に鉄塔が見える。巡視路が降りて行っている。林道まで降りられるようだ。 左の方に「二上山」が見える。 「立山・剣」が見えるはずだが、霞んでいる。 右の方に「クロスランドおやべ」の、高い塔が見える。 頂上に居たら、鉄塔の方から人が登ってきた。北電の作業服を着ている。鉄塔を巡視中らしい。今日遇ったただ一人の人。鴨城址と元取山の鞍部まで戻り、谷の方へ降りる。バッパショウズの水場を通る。11.30分。 「袋谷の滝・雲龍寺」を通って降りる予定だったが、立入禁止になっている。覗き込むと「危険・体力に自信の無い方は、この道を通らないでください」の立札が見える。11.35分。 地図を見ていると、この道が通れないと戻れないはずだが、山肌をずーっと回り込んで道が続いている。 やがて横穴墓群を登り切った地点に出た。登ってきた道を降りて、11.55分に車に到着。 ヘビイチゴ カキドオシ ハタザオ? ヒメオドリコソウ タンポポ 水芭蕉(キャンプ場) 帰りに山裾を走っていたら、「とやま・ふくおか家族旅行村・五位キャンプ場」に迷い込んだ。写真の水芭蕉だけは、その途中の山際に生えていた。展望台があったので登ってみた。下に「五位ダム」のダム湖が広がり、ロッジ山ぼうしが見える。遠くに白い山並みが見える。雲かと思ったが、立山、剣、などが識別できた。 本丸跡の看板。 帰ってから、鴨城本丸跡に在った看板を眺めていた。加茂入り口から入り、⑦-⑧-⑥-④と登り、⑤を通って降りる予定だったが、⑤の手前で通行止めになっており、⑦と⑧の間に合流した。 ●次項2014年27回登山は、4/19「揚原山」へ● |