2005.04.より登山順
石川県県境に近い
[福井77] 浄法寺山 1053m (坂井市丸岡町) [福井] 丈競山 1045m (坂井市丸岡町) [福井] 鷲ヶ岳 769m (勝山市北郷町) [福井] 鷹取山 454m (坂井市丸岡町) [福井] 六呂瀬山 195m (坂井市丸岡町) 5[福井] 雨乞山 215m (坂井市丸岡町)4 [福井] 化生ヶ岳 429m (坂井市丸岡町) |
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第9回 2022.10.01. 国道364号線より「鷹取山」を往復。次いで「六呂瀬山」を往復。 第8回 2021.06.30. 丸岡町田屋より「豊原三千坊」経由「化生ヶ岳」を往復。 第7回 2020.12.23. 丸岡町田屋町より「雨乞山」を登り、帰りに「豊原三千坊」に寄る。 第6回 2020.05.29. 勝山市伊知地町より「鷲ヶ岳」往復。 第5回 2020.03.29. ゴルフ場より「鷹取山」往復。 第4回 2011.09.07. ゴルフ場より「鷹取山」往復 第3回 2010.06.27. 青少年旅行村より冠岳コースて゜「浄法寺山」。下りつつじヶ原コース。 第2回 2010.06.05. 勝山市伊知地町登山口より「鷲ヶ岳」往復。 第1回 2008.05.05. 旅行村より、冠岳経由。「浄法寺山」、「丈競山」へ縦走。北丈競山経由で龍ヶ鼻ダムに |
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2022年10月01日(土)9回 「鷹取山」-「六呂瀬山」 鷹取山は2度登っている。いずれもゴルフ場の中を通るコースである。この度反対側の国道364号から登っている記録を見付けて登りに来た。山中温泉から丸岡に抜ける国道364号で福井県に入り、山竹田を抜け「近庄トンネル」を越え「小近庄トンネル」との間に鉄塔巡視路がある。車を留める所が無いので、小近庄トンネルを過ぎたら「六呂瀬山古墳群駐車場」があった・ 車道を歩き、越えてきた「小近庄トンネル」を歩いて戻る。10.00時。 上空の送電線の下に、巡視路がある。 標識「越前線№45-49」がある。この標識は道路からは見えない。 急坂を登る。 最初の「送電線鉄塔№45」を通過。 斜面をトラバースして、急坂ジグザグ階段を登る。 2番目の「送電線鉄塔№46」を通過。 ここから緩やかになり、地図の365ピーク辺りに出る。 林道が上がって来ている。斜面の大きく禿げた場所が見える。猫みたいな標識。 3番目の「送電線鉄塔№47」を通過。下の方に関西電力の双子鉄塔がある。 頂上へ向かう。途中に「越前線№48-50」への分岐がある。頂上は直進。 左よりゴルフ場からの道が合流。鷹取山標識はゴルフ場コースの物。今日のコースの標識は一切無し。 すぐ関西電力の双子送電線鉄塔通過。 参考した記録はススキの藪だったらしいが、最近刈り取ったらしい。石の祠二つあり。石仏あり。 「鷹取山」頂上到着。12.15分 。 海の方が大展望。送電線が少し邪魔。 福井の方面。 ベンチがいっぱい。昼食。 下に福井カントリー。コースの中に登山道がある。 11年前に提げた山札か残っていた。 「3等三角点」、点名は「向取」、標高は「454m」。 下山開始。 関西電力の双子鉄塔№281より福井方面。見える鉄塔は「越前線№47」 「47鉄塔」より頂上が見えた。 365ピークの辺りに「御陵小学校卒業記念樹」の札があった。植樹の跡とベンチの跡。 「45鉄塔」まで降りてきた。 国道が見えてきた。 トンネルの中を戻る。 車を置いた駐車場に戻った。向こうに見えるのが「六呂瀬山」である。荷物を置いてこれからあの山に登る。 下に続く 2022年10月01日(土)9回 「鷹取山」-「六呂瀬山」 ここは初めての徘徊。ヤマップではランドマークの着いた山である。立札によれば「国指定六呂瀬山古墳群」で、前方後円墳が二つと方墳が二つあるらしい。 駐車場からは園路が続いている。 一号墳「前方後円墳」の後円墳に登り着く。ここが一番高いのでここが「六呂瀬山」の頂上である。 みのまま、前方墳の方へ降ってみる。標識などは一切無し。 九頭竜川が見えた。前方はこの間登った「二本松山古墳」と思われる。 尾根を利用した古墳群である。三号墳を通って帰る。駐車場の近くにあずま屋がある。 継体天皇は、地方から出て天皇になった珍しい天皇。継体天皇の母親の「振媛・ふりひめ」の先祖の墓ではないかと云われている。案内板で色々勉強。 最近の新聞に、ここの前方後円墳が、計測して、今まで北陸最大の前方後円墳と云われていた、能美の「秋常山古墳を抜いて、北陸最大となった、と載っていた。 ■次回登山は、10./6加賀の「東尻高山」へ■ 2021年06月30日(水)8回 田屋-「豊原三千坊」-「化生ヶ岳」-ダム 去年の暮れに「雨乞山」に登って、帰りに「豊原三千坊」を通った。時間が無くて奥まで探訪出来なかったので、機会があったらもう一度徘徊を考えていた。この度「化生ヶ岳」と豊原三千坊を歩いている人の記録を見付けて、それを参考にして歩きに来た。前回と同じ丸岡町田屋の豊原三千坊資料館の近くに車を置く。 案内板がある。「化生ヶ岳」が載っている。429m.と書いてある。ここから化生ヶ岳を往復するぞ。 案内板の横から、柵を開け閉めして畔道を歩く。突き当りの柵を開け閉めして「白山神社・新」の裏から入る。「豊原三千坊」の中にあった「白山神社」がここに移転したものらしい。 神社の横から、道か藪か判らない所を通ると、林道に出る。「六本木坂」がここから始まるようだ。 しばらく歩くと右に「雨乞山」への分岐がある。前回はここから「雨乞山」を往復した。 今日は「六本木坂」を直進する。 木が何本も倒れ込んでいて、前回とは荒れているような感じだ。 林道に登り着く。その先に「山城山城跡」への分岐がある。前回は山城山城跡まで往復していたが、今日は墓跡遺跡まで行って戻る予定。 「歴代院主の墓」まで行って戻る。 戻って少し降りると「六地蔵」がある。「豊原三千坊跡」の石碑も建っている。 六地蔵の前でしばらく座り込んで休憩。10.30分。 六地蔵の向かい側は「西の宮城跡」の標識が建っている。覗いて見るが何も遺跡は見えないな。 さらに進むと「地蔵堂」がある。案内板に「豐原地蔵菩薩立像・豐原寺を再興した搭融和尚の作で天保7年の飢饉で亡くなった人達の供養に作製。」と書いてあるが堂の中は空っぽ。どうも家出中らしい。「閼伽井・あかい・搭の池」の方へ進む。 ここから先は初めての道。川沿いに登って行く。 所々に石垣がある。豊原三千坊の中心部らしいな。昔は建物があった様だな。 石垣に「ユキノシタ」が咲いている。 凄い石垣が続く。 「豐原寺跡」の案内板。白山豐原寺は大宝二年西暦702年に泰澄大師により開かれ、昌龍和尚が中興。中世には豊原三千坊として繁栄。その後一向一揆が本拠地としたため、織田信長によって焼き払われた。とかとか書いてある。豐原寺跡に登って見たが何も無いようだ。 最近建てられた「開基千三百年記念・白山豐原寺」の碑がある。ここを登って行く。 「川上神社」という祠がある。この先の分岐を「閼伽井」の方へ寄る。 「閼伽井(搭の池)」の標識。小さな池である。泰澄大師が越知山から、東方の方角に紫雲がたなびいている所を見付け、天女の導きにより豐原に至り、ここに草庵を建てた、という泉が閼伽井である。閼伽井とは仏に供える水の事。この池には川が流れ込んでいない。どうも湧水のようだ。綺麗な水が小川になって流れ出している。 白山神社への古い石段を登って行く。天正四年西暦1576年の移城に当たり、寺院の多くがそれに従ったが、華蔵院だけが残り法灯を伝えた。明治の神仏分離令により華蔵院は廃寺となり「白山神社」岳が残ったらしい。 長い石段の途中に「稲荷社」と「鐘楼跡」の標識がある。 「白山神社(旧)」に登り着いた。廃墟である。ちょっとの建物。 神社あとは神仏分離令で残った石仏ばかり。 「深沙大王立像」の案内板がある。「ここから約1km先、徒歩1時間。化生ヶ岳山頂の小堂に深沙大王立像が安置されています。 「深沙大王は仏の世界を守る護法神です。丸岡城の北方守護神として天保8年に造像されました。是非足を延ばしてお参りください」 了解、今より登ります。(エッ!、まだ1時間も掛かるのか)。11.25分。 神社の右横から登ると、すぐ林道に出た。 左に林道を歩いてゆく。 林道より右に作業道に入る。 草ぼうぼうだな。頂上に近づくと作業道は行き止りとなり、登山道になる。 頂上の祠にたどり着いた。先に着いたS女史が扉を開けて待っていた。 祠は平成20年に建て替えられた様だ。全国的に珍しい憤怒像との事である。変わった像だな。よろしく。 13.30分、祠の横で昼食。今日は風があり思ったほど暑くない。この祠は化生ヶ岳の頂上となっているが、地図を見るとこの祠は、化生ヶ岳の頂上から延びる尾根先のピークにある。 ランドマークが付いている訳では無いが、429mピークが「化生ヶ岳」の頂上だと思われる。空身でピークを往復する。 一度少し降ってまた登る。藪はほとんど無し。頂上には何も無し。なだらかな林の中だ。展望も無し。 祠に戻って、記念撮影をして同じ道を下山開始。 地蔵堂まで戻り、ここから前回と同じ「豐原ダム湖」のコースを降りる。 なかなか遠いぞ。「豐原の滝」が見える。 ようやく置いた車が見えてきたぞー。白山を開いた泰澄大師が拓いた豊原三千坊の遺跡徘徊は中々面白かったな。 ■次回登山は、7/3加賀「大嵐山」へ■ 2020年12月23日(水)7回 「雨乞山」と「越前豊原三千坊」 相棒がネットで「雨乞山」を見付けてきた。聞いた事のない山なので色々調べてみた。福井県の丸岡町の山手に、1300年頃前に「泰澄大師」が開いた白山信仰の聖地があったらしい。「豊原三千坊」と呼ばれるほど賑わっていたようだ。この地から白山へ登る禅定道もあったようだ。車を置いた田屋町の登山口にある古道マップだが、ネットにも載っていて眺めていて、下の方に「雨乞山城コース」を見付けた。地理院地図には名前が無いので、これでようやく「雨乞山」が確定できた。また豊原三千坊の中心部に「山城山城跡」というのもある。今回は「雨乞山」を往復して、六本木坂で「山城山」に行き、辺りの遺跡を歩いてみよう、という予定。 丸岡町田屋という地名をカーナビに入れて走ったら、「豊原三千坊資料館」の横に出た。豊原さんという子孫の方の個人で立てられた資料館らしいです。中心にあったの「豊原寺」の、仏像などが収められているようだ。予約しないと開けないようで閉まっている。 その隣に「金比羅神社」があり、横に車を置く。神社の長い階段の上に、丸岡藩の福島恵美子が四国88ヶ所巡拝、霊場の土を持ち帰り仏像を祀った。この山を巡れば巡礼と同じ効果。と書いてある。 この案内板の横を田んぼの方へ降りて、橋を渡り左折して一直線に進む。 突き当りの柵を開けて登山路に入る。 すぐ「新・白山神社」がある。旧の白山神社は、山中の遺跡の中にあり、大きな遺跡として残っているらしい。地図に神社マークがある。横の茂みの中に路がある。標識無し。 荒れた感じの道を行く。「石城戸」という標識。門があったのかな。この道は「六本木坂」と云うらしい 右に分岐。「雨乞山城址コース」の標識と「東金津新福井線№23」の標識。ここを入る。 川を渡る。 斜面を登り、尾根に登り着き、尾根歩きとなる。 緩やかな広い尾根を行く。 23番鉄塔が見えてきた。 鉄塔に登り着く。海岸線が見える。丸岡の町が見える。 送電線が続く方は、豊原三千坊の遺跡が残る方面だ。 丸岡の町の中に「丸岡城」が見える。 少し雪が出てきた。 ここら辺りが「雨乞山」の頂上らしい。地図に215mの記入がある。展望無し。標識も無し。城の遺跡も無し。 少し降りて雪の積もっていない登山路に座り込んで昼食。 分岐まで戻り「六本木坂」を登って行く。 荒れた感じの道を行く。 広い「歴史探訪コース」の道に登り着いた。少し先に「山城山城跡」への分岐がある。 分岐より左に入ると豊原寺「歴代院主の墓地」を通る。 「山城山城跡」の方へ登って行く。 突き当りに「山城山城跡」の広場があった。建物は無し。隅に展望台があり、登った相棒は何も見えない、と言ったので登らなかった。老人は垂直のハシゴが怖い。 標高215mの「山城山」に山城が築城された。その後丸岡に移築された、と書いてある。地理院地図に225mのピークがある。そこに城があるのかなと思っていたが、10m低いここに城があり、ここが山城山だと思われる。 入り込んだ分岐まで戻り、その先を降って行くと「六地蔵」と石仏がある。この辺りが豊原寺の中心地らしい。 ここにも案内板がある。 「延命地蔵堂」があった。中は空っぽだった。この先へ入り込むと、まだ色々と遺跡がある様だが、またの機会にして今日はここから戻り始める。 車道を歩きダム湖を通って帰る予定。「ガーデン・トヨハラ」という施設の前を通る。キャンプとかが出来る様だ。休業中。 車道はダム湖の上に出る。滝が横にあるが良く見えない。 回り込んだらダム湖へ流れ込んでいる「豊原の滝」が見えた。 軽機械の車が通って行った。人が居るのかな? 山の上からここまで降りてきた。豊原史跡だけを訪ねるのなら、ここが入口なのだろう。 太い林道をぶらぶらと歩くと、置いた車が見えてきた。 ■次回登山は、12/27福井「城山・吉江山・天神山」へ■ 2020年05月29日(金)6回 伊知地町より「鷲ヶ岳」往復 10年ぶりで2回目の「鷲ヶ岳」を思い立つ。コロナで県境を越えるのは自粛との事であるが、福井県に入って何処にも寄らず、伊知地町の白山神社の横の駐車場に到着。9.30分。 県道17号のコンビニの横に案内板があり入る。曲がり角には必ず案内表示があり、山裾の白山神社の鳥居の前を通り、神社横の「登山者駐車場」に車を置く。先着は一台のみ。登山経路概要の標識がある。 駐車場から見える山が、山の格好が似ているから、「鷲ヶ岳」のようだな。遠いぞー。 作業道に入り込み、暫くで分岐を右に登山道登り出す。 標識「10-1・山いい~ん会」を通過。 水場に到着。標識「10-2・山いい~ん会」がある。水はうまかった。 水場を過ぎたら急な登りとなる。大岩の横を通る。「馬の蹄跡」の標識がある。岩に蹄の跡がある。古戦場の名残らしい。 大きな倒木の横に、標識「10-3・やまいい~ん会」がある。早くも若者が3人降りてきた。 急坂を登り切ると作業道に合流した。「馬屋跡」と「小屋の清水」への標識がある。休憩。 作業道から登って来た方が見える。馬屋跡には何も見るものは無かったようだ。小屋の清水の方へ登れば近道だったが、登り口の地図のように、作業道を歩き出す。 作業道に奇麗な「黄色の花」が咲いていた。名前不明。作業道はすぐ直進した道と合流。その先に「小屋の清水」の飲み場があった。水は半分枯れているようだ。 草ぼうぼうの作業道を登って行く。標識「10-4・山いい~ん会」の標識通過。 標識「10-5・山いい~ん会」の標識。女性2人と子供2人の4人パーティーに追い抜かれる。 作業道の突き当りから尾根の登山道に入る。標識「10-7・山いい~ん会」の標識がある。案外細くて緩やかな尾根で、ピークが二つ三つある。 白山が見えるの標識あり。今日は白山は見えず。 標識「10-8・山いい~ん会」の標識通過。男性1人に追い抜かれる。 頂上が見えてくる。「10-9・山いい~ん会」の標識を通過。最後の登り。 「10-10・山いい~ん会」の標識で頂上到着。12.40分。「畑将軍戦死の地」の石碑が建っている。南朝の忠臣・新田義貞が福井で戦死し、義貞の忠臣・畑公が16騎でここに籠ったが戦死との事。 展望は良い。「白山」は裾が見える。手前の山は「勝山水無山」。 目の前は「大佛寺山」かな。 海の方面「鷹取山」かな。鉄塔がある。 「浄法寺山」「冠岳」「丈競山」が近い。 今日の登山者は、我々を加えて10名だな。遠くの山は「銀杏峰」「部子山」かな。
13.30分に下山開始。同じ道をひたすらに降りる。 15.50分にようやく駐車場の車が見えてきた。老人にとって久しぶり疲れた登山だったぞ。 ■次回登山は、5/31加賀「五軒長山」へ■ 2020年03月29日(日)5回 フクイ㏄より「鷹取山」往復 この時期、低山で登ったことが無い山や、しばらく登って居ない山を探して登って居る。9年前に登った「鷹取山」をネットで見付けた。頂上にベンチのある写真を見ていて、登りたくなりS女史と登りに来た。前回登った時は駐車場が無く、登山口近くの大森町の、道の広い所に車を置いて登った。しかし丸岡町板倉の「高椋東部コミュニティセンターに車を置くようにと、指定されていることを知った。 10.15分に「高椋東部コミュニティセンター」に到着。高速に乗らなくて到着。公民館と幼稚園があるようで駐車場は広い。車を置いて案内板を確認して出発。農道を歩き出す。向こうに見える山の、一番高い所が「鷹取山」と思われる。 分岐には案内板がある。農道は2キロほどある。なかなか長いぞ。 森山地区の民家の間を抜けると、ゴルフ場に入る門がある。獣除けの柵である。看板を読んでカギを開けい入り込む。 ゴルフ場のど真ん中を通過する道路である。案内板もある。 休憩所と自動販売機とトイレの横を通る。トイレを使わせてもらったが、帰ってから駐車場の案内板を読んでいたら次のように書いてあった、ご注意。「ゴルフ場内の自動販売機・休憩所・トイレは、登山者は使用禁止です」。 休憩所の先で、獣除けの柵を開けて登山道に入る。 すぐ「八畳岩」を通る。上面は平らで八畳間。我が家と一緒で掃除がしてない。 山に入ると、間伐か下刈りの作業道が、いろいろと作ってあり、複雑になっている。登山路は時々作業道を歩く事になる。分岐には必ず表示があるので助かる。 おまけに鉄塔が通っており、巡視路もあり、表示が頼みだ。 大分登って来たな。 ここからまた旧道に入るのだなー。 ここらあたりで作業道は無くなり、登山道らしくなる。 9年前の道は全然覚えがない。 変わった形の鉄塔が2本並行して走っている。頂上はすぐだ。 広場に祠がある。ここが頂上らしい。水仙が植えてあるようだ。 その後ろのコブの上に三角点があり、頂上である。9年前の山札が残っていた。12.45分。
山側は木があり良く見えないが、「火燈山」辺りかな。 昼食。ベンチに座っていても、海側は展望が良い。 下にゴルフ場が見える。海まで見渡せる。 こちらは福井市街の方面。 頂上ベンチ、座っていて大展望。 下山開始。同じ道を降りる。 「文殊山」と「日野山」が見えるな。 ネコノメソウ ワサビナ フキ ショウジョウバカマ キケマン クロモジ ダンコウバイ サカキ タラノメ カタクリ ヒメオドリコソウ ツバキ オトギリソウが咲くらしい。 15.25分に車に戻り着いた。 ■次回登山は、3/31福井「矢良巣岳」へ■ 2011年09月07日(水)4回 フクイ㏄より「鷹取山」初登山 福井県の丸岡町の40歳のK様と云う方より、7月頃に丸岡の「鷹取山」の情報のメールを頂いた。小松の鷹落山は知っていたが、丸岡の鷹取山は聞いた事が無かった。調べてみたらなかなか面白そうである。「たかとりの郷づくり協議会」が整備しているらしい。地元に愛されている山のようだ。高さも私に丁度良い。9月に入ってようやく涼しくなったので、仲間を誘って登りに行く。この山は「福井県の山」の案内には載っていない。 高速丸岡インターで降りて、インター入り口の交差点を左折して、永平寺の方へ進む。次の信号を左折して県道17号線と平行に進むと、山が近づき、左に戻るように山裾を走る道路に入る。フクイカントリークラブの標識がある。 フクイCCの入り口よりさらに進むと、右の大森の集落の中に入る鷹取山の矢印がある。車で入り込んで見たが、集落の中は狭くて車を置く所が無い。村を抜けて村はずれの広い道路に車を置く。靴を履いて村の中の矢印を進んだら、ゴルフコースに入るゲートが有った。ここから0.6KmはフクイCCの私有地であり、注意して通行してください、と書いてある。車は通行禁止で駐車は、高椋東部公民館に入れてください、と書いてある。高椋は県道17号線沿いにある。 9.55分、入口ゲートを開けて、ゴルフ場の中のまっすぐな道を進む。ゴルフを楽しんでいる人が居る。出口ゲート付近に売店がある。トイレもあるので使わせてもらう。10.10分出口ゲートを開けて外に出る。 鷹取山登山道、山頂まで2.6㎞の標識がある。しばらくは苔むしたコークリートの道を行くと、山道になり、「八畳岩」と云う大きな岩の横を通る。 「ホツツジ」 「ママコナ」だと思う。 「キンミズヒキ」 「ムスビトハギ」。秋の花が咲きだしてうれしい。 今日の抹茶タイムは、K君がロンドンで買ってきたガラスの器で、冷たい抹茶である。氷の入った冷たい水の抹茶はまことに美味しい。20分休憩。 「ヘビイチゴ」の花が残っている。 11.20分、林道を横切る。林道と云っても荒れていて車が入れるかどうか。竹田の方面から入るようだ。K様のメールに寄れば、ここまで車で入れるようだが、荒れている。 ようやく暗い林を抜けて、右手に平野が見えてきた。「文殊山」が見える。鉄塔の横を通る。次の鉄塔が近づく地点で、折り返して左に登りだす。山頂まで0.5㎞と書いてある。 ここら辺りは鉄塔が交差している。変わった形の鉄塔が見えてくる。 「ゲンノショウコ」 「センニンソウ」だと思う。 変わった形の鉄塔を過ぎたら、前方に初めて小山が見えた。あれが鷹取山の頂上らしい。ワラビの草原をかき分けて登って行く。 11.50分。「鷹取山」の頂上到着。石の祠がある。福井県の山には、これと同じような祠がある山が多い。 一番高い所に三角点が在る。石柱もある。
頂上東側の木陰で食事をして、コーヒーを入れて貰う。風があって涼しい。食後、東側の鉄塔に至る巡視路を行ったら、鉄塔の下より国道364号線沿いの竹田の集落が見えた。向こうの山は火燈山-小倉谷山-富士写ヶ岳の、春に歩いた不惑新道である。右には丈競山から浄法寺山が見える。 西の方は頭が二つに割れた文殊山と、遠くに日野山が見える。 送電線が邪魔になるが、稔りを迎えた田圃が美しい。海まで続いている。 13.10分下山開始 「クズ」 「イヌゴマ」違うかな。 「ヨウシュヤマゴボウ」かな。 これは「ミョウガ」花が咲いている。いっぱい採って帰った。 14.00分。八畳岩の上で一休み。本当に八畳ほどの広さがある、平らな岩だ。 またゴルフ場を横切って車までたどり着く。14.35分。 2010年06月27日(日)3回 旅行村-冠岳-「浄法寺山」 「浄法寺山」は2度目。最近は蒸し暑い日が続く。浄法寺山なら車で結構登るから、登りやすいかな、と考えたのだが---。8.20.加賀ゆめのゆで待ち合わせ。山中温泉から大内峠を越えて、鮎街道を遡り青少年旅行村に上がる。 9.30.駐車場には一台も留まっていない。日曜なのに、こう暑くては山に登る人はいないようだ。水場より冠岳コースを登る。 このコースは物凄い急坂である。途中に横に入ると岩場があった。10.20.ちょっと休憩。 10.55.冠岳直下の展望台に到着。目の下に旅行村が広がり、遠くに福井の町が見える。 望遠で引っ張ってみたら、福井の街のビルが林立していた。 冠岳の頂上で抹茶タイム。30分休憩。早くも疲れが出て動きたくない。今回のメンバーは相棒K君と、N女史とN氏の4人。 11.30.ここからは浄法寺山までは、広い尾根を行くので、楽だったと記憶していたが、こう蒸し暑くては半分熱中症。相棒と二人で、あっちこっちで寝っころがる。 11.45.左に分岐の標識があった。冠新道とある。ダムへ、じょんころ広場へ、と書いてある。新しい道が出来たらしい。 その少し先に展望地点があった。九頭竜川の方が見える。 12.50.ようやく浄法寺山の頂上到着。先行の二人を30分も待たせたようだ。昼食時間。 目と鼻の先に南丈競山と富士写ヶ岳。元気が良ければあの小屋までと思っていたが、完全にへたばっている。 丈競山の右に小松ドームが見える。望遠で引っ張ったら、木場潟の向こうに、我が家のある小松の街並みが見えた。 福井の勝山の方も見える。13.45.下山開始。 「ツクバネソウ」かな。違うな。 14.30.冠岳まで戻り着く。ここからはツツジが原コースを下山する。私は初めての道である。15.05.「びんつけ地蔵」に到着。その昔、九頭竜川の主黒竜が美男子に化け、びんつけの作り方を教える代わりに娘おりゅうと結婚した。ある里帰りの時、二匹の竜の姿を見られて、昇天してしまった。両親は悲しみここに像を安置した。 尾根の先がら急坂を降りる。岩場に出ると黄色い花が咲いている。「タイトゴメ」かな。 獅子岩という岩を通る。 遠くから見ると獅子にみえるのかな。左に黒岩と向こうに冠岳。黒岩はロッククライミングをするようだ。 「ウツギ」の咲いている道を下って広い旅行村の一角にたどり着く。16.00.駐車場に到着。バテバテの一日でした。 2010年06月05日(土)2回 伊知地町より「鷲ヶ岳」初登山 一週間前大師山に登った時、この「鷲ヶ岳」のそばを通った。帰り道、車の中よりよく眺められた。加賀の里山に入れようと、皆さんを誘って8.30.加賀のゆめのゆに集合。車二台で、山中温泉より大内トンネルを抜け、九頭龍川の鮎街道を上り、国道416号が、九頭龍川を渡って合流する手前で、左に田圃の中の農道に入り、山裾の「伊知地」の村を目指す。村中を抜けると山裾に白山神社の鳥居がある。その先に広い、登山者無料駐車場があった。車ナビのおかげで迷わずに、9.20.に着いた。 駐車場の片隅に、登山届けのボックスがある。人気の山なのだろうか。「ワシズ岳に登る人は記帳お願いします」と書いてある。地元ではワシズ岳と呼ばれているようだ。 9.30.駐車場より登山路がある。ワラビを取りながらのんびりと歩く 「コアジサイ」が咲いている。 開けた場所に出ると、目の下に九頭竜川が流れている。いつの間にか大分上っている。 10.00.「馬のヒズメ跡」の大岩の横を通る。岩に丸いくぼみがある。その昔、ここは古戦場だったようである。 10.20.林道に出る。標識があり、右へ林道を戻ると「馬屋跡」と書いてある。直進すると「小屋の清水」と書いてある。戻って馬屋跡を見るのは邪魔くさいから、直進して小屋の清水の方へ進む。 直進する道はショートカットの道で、すぐ林道へ戻る。しばらくで右にビニール配管で水場があった。横に道があるから、水場に通じているらしいが、今は林道まで水を引っ張ってきているようだ。その水を使って、抹茶休憩30分。 「キンポウゲ」かな。 「ムラサキサギゴケ」 荒れた林道を降り曲がりながら、だいぶ登ってきた。 11.20.林道がなくなり、そのまま登山路となる。ここから尾根歩きとなり、向こうに頂上が見えてくる。 「ヤマボウシ」が咲いている。今年初めてかな。 「ホウノキ」に大きな花が付いている。11.55.頂上到着。三角点がある。
広い頂上で、大きな石碑と案内板がある。ここは古戦場だったらしい。案内板によれば、「西暦1341年、南朝の忠臣新田義貞が、灯明寺畷で戦死の後、義貞の重臣畑時能公が、ここに立ち籠り戦ったが戦死」 「畑将軍戦死之地」の石碑のある頂上で、1時間以上も辺りを眺めてゆっくりと昼食。 九頭竜川が下を流れていて、川上の方の眺めがよい。 13.10.下山開始。「ナナカマド」の花が咲いている。 「ツクバネウツギ」 14.40.車を置いた駐車場に到着。 九頭竜川のほとりまで出ると、さっきまで居た「鷲ヶ岳」が見えた。たけくらべ温泉に入って帰る。 2008年05月05日(月・祝)1回 冠岳-「浄法寺山」-「丈競山」初登山 この山は福井県の山であるが、石川県境に近いので、加賀の里山に無理に入れた。「火燈山」や「小倉谷山」に登ると、南のほうに、丸い山の頂上に山小屋が見える山がある。南丈競山だと相棒が教えてくれる。隣の北丈競山と「たけくらべ」をしているのだそうだ。 福井の帰りにドライブしていて近くを通ったので、下調べに龍ヶ鼻ダムに寄ったら登山口があった。登山者の車が置いてあった。私も一度登ってみようと相棒のK君に相談したら、車二台あるなら「浄法寺山」から縦走しようといった。あまり長距離は困ると思ったが、調べてみると「丈競山」と「浄法寺山」の間がめっぽう短い。おまけに浄法寺山の登山口が標高が高いので、楽かも知れないと考えた。 天気が悪い。今にも降り出しそうだ。二日前の富士写ヶ岳登山の時と同じ場所で8.10分に待ち合わせる。少し戻って我谷ダムを渡り大内峠のトンネルを越えて福井県に入る。すぐの竹田の村を左に折れ、龍ヶ鼻ダムの「じょんころ広場」に、車を一台置く、8.35分。国道364号まで戻り永平寺町の方へ下りる。九頭竜川を渡らずに、河岸を遡り、上浄法寺村より「青少年旅行村」に登る林道に入る。9.15分上り詰めた旅行村に着く。駐車場がありキャンプサイトがある。管理棟の横に車を置く。目の前に烏帽子のように尖った頂きが見える。あれが「冠岳」らしい。 9.30分に歩き出す。小屋前に水場があり、冠岳に直登するコースと、ツツジヶ原経由のコースがある。どちらも冠岳の頂上下で合流する。朝の元気の良いうちに急坂を登ろうと、冠岳直登コースに入る。「ヤマブキ」の黄色い花が咲いている。 急登は覚悟していたが、ロープの下がった岩の急坂が続く続く。案外遠回りのツツジヶ原のコースが、早く着いて楽だったかも知れないと思った。 10.30分、冠岳頂上直下の「展望台」に着く。目の下に旅行村が見え、福井の市街がとても近く見える絶景である。 10.40分、冠岳の頂上到着。837.7mの三角点がある。 これから登る浄法寺山が見えるが、ピークが幾つもあり、どれが頂上か判らない。左には頂上に山小屋が見える丈競山がすぐ判る。ベンチで相棒のお手前で抹茶を一服頂く。 一度下り、その後なだらかな「らくだの尾根」と呼ばれる広い尾根を行く。見通しは利かないが、緩やかな気持ちの良い道である。「イワウチワ」「スミレ」「チゴユリ」が咲いている。 丈競山の小屋が見える。 瘤を二つ三つ越えて、11.55分に頂上に到着。三角点があり展望台がこしらえてある。南に小屋の載っている南丈競山が近く、その左に富士写ヶ岳が大きく見える。 南丈競山の右には、なんと加賀の平野が望めるではないか。しかも私の住んでいる小松の方面らしい。方位盤に小松ドームの絵が書き込んである。 白山方面は雲の中だが、勝山方面の平野が見える。大日岳も近いはずだが、それらしきは見えるが確信が持てない。それにしても見晴らしの良い山である。
雨がポツリと来そうなので、展望台の下に入り込んで昼食にする。40分程滞在。先が長いので12.35分に、南丈競山に向けて出発する。 「浄法寺山」と「丈競山」(たけくらべ山)は、ほとんど標高が同じだ。二つの頂きの間の釣り尾根は、笹の生えた気持ちの良い尾根道である。南丈競山に向かって真っ直ぐに進む。下るがあまりたいしたことが無い。 13時。25分ほどで「南丈競山」に着いた。ここが丈競山の頂上である。石仏がある。白山の遥拝所だったらしい。今日は白山は見えない。 大きな避難小屋が建っている。この小屋が何所からでも見える。小屋の裏からは、丸岡あたりの平野が俯瞰できる。 振り返ると、さっきまで居た浄法寺山が見える。 小屋の後ろから「北丈競山」が見える。あの山を越えて下山するのだ。大分下ってまた登らねばならない。鞍部に下りると「石楠花」の盛りである。 もっと時間が掛かるかと思ったが、13.40分、30分強で北丈競山に着いた。三角点がある。南よりも80mほど標高が低い。低いほうの頂きに三角点があるのだ。さっきまで居た南の頂きが見える。
平野がよく見える。丸岡、金津方面と思われる。下を覗くと下山口の龍ヶ鼻ダムが見える。あそこまで下りるのか。標高差が多い。さきが思いやられる。 北丈競山を大下りすると、なだらかな稜線が続く。振り返ると南と北が丈け競べをしている。 あまり起伏の無い、広い気持ちの良い登山路だが長い。1時間近くも掛かって「大岩広場」に着いた。さらに30分で、じょんころ広場とダムの分岐点に着いた。昔はダムの方から登ったが、今はダム湖の上流の、広場の駐車場から登る人が多いらしい。左にじょんころ広場の方へ下りる。「じょんころ」とは方言らしいが意味が判らない。 じょんころ滝と言う小さい滝のそばを通り、砂防の堰堤を二つほど越えて、急坂を降りたら、15.45分、じょんころ広場に着いた。広場より頂上が望める。北か南かちょっと判らないが、どうも南丈競山らしい。 鈍足記録・旅行村より冠岳まで1時間。冠岳より浄法寺頂上まで1時間。浄法寺山より丈競山まで25分。丈競山よりダム湖まで2時間40分。 浄法寺青少年旅行村に置いた車を取りに行く。35分ほと掛かる。途中で雨が強くなった。登山中は合羽を着ることがいらなかったのは幸いである。 |