2005.04.より登山順
中能登の四山
[能登] 末森山 139 m (石川県宝達志水町)126 [能登] 雷ヶ峰 188 m (石川県中能登町) [能登] 石動山 564 m (石川県中能登町) [能登] 高坂山(蔵王山) 508m (石川県中能登町) [能登] 枡形山 486 m (石川県中能登町) [能登] モーゼパーク 100m (石川県宝達志水町) |
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第9回 2022.08.30. 資料館より「石動山」。パノラマ展望台を経由して戻る 第8回 2021.03.27. 氷見市平町ヨリ「高坂山(蔵王山)」を往復。車で移動「モーゼパーク」を散策 第7回 2020.01.25. 車で雨の宮古墳に入り、「雷ヶ峰」を散策。 第6回 2019.07.13. 荒山峠より「枡形山」往復。「石動山」はパノラマ展望台より頂上。高坂山は敗退。 第5回 2017.04.01. 三国山から車で移動。「末森山」を往復。 第4回 2014.06.07 .氷見市平町より「高坂山一等三角点」を往復。石動山の近くである。半分藪漕ぎ。 第3回 2011.08.28. ドライブ途中より、「末森山」を往復。 第2回 2011.08.28. ドライブ途中、雨の宮能登王墓の館より「雷ヶ峰」往復 第1回 2011.08.29. 和倉温泉の帰り、能登歴史公園資料館より「石動山」を往復。 |
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2022年08月30日(火)9回 資料館-「石動山」-パノラマ展望台 S女史と10.40に石動山資料館の隣の駐車場に車を置く。 大宮坊の前。石仏と句碑「史を語れ いするぎ山の 青葉風」 伊須流岐比古神社の階段から入る。 伊須流岐神社の拝殿。裏の高い所に本殿がある様だ。 拝殿の横から、山裾の平衡道に入る。 「行者堂」を通過。 段々と登りになりブナの木が増えてくる。 五社権現「剣の宮跡」通過。 五社権現「火の宮跡」通過。 ブナ林となる。能登でブナ林は珍しい。 しかも標高の低い所にある。 「大御前」に登り着く。五社権現の中心があった。今は登り口神社の本殿に移動した。 社の横のケルンの上に昔提げた山札が残っていた。ここが「石動山」頂上である。11.30分。展望無し。 564m。 パノラマ展望台の方へ降りる。五社権現「梅の宮跡」を通過。 ピークの「石動山城跡」を通過。多根道で下へ降りる。 一度舗装路に出て左に100m程行くと、突き当りで道は無くなる。 パノラマ展望台への登り口がある。 林を通り抜けたピークに展望台がある。 日本海の方面。先ごろ登って来た「石動山大御前」 富山湾の方面。晴れていれば、立山・剣岳が見えるだろうな。 展望台の上から写した。 ヤマボウシ クリ ナナカマド 誰も居ないのでゆっくりと昼食。のんびりしていたら突然に大坪の雨、慌てて展望台の下に避難。5分くらいで雨は止む。下山開始。 途中まで戻り「多根道」をそのまま降りた。地図を見ると多根町までの古道らしい。 「御廟山」の下を通った。登って見なかったが、帰って調べたら、泰澄大師の墓があるらしい。その先を少し降ったら、車を置いた資料館の前だった。 ■次回登山は、9/04小松の「粟津岳山」へ■ 2021年03月27日(土)8回 石動山近く平より「高坂山・蔵王山」往復 石動山の隣にあるピークに一等三角点がある。一度だけ三角点探訪で登った事がある。点名が高坂山なので「高坂山」にしたが、ヤマップ地図では「蔵王山」として登録されている。7年前は登り口が見付からず、藪漕ぎで登り、降りは登山道らしき道を降りたが、途中からまた藪を漕いだ。2年前に今日の相棒と石動山の帰りに、石動山側から登頂を目指したが、やはり藪で断念している。 能越自動車道の氷見の灘浦で降車。県道306号線で石動山を目指す。吉岡町から平町までは通行止めだが、小型車は迂回路がある。平町の神社マークの横の農道に入り、道の広い所でUターンして車を置く。 農道の途中の高い所に一本松がある。前方に見える一本松の横から登山口があった。11.00時。 一本松の横から棚田の道を入る。前方の一番奥のピークが「高坂山」らしい。右側に県境の尾根が続いているが、登山路は東側の林の尾根を登る。水路の道を横切って登って行く。初めての時はみちが判らなく、水路の道を辿って車道へ降りてしまった。今回は道が上へ延びている。 キクザキイチゲ フキノトウ ネコノメソウ 左の林に近づききた。 池がある。昔は池のふちは藪だった。 林に入るとまっすぐの道がある。 木が密に生えている。頂上に近づくとブナの木が混じる。 11.40分に高坂山頂上に到着。尖った頂上。林の中。昼食。
能登大橋・和倉温泉の標識。平地と海が見えるが、老人は目も老人で良く判別出来ない。 富山湾の「虻ガ島」が見える。その上には立山連峰が見えるらしいが、今日は霞んでいる。 一等三角点は大きい。石川県と富山県の県境にあるが、富山県の三角点に分類されている。三日前の清水山に続き、一等三角点の連チャンである。 下山開始。もと来た道を戻る。 今回は登山路がよく整備されていた。前回はこの池の横の道は藪の中だったぞ。 平町から石川県側の石動山に出る予定で、車道を登って行く。立山連峰が見える。天気が良すぎて霞んでいる。もうそろそろ石動山の前に着くかな、と考えていたら突然の通行止め標識。実は今日は石動山を歩かずに、「モーゼパーク」でも歩こうと予定していた。車道に雪が残っている。とりあえず戻るしか方法は無い。遠回りだー。13.30分。 ■「モーゼパーク」に移動。下稿へ■ 2021年03月27日(土)8回 モーゼパーク散策 伝説の森モーゼパークは興味があったので、ドライブの途中に登り口を見付けた事がある。その時は時間が無くて登れなかった。一度歩いてみたいと考えていた。 モーゼは40年の歳月をかけ、ユダヤの民族をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮舟に乗り、能登宝達山にたどり着いた。その後、583歳まで余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。 石動山の手前で通行止めにあい、能越自動車道まで降り、氷見から山越えで能登に出た。宝達志水町の河原町でウロウロしたが、何とかモーゼパークの駐車場に到着。15.00時。 駐車場には他に車は一台も留まっていない。しだれ桜がピンクの花を付けている。 ポケットパークを周って、しだれ桜の横から、ふれあいの小径を登って行く。 途中にモーゼの墓記帳所がある。パンフレットあり。 分岐を、ミステリーヤードの方へ進む。 ロマンの小径と云うらしい。 三ッ子塚古墳に到着。案内板によれば「古文書」にモーゼの記載があるらしい。能登宝達で「十戒」授かったらしい。 横に登る道があった。古墳が三基あるらしい。登り口にあった案内板に「2号墳がモーゼの墓」と書いてあった。「3号墳テラス浮船展望」と書いてあった。 2号墳に登る道は無く、3号墳に登る道があった。登って見たら「モーゼ大聖之零位」の標識が建ててあった。 「テラス浮船展望」と云うだけあって海の方が見える。 古墳の裏を一周して、登り返して戻って行く。 「安息の広場」があったので登って見た。あずま屋があった。 白いショウジョウハカマがあった。 モーゼパークから降りて、隣町の山崎に立ち寄る。「金崎神社」がトトロ神社と呼ばれているらしい。神社前の空き地に「トトロ」が造ってあった。 神社に登って見たら、森の中の薄暗い、苔むした境内。巨大なスタジイの木。トトロさん、隠れていないで出て来なさーい。 ■次回登山は、3/31小矢部 「矢立山・砺波山・源氏ヶ峰」へ■ 2020年01月25日(土)7回 雨の宮古墳より「雷ヶ峰」散策 真冬のはずだが雪が無い。それでも寒いので健康登山と称して、低い里山ばかり徘徊している。今日はS女史がまだ歩いていない「雷ヶ峰」と「赤蔵山」を案内する。9.00時に小松を出て北陸自動車道から「のと里山海道」を走り、柳田インターで降り、七尾に向かって県道2号を走る。能登部交差点で左に山に入るとトンネルがあり、抜けると右に「雨の宮古墳群」への標識がある。 舗装してある道路だが、狭い所もある。10.20分に駐車場に到着。同じ石川県だが能登はなかなか遠い。 資料館は12月から3月いっぱいは休館だった。トイレも締まっている。 資料館の裏に遊歩道がある。古墳に登って行く。 1号古墳と2号古墳の間に登り着く。右が1号古墳で左が2号古墳である。まず1号古墳に行く。獣除けの金網がある。 大きな「前方後方墳」だと書いてある。ビラミットみたいだ。 古墳の登り口に、小さな社がある。「天日陰比咩神社」と云うらしい。 一番高い所に、三角点を埋めた容器みたいなものがある。中は見えない。
なかなか見晴らしの良い古墳である。国指定の史跡になっているようだ。昔はここが相撲場になっていたらしい。 2号墳が見える。今からあちらへ登りに行く。「前方後円墳」らしい。 網戸を開けて2号墳に来た。 2号墳より、1号墳の方を見る。 先頃まで登って居た1号墳。 この頂上も展望がある。下に円墳が3ッつ並んでいる。 円墳の後ろに鳥居があり、出口があった。すぐ林道に出てぶらぶらと歩いていたら、すぐ駐車場に出た。 1時間弱の徘徊であった。 公園になっているようで、途中にグリーン広場があったが、ここも冬季閉鎖されていた。 すぐ車に乗り「赤蔵山・憩いの森」へ移動。 ■今回登山は、次の「赤蔵山」へ■ 2019年07月13日(土)6回 荒山城跡と「石動山」一周 梅雨で天気が悪い。能登の低い山を歩いている。今日は「石動山」。どうゆう訳か石動山の山札が残っていた。提げてこよう。小松を8.30分に出発。能越自動車道の氷見北ICで降り、県道18号で「荒山峠」を目指す。峠に「荒山地蔵尊」があった。9.55分。 「荒山地蔵尊、能登によし氷見になおよし、みちしるべ」の石碑がある。能登と富山県を結ぶ重要な峠道だったようだ。 峠の先で右に「石動山」の方へ曲がる。しばらくで右側に大きな駐車場がありトイレ棟がある。「枡形山」486mの登山口である。荒山城址らしい。S女史がナツツバキを写している。 夏椿の白い花が、いっぱいに落ちている。 ジグザグを登ると頂上む直下の広い斜面に出る。休憩所がある。 さらに登ると展望が良い。七尾湾が見える。 眉丈山辺りだな。 枡形山より降りて、「石動山」に移動する。石動山資料館の先の広い駐車場にくるまをおく。11.15分。今回はまだ歩いていない「パノラマ展望台」を先に登り、その後「石動山」に周る予定。駐車場のすぐまえ、大宮坊の隣の道に入る。 石動山城跡の標識がある。これはパノラマ展望台の事か?。下に旧多根道の標識がある。 ユキノシタ よく手入れされた道である。 一度、舗装された林道に出る。左に林道を進むと行止りとなり、パノラマ展望台80mの標識があった。 登ると展望台が見えた。展望台に上がると大きな富山湾が広がっている。12.05分。 と、景色を眺めていたら急に大粒の雨が降ってきた。慌てて木の下へ逃げ込む。 雨はすぐ止んだが、戻って石動山の頂上を目指す。ブナの木が混じって来た。 「大御前(頂上)」の標識に出た。 12.50分に、石動山頂上に到着。尖ったピークであるが展望は無し。昼食。 降りはブナ林を下りる。 能登には珍しい、素敵なブナ林である。 13.40分、行者堂通過。役行者が祀られているようだ。 13.50分、伊須流岐比古神社。 車に戻る前に、大宮坊で石動山ユリ展があったので覗く。昔は石動山にあったユリだが、野生のものはほとんど絶滅らしい。中能登の住民が育ている鉢を持ち寄っての展覧会らしい。野外に柵をして植えてあるものは、まだ蕾だ。 14.10分に車に到着。 時間が少しあるので、隣の高坂山の一等三角点を確認に出掛けた。今回はパノラマ展望台に登る林道の途中から、挑戦した。あずま屋のある広場に車を置き、この先行止りの標識の建つ林道を進む。予定通り大きな池の裏まで回り込んで、大分三角点に近づいた。しかしそこから三角点まで、踏み跡があるかも知れない、という期待は裏切られ、物凄い藪で敗退、諦めて戻った。 帰りは「荒山峠」から、石川県側に降りて、のと里山海道で帰った ヤマップ記録 ■活動時間 4時間50分 ■活動距離 10.8km車を含む ■高低差 180m ■累積標高 792m/717m Ⓢスタート 10.03→枡形山往復 登山口11.10→(1時間33分)→石動山12.43-13.29(46分) →33分→登山口→14.02→52分→Ⓖゴール14.54分 ■次回登山は、7/14富山県「二上山」へ■ 2017年04月01日(土)5回 三国山-「末森山」ー碁石ヶ峰 「三国山」より降りたのが11.20分。今度は「末森山」である。末森山の頂上で昼飯にしようと、興津峠を越えて国道471号線に入り平野まで降り宝達志水町へ入る。国道159号線に合流し右折してしばらく走ると、前方に山が近づいてくる。国道の右側の山が「末森山」らしい。山に掛かるその手前に、山と反対側の竹生野集落の方へ、末森山登山口の標識がある。入るとすぐ登山口駐車場があり、トイレ舎がある。11.40分。地理院地図には「末森山」になっているが、ここの看板は末森城址である。前田利家と佐々成政が戦をした場所である。駐車場前より舗装した道が始まっている。 突き当りで道は国道159号線の上を橋で渡る。橋のたもとにも駐車場があり数台留めることが出来る。 ポストみたいなものがあり、中に末森城跡のマップが入っていた。宝達志水町の案内パンフレットもある。11.55分。 ここから高架橋を渡り山に入る。下は国道である。 橋を渡った所にモニュメントがある。「加賀百万石の礎を築くことになったこの合戦の意義を、後世に伝えるべくこの碑を建立したものである。平成十三年十一月」 所々にこの山で咲く花や、樹木の紹介した立て札がある。 12.35分に頂上到着。本丸跡である。お腹が空いたのですぐ昼食。誰も居ない。木の間から海が見える。
前回4年前は草が生い茂っていたが今日は頂上は良く刈られており、頂上のふちの「4等三角点」も見えるように周りが刈ってあった。前回は散々探したのに見付からなかったので、今回見付けられてうれしい。 食事していたら男が一人登ってきてあいさつした。 記念撮影して下山。駐車場付近のタンポポ。13.30分。今日はもう一つ「碁石ヶ峰」を歩く予定。 ■続いて「碁石ヶ峰」へ登りに行く■ 2014年06月07日(土)4回 石動山近くの「高坂山」三角点 石川県の一等三角点を調べた時、石動山の近くに一等三角点があるのを知った。富山県氷見市と石川県七尾市との県境にある。分類では富山県の三角点になっているが、石川県の県境にあるので一度は探してみたいと考えていた。今日は夜仕事で出かけるので、早く帰りたい。三角点までは登山路は無いが、簡単に登れそうだ。三角点は「高坂山」と云う名前である。実は相棒を誘おうと何べんも電話したが通じなかった。金沢は百万石まつりで、相棒の奥さんはお茶の先生で、お茶会があるので忙しいのだろうと推測。 小松より高速に乗り、徳光PAのコンビニで食料調達、便利になったものだ。小矢部JCTより能越自動車道に入り、氷見を過ぎて灘浦ICで下車。現在はここが終点である。ここから石動山まで真っ直ぐに道が伸びている。吉岡町に通行止めがあったが、自家用車は迂回路があって無事に、目的地の平村に到着。 村を抜けたら神社があり、石動山への道は左折している。直進すると舗装は無くなり棚田になる。道の広い所に車を置いて思案。10.05分。結構遠かった。 少し戻った所に「熊出没注意」の看板が転がっている。農道かあぜ道かが分岐しているようだ。地図を眺めていると、遠くに見えるピークが一等三角点のある高坂山らしい。10.20分にこのあぜ道に入り込む。 少し登ったら、細い水路に水が勢いよく流れている。大事な水路なのだろう水路沿いの道は良く整備してある。本当はこの水路を横切って、地理院地図に載っている、山に近ずく道に入る心算だったが、そんな道が見当たらない。少し遠回りにもなっていいやと、水路沿いに歩き出す。 そのうちに左下に舗装道路が見えてきた。平村から石動山に続く道らしい。段々と山から離れてきていると苦笑。 そのうちに石段を登って池にたどり着いた。10.40分。このため池の水が、水路を伝って平村の棚田を潤していたのだ。池の右側を登って行けば、山頂にたどり着きそうだが、藪が手強そうなのでやめにして一度道路に降りた。池のすぐ下が道路だった。 地図を見ていて、しばらく道路を歩いて、道路が一番山に近ずくヘアピンカーブより藪を漕ぐ事にした。何しろ道が無いので、ここも藪漕ぎ地点としてチェックはしていた。 タイトコメ ツツジ 10.50分に藪に入り込む。入り口に御幣みたいな白い札が立ててある。道は無し。谷の右側の斜面を登り出したら、また一度水路を横断した。この辺りはため池が多い。 笹の生えた雑木林を、高い所を目指して藪の中を登って行く。時々赤いテープが下がっている。 11.33分に、なんと登山路らしきものに合流した。何処からか登山路があったのだ。 11.40分にすんなりと頂上到着。広く刈られて広場になっており、お目当ての一等三角点が鎮座していた。
展望無し。能登大橋・和倉温泉の立札があり、海がちょっと見える。橋は見えないな。登山道平部落へ30分と書いた立て札もある。他に低山徘徊部の三角点探訪札などが二つ。 11.55分下山開始。平部落へ登山路を降り始める。大きな「ササユリ」が一本咲いていた。開いたササユリは今年初目撃。 すんなりと30分で降りられると思っていたのに、尾根の先まで来て雑木林が無くなったら、突然に道が無くなった。左に斜面を降りだして凄い藪漕ぎになった。溜池のふちを通る。ただ歩きやすい所を下へ下へと藪を漕いでゆく。 ようやく朝の水路の道に飛び降りた。下に車が見えた。富山湾が見え、その上に北アルプスが霞んでいる。水路の道を今朝と反対方向に進み、農道に降りる降りる道を見付けて、12.40分に車に到着。今日も誰一人遇わない山歩きだった。帰りは石動山の方へ出て、のと里山海道に出て家へ帰った。氷見を通る道より遠回りになる。 神社から農道に入りP地点に車を置いた。道が判らないので、水路道を進んだら溜池に出て、石動山への車道に出た。車道を歩きヘアピンカーブより藪を漕いだら、登山路に合流した。降りは登山路を降りていたら、直進する道が無くなった。溜池の方へ降りる道らしきものを藪漕ぎで降りる。 ●次項2014年43回登山は、6/8「宿ノ岩山」へ● 2011年08月28日(日)3回 初「末森山」-雷ヶ峰-七尾城山-石動山 2度目の3日間の予定のカテーテルが、成功したのだが、血管が傷ついて内出血して、手がポンポンに腫れて、三日間の入院予定が5日間になってしまった。 おかげて山歩きが、温泉に変更になった。和倉温泉にしたのだが、「石川県の山」に載っている近くの山は、どれも車でも登れそうだ、と判明。 まずは「末森山」。前田利家と佐々成政が能登の支配を争った末森の戦いが有った所。大河ドラマ「利家とまつ」を契機に整備されたと書いてある。国道159号線(押水バイパス)を走って行くと、前方右に小山が近ずいてくる。麓に末森城址の看板がある。駐車場は道の左に入るよう指示がある。駐車場には案内図があり、トイレがある。トイレは貨物列車みたい形で、紺色に塗ってある。10.45分。 案内図を頭に入れて歩き出す。しばらく歩くと、国道を跨いでいる橋を渡る。橋の手前にバリケードがあり、ここから車は入れない。 「ヤブミョウガ」が白い花を付けている。 道の傍らに、花や木の標識がいっぱい。色々咲くようだが、今の時期花は見当たらない。 11.15分。頂上の本丸跡に着いた。海の方が切り開かれていて覗ける。 本丸跡に三角点が在る筈である。簡単に見つかると思っていたのだが、当てが外れた。本丸跡は平坦で広い。しかも夏草が茂っている。一番高い頂上が無い。白いプラスチックの標識も無い。あっちこっち草を分けて歩き廻ったが、とうとう見つからなかった。山名札は桜の木に提げてきた。
「センニンソウ」かな。 「オトコエシ」 「ゲンノショウコ」 「ツリガネニンジン」かな 「ベニバナボロギク」かな。 「ツユクサ」 誰かひとり登ってきたので、三角点の在り処を聞いたが、私もこの山は初めてだと言われた。この後「雷ヶ峰」へ車で移動。下の稿。 2011年08月28日(日)2回 末森山-初「雷ヶ峰」-七尾城山-石動山 末森山から下りて、国道159号線をさらに進む。羽咋市を過ぎて中能登町にに入ると、左手に「眉丈山山系」が連なっている。その最高地点が「雷ヶ峰」である。地理院地図には、山の名前は無いが「雨の宮古墳群」と書いてあり、三角点と鳥居マークが載っている。 能登部駅の側から、眉丈山を抜ける「眉丈山トンネル」がある。トンネルの手前から左に入る林道は、通行止めになっていたので、トンネルを抜ける。抜けた所に「雨の宮古墳群」の看板がある。標識にはトンネルに向かって左に入るよう指示がある。しかし、調べてきた通り右に入って「林道・雨の宮線」を進む。 林道はくねくねと少し細いが、舗装してあり問題は無い。やがて三叉路の「雨の宮古墳群」の石碑に出た。広い駐車場があり「雨の宮能登王墓の館」が建っている。直進すると古墳公園・グリーン広場があるらしい。 「能登王墓の館」に入り情報収集。この雨の宮古墳群には36基の古墳が、4世紀中頃より5世紀にかけて造くられた。最高所の通称雷ヶ峰に位置する一号墳は、前方後方墳で県内最大。能登王の墓で、銅鏡や女性の腕輪や髪飾りが副葬品として発見され、国の重要文化財に指定。 王墓の館の裏に、古墳に登る散策路がある。登って行くと一号墳と二号墳の間に出る。右が一号墳で登って行くと、整備された古墳が見えてくる。国指定史跡になり、この辺りが掘り出されて整備されたようだ。 「天日陰比咩神社」がある。もとは上部に在ったらしい。雨乞いの神事が行われていたようで、雨の宮の名前もここから来ているのだろう。雷ヶ峰の名前もそうだろう。 一番高い所に木棺が納められていたようです。模型は下の館に有りました。どうゆう訳か花が飾られていました。お墓でしかもお盆ですので、花は当たり前ですが、1500年も前の故人にゆかりの人が、いらっしゃるのですかね。 ここが眉丈山山系の最高峰「雷ヶ峰」である。三角点はいつもの白い標識があるが、三角点は白い容器の中にあるようだ。ふたが空かないので確認できない。
向こうに2号古墳が見える。平野が見下ろせる。下の村から登ってくる道に鳥居がある。能登一円の村々に崇拝された山のようで、現在でも集団で登る風習があるようだ。 雷ヶ峰の山名札は、神社の後ろに提げた。 さて「雨の宮林道」を戻るのだが、地図を見ると林道脇に三角点が在るので確認に行く。三角点のある地点は崖になっており登れない。少し戻って案内板の前に車を置く。この案内板を読むと、ここに「テンジクダイラ古墳群」として五つの古墳があるとの事である。一番高い所は雷ヶ峰に次ぐ二番目に標高が高いらしい。 案内板の上が1番古墳で、2番3番4番と進み、一番高い5号墳の上に三角点を発見。
ここの古墳は整備されていないので、藪の中である。どこが古墳か判らない。微かに道があるような気がする。五号墳の上と思われる一番高い所も藪の中であるが、白いプラスチックの標識が、わずかに見えたので、三角点は発見できた。 わざわざ三角点を探すのは、私くらいかな。 今日は和倉温泉に泊まり、明日は「七尾城山」と「石動山」を歩く予定。 2011年08月29日(月)1回 末森山-雷ヶ峰-七尾城山-初「石動山」 七尾城から降りて七尾市街で食事をして、今度は「石動山」を目指す。国道159号線を走り、能登二宮から山に向かう。杓子ヶ峠を越えて石動山に入る。辺りは「能登歴史公園」になっている。資料館があり、前に復元された大宮坊がある。その隣に「伊須流岐比古神社」がある。13.00時、資料館に車を置き、神社の石段を登る。神社横から歩道が分岐している。直登と左の山裾を周る道がある。山裾道に入る。 仁王門跡辺りから登りになり、ブナの林に入る。能登ではブナの林は珍しいようだ。宝達山にはあった。 歩き出して20分。13.20分に頂上に着いた。ここを「大御前」と云うらしい。社が建っている。伊須流岐比古神を大宮大権現と称し、白山宮より迎い入れた白山姫神を客人大権現と称し、ともに祀るとの事。 三角点は無いが、ここは地理院地図には「石動山」とちゃんと記入がある。山名札を提げる。 向こうに見えるのは、石動山城跡らしい。パノラマ展望台があり、立山連峰が一望とあるが、今日は山は見えぬようだ。梅の宮跡の方へ下り、展望台へは行かず、伊須流岐比古神社の方へ降りた。 「伊須流岐比古神社」は雰囲気が良い。手洗いの水は飲用可で、冷たくておいしい。 |