2005.04.より登山順
能登七尾の三山、
[能登] 七尾城山(松尾山) 379.9m (石川県七尾市)150 [能登] 伊掛山 252.18m (石川県七尾市)150 [能登] 赤蔵山 179.00m (石川県七尾市)150 |
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第6回 2020.01.25. 雷ヶ峰より車で移動-「赤蔵山」を散策。三角点も発見だ。 第5回 2018.06.13. 城山駐車場より「七尾城山」と「城山展望台」を歩く。 第4回 2018.06.13. 七尾城山より降りて、百海町より「伊掛山」頂上往復。 第3回 2013.03.23. 七尾の百海町より「伊掛山」頂上往復。この後赤蔵山を歩く。 第2回 2012.03.23. 伊掛山より降りて、「赤蔵山」の憩いの森を歩く。 第1回 2011.08.29. 末森-雷ヶ峰から初「七尾城山」散策。次に石動山へ。 |
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2020年01月25日(土)6回 雷ヶ峰より‐「赤蔵山」を散策 「雷ヶ峰」より車で移動。前回と同じ「赤蔵山憩いの森」の看板のあるお池駐車場に車を留める。11.40分。トイレも完備。 「名水百選・赤蔵山お池」の石碑より下に降りるとお池がある。 どこかで水が湧いているようだ。水は透き通っていて青い水草がなびいている。林道の赤い橋の下を通って、下に大きな池となっている。 少し登って「仁王門」まで行ってみる。ネットの辞書で調べたら、仁王門とは「お寺の門」と載っていた。 明治政府が出来た時「神仏分離令」が出され、一本宮寺と云うお寺が、「赤倉神社」になったらしい。 仁王門を入った先に「拝殿」になっている建物がある。これもお寺の建物だったのだろう。 大きな木の前に「三猿」が置いてあった。 ここから「本殿」まで、石を敷き詰めた苔むした参道が続いている。雰囲気がある道だ。 ピークの上に「赤倉神社本殿」が見えてきた。この本殿も、お寺そのままのようだ。柵で周りを囲まれ、立ち寄れない。桃山時代の彫刻がある様だが、よく見えない。 一度林道迄降りて須戸の歩くと。 案内板にあった「多目的広場・広葉樹の森」辺りへ入る、左の遊歩道へ入り登って行く。展望台目指して登る。 「あずま屋」があるので昼食にする。12.45分。 あずま屋の前から展望が良い。七尾湾が見える。 あずま屋からは降る道と、付近の探索路がある。 探索路を登ったら、歌謡・童謡作家「野口雨情」の石碑があった。「朝にゆうべに赤倉山は、下に能登湾人眺め」と書いてある。昭和9年に雨情が赤倉山を訪れ、頂上辺りで詠んだとの事である。ここにもあずま屋があり、少し展望もある。しかしあまり人は訪れない様だ。 林道まで降りて、地理院地図に載っている「赤蔵山」の三角点を探訪に行く予定。地図を眺めるとこの先だいぶ遠い。歩くのをやめて車まで戻り、車で改めて林道を上って行く。 林道の最上部の三差路に車を置く。14.05分。三角点を探して藪に突入。 この三角点を探して藪に突入するのは、7年前と3年前に続いて3回目である。タブレットに地図を出し、三角点の方向へ藪を漕ぐ。15分で三角点発見。
三度目の正直で三角点発見。激笹藪の中なので、埋もれているかと思っていたのに、ちゃんと周りも刈ってあり、地理院の白いプラスチックポールも立っていた。どうして今まで、見付ける事が出来なかったのだろう。記念撮影して満足してまた藪を漕いで車に戻る。14.30分。三角点までは道は無い。 昔作った山札は、林道の適当な所に提げてきた。こんな笹藪を分け入ると、上手くすれば三角点にたどり着ける。たどり着いても何もなし。自己満足だけだ。 ■次回登山は、1/29「俱利伽羅山・ドライブ」へ■ 2018年06月13日(水)5回 「七尾城山」-次に伊掛山へ 久し振りに能登の山を歩く事になった。まずは「七尾城山」。七尾城は城好きの人に大変人気がある様だ。8時に小松を出て、能越自動車で「七尾城山インター」下車。「城山P」に9.55分に到着。 七尾城の調度丸に有った看板。今回は「城山P」に車を留め「調度丸」から「桜馬場」「本丸」と登る。降りは「西の丸」「桜馬場」から「二の丸」へ。更に「三の丸」「安寧寺」から「沓掛場」まで降り、「寺屋敷」「調度丸」から「城山P」に戻り着く。車に乗り「展望台P」に行き「城山展望台」に登る。 駐車場から七尾湾が見える。団体様が頂上に登っているようだ。 「調度丸」まで登ってくると、石垣が目の前に広がる。 「本丸」の大きい石垣。 10.05分。本丸に登るとまことに眺めが良い。七尾市街と七尾湾が見える。天気が良くなる予報がはずれて、段々と悪くなってきた。七尾湾に霧が出てきた。本丸に居た団体さんの情報が、翌日の新聞に載っていた。(数え年で傘寿を迎えた記念の同窓会に出席するため全国各地から集まった七尾高10期生の30人が13日、国史跡「七尾城跡」で本丸跡からの眺望などを堪能し、ふるさとの魅力を再確認した。) 本丸の一番高い所に「城山神社」 7年前の札がまだ残っていた。 二の丸跡へ。 三の丸に居たら、下の急階段から登山グループが登って来た。ふもとの七尾城資料館からの登山路を登って来たようだ。 安寧寺跡。畠山氏の墓碑、七尾城攻防戦の武士の慰霊碑と書いてある。 沓掛場から調度丸に戻り、城山Pの車に戻る。 トリアシショウマかな。 駐車場で車に乗り、少し離れた「城山展望台」へ行く。ここにも大きな駐車場があり、トイレ寮もある。少し歩くと展望台が見えてくる。 展望台に登る前に展望台横の三角点に寄る。石の蓋がしてあって前回開けられなかったが、今回は簡単に開けることが出来た。中に三角点があった。
2018年06月13日(水)4回 七尾城山-百海町より「伊掛山」往復 七尾城山を一回りして、二山目の「伊掛山」に移動してきた。国道160号線で山を越えて、富山湾の海岸に出ると百海町で、岬の方へ300mほど入ると山に入る道がある。この先道が細いのでここに車を置く。地理院地図に登山路の記入がある。12.00時。 この三差路に「伊掛山・大銀杏・登山口」の標識がある。5年前よりだいぶ傷んできている。 すぐ集落を抜けて段々畑の中の道路を登って行く。段々晴れてくる予報が段々雨となってきた。車道は途中から登山路になる。 山に近づいて来ると急な階段になってくる。ジグザグ道を登り切ると鳥居に出る。「伊影神社」がある。山の斜面の少し開けた場所である。鳥居の横に「大銀杏」がある。12.30分。 大きな銀杏の木である。石川県で一番大きいと書いてある。 神社に雨宿りさせてもらって、昼食。由緒ありそうな神社なので帰ってから調べていたら、神社庁のホームページに載っていた。 人皇第49代光仁帝の定亀年中、当国重島より百歳の老翁が来られたときに、東海より白い鶏が流れ寄るを見て、笊籬(いかけ)を以てすくい揚げると、薬師如来観音の両像が現れ給う。翁の着いたところを百海と称し、鶏をすくい揚げたところを白鳥と名付ける。国主畠山義則が当国に在住。明治6年6月、少彦名社を伊影山神社と改称し現在に至る。 食事を済ませて、ここに荷物を残して「伊掛山」の頂上を目指すことにした。13.00時、鳥居の下から登る道があり案内板がある。伊影神社跡となっているから、昔は大きな神社だったのだろう。 神社から急坂を登ると、白鳥町からの尾根に登り着く。案内板には白鳥町からの登山路が記入してあるが、地理院地図には載っていない。帰りにS女史がこの道に入り込み呼び戻した。白鳥町からの道は有るのか無いのかはっきりとしない。分岐標識も無し。戻るときは尾根が直進しているので注意。神社へは右に斜面を降りる。 神社より30分で伊掛山の三角点頂上に到着。看板には伊掛山展望台と書いてあるが、展望らしきものは無し。13.30分。 山名札を提げてすぐ下山開始。 あずま屋は崩壊寸前。杉の木に寄りかかっている。 場所によってササが生い茂り、登山路が覆われている。神社でデポしてあった荷物を拾い、すぐ下山。 ぶらぶらと細い車道を降りてゆく。なかなかの坂である。雨が降って滑りやすい。14.40分に車に到着。 白鳥町へ降りる道があるとすれば、一周出来ていいのかなー。栢戸から登るとあっという間に登れそうだ。 伊掛山「YAMAP」による記録 ■活動日 2018/06/13(水) 11.59-14.44 ■活動時間 2時間45分 Ⓢスタート11.59→(1時間28分)→伊掛山13.27-13.42(15分)→ (1時間2分)→Ⓖゴール14.44 ■活動距離 3.5km ■高低差 237m ■累積標高上り/下り 425m/426m ■次回登山は、4/17「三方岩岳」へ■ 実はこの後「赤蔵山」の近くを通るので、前回見付けることが出来なかった三角点だけでも探してみようと、前回と同じ場所に車を置き、藪に突入。今回は二人ともタブレットに三角点地図を出し、楽勝かと思われたが笹藪のの凄さは半端じゃない。にっちもさっちも動けない。しかも三角点は斜面にあるようで判り難い。三角点の近くに居る事は判るがどうしても発見できない。15.48-16.25の37分間も藪の中に居たが今回も諦めて敗退。帰りが遅くなるとぶっ飛ばして帰る。 2013年03月23日(土)3回 百海町より初「伊掛山」往復-その後赤蔵山へ ちょこちょこと能登の山を7山登った。面白くてついでにもう二つ、七尾市付近の山を増やす事にした。 まずは「伊掛山」である。相棒からこの山の事は聞いているし、和倉温泉に遊びに行ったとき、登山口を確認済である。北陸自動車道で富山県に入り、小矢部砺波JCTより能越自動車に入り、氷見を過ぎる。自動車道はこの先で未完成、国道160号線を走る。この海岸線を走る国道は、晴れていれば富山湾越に立山連峰が拝めるので有名である。今日は見えない。 国道は百海(どうみ)町より、海岸を離れて七尾市に向かうが、右にさらに海岸線を300m程進むと登山口の看板がある。「伊掛山大銀杏 登山口」と書いてある。大きなイチョウの木があるらしい。車を置く場所が無い。ようやく近くに一台だけ置く場所を見付ける。 9.45分、歩き出す。村を直ぐ抜けて、段々畑と棚田になる。梅があちこちに有り満開である。 前方に見えるのが伊掛山だろうか。のどかな風景である。 農道が済んで階段の道となる。10.10分に「水飲み地蔵」の標識を見付ける。左に10m程降りると地蔵があり、その横下より水が湧いていた。 そのすぐ上が「伊影山神社」であった。鳥居の先に本殿が建っている。鳥居の横に大きなイチョウの木がある。 立て札に依れば「石川県指定天然記念物で、幹周10.87m、樹高27m。石川県内第一位。」 神社の鳥居の右より遊歩道が始まっている。急な斜面を登ると尾根の上に出る。尾根の上を進む。少し藪っぽい。 赤い実が目立つ、何だっけ? 尾根を直進して、突き当りを右に降り、一度降ってまた登ると電波中継所みたいなものがあり、その先が頂上だった。 横長い頂上。一方の端にあずま屋が在り、もう一つの端に三角点が在った。10.45分。
周りは木が茂ってあまり展望は良くない。七尾湾の方が少し見える。登ってきた富山湾の方もやっと少し見える。 パンを齧って一休み。元来た道を下山する。神社付近にキクザキイチゲ。今年の初見。 あぜ道にはオドリコソウ。よく見ると可愛い。 海を眺めながら、のどかな段々畑の間を降りる。11.45分に百海村の車に到着。 この後は「赤蔵山」を目指す。続きは下稿「赤倉山」へ 2013年03月23日(土)2回 伊掛山より-初「赤蔵山」散策 伊掛山より下山して今度は「赤蔵山」を目指す。案内本では田鶴浜町の「赤蔵山憩いの森」の本殿(奥ノ院)のある処を赤蔵山頂上としているが、国土地理院の地図では、憩の森より林道を1.5Kmほど入った地点に三角点が在り、赤蔵山と記入してある。しかもその辺りが一番標高が高い。しかもすぐそばを、憩いの森から続く林道が走っている。上手くゆけば地理院地図の赤蔵山三角点も見付けられるかも知れないぞ。 。 百海村より国道160号線を走り、七尾市街を抜け国道249号線に入り、田鶴浜ICより憩いの森へ向かう。憩いの森の標識を見付けて右折したら「憩いの森・赤蔵山・名水みたらし池」の看板を見付けた。鳥居のある正面入口ではないが、入り込んで見る。駐車場がありWCがあり、案内板があった。 案内板を眺めていたらここは「みたらし池」のそばらしい。しかもここからは憩の森の中心部に続いている。ここから歩こうと思ったが、ここから続いている林道が、赤蔵山三角点に続いている林道だと気が付いた。そこで三角点探訪を先にする事にする。 赤い橋を渡って林道を登って行く。右に奥ノ院に至るの表示がある。さらに登ると左に駐車場があり展望台への標示がある。さらに登って行くと舗装が切れ、一番高い地点に到着。左に林道分岐がある。その先は降りになる。分岐地点に車を置き、右手の高い所を目指して藪に突入。 場所は間違い無いと思うのだが酷い藪。笹が茂り地面が見えない。おまけに平らな地形でどこが頂上か判らない。藪に出たり入ったりで30分くらい辺りを探し廻ったが見当たらない。三角点探訪者の赤いテープなども残っていないかと、探したがそれも見当たらない。 諦めて適当な地点に作ってきた山名札を提げてきた。ひょっとすると見当違いの場所かもしれないな。
少し降りて広い駐車場に車を置いて、憩いの森の外側にある、広葉樹の森とか多目的広場の展望台を目指す。あずま屋が在ったので昼食。七尾湾が少し見える。 さらに登ったら最上部に「野口雨情」の歌碑があった。「朝にゆうべに赤倉山は、下に能登湾ひとながめ」。雨情は「波浮の港」「七つの子」「赤い靴」などで知られる歌謡童謡作家。田鶴浜を訪れた時、赤蔵山を散策し頂上付近で詠んだ歌らしい。 ここにもあずま屋が在り七尾湾が見える。向かい側は能登島との事。 さらに降って今度は林道から直接「奥ノ院」に向かう。ここからだと近道であまり登りが無い。 少し入ると遊歩道に突き当たる。右に進めば奥ノ院、左に進むと遊歩道が拝殿まで降っているらしい。 14.10分、赤蔵神社本殿に着いた。元は一本宮寺の奥ノ院だったと解説がある。覆いで周りが囲んである。 隙間から覗くと彫刻してある飾りがついている。桃山時代のもので重要なので囲いがしてあるようだ。下から長い石積みの参道が登って来ている。 今度は林道のみたらし池駐車場より「御手洗池」に降りてゆく。名水百選に選ばれているのは大きい池だった。そこから水が湧いているらしい。きれいな透き通った水の池である。 ここから参道の下を通って拝殿まで道があるが、土砂崩れで通行禁止になっていた。今度は憩の森の正面の駐車場を通り、仁王門前の駐車場まで上がる。仁王門には仁王様が立って居られるが、暗くて良く判らない。「仁王門」とは、仏寺の守護神として仁王を祀ってあるものなので、赤蔵神社のものではないと思うが?。 解説があった。やはり元は一本宮寺のものが残されたらしい。 その先に「拝殿」があった。拝殿とは神社の本殿の前にあるものだが、これはまさに寺院である。元は一本宮寺だったのかもしれない。明治の神仏分離令に寄って、無理矢理に拝殿にしたものだろう。まさに神仏混淆の名残である。我々庶民にしては神も仏も皆一緒なのだが―。 さらに下まで降りてみたら古いお寺が二つあった。これは「栄春院」 これは「怡岩寺」 仁王門の後ろから鳥居があり本殿に続く道が続いている。ここから参道になるようだ。 ぶらぶらと憩いの森の中を散策して回った。ほとんど全部見たのではないかと思う。ただ参道を下から上まで通して歩かなかったのは残念だが、15.00時に帰途に就いた。 2011年08月29日(月)1回 末森-雷-初「七尾城山」-石動へ 温泉に一泊して、「七尾城山」を目指す。和倉温泉から七尾市を抜けて、国道159号線に入り少し走ると、左に城山登山口の標識がある。一直線で四つ辻に「七尾城史資料館」がある。徒歩の場合はこの資料館から登り始めるのだが、今日はそのまま車を直進させて登って行く。ぐんぐんと登って、10.00時に本丸下の駐車場に到着。少し離れた所にトイレがある。 案内板に寄れば「室町時代、能登の国の守護代、畠山氏の居城。標高300mの山頂に本丸を置き、これを中心として急峻複雑の地形を利用した、規模雄大な山城である。城郭や石垣は良く保存され、わが国中世の、山岳城郭史上優れた遺跡として、国の史跡に指定。」 少し登って行くと壮大な石垣が見えてくる。 さらに登ると七尾市街が見渡せる本丸跡に出る。七尾城址の大きな石碑がある。 七尾市街、七尾湾、能登島大橋が見える。 一番高い所に神社が鎮座している。ここが七尾城山なのだが、案内本によると、だいぶ離れた展望台のあるピーク「松尾山」を、七尾城山としている。本丸から戻って、車に乗りさらに1.5K上まで進むと、広い展望台駐車場がある。トイレがある。 ここから歩くつもりだったが、さらに矢印で展望台まで車が入れるようになったみたいだ。突き当りにも舗装してない駐車場があり、トイレもある。遊歩道を歩いてゆくと、二階建ての展望台が見えてきた。展望台の横に三角点標識があった。ここも整地したので、三角点は土の中らしい。石の蓋があるが開けることが出来なかった。
展望台に登ると、本丸よりもさらに展望が良い。立山辺りが見えるそうだが、気が付かなかった。 案内本では、ここは「松尾山」と云うらしい。三角点の標高が七尾城山の標高になっている。しかしこの辺りには城郭は無いようだ。 |