2005.04.より登山順
[加賀] 権殿山 224 m (金沢市北方町)107 [加賀] 松根城山 308 m (金沢市松根町) [加賀] 梨ノ木平山 263 m (金沢市・小矢部市) [富山] 枡山 279 m (小矢部市五郎丸) |
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第5回 2024.06.26. 内山町より「松根城山」を往復。 第4回 2021.06.09. 内山峠より「松根城山」。小原越で途中まで一周。帰りに「切山城跡」散策。 第3回 2021.05.26. 内山峠より「梨ノ木平山」と「枡山」を往復する。田近越の古道らしい。 第2回 2019.06.29. 「松根城山」を散策する。3等三角点あり。 第1回 2009.12.12. 「権殿山」へ藪漕ぎで登る。2等三角点あり。 第1回 2009.12.12. 「松根城山」を散策する。3等三角点あり。 |
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2024年06月26日(水)5回 内山町より「松根城山」を往復 歴史の道百選に選ばれている「小原越え古道」にある「松根城山」を歩く事になった。地震で国道359号線が不通になっていたが、ごく最近通れるようになった様だ。これで内山峠から歩けるようになった。金沢のAさんの車と森本IC近くのコンビニで合流し、内山峠のトンネルを抜けたら、まだ工事中で予定していた広い空き地が工事用車でいっぱい。通り過ぎて途中で引き返し、トンネル手前から内山町に降りた。この道は前回歩いた事があるので知っていた。 内山町も過疎の町で空き家が目立つ。そんな空き家の前の、広い空き地に車を置かせてもらう。10.20分。 靴を履いてそのまま町の中を登って行く。空き家が多い。 アジサイの満開の頃だ。 十字路に登り着く。「歴史の道・小原越」の案内板がある。「人母岐路(百見坂)」と云う場所らしい。小原越旧道は、今は林道になっている。 この分岐の檻にイノシシが暴れていた。帰りには檻の中で寝ていた。麻酔銃で討たれたかな。 林道になった旧道を、松根城跡の方へ登って行く。「力餅ち地蔵」の標識。 放置された梅林がある。梅の実がふらふらと生っている。もったいない。 ヨウシュヤマゴボウ オカトラノオ トリアシショウマ 穏やかな車も通れる道、旧道が林道に飲み込まれた。 能登の方へ紅白の鉄塔が続いて居るのが見える。 道の横に、その送電線に続く鉄塔があった。「能登幹線106番鉄塔」。この近くから旧道が残っているので入り込むつもりだったが、分岐が草茫々で標識も無く、見逃した。 車道の分岐に出た。前回は内山峠から降りて来て、ここから城跡に入った。 分岐を入ると四ツ辻に出る。ここが「松根城跡」への入口。 こちらが旧道の入口。反対側は松根城跡駐車場。直進すればゴルフ場へ降りる。 松根城跡駐車場。トイレあり。案内板。この松根城は越中側の「佐々成政」の城。この先の加賀側の切山城の「前田利家」と睨み合っていた。 「歴史国道・俱利伽羅越」。脇道の「歴史の道・小原越」「歴史の道・田近越」「歴史の道・二俣越」の4本の道が載っている。 階段から松根城跡に登り出す。11.15分。 手入れがしてある。 何処が見えるのかな。 本丸跡に登り着く。 金沢市街の方が開けて見える。 一番高い所に「3等三角点・点名は内山・標高308m」がある。 越中の方面。小矢部のクロスランドタワーが見える。晴れていれば立山が見えるらしい。 壊れかけのベンチをテーブルにして昼食。いろんな美味しいものが出てくる。有難う御座います。老人は歩くのは遅いですが食欲だけはあります。12時。 金沢市街。県庁と新聞社ビルが見える。金沢の方から涼しい風が吹き上げてきて気持ちが良い。 今日の「松根城山」の登山者は我々3人3人のみだな。 昼食を済ませて、松根城跡を一回り。二の丸。 三の丸。 戻って、空堀・土塁 の跡を歩く。 大堀切。 チェリーゴルフ場。向かいは医王山。 馬場跡のあずま屋。 登ってくる予定だった「小原越旧道」を通って帰る。 この辺りだけが昔のまま残って居る様だ。 この辺りが一番高い地点だから「松根峠」だな。 深く凹んだ旧道を降りると、歩いて来た林道に戻った。合流部分だけが藪になっていた。 ヘビイチゴ ヒルガオ ムラサキシキブ ガクアジサイ 人母岐路まで戻ってきた。直進して小矢部の方へ進む。林道だがこの先所々に旧道が残っているらしい。 前回よりももっと奥まで歩いてみたが、特に遺構らしいものが無いので戻る事にした。 同じ道を戻って車を置いた空き地迄戻ってきた。14.15分。 ■次回登山は、6/29「三方岩岳」へ■ 2021年06月09日(水)4回 内山峠より「松根城山」と「切山城跡」 令和元年に加越国境の「田近越・小原越・二俣越」の三本の古道が「国指定・歴史の道百選」にまとめて追加認定された。先日歩いた「梨ノ木平山・枡山」は、はからずも「田近越」だった。今日は「松根城跡・切山城跡」と「小原越」を少し歩きに来た。 「松根城跡」は車でゴルフ場の方から登った事がある。今回は内山峠の方から歩いて登る予定。調べていたら「歴史国道・小原越」は、金沢側に「切山城」と「松根城」があり、峠を越えて小矢部市まで続いているらしい。内山峠に着く前に「切山城跡」に寄ろうと思ったが、地図に載って居なくて場所が判らない。とりあえず森本ICで降り、国道304号線の高坂町から、高速の下を通り松根町に通ずる道に入った。この道の何処か近くに切山城があると思われる。何か案内板でも無いかと走って居たら「史跡・加越国境城跡群及び道 小原越」の石碑と案内板を見付けた。案内地図を見たら切山城址はとっくに通り過ぎているようだ。この横の道を入ると昔の古道が残っているようだ。「国史跡・加越国境城跡群及び道」は、2015年指定と書いてある。「歴史の道百選」指定の前に「国史跡」にも指定されているようだ。 ナビ頼りに松根町を抜け、内山峠富山県側の、この間と同じ駐車場に車を置く。10.00時。 スノーシェルターの横に林道がある。「松根城址入口これより1.4kmの標識がある。鉄塔は「能登幹線№104号」と思われる。 しばらくで、学校の廃墟らしきものの前を通過。 林道は舗装してあり車通行可。 「能登幹線№105号」の鉄塔巡視路の入口がある。ここから入ると頂上は近そうだが、また藪漕ぎかもと考えて入らず。 「能登幹線№106鉄塔」の見える峠の上から、戻るように右に登る林道に気いる。 十字路に到着した。ここは見覚えがある。向かい側のゴルフ場から車で登って来た。松根城址の方へ進む。 突き当りが「岩根城跡」の登り口である。ここにも「史跡・加越国境城跡群及び道 松根城跡」の石柱と案内板。一帯は園地になっておりあずま屋やトイレがある。 階段を登り、本丸の方へ進む。 よく手入れがしてある。 本丸跡に到着。 案内板「本丸は岩根山頂にあり、山腹を空堀が取り巻く典型的な中世山黒」
東の方面、「能登幹線№105号鉄塔」。向こうにかすかに平野が見える。 アップにすると小矢部市らしい。右の方に見えるのはクロスタワーかな。 誰もいない山頂。ベンチで昼食。頭の上はグミの木らしい。 グミ コナスビ ハハコグサ 西の方は海が見える様だが。 城跡探索。二の丸を通り三の丸跡へ。 空堀を通って城跡一周。 南の方にゴルフ場だ。 十字路まで戻ってきた。ここから小原越の古道を少し歩く予定。松根町からゴルフ場を通りここまで続いている。ここから松根峠の方へ進む。 少しの登りですぐ「松根峠」通過。段々と下って行く。この辺りは古道の雰囲気が残っている。 この尾根道は小原越で気分が良い。 気分の良い道は、内山峠からの林道に吸収される。「能登幹線送電線鉄塔№106」のそばを通る林道歩きとなる。 小原越古道は林道になるが、静かで気持ちの良い林道だ。 ササユリ ウツボグサ 林道の両側に「ウメ」の植えてある所を通る。実がいっぱい実っている。 四ツ辻に到着。案内板があり「歴史の道・小原越 人母岐路・百見坂」と書いてある。左に降りれば内山町である。この先小矢部までの小原越は遠いので、今日の目的地は、この先の道の横のピークの「三角点」まで行くつもり。 林道を直進し、左側の小さいピークに三角点マークがある。 藪は薄くて三角点はすぐ見つかった。
満足して戻り始める。「人母岐路」まで戻り、内山集落の方へ降りてゆく。 過疎で人の住んで居ない家を見かける。 道端の石仏。 車道一本道で、車を置いた国道に戻ってきた。 国道に着いたらそこは駐車場の前だった。 この後、朝見逃してきた「切山城跡」を探しに行く。国道359号線で戻る。 国道359号線と国道304号線の分岐辺りに「桐山町」がある。「切山城跡」があると思われる地区の近くで、関係があると思われる。何か案内板が無いかと通りすがら探したが何も無い。国道304号線に戻り高坂町まで来たら、パトカーの停まっている派出所があった。女史に城山城への道を聞いていてもらう。朝と同じ道で良かったのだ。 高坂町から高速自動車道路の下を通り抜け、堀切町の方へ登って行く。スノーシェルターを通り抜け、明るい地点に出た所に、鋭角左後ろの方に林道が分岐している。道が広いので車を置く。林道は鎖がしてあり車は入れない。鋭角の分岐で見逃していた。地理院地図に実線の道が載っている。 「造林作業道・オトシの坂線」の標識があるが、「切山城跡」に関しては案内板は無い。 林道を荷物を持たなくて歩いてゆく。 「史跡・加越国境城跡群及び道 切山城跡」の石柱と音内板があった。ここから城跡らしい。 右側が城跡らしいが登り口が無い。登れるところを探して前へ進む。 右側が段々と低くなってきて、テープのある地点から戻るように山中を登って行く。 草は刈ってあり藪では無いが、案内標識などは山中に一切ない。 ここが一番高い地点である。 切山城に「前田利家」、松根城に「佐々成政」がいてにらみ合っていたらしいぞ。 車道に置いた車が見えてきた。 ■次回登山は、6/18加賀「和田山-末寺山・秋常山」へ■ 2021年05月26日(水)3回 内山峠より「梨ノ木平山」「枡山」往復 最近は石川・富山の、県境辺りの、知らない低山探して徘徊している。今日は県境の「内山峠」から県境を歩き「梨ノ木平山」と「枡山を往復する予定。しばらく単独徘徊が続いたが、今日はいつもの付添い人がいる。 国道359号線の、石川富山の県境「内山峠」の、トンネル・スノーシェードを出た所に駐車場があった。振り返るとトンネルが見え、送電線鉄塔が見える。トンネルの横に道があり「松ヶ根城跡」に行けるらしい。9.30分。 駐車場の後ろの山が県境で送電線が通っている。その送電線巡視路を歩く予定なのだが、その巡視路登口が判っていないので不安だったが、なんと!車の横の荒れた作業道に「能登幹線№103」の巡視路登り口の標識を見付けた。ラッキー。 荒れた作業道を登って行く。地理院地図にこの道は載っている。 少し歩くと左に鉄塔巡視路の分岐があった。標識№103もあり鉄塔の方へ登る。ササを刈った跡がある。 キジムシロ ? ヘビイチゴ ? 送電線鉄塔№103号を通過。登って来た方に矢印で「№104号」の標識があるから、トンネルの上辺りの鉄塔が104号らしい。 「能登幹線102号」の方へ進む。 尾根歩きとなる。巡視路は整備してある。 次の「102号鉄塔」が見えてきた。 「能登幹線№102号」鉄塔通過。ここも展望無し。 続いて分岐に出る。「鉄塔№101号」は左に降りてゆく。登山道は右に尾根の上に登って行く。 鉄塔巡視路と別れたので、少し荒れた感じになるが、この登山道も笹を刈った跡がある。 10.35分。なだらかな杉林の中の「梨ノ木平山」に到着。展望無し。標高263m。金沢市と小矢部市と津幡町の境界線に山はある様だ。 すぐ横に「皇太子殿下御成婚記念・昭和34年」という石柱がある。それ以外に何も無い。 満開のヤマボウシの木があるだけだ。 ここから梨ノ木平山を下って行く。巡視路と比べると少し藪っぽい感じだが、歩くには問題ない、 林道に降り立った。ここが五郎丸登り口で、「梨ノ木平山・田近越」の標識がある。田近越とは歴史の道百選と書いてある。今歩いて来た道は「田近越」のり道らしいぞ。 左の方へ林道を進む。 分岐に出る。舗装道路。左へ降りてゆくと常徳町に出る様だ。 そのまま直進し舗装道路を登り切って、一番高い地点に、Uターンするように林道が分岐している。ここが尾根道の続きとなる。 ガマズミ ウツボグサ エゴノキ 右手が開けた。何処が見えるのか。 医王山?。 今日は朝から、人とも車とも出遇わない。 「一乗寺城址」の大きな碑に出た。ここから城址になる様だ。 左の高みが城跡らしいな。この道も田近越らしい。 左に城跡に登る道があった。 「一乗寺城跡・枡山頂上」の標識がある。ここが枡山頂上である。標高279m。住所は小矢部市五郎丸になっている。梨ノ木平山より枡山の方が少し高い。展望がある。昼食。 左が「秋葉山」だな。遠くに「二上山」だな。 小矢部の平野が広がる。 ハコベ 小さいスミレ マムシグサ マムシグサ、青い。 ギンリョウソウ 同じコースを下山開始。「田近越」という昔の裏街道らしく、急坂が無くて老人でも歩きやすい。 №103鉄塔まで戻り、下に降りなくて直進して内山峠の方へ降りる道が無いかと入り込む。 初めは踏み跡があったがその内にあやふやになって来た。ようやく内山峠のスノーシェードまでたどり着いた。石川県側のトンネル入り口の方へ降りる急坂がある様だ。反対に富山県側の車を置いた方へ上がって行く道らしきものもあった。そちらに入り込む。 その内に完全に道が無くなった。戻るのもシャクだから藪漕ぎに決定。本当のササ藪でなかなか手ごわい。地図にある池の近くに出たが、周りが急斜面でヘタをするとボチャンとなりかねない。右に遠回りだ。 随分と時間が掛かったが、駐車場のすぐ近くの場所に滑り落ちた。ここから登りここへ降りる事。内山峠の方へ進むと道があやふやだぞー。この年の藪漕ぎは止めた方がいいね。 ■次回登山は、5/30津幡町「殿山・甲斐崎山・城の峰」へ■ 2019年06月29日(土)2回 松根城跡を散策「松根城山」 昔の山友、91歳のKさんと近くをドライブ。津幡町の「石川県森林公園」をぐるぐる回る。広くて全体図が頭に入らない。 どこかの広場で「抹茶休憩」最近の山歩きに持ち歩いている道具で、ポットのお湯で抹茶を点てる。 そのあと、思い出して「松根城跡」に寄ってみる。10年ぶりだ。 確か頂上まで近いはずだ。 すぐ本丸跡に着く。「松根城跡」の古い石碑がある。 一番高い所に「三等三角点」があり、ここを松根城山の頂上としている。
石川県側の海の方と、富山県側の小矢部市方面が見えるが、木が茂っていてあまり良く見えない。 友達とランチして帰る。 ■次回登山は、7/5「西山」へ■ 2009年12月12日(土)初登山 「権殿山」へ藪漕ぎで登る 野田山から山側環状線を走り、森本インターで降り、国道304号線を福光の方へ走り、古屋谷の信号を右折して、北方町に着く。林道の取り付きが判らず、村の前の林道に入ったが、ナビに写る「権殿山」が段々遠くなるので戻る。今度は村の中を通り抜け、突き当りを右折して林道に入る。段々畑が綺麗。 村を抜けてしばらく行くと、権殿山林道の標識があった。林道に入ると舗装はしてあるが細い。用心してそろそろと登って行く。 1キロほど走り、左に急カーブする地点に、駐車地点を見付けた。大体峠の上みたいな感じだ。カーブの突端に切り開き見たいなものがある。木の枝二本で止めてある。10.30. この枝をまたいで切り開きに入る。しばらくで藪漕ぎ状態になるが、赤い大きなテープが次々と続いている。この赤テープを頼りに頂上を目指す。7.8分でなだらかな頂上の笹の中に三角点を見付けた。
雑木林の中の笹原の真ん中が、ポッカリのと開いていて三角点が鎮座していた。赤いテープが無いとちょっと判らない。天気が悪くて周りは見えないが、二等三角点になっているのは、展望が良いのだろうか?。 ところで、下から続いていた赤いテープは、まだ先まで続いている。行ってみたら、30mほど降ったところに祠の痕跡があった。国土地理院の地図では、頂上の横に鳥居マークが大きく載っている。大きな社が建っているのかと思ったら何も無い。どうやらこれがその社跡らしい。 赤いテープがここまで続いていたし、供え物をした跡も在る。誰かが信仰しているらしい。地図には林道より谷沿いに登山路が書き込まれているが、今は無いようだ。権殿と言う地名はこの祠と関係があるのだろう。 色々調べていたら、あるHPに次のように載っていた。「河北郡史によれば、昔山頂に小堂宇あり、権殿の宮、権殿の森と呼ばれた。女が登れば晴天でもたちまち雲が涌き、雨が降ったという」。その後は山城になっていたらしい。 今日は最初から雨模様である。S女史のせいでは無いようだ。すぐ登ってきた道を降り始める。 この後は「松根城跡・松根城山」へ急ぐ。 下の稿に続く。 2009年12月12日(土)初散策 松根城跡を散策する「松ヶ根城山」 権殿山から今度は「松根城山」に向かう。国道304号線まで戻り福光方面へ進んで左折する。松根城址の大きな案内板があった。あとは一本道らしい。 松根町のの手前で右にゴルフ場の方へ右折する。地図には国際ゴルフクラブと書いてあるが、ゴルフ場の名前が変わったようだ。11.40. ゴルフクラブの前が松根城跡だった。駐車場に車を入れる。トイレがあるが早くも閉鎖されている。 早速三角点を探しに行く。広い城址だからどこか判らない。とにかく高いところへ。本丸跡を目指す。200mほど歩くと本丸跡に出た。やはりここが一番高い。広い本丸跡の隅に三角点は在った。本丸の展望案内板によれば、立山、剣が見えるらしい。かすかに小矢部か砺波の町も見える。 西にはかすかに平野が見える。海岸線まで見えるのだろう。
「あずまや」を貸し切って昼食を食べる。少し寒い。 南の方は目の下にゴルフ場が広がる。その向こうに戸室山、キゴ山。医王山は雨雲の中か。 食後、城跡を一回りする。「歴史の道・小原越・松根城址」と書いてある。越中と加賀の最短距離の道だったらしい。その為合戦が何度もあったらしい。この歴史の道を少し歩いてみる。 晴れていれば四方が開けた、まことに良い絶好の展望地である。 |