2005.04.より登山順
[加賀] 錦城山 65m (加賀市大聖寺荻生町)34 深田久弥山の文化館 加賀市の三角点 |
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第9回 2024.04.14. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。 第8回 2023.01.11. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。 第7回 2022.02.24. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。 第6回 2021.01.26. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。 第5回 2019.02.11. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。この後「寺尾観音山」へ。 第4回 2018.11.14. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より一周。 第3回 2015.11.14. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より往復。 第2回 2011.03.16. 錦城小学校運動場裏の、駐車場より往復。 第1回 2005.09.24. 錦城小学校運動場裏。 |
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2024年04月14日(日)9回 「錦城山」を一周 左目の白内障の手術をして一泊入院。手術より4日目に歩きに来た。自分として歩かないとおかしくなりそう。S女史にエスコートを頼む。 10.30分。大聖寺の錦城小学校の運動場向かいの駐車場に車を置く。桜が満開。 少し登ってすぐ「東丸」の方へ切り返して登る。 東丸跡に登り着く。 東丸跡の隅に「深田久弥日本百名山発刊50周年の碑」がある。いつもは白山が見えるが、今日は霞んでいる。 イカリソウ エンレイソウ マムシグサ シャガ キンポウゲ スミレ 続いて「鐘ヶ丸跡」を通る。いろんな花が咲き出した。 「骨が谷」を通る。崖のふちの道。激戦地。 「局谷」に降りる。お局たちが自害したとか。カンザシを挿した蛇が出るそうな。 マムシグサを多数見掛た。お局様では無いでしょうね。 マムシグサ エンレイソウ ハコベ 西ノ丸の方へ。 ムラサキケマン アオキ マムシグサ 黒色 ナルコユリ ナルコユリ ホウチャクソウ 「西の丸跡」に到着。展望あり。桜。 「馬洗い池」 三の丸跡へ この辺りが「三の丸跡」 分岐から「戸次丸跡」を往復。 向こうの高台が「戸次丸跡」 べっきまると読む。 特に展望無し。新緑になった。 戻って「二の丸跡」に登る。あずま屋がある。 あずま屋で昼食。登山者一人通過。 本丸到着の方へ。「馬洗い池」を反対側より見る。 巨木の横から「本丸跡」に登る。 一番高い地点に裏から登る。「本丸櫓台跡」で標高65m。ここが錦城山の頂上。展望無し。 ピーク下の「山口玄蕃顕彰碑」に降りる。落城で亡くなった藩主らしい。 タンポポ フキ ネコノメソウ カエデ ヤブイチゴ ヤマブキ ヒメオドリコソウ ヘビイチゴ ニシキゴロモ 本丸のあずま屋。展望が悪くなった。 下山開始。少し降りると桜。 展望がある。 山もかすかに見える。 駐車場に置いた車が見えてきた。急に暖かくなり一度に花が咲き出した錦城山でした。 ■次回登山は、4/17「椿山-高尾山」へ■ 2023年01月11日(水)8回 「錦城山」を一周。 S女史とは今年最初の山歩き。あまり身体の調子が良くないようで、楽な山にしようと「錦城山」になった。私も低い山大賛成。10.00時にいつもの駐車場。登城口に「大聖寺城跡イラストマップ」が置いてある。❶番から⓱番までのポイントが書き込んである。 ❶番から⓱番まで通して歩くのを「名城・大聖寺城跡完全制覇コース」としている。100分掛るらしい。今日はこのコースを逆回りで歩く予定。 少し登るとすぐ「東丸」への分岐。階段を登るとすぐ東丸に到着。 「深田久弥日本百名山発刊50周年の碑」がある。 今日は「白山」と「鞍掛山」が見える。鞍掛山の後に「白山」が見えるのだが、逆光で目立たない。 【⓰番 東丸跡】 白山のアップ。下に鞍掛山。 少しずつ登って行く。 【⓯番 下馬屋敷跡】 【⓮番 番所屋敷跡】 15番も14番も空き地のみ。太い木が多くなる。 【⓭番 鐘が丸跡】 「鐘が丸跡」は広い。木のアスレチック施設がある。 【⓬番 骨が谷】 鐘が丸跡から一段登った場所。錦城山でこの辺りが一番高い。激戦地だったらしい。 【⓫番 局谷】 かんざしを挿した蛇が出るぞ。 【➓番 西の丸跡】 西の方が見える。 【➒番 三の丸(北の丸)跡】 左側が三の丸跡である。 【❽ 戸次丸跡】 分岐より「戸次丸跡」を往復する。向こうに跡台地が見えてきた。展望無し。 この辺りにも大木が多い。 【❼番 二の丸跡】 「戸次丸跡」から分岐まで戻り、ひと登りすると「二の丸跡」に着く。ここにあずま屋がある。遊具もある。 【❻番 馬洗い池】 「二の丸跡」から降りると「本丸」との間に池がある。池の向かい側は「西の丸」で先程通った。 【❺番 本丸北東虎口跡】 「馬洗い池」よりひと登り、大木を過ぎると「本丸北東虎口跡」に出る。 【➌番 大聖寺城本丸跡】 「本丸跡」に出た。その中に一段高い場所が「本丸櫓台跡」である。ここが「錦城山頂上」である。 【➍番 本丸櫓台跡】の標識は撮り忘れ。 錦城山65m。慶長五年に落城。山口玄蕃親子は死亡。山口玄蕃顕彰碑がある。 本丸展望地にあずま屋がある。昼食。周りの木が大きくなり展望が悪くなった。 あちこち探してようやく「白山」を撮る。 【❷番 本丸南虎口跡】 「南虎口跡」から下へ降りる。 【❶番 馬出曲輪跡】 「馬出曲輪跡」まで降りると町が一望。 駐車場に置いた車が見えてきた。 駐車場にの入口から「白山」が見える。 車に荷物を置いて「忠霊搭」まで行ってみる。この忠霊塔の裏に 【⓱番 対面所跡】 がある。これで1番から17番全部である。 ■次回登山は、この後「カンザン前山」へ■ 2022年02月26日(土)7回 「錦城山」を一周 S女史と健康徘徊、錦城山を一回りして、あずま屋でランチするのが目的。いつもの駐車場到着10.10分。福井ナンバーの車が到着。年配の人1人。 駐車場の横から登り出す。パンフレット置いてある。 今日はいつもとは反対周り。すぐ右の「東丸跡」へあがり「鐘が丸跡」へと上がる。向かい側は本丸跡へ登る道。 「深田久弥日本百名山発刊五十周年碑」がある。白山が見えているはずだが、霞がかかり老人にはハッキリと判別できない。 「鐘が丸跡」に到着。遊具がある。 鐘が丸跡の上に「骨が谷」の標識。大聖寺城陥落の名残り。この辺りが錦城山で一番高い。 「西の丸跡」通過。 下に「馬洗い池」が見えてくる。福井の人が写真を撮っている。今日逢った唯一人。 続いて「三の丸跡」通過。足跡が無い所も自由に歩ける。 分岐を「戸次丸跡・ベッキマルアト」に行く。突き当りに、広場の戸次丸跡が見えてまた。 北の方が少し見える。 分岐まで戻り「二の丸跡」へ上がる。隅にあずま屋がある。何時もの昼食場だか、今日は本丸跡のあずま屋で昼食としよう。 一度、馬洗い場のある鞍部まで降りて、「本丸跡」に登り返す。「山口玄蕃宗永公之碑」があり、後ろの「本丸櫓台跡」が錦城山の頂上である。65m位。 本丸のあずま屋はテラスが付いている。大聖寺の町が見える。昼食。 今日の降りは馬洗い池まで戻り、忠霊塔の方へ降りる。 階段の続く道を「対面所跡」の方へ降りる。 対面所跡は、忠霊塔のすぐ上の広場。 対面所跡の広場を歩いていて、崖の下に今年初の「フキノトウ」を収穫。「ネコノメソウ」も見付けた。春が来た、嬉しい。忠霊塔の裏へ降りて正面に周る。すぐ横が駐車場である。 まだ時間が早いので、帰り道に「チハカ山」も歩く事にした。 ■次回登山は、この後チハカ山散策■ 2021年01月26日(火)6回 「錦城山」を散策 「錦城山」の登り口駐車場にあるポストの、大聖寺城跡縄張図のパンフレットの、番号通りに歩いて来たぞ。 ❶馬出曲輪跡 本丸の方へ登る。大聖寺町が見渡せる。 ❷本丸南虎口跡 虎口とは曲がった狭い場所。 ❸大聖寺城本丸跡 城主の山口玄蕃の碑がある。関ヶ原の戦いの前哨戦で落城。 ❹本丸櫓台跡 一番高い所に櫓があった。錦城山の頂上だったが、今は鐘が丸跡が頂上となる ❺本丸北東虎口跡 大きな木のある所を降りる。 ❻馬洗い池 降りた所に池がある。城の水場だったようだ。 ❼二の丸跡 登ると二の丸跡。あずま屋がある。 ❽戸次丸跡 二の丸から降りて、分岐から戸次丸を往復。展望は余り無し。 ➒三の丸(北の丸)跡 分岐まで戻り西の丸の方へ進む。ここは三の丸。 ➓西の丸跡 少し展望があり北陸自動車道の方が見える。 ⓫局谷 本丸の下あたりになる。局たちが本丸より身を投げた。 ⓬骨が谷 局谷より鐘が丸の方へ進む。ヤマップではこの辺りが頂上だ。激戦地らしい。 ⓭鐘が丸跡 ⓮番所屋敷跡 鐘が丸より降る。 ⓯下馬屋敷跡 更に降って行く。 ⓰東丸跡 東丸跡に到着。片隅に深田久弥の記念碑がある ●深田久弥日本百名山発刊五十周年記念碑と白山が見える。 ●白山を眺めながら昼食。 ⓱対面所跡 最後の17番は駐車場の隣の忠霊塔の後ろを登る。当主の館があった。 ヤマップ画面では1時間半の徘徊だ。 ■次回登山は、1/31加賀の「水無山」へ■ 錦城山から降りて、帰りに江沼神社に参拝。参道に深田久弥の文学碑がある。 春見付けウメが咲いていた。池のある庭園がある。 今年は丑年。年男のの私は撫牛を撫でようとしたら、コロナで撫でないで下さい張り紙。 神社の後ろに重要文化財の長流亭。 八間堂能楽堂を見かけて寄る。大聖寺藩の最後の藩主は前田トシカという人で能楽が好きで名人だった。明治の頃日本の能楽を復興させた一人と云われている。東京に居たが、この辺りに別邸があり能楽堂もあった。帰った時は舞ったり教えたりした。そんな訳で今でも能楽の盛んな土地柄である。その屋敷跡に能楽堂を建てた。錦城能楽会の皆さま頑張ってください。 2019年02月11日(祝)5回 「錦城山」散策-寺尾観音山 老人は暇である。三連休の一日目は鳥越城山を歩いた。さすがに昨日は休んだが、三日目の今日は「錦城山」と「寺尾観音山」の予定。寒いうちはごく近くの山ばかりリクエストして歩く予定。9.00時にゆめのゆで待ち合わせ、9.20分に「錦城山」の駐車場に到着。前回と同じコースを案内する予定。「馬出曲輪跡」に登り着く。本丸のすぐ下である。 本丸の「山口玄蕃の碑」の後ろが高いのでここが頂上だと思っていた。錦城山65mの古い標識がある。そのまま載せている。しかし今回タブレットに入れたヤマップ地図を眺めていたら、本丸ではなくて「鐘が丸」辺りが頂上になっている。 二の丸の「あずま屋」で抹茶休憩」。 今回はコースから外れている「戸次丸跡(ベッキマル)」も探索した。ここから直接駐車場の方へ降りる道がある様だ。 アオキの赤い実だけが目を引く。城の西側は少し薄気味が悪い。看板に寄れば「局谷・落城の時、局たちが本丸より身を投げた。今でもカンザシを挿した蛇が住む」。「骨が谷・戦死した将兵が、骨になるまで放置されていた」。 「鐘が丸」から段々と降ってくると「深田久弥日本百名山発刊五十周年記念」の碑に出る。5年ほど前に建てられたものである。白山は駄目か。 駐車場到着10.50分。■活動時間1時間26分 ■距離1.7km ■高低差56m すぐ長靴のまま運転して「寺尾観音山」に向かう 2018年11月14日(水)4回 「錦城山」散策 今日は私の81歳の誕生日である。3年前の「錦城山」散策と同じ日と同じ場所である。書く事もほとんど同じなので、改めて書かない。登り口駐車場に昼過ぎに到着。登り口の「ポスト」の中に散策パンフレットが入っていた。パンフレットを見ながら、①番から⑯番まで順番に全部廻ってきた。1時間半の散策だった。カメラを忘れたので、最近持ち歩いているヤマップの入ったタブレットで撮った。雨が降り出しそうなので、ストックの一本をこうもり傘に替えた、これも前回と同じ。 本丸跡に登り着く。 本丸跡の、この碑の後ろの高台が、「錦城山」の頂上である。 二の丸跡のあずま屋で、カップヌードルで昼食。 古木が多くて良い。 東丸跡の深田久弥百名山の碑。白山は見えないが今日は「鞍掛山」が見える。 ひと回り終了。駐車場隣の忠霊塔に到着。■活動時間1時間29分 ■活動距離1.3km ■高低差64m でした。 ■次回登山は、11/15「倉ヶ嶽」へ■ 2015年11月14日(土)3回 「錦城山」散策 今日は私の78歳の誕生日である。こう年を取っては目出度くも何もない。ただ暇なので記念にどこかを歩こうと思ったが、天気が悪い。11時を過ぎてから小降りになってきたので、昼食は山でカップラーメンを食べようと、ポットにお湯を詰めて、コンビニでカップを購入。大聖寺の「錦城山」の駐車場に11.50分に到着。入口の案内板が新しい。現在地に車を置き、東丸-鐘が丸-西の丸-二の丸と外側を歩き、本丸へ戻り下山の予定。杖の代わりにコウモリ傘。登山靴は履く。 錦城の錦は、この城山には紅葉の木が多く、秋の紅葉が美しくのて「錦城山」と呼ばれたと書いてある。駐車場の隣の芝生の忠霊塔広場。紅葉にはちょっと早くて残念。 東丸に登ると、「深田久弥日本百名山発刊五十周年記念」の今年夏建てられた碑があった。日本百名山の序文の、白山の事が彫られている。ここから白山が見えるようだが、今日は雲の中。 本丸跡に討死した、山口玄蕃の碑がある。その後ろの高みに、山頂標識がある。この辺りは紅葉の木が多い。すべて紅葉したらよほど奇麗だろう。13.10分に駐車場。傘をさしたりつぼめたりの歩きだったが、誰一人歩いていなかった。 すぐ近くの「深田久弥・山の文化館」に立ち寄る。銀杏の大木が落葉、ぎっしりと敷き詰めている。 東丸の記念碑。と、江沼神社の深田久弥の碑。 すぐ近くの江沼神社参道の「深田久弥の碑」紅葉の木も多い。紅葉は、あとしばらくのようだ。 ●次項2015年74回登山は、11/15「三童子山」へ● 2011年03月16日(水)2回 「錦城山」散策 東北関東巨大地震が起きた。まことに悲惨な状況で、お見舞いの申し上げようもない。毎日テレビを見ているだけで、頭がおかしくなってくる。気分転換にS女史を誘って、天気が悪い中を、歩きに出かけた。 この間から、国土地理院の地図「大聖寺」の中の、三角点を調べていた。登ったのは「寺尾観音山・二ノ谷」「熊坂妙高山・大平屋上」それに、三角点の無い「錦城山」。 ところが他に、三角点名や住所に、山の名前が入ったものが多い。たとえば「大山」「笠取山」「加賀山」「大蛇山」「治郎平山」などなど。これはぜひ探索せねばなるまい。 久しぶりの「錦城山」である。低いけれども山として認定されているようだ。合羽を着て杖だけ持って、前回と同じ場所から山に入る。 「アオキ」の赤い実が目立つ。直接本丸には登らず、鐘丸に登り、裏側をぐるりと回った。所々にあずま屋があるが、壊れて使えないものが多い。 西丸近くまで行き、戻るようにして、一番高い本丸を目指す。この山には、あまり登る人は居ないようだ。モミの古木が多い。 山口玄蕃の顕彰碑のある本丸に着いた。明るくて、前回とは印象が随分違う。後ろの丸い瘤が最高地点らしい。 登ってみたら「錦城山」ー山と無線の深田会ー、の標識があった。碑の真上の、大きな桜の木が、根元から折れて、標識に引き掛かっている。 この山は、登山案内の本に載っている山である。山名札を提げた。 本丸跡のあずま屋に展望台があり、市街が見える。今日は山は見えない。白山も見えるのだろうか。 下山路と書いた道を降りる。「ツバキ」がだいぶ散りかけている 「ネコノメソウ」を見付けた。 「フキノトウ」が顔を出していた。家で天ぷらにして頂いた。 この後「三角点・右」のある、俗称「大蛇山」に三角点を探しに行った。123番に載せる。 ① ▲南郷・4等三角点 錦城山を歩きに行く途中、「南郷」の三角点を確認に寄る。国道八号線をゆくと南郷町を通る。曾宇町信号の手前、左に八号線を降り、国道の下を潜って大聖寺の方へ進むと、変電所があり、前方に小山が見える。横に周ると「八幡神社」鳥居がある。 神社は山の上で、長い急な階段が伸びている。登ると八幡神社があり、「菅原神社」「稲荷神社」「住吉神社」があり、一番高い所に「白山神社」があった。いずれも小さい祠である。 白山神社の後ろは竹藪になっていた。竹藪のふちに三角点は鎮座していた。藪漕ぎを覚悟していたのに、神社の境内のふちに在った。ありがたい。
今日の三角点一つ目は、すぐ見つかった。 ② ▲金ヶ城・三等三角点 今日二つ目の「金ヶ城」の三角点探訪に行く。南郷より菅生石部神社に行き、裏山を走る大きな道に出て、岡町信号を右折、畑町のトンネルを出た所で、左に林道に入る。林道はトンネルの上を走り、尾根の上まで出る。左折して進むと工事現場に出た。なんとかここまで舗装してある。ここら辺りが一番高いので、車を置いて探し出す。右に舗装のしてない林道が分岐していたので、入り込む。入り口に鎖がしてある。 100mほど入ったら「加賀クラブ」の看板が下がった家があった。無人の家の前は広く、昔は何か大きな建物があったようだ。今は電波柱が2本立っている。この家の裏が少し高いので、笹をかき分けて入ったら三角点が在った。加賀低山徘徊部の、大きな三角点名の標識がある。
この林道は枝道が多く、何度も行き止まりになり引き返したが、なんとか三角点を探し出せた。 ③ ▲大山・四等三角点 今日三つ目の「大山」三角点を探しに行く。地理院地図に「大山」と山の名前が記入してある。しかも頂上まで道路の記入がある。道路の記入があるのは、そこに建物があるのだろうと見当をつけていた。いつも近くを通るたびに、大きな電波塔が見えるので、あそこかな?と考えていたが、探すのは今日が初めてだ。 今日その電波塔を見てびっくりした。緑のシートで覆われている。巨大なお化けである。「金ヶ城」の三角点を降りて、小松の方へ少し進むと、緑のお化けが見えた。高尾町のこの山を登ってみたら、鉄塔の横が広く空いている。○にHの大きい模様が地面に埋め込まれている。ヘリポートらしい。重要な電波塔なので、ヘリポートまで付属しているのかな?。電波塔とヘリポートを挟んだ、反対側が崖になっており、少し高い雑木林になっている。 低い崖なのでよじ登ったら、そこに三角点が鎮座していた。そばに白いプラスチックの標識が在ったのですぐわかった。
三角点が赤く塗ってある。ほかでも見掛けた事がある。何故こんな事をしたのかな。少々痛々しい。雨が止んでいるので、この広場でお湯を沸かしてもらって、コーヒーを入れて貰い、パンで昼食にした。この後「錦城山」へ出かけた。 ④ ▲上福田・四等三角点 錦城山と大蛇山を歩き、ここでS女史と別れたが、まだ3.30分。帰り道に近くの平地にある三角点に寄ってみた。錦城山の下から「深田久弥の文化館」の前を通り、突き当りを左に曲がり、ずーっと走っていたら、大聖寺川に掛かる「みやまえ橋」を渡った。橋のたもとに車を置き、堤防下の農道を、川下に向かって歩いたら、前方に白い三角点標識が見えた。堤防下と農道の間に、三角点は鎮座していた。
堤防に登ったら、大聖寺川の向こうに「錦城山」が見えた。堤防は車は通れず、自転車と歩く人だけ通行できる。欲張ってもう一つ、美野和三角点を確認に行く。 ⑤ ▲美野和・四等三角点 昼ごろ探索した「大山三角点」の、シートをかぶった巨大電波塔の近くを、海の方へ進むと「黒崎町」に出る。道左側の黒崎小学校の手前、三角形の池を過ぎた所で、池の反対側の農道に入る。杉林を過ぎ、田んぼに出ると、道の横に三角点が鎮座していた。白い標識もあり、四っの保護石に囲まれている。
加賀低山徘徊部の、大きな標識が置いてある。 2005年09月24日(土)1回 「錦城山」散策 加賀市に私のお稽古場がある。「錦城山」に登ろうと1時間早く家を出る。この山は私の持っている登山ガイド書に載っている。 夕方5時閉館なのでまず「深田久弥山の文化館」に寄る。大聖寺の町中の西に聳える錦城山のすぐそばにある。旧織物工場の跡で建物も明治の昔のままみたいだ。 「日本百名山」を書いた深田久弥はここ大聖寺の人です。久弥の資料などが集められており、山の文化の資料収集・情報発信や交流の場として利用して下さいとの事です。 山歩き好きの私にとっては、登山家のイメージが強かったが、作家や俳人の部分が覗かれて面白かった。 文化館の近くの江沼神社に久弥の碑があります。 山の茜(あかね)を顧(かえリ)みて 一つの山を終りけり 何の俘(とりこ)のわが心 早も急(せ)かるる次の山 深田久弥 錦城山は、仲間の笛方能楽師のY君の家の前の道の、突き当たり500mに登り口がある。 由来看板によれば、南北朝の頃より城が築かれていたらしく、一向一揆の頃も拠点となっていた。山口玄蕃がいた頃、金沢の前田利長は徳川方につき、玄蕃は豊臣方になり敵対し、1600年に前田に攻められ玄蕃親子は討死した。以来前田藩が入ったが城は作らず、藩政時代は一般人の入山禁止されたので城址は自然に戻り鹿やいのししが棲んでいたという。 山に入るとまさに鬱蒼と茂った森の中である。本丸の下の広場からかろうじて、久弥の母校の小学校の向こうに町並みが見える。それ以外は全然外部が見えない。 山口玄蕃の顕彰碑があり赤い「ヒガンバナ」が咲いていた。 本丸、西丸、東丸、鐘の丸などあり、全部廻ろうと彼方此方ウロウロしていたら、方向が判らなくなった。深い森の中、何所へ行っても視界が効かず、道はあるのだが似たような道ばかり、下山路が見つからない。夕暮れで段々暗くなり、こんな町の中の65mの山の中で遭難したら、お笑いものだと、ひとり噴き出した。 |