加賀の里山逍遥
 2005.04.より登山順

[加賀]  二堂山     15m    (小松市安宅町)41
[加賀]  うずまき山   5m (小松市丸の内公園町)
[加賀]  小松城址    11m   (小松市丸の内町)
[加賀]  末広緑地     0.4m   (小松市末広町)
[加賀]  小松七社初詣            (小松市)
第26回 2024.05.08. 自宅より「芦城公園・小松城」往復。
第25回 2024.05.04. 自宅より
「末広緑地公園」往復。
第24回 2024.01.05. 「二堂山」より「住吉神社」-「葭島神社」-「小松天満宮」-「諏訪神社」

第23回 2024.01.04. 自宅より「日吉神社」-「多太神社」-「熊野神社」-墓地。

第22回 2023.11.08. 自宅より「末広緑地公園」往復
第21回 2023.01.02. 小松市役所より「芦城公園」「小松城跡」「二堂山」を往復・

第20回 2022.10.27. 自宅より「末広緑地」往復。
第19回 2022.08.19. 「芦城公園」と「小松城跡」

第18回 2022.01.04. 車で初詣の4社巡りと「二堂山」
第17回 2022.01.02. 自宅より初詣三社巡り。歩行軌跡を💛にするよう歩く。失敗。
第16回 2021.10.23. 自宅より「芦城公園」を散策。
第15回 2021.01.13. 自宅より初詣二社巡り。途中「二堂山」の三角点確認。

第14回 2020.01.04. 自宅より初詣五社巡り。途中
「二堂山」の三角点確認。
第13回 2019.01.0
5601.. 自宅より初詣7社巡り。途中「二堂山。時計の針周り。
第11回 2017.02.11. 芦城公園
「うずまき山」経由、小松天満宮を往復。

第10回 2017.01.01. 自宅より「二堂山」を往復。
第09回 2015.01.03. 自宅より初詣4社と「二堂山」を往復。
第08回 2013.01.03. 自宅より安宅関所の「二堂山」と、天主台「小松三角点」往復。
第07回 2012.01.02. 小松の三角点探しと「二堂山」
第06回 2011.01.03. 小松4社巡り。天主台「小松三角点」「二堂山」
第05回 2010.01.02. 芦城公園
「うずまき山」-天主台「小松三角点」-安宅関所の「二堂山」往復
第04回 2009.01.02. 芦城公園「うずまき山」より、天守閣の「小松三角点」
第03回 2008.01.02. 小松七社巡り初詣。途中芦城公園「うずまき山」
第02回 2007.01.01. 小松七社巡り初詣。途中芦城公園「うずまき山」
第01回 2006.01.01. 小松七社巡り初詣。途中芦城公園「うずま第き山」

  2024年05月08日(水)26回 自宅より「芦城公園・小松城」





 買い物のついでに「芦城公園」から「天守閣」辺りを歩いて来よう。この間出来上がっていた曳山小屋に、西町の曳山が入っていた。この上で子供歌舞伎が演じられる。昨日組み立てた様だ。小松市には曳山が八町内に八基ある。その内当番で二基が子供歌舞伎を演ずる。

 




 張り出してある目録。西町の演目は「辰巳用水民之礎 稲葉左近館之場」。小松の子供歌舞伎は、その町内の女の子で演じられる。少子化で出演子供を集めるのは大変らしい。パンフレットを見ると7人とも女の子だ。凄いね。








 芦城公園が近づいてきたら、公園の入口が曳山小屋になっていた。パンフレットを見ると、曳山は京町の曳山だが演ずるのは「八町こども歌舞伎」となっている。京町だけで出演者が集まらず、八町すべての子供を対象に演者を集めたようだ。しかも女の子4人と男の子1人。男の子は我が家近くの子だった。




 新聞に曳山の組み立ての苦労話が載っていた。倉庫から引っ張り出し組み立てるのだが、しばらく組み立てをしなかったので、組み立て方法を覚えている人が少なく、人手集めもあり大変だったらしい。私の町の曳山は曳山蔵があり組み立てたままで保存している。京町の演目は「旅衣小松緑弥栄 義太夫  勧進帳」である。






 曳山の横を通って公園に入る。手前の松は「江戸の松」。加賀藩三代藩主利常公が、小松に隠居した時、四国讃岐高松藩より送られたアカマツ。








 その先にある「大藤」。もう花の盛りは終わっていた。







 「ノダフジ」樹齢210年。日本有数の大藤とか。

 







 
 ノダフジを見ながら築山に登る。







 築山の反対側に池がありカキツバタが咲いていた。









 桜池のカキツバタ。







 大きな鯉が泳ぐ。









 桜池







 今度は赤い橋へ。









 橋を渡り中之島へ。







 中之島の「アカマツ」。樹齢200年。








 雁行橋でうずまき山へ。








 うずまき山の「芦の滝」。








 あずま屋。








 「うずまき山」登頂成功。標高5.4m。玄庵の方へ下山。







 茶室「仙叟屋敷 玄庵」。利常公隠居してから裏千家4代宗匠にお茶を習ったらしい。








 茶室から裏へ出ると小松高校。我が母校だが敷居が高い。







 学校の中を通れば近いのだが、丸の内町の中を通って運動場近くから遊歩道に入る。








 小松城本丸跡の碑。芦城公園は小松城の三の丸に当たる。







 天守台の跡に出る。加賀藩三代藩主利常公は、自分の隠居に当たり、幕府の許可を得て全国から名工を集めて、城を整備したらしい。







 この天守閣もその時に造ったらしい、裏から登る。階段が摩滅して危ないので柵の付いた階段が出来ている。







 天守台の上に「2等三角点・点名は小松・10.7m」がある。小松を代表する三角点である。








 安宅の「二堂山」が見える。








 山の方は小松市役所。晴れていれば白山が見える。








 満足して戻の始める。天守台の石垣は地震でも大丈夫だったようだ。







 学生時代に昼休みにいつ間ここまで遊びに来ていた。石の色も考えて積んであるとか。








 小松市役所まで戻ってきた。








 市役所も公園の内だったらしい。金沢城と兼六園よりも小松城の方が遥かに広かったらしい。







 お酒屋さんで祭の神輿に奉献する酒一本求めて帰る。途中の本光寺の前の案内板に「1473年、蓮如上人から直節授かった、親鸞聖人絵像が伝わる」との事。小松に住ながらあまり良く知らないのは情けないね。




     ■次回登山は、5/14「箱屋谷山」へ■


  2024年05月04日(土)25回 自宅より「末広緑地公園」往復




 昨日は鳥越城山を歩いた。今日も天気が良い。急に思い立ち、白山の見える「末広緑地公園」を往復してきた。13.50分。自宅より歩き出す。昨日隣町の西町に何かを建てているなと思っていたら、小松の「お旅祭」に出る、子供歌舞伎の曳山の安置所だった。曳山の上で子供歌舞伎が演じられる。








 当町のお肉屋さんの前に「お旅祭り」のポスターが張ってある。「長男・龍汰 八町こども歌舞伎で」と書いてある。出演されるようだな。










 芦城小学校前。我が母校。右へ大通りへ進む。








 ツツジが奇麗。








 九龍橋川横公園。九龍橋川は小松を南北に分ける川。国道に沿って流れている。川の両側に公園がある。ここは川の南側の公園。






 九龍橋川は今では排水路のような川。昔は舟が行きかった。対岸に小松琴平神社。道路の先は兎橋神社。









 兎橋神社は芭蕉が訪れている。大きな松は「義経祈願・牛若松」という。







 しばらく国道を歩き交差点を左に折れる。ここにも自転車・歩行者専用の道で、末広運動公園の方へ進む。







 ここも園地の道路である。








 末広体育館の横を通る。








 さらにまっすぐ運動公園の外側の道を行く。








 プールの入口。春のモミジ。








 クローバかと思ったが、違うようだ。








 運動公園を抜けると「末広緑地公園」の入口となる。







 和風庭園。








 あずま屋。








 和風庭園。








 芝生広場の手前の洋風あずま屋で一休み。








 芝生広場を抜け、駐車場を通ると、終点のモニュメントが見える。







 登り切ると今日のお目当ての「白山」。









 白内障の手術の為、先月に2度入院した市民病院。その上辺りの「大笠山」と「笈ヶ岳」






 白山はだいぶ雪が消えた。新聞に雪形が現われたと載っていた。









 富士写ヶ岳







 鞍掛山と小松ドーム。









 公園には戻らず、農道を歩いて戻る事にした。







 田植えしたばかりです。荒らすと叱られますよ。









 小松の最高峰「大日山」







 白山が良く見える地点だ。









 小松市民病院の横から正面へ。







 末広運動公園のふわふわ。









  本覚寺まで戻ってきた。もう自宅だ。





    ■次回登山は、5/5「加賀海岸自然歩道」へ■


  2024年01月05日(金)24回 「二堂山」「初詣4社巡り」



 能登地震が大変だ。テレビを見ているだけで、気が変になりそう。昨日に続き今日も神頼み。小松市の初詣7社巡り、残り4社へ。今日は車で安宅の「住吉神社」へ。14時に参道の駐車場到着。






 すぐ横の梯川河口の土手道路に出ると、住吉橋の上に「白山」が大きく見えた。









 住吉神社の表参道を登る。

 






 初詣4社目。住吉神社。









 勧進帳を読む弁慶像。ここは歌舞伎「勧進帳」の舞台となった所と伝わる。







 参拝して神社の裏の「安宅の関」に行く。与謝野晶子の歌碑「松立てる安宅の沙砂その中に清きは文治三年の関」







 トベラの実が弾けている。









 「安宅關阯」の碑。









 地元の作家「森山啓」の文学碑。







 文学碑の横からまっすぐ松林の中を進むと「3等三角点・安宅・15.4m」がある。ここが「二堂山」の頂上である。松林の中で展望無し。

 






 浜辺に降りる。ここにも駐車場がありトイレがある。







 「勇智仁.勧進帳」の銅像。義経・弁慶・富樫の三人。地元作家、津賀田勇馬・伯馬の作。







 車で移動。大川町、梯川の南岸。初詣5社目「葭島神社」。江戸時代の文化財本殿。








 倒れた石燈篭。








 小松城鎮守の稲荷大明神を合祀しているので「稲荷神社」







 続いて梯川を渡り対岸の天神町「小松天満宮」。
初詣6社目。ここも石鳥居が危なく、下を通れない。








 天満宮の石燈篭の倒壊が多い。我が家の一つある石灯籠も余震で今朝になって倒れていた。







 ほとんどの灯篭が倒れている感じだ。本殿は雪囲いがしてあり無事のようだ。








 町中まで戻り、初詣7社目は浜田町の「兎橋神社」、通称諏訪神社。芭蕉も訪れた。







 ここも灯篭が倒れている。









 小さなウサギが並ぶ石燈篭も倒れた。







 お詣りして社殿の左後ろに廻ると「義経祈願・牛若松」がある。








 ここから我が家までは近い。早く能登地震が収まりますように。







           ■次回登山は、1/11「椿山」へ■


  2024年01月04日(木)23回 自宅より「初詣3社巡り」



 今年の年賀状。年末の12月28日は亡妻の20回目の命日。その翌年から山歩きを初め、このホームページを書き始めた。男やもめの元日、能登の大地震で腰が抜けそう。いろんなものが落ちて壊れて被害が出た。両親の遺影と共に飾ってあった奥さんの額だけが、おちて壊れてガラスが割れた。日頃おっぼらかしで怒って居るのかな。87歳になりそろそろ山歩きもあぶなくなってきた。大波乱の年が始まった。




 家の中を掃除していて、外に出るのが怖かったが、初詣を兼ねて「小松の七社初詣」の内、三社に詣でる事にし、ついでに小松墓地の自宅の墓を見てくる事にして、14.50分に家を出る。我が家の前は昔の北国街道、芭蕉が歩いた道である。南に向かう。「本光寺」の前を通る。大きなお寺。22歳の時サークル仲間と白山に登った。お寺のお嬢さんも参加していたハズ。私の4回目の白山だった。懐かしいね。







 本光寺の少し先、道の反対側に「日吉神社」がある。初詣1社目。我が家の氏神様。








大きな石の鳥居。時々余震があり危ないので通行禁止。建物の横からすり抜ける。







 参道途中の赤い鳥居は、「一二三会(ひふみかい)」が、初老記念に奉納した。昭和12年13年生まれが該当し、私も会費を納めた。








 「日吉神社」。今年もよろしく。








 神社の左に廻ると「芭蕉留杖の地」の碑がある。芭蕉がこの神社で句会を開いている。







 北国街道に戻り進むと「本折地蔵堂」がある。芭蕉翁宿泊地(龍昌寺跡)」と書いてある。








 さらに進むと「多太神社」に出る。初詣2社目。









 「兜の碑」がある。八幡さんの兜と呼ばれる社宝の兜。源平の戦い、篠原で白髪を染めて戦った平家の老将「斎藤実盛」の着用した兜。木曽義仲が当社に奉献した。国の重要文化財になっている。






 「松尾芭蕉」の像。芭蕉が奥の細道紀行の時、この兜を見て俳句を詠んだ。























 むざんやな 兜の下の きりぎりす

















 「斎藤実盛公」の像もある。鏡を持っている。戦いの前に髪を黒く染めた。篠原古戦場に「首洗い池」や「実盛塚」や「鏡の池」が残っている。




 芭蕉がこの神社を訪れたのが、元禄2年の7月で、もう三百三十年以上前の事らしい。















 謡曲「実盛」と多太神社という「謡曲史跡保存会」の立札がある。実盛が主人公の謡曲で太鼓物である。何度も舞台を勤めた事がある。














 境内のこの社殿は「松尾神社」である。今までは「松尾大社・京都」の系統の神社だと思っていたが。多太神社の松尾神社は「松尾芭蕉」の松尾神社かも知れないと、思ひ当たった。
 







 さらに北国街道を進むと「熊野神社」に出る。今日の、初詣3社目である。







 境内に「イボ池」がある。池の水をイボに付けると取れるという。子供の頃、池の水を汲みに来た記憶がある。イボが取れたという感謝の言葉が張ってある。

 





 今年の年齢祝いの表があった。「米寿・88才・昭和12年生・丑」となっている。私は12年生まれ。自分では来年が米寿と認識していたが、数え年で祝うものらしい。私は今年米寿なんだな。






 ここの神主様の書く大絵馬は有名。龍が書いてあるが、丁度陽が差しガラスに色々と反射して、肝心の龍が見えにくかった。すぐ近くが小松の墓地。我が家の墓が倒れていないか心配で寄る。







 共同の埋葬墓が完成に近い。白山が望める様だ。









 小松の墓地は倒れている墓は見かけなかった。我が家の墓も大丈夫だった。一安心。少し草むしりをして裏通りをトボトボトボトボと帰る。家着は17時。






     ■次回登山は、1/5「二堂山」へ ↑上の項■


  2023年11月18日(水)22回 自宅より「末広緑地公園」往復



 あまりに天気が良いので、日光浴を兼ねて遅くから、自宅より「末広緑地」を往復した。





 小松末広運動公園の前、バラ園に未だ花が残っている。


















 末広体育館の前から、末広緑地に向かう。









 交差点を渡り「末広緑地」へ。昔の古い川を埋め立てた細長い緑地公園。突き当り迄往復しよう。







 日本庭園。









 遊歩道を登り、








 庭園の上を通る。








 あずま屋が見えてきた。








 あずま屋。








 歩道はサイクリング道。








 芝生広場。虎君、タイガース優勝おめでとう。








 芝生広場を横切り、。駐車場を抜けると今日の目的地「展望台」







 白山。今日は立冬との事であるが、白山の頂上に雪が無い。








 白山は頭が白い方が似つく。俺の頭を見習え!








 ベンチに座っても白山が見える。一休みして下山開始、下の車道で戻る。







 白い建物はお世話になっている小松市民病院。昨日も行った。大腸癌摘出手術で5年以上経過しているので、一年に一度の外科。外科先生「一年ぶりですね。相変わらず歩いていますか?。特に悪くなっていないですね。用心のために一年後のCTスキャンの予約を入れときます」。先生一年後に元気でしたらまたお会いしましょう。よろしく。





 途中からまた緑地公園に入る。











 市民病院の前の、末広運動公園駐車場に三角点がある。「4等三角点・運動・2m」護衛のボディーガードが凄い。完全に護もっている。往復4km、なんとか家にたどり着いた。


   ■次回登山は、11/11「八乙女山」へ■


  2023年01月02日(月)21回 小松市役所より「二堂山」往復




 今年初歩き。安宅町の「住吉」に初詣。85才も過ぎると最近は体力がだいぶん落ちた。自宅から往復すると遠いので、今年は小松市役所よりの往復にした。昼12.40分に市役所前に車を置く。今にも雨が降りそう。杖の一本をコウモリ傘に変えて出発。








 すぐ隣の芦城公園に入る。赤い橋を渡る。・








 「うずまき山」に登頂。標高は5.4m。








 続いて隣の小松高校の「小松城跡・天守閣」に登る。







 上は整地されて真ん中に三角点。出発点の市役所が見える。白山は見えず。







 海の方は遠くに、これから登る「二堂山」が見える。









 「2等三角点」
 点名は「小松」
 標高は「10.7m」









 梯川の堤防下。サザンカが咲く。祠に「石仏版」







 石田橋を渡る。橋上より上流方面。









 橋を渡って、梯川の右岸を「二堂山」を目指す。県道の橋の下は強行突破。







 北陸自動車道は下を通れず、堤防を降りて登り返す。二堂山が近づいてきた。
 







 住吉橋を渡ると初詣の車で混雑。直進して神社横手の「関ノ宮」の石柱から松林に入る。遊歩道の分岐の所から柵をまたいで落ち葉の斜面を登る。






 何度も来ているので、一発で三角点に出る。ここが「二堂山」の頂上。









 「3等三角点」
 点名は「安宅」
 標高は「15.4m」









 素敵な山名札あり。







 30mも歩けば「森山啓の文学碑。表に廻って住吉神社に参拝。今年もボケませんように。








 正面参道を降り、帰りは梯川の左岸堤防を歩いて戻る。高速道路下は通れず、堤防を降り、高速道路ガード下を渡って堤に復帰。「前川」の逆水門にかかった橋を渡り、梯川の堤防に復帰。





 「ミズベリングコース」の案内板。私が歩いているコースと似ているぞ。






 石田橋が近づいて来た。小松市役所」も見えるまだ遠いなー。もう足が棒になって来た。



 2023年85才老人初徘徊、前途多難だなー。






                 ■次回登山は、1/8能美市「虚空蔵山」へ■



  2022年10月27日(木)20回 自宅より「末広緑地公園」



 二日前の25日に白山に初冠雪があったと新聞に載っていた。例年より4日遅いとの事である。腰が少し痛くインフルエンザ予防接種を打ったりで、老人は家に閉じこもっていたが、急に思い立ち、「白山」の見える「末広緑地」を往復してきた。昼も廻った14.45分に家を出、芦城小学校。我が母校。








 芦城中学校。我が母校。








 末広運動公園。








 いつも大変お世話になっている小松市民病院。








 運動公園の駐車場横に「4等三角点」「運動公園」「1.95m」。大きな護衛に囲まれた可愛らしい三角点姫。






 市民病院を通り過ぎるし、隣接して「末広緑地」がある。昔の「古川」を埋めたてたので細長い園地。









 脇道に入っても迷う心配は無し。








 和風庭園。紅葉している。








 和風庭園のあずま屋より。








 歩道のサイクリング道。車は入れない。








 芝生広場を抜けて、園地の終点モニュメントへ。モニュメントの下に「富士写ヶ岳」







 「白山ビュースポット」案内板。目の前に「白山」。同じ案内板が「白峰西山」「木場潟」「なかうみ道の駅」にもある。







 「末広緑地展望台」と書いてある。低くても展望台だ。








 白山の右「大日山」「鈴ヶ岳」「兜山」








 市民病院から金沢方面の山。








 セイタカアワダチソウと白山。








 赤い実と白山。満足した。もう帰ろう。








    ■次回登山は、10/1市ノ瀬より「六万山」へ■




  2022年08月19日(金)19回 芦城公園より「小松城跡」





 老人は4回目のコロナ接種をネットで予約したら、芦城公園の近くの病院が取れた。接種を受けて15分の安静時間を過ぎて、そのまま近くの芦城公園へ散歩に行く。「町奉行所跡」は元は小松警察署だった。今は子供の絵本の為の建物らしい。ギャップが可笑しいね。







 突き当りが「蘆城公園」である。小松城の跡で平地なので一面の蘆の湿地が堀の役目をした。


 





 入口の「タブノキ」。樹齢350年。








 三の丸跡の「スタジイ」。樹齢150年。








 図書館前の「明治の松」、日露戦戦勝記念。








 「サルスベリ」








 中の島の「アカマツ」 樹齢200年。








 雁行橋を渡って「うずまき山」登頂成功。








 「千仙叟居士屋敷跡」を通り公園を抜ける。








 天気が良くて久しぶりに「天守閣跡」まで行こうと小松高校前を通る。我が母校で中を通れば近いが外側から周り込む。






 運動場の外側に遊歩道がある。ちょうどお昼で稽古が終わった野球部部員が並んで訓示を受けている。









 「本丸跡」







 運動場の終わりに天守閣の石垣がある。学生時代は昼休みにいつも遊びに来ていた。








 天守閣に登る石段が崩て、長い間登頂禁止だったが、今日は新しい階段が付けてあった。







 久しぶりに天守閣に登った。おー「白山」が見える。








 あちこちの草むらを探し回って三角点を見付けた。「2等三角点」で、点名は「小松」。標高は「10.7m」。小松市を代表する三角点である。









 手前の草むらの中に三角点が隠れていた。小松市役所と白山。

 下山開始。



 ヒルガオ                          ワルナスビ




 ツユクサ           キンシバイ          ツゲ






 「ノダフジ」 樹齢210年。国内有数の大木。











 「江戸の松」 アカマツ、樹齢400年。加賀藩3代利常が隠居した時、四国讃岐高松藩より贈られた。




 注射の後だから、用心しながら恐る恐る休みながら天主台まで行ってきた。老人は満足。


             ■次回は山は、8/21「二曲城跡」へ■


  2022年01月04日(火)18回 初詣四社巡りと「二堂山」



 小松市の初詣七社巡りの内、2日前に三社を周ったので、今日は残りの四社を車で周る。若い頃は自宅から徒歩で七社周ったが、最近は情けないね。






 重い腰を上げて、外へ出たのは15.00時。まず殿町の➍「葭島神社」。午後遅くて参拝者はいない。









 ここは「お稲荷さん」。駒狐。今年もよろしくお願いします。








 すぐ横の梯川の対岸の、❺「小松天満宮」に参る。







 境内に十三重石塔や能舞台、芭蕉句碑や筆塚がある。学問の神様、ボケないようお願いします。

 







 
そのまま安宅町の、❻「住吉神社」へ。







 「安宅の関」のある住吉神社に参拝。今年もよろしく難関を突破させてください。この住吉神社の境内に「三角点」があり「二堂山」として山の本に登録されている。






 神社の裏に回ると、地元の作家「森山啓」氏の文学碑がある。その横からまっすぐ松林を30mほど進むと三角点がある。








 「3等三角点」、点名は「安宅」、標高は「15.40m」。ここが「二堂山」山頂である。








 「安宅の関石碑」を周って、歌舞伎勧進帳の銅像に降りる。義経・弁慶・富樫の三体。







 「トベラ」が赤い実をつけている。



 山裾を周って駐車場に戻る。










 最後は須天町の❼「熊野神社」に移動。







 境内に「いぼ池」。子供の頃この水を汲んできて、イボにつけた。イボが取れるらしい。









 巨大絵馬。ここの神主様が毎年腕を振るわれるので有名。今年は「白山」に「白虎」が二匹。










 時間が遅くて、他に参拝者はいなかったが、拝んでいたら太鼓を打ってくれた。今年も良い事があれますように。





 ■次回登山は、1/8加賀「寺尾観音山」へ■





  2022年01月02日(日)17回 初詣三社巡り



 令和の初歩きは、例年ならば小松の「初詣七社巡り」なのだが、最近は体力に自信がないのと、寒いのは苦手。小松市内の
「日吉神社」と「多太神社」と「諏訪神社」三社を歩いて廻ろう。最近ヤマップを持って歩いていると、歩いた軌跡が地図に残る。ただ歩いただけではつまらないので、軌跡がハート💛形になるように歩いてみよう。老人は変なことを考える。




 寒くてなかなか腰が上がらなかったが、正午頃に自宅を出発。まず本折町の❶「日吉神社」に参拝。ここは氏神様である。赤い鳥居は昭和12-13年生まれ氏子が厄年とかで奉納した。寄贈者の名前が載っている。私の名前もある。ここからヤマップ開始。








 氏神様。今年も、何とか、よろしく。お願いします。








 横に周ると「芭蕉留杖の地」の石碑がある。奥の細道の旅で芭蕉はこの神社で句会を開いている。

 






 日吉神社の裏から出て、小松市運動公園の方へ歩く。市民病院側の運動公園に広い駐車場がある。駐車場の隅に「4等三角点・運動公園・1.95m」がある。







 ビルは「小松市民病院」。今日は正月だが、8年前の正月に市民病院に入院していた事がある。7日にカテーテルで9日に退院した。







 ここから地図を見ながら、ハートを意識して「多太神社」の方へ歩く。「長圓寺」を通る。「蓮如上人御旧跡」の石碑がある。







 
❷「多太神社」はすぐ近くである。









 参道に「松尾芭蕉」の像。奥の細道の旅でこの神社に詣でた。斎藤実盛の兜がこの神社に収められている。







 その時に詠んだ句が「むざんやな 甲の下の きりぎりす」である。
 







 「斎藤実盛」の像もある。鏡を持っている。73歳の実盛は白髪を黒髪に染めて、篠原の戦いで「手塚太郎光盛」に首を取られた。








 木曽義仲は幼少の頃実盛に命を救われた事がある。義仲は実盛の首を洗い、白髪の実盛と確認し、はらはらと涙を流した。







 「多太神社」は日吉神社に比べて、いつも静かである。今年もよろしくお願いします。









 「実盛」という謡曲があり、舞台では太鼓が入る。何度も太鼓方として舞台を踏んでいる。








 多太神社を出て、ここをハート💛の下の、尖がり部分として戻るように、国道305号線をぶらぶらと歩く。久しぶりに陽が差した。久しぶりに歩いたので疲れてきた。






 ハートの膨らみを作るため、郵便局の後ろを遠回り。「本蓮寺」に出た。室町時代の親鸞聖人絵図や梵鐘があるらしい。我が家の近くでいつも車で前を通るが、中は覗いたことが無い。








 続いて➌「諏訪神社」。この神社にも芭蕉は参拝している。「しほらしき 名や小松吹く 萩すすき」の句碑。







 諏訪兎橋神社。今年もよろしくお願いします。









 横へ回ると大きな松がある。








 「義経祈願・牛若松」








 ここから膨らみを付けて、遠回りしようと思ったが、久しぶりに歩いて疲れたので、ハート型は諦めて、まっすぐ運動公園の三角点まで行き軌跡を保存。どこにも寄らず家に戻った。15.20分。






        ■次回登山は、1/4小松の「二堂山」へ■ 上の項です。



  2021年10月23日(土)16回 「芦城公園」散策





  色々と難問題が続き気が晴れない。むしゃくしゃしていても仕方がない。夕方より我が家より近い「芦城公園」を散歩だ。公園入口の「平和搭」。昔は忠霊塔だった。








 隣の「本陣記念美術館」。小松市の銀行家・本陣甚一師のコレクションを中心とした美術館。








 「大藤」の藤棚。公園のシンボル。








 前田利常の居城「小松城の三の丸」跡が、この公園らした。








 三代加賀藩主「前田利常」の像。








 公園隣の、我が母校「小松高校」の運動場の隅に「天守閣」があった。今でも石垣が残っている。








 池に鯉がいる。








 大きな「珪化木」がある。小松市瀬領町から出た珍しいもらしい。








 庭園風に、曲水が増えたようだな。








 茶室「仙叟屋敷・玄庵」。利常と御茶堂との関係で、裏千家家元より寄贈された茶室」








 あやめ池と赤い橋。








 「うずまき山」登頂成功。
















 







 「図書館」







 「「スタジイ」










 「公会堂」と、イ草産業ご尽力の小松町長の松本佐次郎氏像。


 久しぶりの芦城公園だつた。




































■次回登山は、10/24高岡の「清水山-城ヶ平山」へ■












  2021年01月13日(水)15回 初詣二社参り「二堂山」






 大雪が来た。長い間、閉じこもってパソコンばかりしていたら、腰が痛くなった。なんとか今日は荒れない様だ。近くのお諏訪さんに参拝、ここより出発。








 ここより安宅町の住吉神社まで行くつもり。車の轍がある所を歩く。梯川の堤防に上がる。


 




 石田橋を渡って、堤防に轍があったので堤防を歩く。








 城南橋と高速道路の下を通り抜けて、また堤防に上がる。







 住吉橋と「二堂山」が見えてくる。









 トベラはまだはじいていないな。








 住吉橋を渡って住吉神社に参拝。誰もいないな。








 狛犬がマスクをしている。








 参拝をして神社の裏の「安宅の関」跡に行く。あずま屋で休憩。久しぶりに歩いたら疲れたな。







 地元の作家「森山啓」の陽の横から「二堂山」の頂上を目指す。








 碑からわずか30mか40mで3等三角点に到着。石川ふるさと百山という本に、山として選ばれている。







 歌舞伎の勧進帳の銅像から、太い道で、浮柳町に出て、浮柳大橋を渡り、国道をトボトボ歩いて帰る。車道では歩道が除雪してない所が多く、歩くのに苦労する。腰の痛いのに無理をして歩いたら、フラフラになって家にたどり着いた。





























 ■次回登山は、1/17加賀の「木場潟一周」へ■




  2020年01月04日(土)14回 初詣・五社参りと「二堂山」






 例年の自宅より登山靴を履いての初詣。まず「お諏訪さん・兎橋神社」
 









 奥の細道の旅で、芭蕉が詠んだ「しをらしき名や小松ふく萩薄」の句碑がある。




 「芦城公園」を通り抜ける。





 二社目は「お稲荷さん・葭島神社」。小松城にあった稲荷社を合祀したので、稲荷さんと呼ぶらしい。








 梯川の堤防に上がったら、「ミズベリングコース」の案内板があった。こんなウオーキングコースが設定されたらしい。今日はここからこのコースで二堂山まで歩く。







 小松大橋を渡って対岸に渡る。葭島神社と天満宮は、梯川をはさんで相対した地点にある。









 三社目は「天神さん・小松天満宮」。母の実家がすぐ近くにあったので、子供の時から遊びに来ていた。なんだか様変わりしている。






 芭蕉の句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」がある。堤防を安宅町へ向けて歩き出す。









 河口に近づいてきた。安宅大橋が見える。向かいの山は「二堂山」である。


 



 四社目は「住吉さん・安宅住吉神社」。ここはいつも初詣の人が多い。









 神社の裏が「安宅の関」である。歌舞伎の勧進帳、能楽の「安宅」にゆかりの地である。






 与謝野晶子の歌碑「松たてる安宅の砂丘その中に清きは文治三年の関」








 トベラの実がはじいている。赤いのは種らしい。地元ゆかりの作家・森山啓の碑の後ろに入り込むと、30mほどで三角点がある。ここが「二堂山」である。






 三角点情報・「二堂山」
 三角点名・安宅
等級・3等三角点
標高・15.40m






 山から降りると、歌舞伎「勧進帳」の銅像がある。
弁慶と富樫と義経である。



 また梯川に戻って堤防を歩き小松市街へ戻る。





 前川との分岐に逆水門がある。逆水門の上を渡る。だいぶ山が見えてきたが、白山は現れなかった。水鳥が多い。





 小松に戻って、五社目の「山王さん・日吉神社」。この赤い鳥居は我々が初老記念に奉納したもの。一二三会とは、昭和12年13年にうまれた者である。40歳を超えた記念に我々氏子が奉納した。奉納者の石碑を見ていたら、オリムピック組織委員長会長の森喜朗の名前がある。学年は私より一年上のはずだ。









 この神社では、芭蕉が句会を開いているので石碑がある。


 2万歩越で、ちょっと疲れた。



           ■次回登山は、1/6「鷹落山へ■




  2019年01月02日(水)13回 初詣七社巡りと「二堂山」






 恒例の初詣七社巡りに重い腰を上げる。13.50分。天気は良くない。
「日吉神社」の絵馬。









 
「多太神社」の実盛公だぞー。







 
「熊野神社」の神主自作の巨大絵馬。









 
「住吉神社」の裏の二堂山三角点。







 
「天満宮」は島になった。









 
「稲荷神社」は夜になってきて狐が出そうだ。







 
「諏訪神社」。ふぅーう、ここで終わり。もう家は近い。永かった。ぶっ倒れそう。四時間近く歩き詰め。携帯の万歩計は24.000歩近く。

 実は「小銭入れ」を忘れたのか落としたのか、最初の神社でお賽銭を入れようとして、財布が無い事に気が付いた。それからは神様に来年の初詣に今年分を入れますと、勝手なお願いばかり。コンビニで昼食を買って歩きながら食べる予定が、ペットボトルも買えなくてのどがカラカラ。17.40分にようやく家にたどり着いた。七社も初詣したのに、今年は御利益は期待できないかなー。波乱の一年の幕開けか。小銭入れは翌日、肩ショルダーをひっくり返したら、底から現れた。



 こんな看板を見付けた。いつの間にか
「前川ウォーキング道路」を歩いていたのか。






  2018年01年01日(元旦)12回 初詣七社巡りと「二堂山」




 年末に、もう一回歩きたかったが天気が悪かった。10日ぶりに、元旦だが初詣に小松を一巡りした。今日も天気が悪かったが、なんとか雨は降っていないので遅くから歩き出した。タブレットを持って廻って、グーグルマップの徒歩を使ってみた。近道を教えてくれる。ヤマップの結果では、活動距離13.1kmと出た。結構距離があって、日が短くて暗くなってしまった。足は大丈夫、何とか今年も低い山なら歩けそうだ。

 熊野神社に大きな絵馬があった。










 まず我が家の氏神様
「日吉神社」。長い行列が出来ている。横から回り込んで、お賽銭をあげて次へ急ぐ。松尾芭蕉がこの寺で、句会を開いている。









 続いて
「多太神社」。ここは市内の3町しか氏子が無いので、参拝客はすくない。芭蕉も見に訪れた「実盛の兜」がある。芭蕉もこの兜の名句を残している。





 
「熊野神社」は境内に「いぼ池」がある。この水をいぼに塗ると取れるとかで、子供の頃塗られたものだ。新聞に出ていた大きな犬の絵馬があった。神主さんが書いたとか。







 子供の頃には「今江潟」があって、泳いだり魚を釣ったりした。それが干拓され、残った「前川」のふちを歩いて
「二堂山」を目指す。標高15mの頂上三角点。道は無いがすぐ登れる。







 頂上三角点のすぐうしろが
「住吉神社」。ここも長い行列。車で来る人が多いので渋滞を引き起こしている。







 今度は「梯川」ぞいに歩く。時々小雨が降る。誰も通らない堤防を行く。
「天満宮」は川幅の拡大で「島」みたいに川の中になった。裏側にも橋があり、参拝して、正面の橋で戻る。







 梯川大橋を渡り
「稲荷神社
に入る。日暮れが早い。暗くなってきた。ようやく街に入ったので、暗くても大丈夫。









 
「諏訪神社」に到着は真っ暗。







          
「YAMAP」による記録
   ■活動日  2018/01/01(元旦) 13.46-17.29
   ■活動時間 3時間43分 Ⓢスタート13.46→3時間43分→Ⓖゴール17.29
   ■活動距離 13.1km  ■高低差 44m  ■累積標高上り/下り 865m/866m
   


     □次回登山は、01/05「岩倉観音山」へ□



  2017年02月11日(土)11回 「うずまき山」-天満宮



 
土日は空いているが、土日ごとに天気が悪い。抗癌剤治療の為か、天気が悪いと手足がしびれて痛い。今日も家でテレビを見て過ごそうと思ったが、ズボンを履き替えていて足がえらく細くなった事に気付いた。ガリガリになっている居る。今は降っていない。無理をしてでも歩こうと、新聞記事に小松天満宮の梅が咲き出したという記事を思い出し、午後2時すぎに家を出る。



 14.25分芦城公園の
「うずまき山」の頂上より池を写す。




 続いて
「稲荷神社」。狛犬でなくて「狛狐」というのかな?。




 14.50分に梯川を渡る。橋の上から見ると
「小松天満宮」が土手に囲まれていてビックリ。右の赤い橋だけが天満宮の入口だ。梯川の川幅を広げる工事に、天満宮が移転を拒んだので池の中の島みたいになる、と言う事は聞いていたが、こんなに高い土手になるとは知らなかった。




 14.55分に天満宮に到着。高い土手が出来ている。昔はこの土手の外側に小さな川が流れていた。今は梯川の分流の川が流れ、天満宮は島状態になっている。私の母親の実家がこの天満宮の前にあり、この川で泳いだり魚を釣ったりして遊んだ記憶がある。実家はこの川の拡張で移転させられた。





 芭蕉句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」の、そばの紅梅。





 手洗舎のそばの紅梅。





 梅林はもっと広いと思っていたが、思ったより狭くて本数も少ない。






 


 石像の十五重塔は、全国でも珍しいものらしい。





 左の本堂と右の能楽堂。この能楽堂は少し移動させたようだ。





 小松天満宮は、加賀三代藩主利常が小松城に隠居し、前田家の氏神の菅原道真を祭神として、小
松城鎮護のために創建されました。以来前田家歴代によって敬愛され、手厚い庇護を受けました。本殿・拝殿、神門などが国の重要文化財になっています。


 境内にある「能舞台」は、加賀藩の能役者[波吉太夫]の能舞台を、小松の能楽愛好者の有志によって、明治29年〔1896〕に移築されました。もう百年以上っ経っています。私の親父はここで「巻絹」のツレで初舞台を踏んだと言っていました。時々使われていたみたいですが、以来何十年も埃にまみれていました。数年前に我々仲間が大掃除をして、未だ使えることを証明しました。以来、年に一度はお稽古会など開いています。


 上記は私の「北陸三県の能楽古跡案内」を写したものです。能楽はこのように神社の能舞台で演じられるのが普通でしたが、能楽人口の減少と、冷暖房完備の室内に舞台を組み演能されることがあり、野外の能舞台は忘れられて朽ちてゆくことが多くなりました。この写真は昔のものです。新しい舞台は橋掛りが撤去されていました。橋掛りが無いと演能は無理かと思います。




 入口の鳥居の横の紅梅。自宅までとぼとぼとゆっくりと歩く。





 抗がん剤治療はこんなに辛いとは思わなかった。寒いのも影響しているのだろうが、一日中手のひらが真っ赤に晴れ、指先と足の裏がしびれる。ボタンが掛けられない。食欲がない。少しでも多く食べると吐き気がする。体重も5キロも減った。何とか少ししかいないお弟子さんのお稽古はなんとか続けているが、家では情けない格好でそろそろと歩いている。二週間の抗がん剤服用は、あと3回を残して中止した。医師にももう抗がん剤治療は止めたいとの伝言を頼んだ。



               ■次回登山は、2/18「阿陵山」へ■


 

  2017年01月01日(元旦)10回 初詣「二堂山(住吉神社)を往復




 昨日大晦日は「清水山」を歩いた。元旦今年のお正月は暖かい。しかもちょっと日差しが出てきた。テレビも見飽きたし初詣でもして来ようと、みかんを2個ポケットに入れて外へ出る。調子が良ければ「二堂山」だな。12.30分。「おすわさん」まで来たら、お天気が良くて初詣客が鳥居の外まで行列している。参拝はパスしてその先の「桜木町信号」を渡り、川沿いの歩道を梯川まで歩き「石田橋」を渡る。橋を渡って堤防を歩く。振り返るが残念ながら「白山」は雲の中。






 ようやく安宅町の「住吉橋」の上に、目的地の「二堂山」が見えてきたら、猫がお迎えである。住吉橋辺りは初詣客の車で大渋滞状態。表参道もごった返しの様子なので、裏参道へ回る。








 誰も居ないのを見定めて、松葉散り敷く斜面を登り、頂上三角点に到着。すぐ向こうに「安宅住吉神社」の社殿が見える。






 裏からちょっと参拝して、またすぐ「森山啓文学碑」の後ろから、三角点経由で、道なき道を「忠魂碑」の裏迄あるき、元の道をみかんを食べながら戻る。









 「トベラ」の実が弾けて、赤い種が見えている。


 15.30分に家までたどり着いた。ネットの地理院地図に、距離計測機能があるので調べてみたら、自宅より「二堂山」まで4.3km位だ。往復で8.6kmかー。



   ■次回登山は、2017.01.02.「遊泉寺砂山」へ■
 



  2015年01月03日(土)9回 初詣四社巡りと「二堂山」



 毎年恒例の初詣歩きと「二堂山」に出かけた。去年は入院中で歩いていないが、それ以外は欠かさず歩いている。今年は12月に大雪が降ってビックリ。大晦日からまた寒波が襲来して、元日二日と雪が降り、炬燵に入った切り一歩も外へ出なくて、テレビで洋画ばかりハシゴして見ていた。今日ようやく雪が止んできた。




 昼の12.00時過ぎに家を出る。登山靴を履く。まずは氏神様の
「日吉神社」。この神社は、奥の細道の途中、芭蕉が訪れて句会を開いている。










 続いて
「多太神社」。平家物語の篠原の合戦で、老武者実盛が手塚の太郎に首打ち落とされ、その兜を木曽義仲がこの神社に納めたので有名である。芭蕉はここで「むざんやな兜の下のきりぎりす」と詠んだ。






 ここから安宅の
「住吉神社」までが遠い。4kmか5Kmはある。いつもの近道の道は雪があり歩けない。車の通る道を歩くのだが、歩道は雪で歩けない。危ないが車道を歩く。梯川の堤防に轍があったので堤防を行く。今までで一番雪が多い。14.10分に到着。能楽や歌舞伎勧進帳の「安宅の関」が在った場所として有名だが、なぜか芭蕉は訪れていない。




 初詣で賑わう社殿のすぐ後ろに、
「二堂山」があり三角点が在る。誰も知らない。









 弁慶と富樫と義経の銅像。弁慶は7代目松本幸四郎がモデルと書いてある。


 帰りに堤防の上から山並みが一瞬見えた。白山かと思ったが白山は見えなかった。








 最後に
「諏訪神社」に参拝。芭蕉も小松を発つときに、お祭りだったこの神社に寄っている。15.30分。


 時々雨がパラパラと来たが、二堂山まで、行きは2.時間、帰りは1.30分。久しぶりに歩いた。今年の初登山である。



  
     ●次稿2015年・第2回登山は、1/5「茶臼山」へ●



  2013年01月03日(木)8回 初詣へ住吉神社「二堂山」



 毎年正月三が日の間に、初詣を兼ねて安宅の
「二堂山」に登っている。「二堂山」は去年買った「石川/ふるさと100山」と云う本に載っている。ちなみに、調べたら100山の中で一番標高が低かった。2位は「あじち山18m」、3位は「五軒丁山20m」である。


 元日から天気が悪い。今日も天気が悪いが、肥満解消、意を決して登山靴を履き合羽を着こんで12.40分自宅出発。12.45分諏訪神社にお詣り。13.00時に小松高校運動場の天守閣址に登る。ここに
「小松」と云う名前の2等三角点が在る。手前の雪の中が三角点。中央地平線の小山が二堂山である。




 ここから梯川の堤防を歩く。吹雪になり目を開けていられないほどの風。テレビで見ていたエベレスト挑戦の主人公になったつもりで、真っ白になって堤防を進む。13.50分、安宅住吉神社にお詣り。今年も楽しく山歩きが出来ますように。神社の裏の、森山啓の文学碑の生垣を、真裏に入り込むと、30m位に三角点が在る。ここが「二堂山」の頂上である。




 15.05分、自宅に戻り着く。携帯の歩数計では17.000歩。


               **次回登山は1/5「キゴ山」**



  2012年01月02日(月)7回 初詣「二堂山」と三角点探し



 去年の12月は、ほとんど毎日のように時雨れた。その割に暖かくて雪が積もらないので有難い。新年になっても相変わらず、みぞれが降ったり止んだり。元日は新婚の二男が奥さんを連れてきて食事。泊まりは我が家の事情を知っているので、金沢のホテルに行った。私は年末に、頑張って歩いている自分に褒美として、「SONYのNAV-U」と云う小さいナビを買った。(珍しいもの好きの単なる衝動買い)。携帯用で徒歩でも使用できるモードがある。どうも使い方が良く判らないので、慣れるための稽古として、小松の三角点を記入して、正月恒例の安宅
「二堂山」まで歩きに出かけた。昨日二男夫婦と氏神様に初詣をしたので、今回は三角点が目的である。登山靴を履いて合羽を着込んで帽子をかぶって、13.40分に家を出る。近所の人に見られるとちと恥ずかしい。




 最初の三角点は、小松市内を横断する幹線道路の側にある。この国道360号線を山に向かって歩く。自宅からJRの下を通り、旧国道8号線(現305号線)を横切ると、左手に小松商工会議所のビルがある。14.10分。この裏辺りと見当をつけて、ビルの周りを回ったが見付からなかった。ビルの周りをウロウロしていると警察に咎められそうだ。ここにあるはずの
「三等三角点・焼橋」は、ひょっとするとこのビルの屋上にあるのかも知れない。最近は三角点がある場所にビルが建つと、屋上に移転することが多い。





 ここから旧国道8号線を北に向かい、梯川を渡る手前の、白江交差点より左斜めの農道に入り込む。徒歩モードのナビは好調である。曲がり道に来るとポケットに入っているのに大声で指示が出る。近くに人が居ると変な顔をしてこちらを見る。ナビは好調なのだが三角点の在り処は教えてくれない。近くへ来ると終了してしまう。ここから探すのが大変だ。地図を見てあちこちウロウロと探して歩く。ここは梯川の近くで、川幅を広げるための大工事をしている。大分ウロウロして諦めて帰ろうとしたら、目の前にあった。墓地の隣の「上小松排水機場」と云う金網に囲まれた施設の横にあった。加賀低山徘徊部の綺麗な標識がこんな処にもあった。14.40分。




 三角点情報
 三角点名・白江
等級・4等三角点
標高・2.6m
所在地・小松市白江町














 ここから梯川を河口に向かって歩く。とにかく遠い。JRの下を抜け、大川町の橋を渡り、天満宮の堤防を歩こうとしたら、ここも堤防工事で重機が置いてあり堤防が通れない。天満宮の中を通り抜ける。天満宮の裏も大工事だ。天満宮が移転を断ったので河の中の島にするのだそうだ。白江三角点から二堂山の
「安宅三角点」まで、歩き続けて85分。16.05分に着いた。途中でウォーキングの人が何人も追い抜いて行った。自分の歩くスピードの遅さにガックリ。




 欲張って帰り道にもう一ヵ所周る事にした。空港の西側の
「三等三角点・鶴ヶ島」だ。鶴ヶ島は地名だったと思うが、今は地図にはその名前は無い。安宅新町を目指し、高速道路の下を抜け、安宅新町の信号を200mほど進む。16.50分に次の信号「安宅新町南」に着く。この信号の手前海側の道路沿いに在る筈だった。道沿いは空地になっている。楽勝かと思っていたのに見付からない。場所を広げて歩き廻ったが見付からなかった。




 諦めて帰る事にした。早くも薄暗くなってきた。空港の前を通り大通りを一直線。すぐ真っ暗になった。1時間以上も掛かって自宅に到着。足が棒になった。



 去年の暮、「加賀低山徘徊部」のホームページを見付けていた。どこの三角点を訪ねても、木彫りの綺麗な低山徘徊部の三角点札が下っていた。いつも敬意を払っていた。正月3日にHPを拝見していたら
「鶴ヶ島」の三角点の記事があった。2009.12に写した三角点があった。そして2010.7に再度訪れた時は、道路拡張で亡失と書いてあった。在った場所は私の探していた所に間違いない。



        ▲次回登山は、2012/01/07「国見台山」へ▲




  2011年01月03日(月)6回 初詣四社巡り「二堂山」





 正月寒波も一休み。今日一日だけは、曇りと云う予報だが、青空がのぞいてきた。正月の暴飲暴食の為に太った、体を少しでも元に戻そうと、12.25分に登山靴を履いて、ペットボトル一本持って自宅を出発。目的地は安宅町の、住吉神社のある
「二堂山」


 12.35分。
「諏訪神社」に初詣。芭蕉が寄ったこともある神社である。「牛若松」と云う、弁慶お手植えの松がある。














 12.50分、わが母校「小松高校」の、運動場の隅の、天守閣の上の、
「小松・三角点」







 天守閣の上から、今日は珍しく「白山」が拝める。その名の通り純白である。







 13.10分。
「稲荷神社」に初詣。ここは昔の小松城の、城内であったらしい。狛犬ではなくて、キツネさんである。













 13.20分。
「小松天満宮」に初詣。この十五重の石塔は、珍しいものらしい。天満宮は小松城の鬼門に建てられているらしい。












 梯川の堤防を、てくてく歩き、河口の住吉橋を渡る。橋の上から、白山を望む。









13.20分。
「住吉神社」に初詣。神社の裏に回ると郷土の作家「森山啓」の文学碑がある。碑の裏に入り込み、30mほど先に「安宅・三角点」がある。道が無いから誰も気が付かず、訪れる人は無い。文字面が赤くなっており、お正月でほろ酔い機嫌の三角点である。








 今年の「トベラ」はまだ赤い花が見えない。ワープロで「トベラ」は「海桐」と出た。こんな書き方があるのかもしれない。


 また梯川の堤防を、自宅まで延々と歩く。しばらく歩いていないので、足が痛くなった。








  2010年01月02日(土)5回 初詣に住吉神社「二堂山」



 里山歩きが大人気らしい。「ふるさとの山.100山」という本に
「二堂山」というのが載っていた。なんと小松の安宅の住吉神社のある山だ。安宅関のある山だ。しかも三角点があるらしい。この項を「うずまき山」から「二堂山」に変更して「二堂山」に登りにいった。






 天気予報のように正月は大荒れだが、小松は、雪はほとんど積もらなかった。元日は寝正月。今日ようやく目覚めて、安宅の住吉神社に初詣に行く。11.20.自宅発。雨が降っているので合羽を着て登山靴を履く。11.40.芦城公園の「うずまき山」を歩いて、小松高校の運動場のはずれの天主台に上る。ここは我が母校で昼休みにいつも遊びに登っていたものだ。









 この上に二等三角点がある。学校時代には全然興味が無かったから、三角点があった記憶が無い。











 天主台の上から今から行く二堂山が見える。ずっと向こうの小山がそうである。










 悌川の南の土手を歩いてゆく。鴨が居る。写真を撮りに行くとすぐ逃げてしまう。これは鵜かな。











 住吉神社の正面参道は車と人でごった返している。左に回り「関の宮」の石碑の所から入ってゆく。すぐ右手が小山である。其処が一番高そうだ。








 柵があって入りにくい。前後に人がとだえた所を見計らって、柵を跨ぎ上に登ったらすぐ三角点は見付かった。松林は手入れがしてあり歩き安い。三角点の字の書いてある面が赤く塗ってある。 少し離れた所に在る三角点に似た石も、真っ赤に塗ってあった。この山に名前が在るのは知らなかった。








三角点情報「二堂山」
三角点名・安宅
等級・三等三角点
標高・15.33m
所在地・石川県小松市安宅町

 道へ戻らずそのまま高みを登っていったら、森山啓の文学碑の裏に出た。








 その向かい側の与謝野晶子の句碑に赤い実が生っている。











 なんという木の実だろう。良く見たらこの木はあちこちにいっぱい在る。【S女史よりメールが来た。「トベラ」という木の実らしい。








 すぐ側の安宅関は潮騒が鳴り響いていた。海が荒れているようだ。この安宅関を舞台にした能楽に「安宅」がある。大曲でなかなか演能されることが無い。今年は小松市市制70周年だそうで、私の太鼓のお弟子である「長野 裕」氏が、5/5日に小松で演能を目指している。頑張って下さい。








 住吉神社にお参りして、今度は悌川の北側の堤防をぶらぶらと歩いて帰る。天主台付近でひょっこりと「丁ちゃん」と遭遇。何十年ぶりで立ち話。今年はいいことがあるかもね。




  2009年01月02日(金)4回 初詣二社巡りと「小松三角点」




 昨日は、張り切りSN女史コンビからは「元日登山鞍掛山」に誘われていた。登る心算で朝起きたら雪が降っており少し積もっていた。登山口まで車が入れるか心配だ。メールで参加を断ってまた寝た。
 午後S女史より登頂の写真メールが来た。彼女は鞍掛山地元の滝ヶ原の住人だ。写真で見ると30cmは積もっている。20人位登っていましたよ、と彼女は書いてきた。皆さんのエネルギーに脱帽。乾杯。
 二日の今日、朝からみぞれだったが午後3.00頃止んできたので初詣に出かけた。市役所横の芝生から見た。芦城公園の
「うずまき山」。昨日の雪だるまが残っている。






 芦城公園には南北二ッの山がある。まず南の「さくら山」に登り、続いて「うずまき山」に登り、今回は天守閣に足を伸ばす。小松芦城の本丸跡と天守閣は、わが母校の小松高校の運動場の端にある。在校中は毎日遊びに登っていた。石垣をロッククライミングで登る猛者も居た。










 天守閣の上の松の木に、加賀低山徘徊三角点探訪の会とかの札が下がっていた。最近三角点でよく見かける。先日の倉ヶ嶽にも同じ札が有った。








 三角点は二等で10.7m。うずまき山の標高が判らないので、この三角点の標高をうずまき山の標高にする。ここからの眺めが良い。お天気が良ければ白山も見えるだろう。
三角点情報「天守閣」
三角点名・小松
等級・二等三角点
標高・10.68m
所在地・石川県小松市丸の内町




 またみぞれが降ってきた。「おすわさん」と「さんのうさん」に初詣して帰る。




   2008年01月02日(水)3回 初詣七社巡り「うずまき山」




















 今年は、元日は天気が悪かったので寝正月。二日も天気が悪かったが、雨具を持って小松の七社巡りに出かける。去年とは反対回りにする。



 「自宅」  より「日吉神社」まで10分。
 「日吉神社」より「多太神社」まで8分。
 「多太神社」より「熊野神社」まで15分。
 「熊野神社」より「住吉神社」まで85分。
 これは住吉神社の勧進帳を読む弁慶の像。










「住吉神社」より「天満宮」まで50分。これは天満宮の芭蕉の句碑。










 「天満宮」より「稲荷神社」まで8分。
 「稲荷神社」より「公園うずまき山」まで10分。これは公園の写真。










 「公園うずまき山」より「諏訪神社」まで8分。



 これは諏訪神社の「弁慶お手植えの松」




 「諏訪神社」より「自宅」まで8分。




 合計三時間半の歩きである。













  2007年01月01日(元日)2回 初詣七社巡り「うずまき山」




 2007年元旦。今年も天気が良い。去年に倣って小松七社巡りの初詣に出かける。登山靴を履く。午前10時10分発。


 10時18分。第1社「お諏訪さん」着。入口に芭蕉の「しほらしき名や小松吹く萩すすき」の句碑が立っている。元禄2年7月27日に奥の細道の旅の途中、芭蕉と曾良は、折から祭礼のこの神社に詣うでている。曾良の日記には快晴と載っている。二人の歩いた距離を考えると、これから歩くのは極々少しだ。






 10時34分。芦城公園内の「うずまき山」に到着。この立札があるからこのホームページに無理やりに載せている。


 向うは我が母校、小松高校だが卒業以来とんとご無沙汰している。









 10時43分、第2社「お稲荷さん」に到着。殿内で巫女が舞っているが、社前には誰も居ない。ちと寂しい初詣である。








 10時52分、第3社「天神さん」に着く。ここは人が多い。


 境内に能舞台がポツンとあるのは、能楽師として少し寂しい。京都の神社の能舞台などでは、元日に翁などが奉納されているようだが。






 天満宮の裏に出て、梯川の右岸堤防をを河口まで歩く。振り返ると白山を中心に左は医王山から、右は富士写ヶ岳までの大パノラマが望める。


 安宅の橋を渡って11時36分、第4社「住吉さん」に着く。ここは一番人が多い。長い行列だ。側を通ってサットお参りして今度は梯川の左岸堤防を歩く。







 高速道路の下を過ぎると、前川に掛かる逆水門に出た。この門に掛かる橋を渡る。前川には渡り鳥が羽を休め、向うに白山が真っ白である。魚を釣っている人が居る。田圃の中の道を歩く。








 12時56分。我が家の墓に到着。亡くなった両親と奥さんに参る。元日でもお参りの人が多い。遠くからの里帰りの人だろう。









 第5社「イボ池さん」はすぐ近くで13時05分に着く。境内の池の水をイボに付けるといぼが取れると言われている。子供のときに汲みに来た記憶がある。汲んで帰るときは後ろを振り向いてはいけないとか言われたな。イボが取れたかは記憶に無い。













 13時17分、第6社「八幡さん」に着く。入口に芭蕉の石像がお迎え。この神社には実盛の兜が奉納されている。能楽堂もある神社だが、初詣の人は少ない。




















 さて最後は、第7社の氏神様の「山王さん」である。13時30分に参拝を終え、神社の左に周ると、「芭蕉留杖ノ地」の碑がある。芭蕉は此処にも寄っているのだ。




 自宅に13時40分到着。自宅を出て3時間半のウオーキングである。この間靴紐を締め直すのに一度座っただけだ。ゆっくりとであるが歩き詰めであった。




  2006年01月01日(元日)1回 初詣七社巡り「うずまき山」







 2006年元日。珍しく日本晴れ。いつもは寝正月なのだが、一念発起して小松の神社7社の、歩き初詣に出かける。












 距離が長いので登山靴を履く。自宅より12分で市役所前の芦城公園に着く。里山に載せるつもりは無かったが、築山の頂上に
「うずまき山」の標識があった。そこで無理やりにここに取り上げた。正月だから大目に見て欲しい。









 御亭から見たうずまき山。池の向こう、滝のある築山である。標高不明、15m位か。











 公園より13分。第1社の大川町の「葭島神社」に着く。小松城内にあった稲荷明神が合祀されている。通称「いなりさん」。









 10分で次の第2社天神町の「小松天満宮」に着く。通称「てんじんさん」。学問の神様は大人気で、お参りするのに行列である。境内に能楽堂がある。









 さてここより梯川の土手を河口に向かって歩く。天気は良し。風は無し。振り返ると山が一望。右より富士写ヶ岳・大日山・鈴ヶ岳・兜山・倉掛山・動山。鷹落山・大倉岳。別山・白山・笈ヶ岳、大笠山・奥獅子吼山・遺水観音山、左端は倉ヶ岳である。だいぶ見分けがつくようになった。天満宮より1時間で第3番目の安宅町「安宅住吉神社」に着く。通称「すみよしさん」。2社より4・5キロはある。テレビ義経の影響か人でいっぱいだ。





 さてここからが滅茶苦茶遠い。小松市の南の方なので、田圃の農道を行く。我が家の墓地の近くを通るので、遠回りして寄る。亡くなった細君に挨拶。暮れに1周忌を済ませたばかり。お正月でも墓地には人がちらほら。里帰りの人の墓参らしい。安宅より1時間20分。6・7キロはあるだろう。ここより15分で須天町「須天熊野神社」に参拝。通称「いぼいけさん」。境内の池の水をイボに付けると取れるそうな。これで4社達成。








 第5社目は市内に戻りて15分。上本折町「多太神社」に着く。通称「はちまんさん」。実盛の兜がこの神社に奉納されている。実盛の新しい像がいつの間にか鎮座している。能楽堂もある。直したのにあまり使われていないのは残念。










 ここより10分。第6社目の本折町「日吉神社」に着く。通称「さんのうさん」我が家の鎮守社である。












 最後7社目は浜田町「菟橋神社」通称「おすわさん」である。20分掛かっている。後の5.6.7.の3社は芭蕉が奥の細道の旅のとき、いずれも立ち寄っている古社である。お参りして自宅まで8分。






 朝11時25分に自宅を出て、帰ったのは15時25分。丁度4時間歩き詰めである。靴を脱いだら大きな血豆が出来ていた。


 さて今年も、ご利益で楽しい山行きが出来るといいな。


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