2005.04.より登山順
[加賀] 後高山 649m (白山市鶴来町)40 [加賀] 舟岡山 179m (白山市鶴来町) [加賀] 御堂山 734m (白山市鶴来町) |
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第11回 2024.08.18. ゴンドラ駅より「御堂山」と「後高山」 第10回 2024.01.17. 道の駅より「白山ひめ神社」参拝して「舟岡山」を一周。 第9回 2020.04.19 犀鶴峠より「御堂山」-五万堂小屋-「後高山」を往復・ 第8回 2020.01.02 道の駅より「白山ひめ神社」参拝して「舟岡山」一周。 第7回 2016.04.29 「舟岡山」本丸口より展望台経由で北口。北口経由で東口へ降りる。 第6回 2012.12.29 山麓駅-月惜小屋-スキー場-「後高山」-風吹峠-金剣宮近く。 第5回 2009.11.14 犀鶴峠-月惜小屋-スキー場-「後高山」-往復。 第4回 2009.05.02 「舟岡山」本丸口より展望台経由で北口。北口より三の丸経由で本丸口。 第3回 2009.01.11 朝日団地-風吹峠-「後高山」-スキー場-月惜峠-山麓駅。 第2回 2007.04.18 「舟岡山」本丸口より展望台経由で北口。北口より三の丸経由で本丸口。 第1回 2005.12.01 ロープウェー山麓駅-月惜小屋-スキー場-「後高山」-往復。 |
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2024年08月18日(日)11回 ゴンドラ駅より「御堂山」と「後高山」 皆様お盆で忙しい。老人も忙しい。お盆も済んでようやく山歩きの声が掛かった。獅子吼ゴンドラで「御堂山」に登ろうと言う。猛暑続きでバテ気味の私でも、往復ゴンドラならば何とかなりそう。よろしくお願いします。獅子吼ゴンドラは往復710円。火曜運休。 今日の仲間はS女史と金沢のA女史。ゴンドラ駐車場待ち合わせ。ゴンドラ定時10時に一番乗り。定員4人の小さなゴンドラ。 ゴンドラに乗るのは久しぶり。 あまり乗らないので景色が珍しい。 あっという間に到着。 建物の中を上へ上へと登って行くと、広場に出る。むかしのスキー場。今はやっているのか?10.20分。 直ぐ、スキー場の下へ降りて行く。広場外周の道を時計反対周り。 展望が良い。 ゲレンデ下に、無料休憩所とトイレがある。2009/11/14、つまり15年前の満72歳の誕生日にここで仲間が誕生日パーティを開いてくれた。 休憩所は現在はベニヤ板で閉鎖されている。振り返ってスキー場のゲレンデ。 休憩所の横から登山始まる。登るのではなくて下りから始まる。 ここから月惜峠までは、釣り尾根の感じで、一度降ってまた登る。 途中に展望地点が一ヶ所、目の下に舟岡山。 月惜峠に到着。11.05分。今日も滅茶苦茶に暑い。冷たい西瓜が出てきた。有難う凄い。 峠に「五万堂小屋」がある。久しぶりに中を覗いた。昔は中に入って良く食事をした。真ん中にストーブ。周りに腰掛椅子。昔の通り。奥に3体の石像か安置されている。昭和8年のスキー大会で、3人の中学生が遭難死した。そのための避難小屋なのだろう。 しばらく休んで出発。 細い窪んだ道。春にカタクリの咲く道となる。一人遅れて、暑いので座り込んで休んでいたら、通りかかりの人に、大丈夫ですか?、水を持っていますか?と声を掛けられる。有難う御座います。何とか大丈夫です。 ヘクソカズラ ホツツジ クズ 大きな木のある地点に入るとすぐ、「御堂山への近道」の標識がある。この急坂を登る。急坂で手を突いて登る。この急坂は半端ない、の標識。 登り切ると三角点があり、金沢の「内川ダム湖」が見下ろせる。仲間は食事の支度をしてお待ちかね。直ぐへたり込んで昼食。12時。昔、犀鶴林道であの内川ダムを越えて金沢へ出た事が2度ほどある。最近は金沢方面は通行止めになっている。 他に夫婦らしい人と我々で、5人で満員の「御堂山」頂上。ゆっくりと1時間以上休憩。ご夫婦は出発された。 食事場のすぐ上に三角点がある。「3等三角点・点名は峠上・標高は735m」 16年前の2008年1月に、積雪があり三角点の上に到着したが、雪が深くて確認出来ず。同じ年の4月20日、今度も相棒K君と夏道よりより藪漕ぎ。背丈以上の笹藪で悪戦苦闘。お互いの姿が見えず、声を掛け合いながらこの三角点にたどり着いた想い出がある。 今ではあっという間に三角点まで登れてしまう。 13.10分下山開始。登って来た急坂は危ないので、「犀鶴峠の方へ降りる。こちらの道は急坂が無く、歩きやすい道。 モミジバハグマ オトコエシ 林道に接する地点に降りる。犀鶴峠へは林道を歩いても行く事が出来る。林道側にトイレが置いてある。 犀鶴峠までは行かず、すぐ戻り始める。 この道はとても展望が良い。近道の登り口を過ぎて、登って来た道を降りる。 月惜峠に2人が待っている。14.10分。 同じ釣尾根で戻る。帰りに「後高山」に寄る予定。 獅子吼高原広場に着いた。広場周回道で「後高山」まで登る。 周回時計の反対周り。 ゴンドラ駅の向かい側に田出た。草スキーが親子で賑わっている。 1番高い地点に「獅子吼白山ひめ神社」が建っている。ここが「後高山」の頂上。 横に展望台がある。 展望台から降りてゴンドラ乗り場まで戻る。 帰りもゴンドラで有難い。 16時に駐車場まで戻ってきた。 ■次回登山は、8/21古道で「法師山」へ■ 2024年01月17日(水)10回 白山ひめ神社より「舟岡山」一周 今年初めてS女史と健康里山徘徊。今年もよろしく米寿のボケ老人の付添いをお願いします。加賀一の宮へ初詣で、ついでに「舟岡山」を登ろうと言う事になりました。女史は2009年に加賀里山逍遥の会で登って以来2度目との事です。 小松、なかうみの里で10時に待ち合わせ。なかうみの里から「白山」が見える。良い天気になった。先端大学を通り過ぎ、天狗橋を渡り右折して、手取川沿いの「道の駅・しらやまさん」に車を置く。10.45分。 道の駅建物の左側から手取川に降りる階段がある。ここから出発。 左の方へ歩くと、人専用の「和佐谷橋」がある。橋を渡る。目の前の山が「舟岡山」である。 橋の上から川下の方を見る。 橋を渡ると「古宮公園」。白山比咩神社は何度も場所を変えている。現在地の前はここにあった。 「二君紀功碑」。手取川から扇状地の水田に水をひくのが大困難。明治2年に枝権兵衛・小山良左衛門の二人がトンネルを掘って用水を通した・ もと「加賀一の宮駅」。手前に線路があった。 今は「休憩所」。今日は休み。 その先に駐車場があり、白山比咩神社の表参道がある。 今は神社横の駐車場まで車で上がる人が多い。歩く人は少ない。 杉の古木があり厳かな雰囲気で大好きな道。 緩やかな道で手水場。この先は階段となる。 階段を登ると、白山比咩神社の「大ケヤキ」 その前が山門。 門を潜ると本殿。白山本宮・加賀一の宮・白山比咩神社。今年もよろしくお願いします。 横に廻ると大駐車場。その先に「舟岡山」。今から登る。 車道を歩いてすぐの信号のある交差点。左30mくらいの山裾に登山口の案内板が見える。 竹藪の中の、ジグザグ登山道を登る。 「白山比咩神社創祀之地」の碑に出る。神社は「霊峰白山」を仰ぐ「まつりのにわ」として崇神天皇の頃(西暦紀元前91年)に初めてここ舟岡山に祀られた。また室町期には「舟岡城」が置かれた。 ここからは杉林の尾根道となる。お城の石垣の跡がある。 一ヶ所だけ手取川の見える所がある。 車を置いた「道の駅」が見える。土手の階段から歩き出した。 展望地点の少し先の右側の高みに、10mほど入ると小さな「4等三角点・舟岡山・179m」がある。後ろは崖。ここが舟岡山の頂上。 少し離れた所に、素敵な山名札がさがっている。三角点が2等と書いてあるが4等の間違い。 その先より降りとなる。「石川県白山青年の家」の後ろへ出る。正面に周る。12.30分。 青年の家の正面に周ると「あずま屋」らしいものが見えた。食事をしようと行ってみたら、野外キャンプの炊事場と食事場だった。ちょっと無断で食事場で昼食。青年の家入口にテレビの撮影カメラが待ち構えていた。誰が来るのだろう。(翌朝の新聞を見て納得。能登地震で輪島市の中学生250人が、青年の家に二次避難。お疲れ様) 町の方へ戻り始める。青年の家の前の広場から「後高山」が見える。 縄文遺跡がある様だ。 「旧白山塾」で今は資料館らしい。 隣の「ふれあい昆虫館」の前を通る。 鶴来町の方へ降りて行く。大きな建物はお酒の菊姫本舗。前を通る。 町の中の、昔の通りを戻る。趣きがある通り。 町はずれに「波切不動明王堂」があった。手取川の氾濫から町を護る守護として祀られた鎌倉時代の物。 元は舟岡山の岩壁に刻まれていた。手取川七ヶ用水工事で岩壁より外された。泰澄大師が彫ったという説もあるらしい。 古宮公園まで戻ってきた。明治2年にトンネルを堀り手取川より取水成功。その後幾つものトンネルが彫られ古宮公園の公園の下を手取川の水が流れている。明治36年に七つの用水を一本化。ここから手取川扇状地の水田を潤している。ここが「手取川七ヶ用水」の流れ出す場所である。 また「和佐谷橋」を渡って戻る 橋の上より上流の方面。鉄塔が並ぶ「奥獅子吼山」の稜線が見える。 「道の駅しらやまさん」に戻ってきた。久しぶりに天気の良い一日だった。 なかうみの里では、まだ白山が輝いていた。 ■次回登山は、1/19「遊泉寺砂山」へ■ 2020年04月19日(日)9回 犀鶴峠より「御堂山」と「後高山」 今日は老人一人。楽に登れて、暫く歩いていない山を探して「後高山」を思いついた。自分で勝手に「月惜山と名前を付けて登った三角点が、「御堂山」として登山路が出来たらしいし、「カタクリ」も咲き出したようだし、うまく行けば白いカタクリに逢えるかもしれない。「犀鶴峠」まで車で上がれば、標高差はあまりないだろうと出かけてきた。コロナ対策で「コンビニ」にも寄らぬ様自分でおにぎりを作り、お茶を詰めてきた。 犀鶴林道は予定通りスイスイと上がれる。途中で子犬位の子熊が前を横切った。写そうとカメラを出したら茂みに消えた。親熊がいるかと心配だったが、居ないようだった。 途中で一台も車と遇わなかったのに、犀鶴峠の上は10台以上駐車してある。さすが日曜日。10.15分。 ここに停めた人は、全員奥医王山に登るのだろうが、老人は天邪鬼で、反対に獅子吼高原スキー場の方へ歩き出す。ここもカタクリロードだ。びっしりと花を付けている。 しばらく歩いて林道と登山路が繋がっている地点に出た。昔はここに簡易トイレが置いてあった。ここに「御堂山」の登山口があった。案内札に寄れば「嬉しいお知らせです。御堂山(みどうやま)。2018.11.15に登山道整備終了。10-15分で登れます。内川ダム湖見えます。」 初めて登る登山路は緩やかで、ツバキの花が咲く歩きやすい道である。本当に15分ほどで頂上の三角点に到着した。11.05分。 広く刈り込んで、頂上広場が出来ていた。三角点は大きな保護石に囲まれている。この三角点は、12年前に相棒K君と二人で、下の杉林から激藪を漕いでたどり着いた事がある。 三角点の裏から手取川が見下ろせる。 反対側は目の下に「内川ダム湖」が見下ろせる。この景色は積雪時に一度、この上を通過した時に見た記憶がある。山札に「御堂山・アゾ谷山」と書いてある。 内川ダムの左に海岸線が見える。金沢市の郊外辺りだろう。誰もいないし景色も良い。誰もいない。日当たりの良い所に座り込んで、おにぎりを一つ食べる。
この三角点は、12年前の2008.04.20日に、水場のある杉林から登った。 相棒K君が、この下に三角点があると指さしている。 ゆっくり休んで「杉林」の方へ降りる。12年前に藪を漕いだコースで、急坂であるが。登山路が出来ているとこのように楽に降りられるのだ。降りた所に「みどう山・山頂への近道」の標識あり。 五万堂小屋の方へ降りてゆく。このカタクリの咲く登山路も展望が良い。昔この辺りで「白いカタクリ」を何度も見付けたものだ。 五万堂小屋は大分おんぼろになっている。壊れそうなので中を覗かなかった。女性登山者に白いカタクリの事を聞いたら、「今年も3本ほど咲いたらしいが、その後誰かが、持ち去ったらしいとの事」。情けない事をする登山者が居るものだなァ。 小屋からスキー場の方へ進む。向こうに「後高山」が見えてくる。 この道も展望が良い、真下に「舟岡山」が見え、手取川扇状地が雄大に広がっている。 「高野山」「観音山」「揚原山」の向こうに、小松市辺りの平野が広がっている。 ようやくスキー場の下に登り着いた。今年はスキー場は雪が無くて、一度も開かれなかったのかも知れないな。スキー場の山側の舗装路を登り出す。 誰一人散策していない。向こうの丘の一番上が「後高山」の頂上である。 「獅子吼白山ヒメ神社」がある所が「後高山・シリタカヤマ」の頂上である。12.50分。 すぐ横に広場がありベンチがあるので、二度目の昼食。誰もいない。丸い広場は、昔「仏舎利塔」があったような記憶があるぞ。 下山開始。ゴンドラ駅の方の道を降りる。桜の向こうの「手取川扇状地」。ゴンドラ駅には寄らなかったが、営業しているのだろうか?。10年前の私の72歳の「誕生日パーティ」を開いた、スキー場下部の無料休憩所は、オンボロになり閉鎖されていた。 スキー所に別れを告げ、車を置いた犀鶴峠まで、トボトボと戻る。なかなか長いぞ。 ショウジョウバカマ カタクリ ムラサキケマン エンゴサク カタクリ スミレ 御堂山の登り口より、林道を歩いて鶴坂峠まで戻った。14.35分。車は他に一台残る。大部分の人は山を降りたようだ。 ■次回登山は、4/21加賀の「作事嶺」へ■ 2020年01月02日(木)8回 初詣白山ひめ神社-「舟岡山」 元日は、ヘップバーンの映画三本見て、ウイーンのニューイヤーコンサートを見た。楽友協会ホールは、大分昔奥さんと旅行に行き、観光者向けのコンサートで入った事がある。自分たちが座った座席辺りが映り、まことに懐かしい。 今年の初徘徊は天気は悪いが、白山比咩神社の初詣にした。ついでに隣の「舟岡山」を歩いて来ようと思う。舟岡山は地理院地図に山名は載っているし、ヤマップ地図にも載っている、ちゃんとした里山である。初詣は車で混むというので、少し離れた「道の駅しらやまさん」に車を留め歩く予定。ところが同じ考えの車が多く、駐車場に入るのに20分も行列だった。14.10分。 雨が降っている。傘をさして車道をちょっと戻ると、手取川をまたぐ人専用の橋がある。向かい側に見えるのが「舟岡山」である。 橋を渡って右の方へ進むと、「加賀一宮駅」がある。昔は金沢から電車が通っていた。廃線になり今は休憩所になっている。トイレ拝借。 その前あたりに、白山比咩神社への表参道がある。今は神社裏に車道が通り、大きな駐車場があり、表参道から歩く人は少なくなったようだ。 参道を登って行くと、手水場゛がある。その上が本殿であるが混んでいるようなので、手水場より戻るように、駐車場の方へ登った。 駐車場より鳥居をくぐって入る。振り向くと虹が出ていた。 お賽銭をあげて、今年もよろしくお願いします。 駐車場の向こうに「舟岡山」が見える。駐車場を横切り「舟岡山」を歩きに行く。 車道を進むと交差点があり、舟見山の遊歩道の入口がある。しばらくで竹藪になる。 やがて「白山比咩神社創祀之碑」がある。元はここに神社があったらしい。今は城跡になっている。 舟を伏せたような形で上は広いスギを主とした林になっている。 所々に分岐があるが、小さい山なので迷子になっても大丈夫。 一番高いと思われる地点に三角点があるので、ここが舟岡山の頂上である。 特に標識は無く、遊歩道より見当をつけて20mほど入り込んで探すと、鎮座している。わざわざ探す人もないだろう。
遊歩道は「白山青年の家」の裏に降りる。 表に周ると「舟見山縄文遺跡」がある。 さらに「ふれあい昆虫館」を通って鶴来の町へ降りる。 見当をつけて駐車場を目指して裏道を主に歩いてゆくと「波切不動明王堂」があった。中に岩に彫られた「不動明王」があり、他に「釈迦」「文殊」「金剛」の菩薩三尊があった。 1300年前、泰澄大師36歳、白山に登らんと舟岡山の麓妙法の石窟に於いて、日夜観念修行して、不動明王を岸壁に刻み山上の安穏と国土安静を祈念した。縁起を書いた額が堂内に掛かっている。まだまだ続くが、ここまでにしておく。 16.25分に一周して車に戻った。 今年も元気で歩ける年だといいですね。 ■次回登山は、1/4「二堂山」へ■ 2016年04月29日(祭)7回 「舟岡山」を散策 いよいよ大型連休。天気が悪いので今日は、どこも歩かないつもりだったが、午後になって晴れてきたのでちょっと「舟岡山」へ歩きに来た。この間奥獅子吼山に登った時、上から舟岡山が見えた。しばらく歩いていないなーとその時思った。ちょっと一時間の散歩の予定。 14.45分に白山比咩神社の駐車場に到着。この間登った奥獅子吼山への稜線が見える。靴だけ履いてシャガ、エンゴサクの咲く舟岡山城址に入ってゆく。 山全体は杉の林に覆われていて展望が無いが、一か所だけ手取川の見える所がある。 四等三角点がある。知らない人が多い様だ。地理院地図に印があるので地図をよく見て探してください。片方が崖になった高台の上です。特に山らしくありません。 舟岡山を抜けると白山青年の家の裏に出る。表に回ると縄文遺跡の跡があり、復元された住居がある。 また舟岡山に戻る。ホウチャクソウ。クサイチゴ。キツネノボタン?。ツツジ。ネコノメソウ。マムシグサ。いつもと違う道を降りようと思い、東側の東口へ降りたら、少し藪になって居た。 まんまるの石が鎮座していた、白山神霊と書いてあるようだ。何かの宗教施設らしい処へ出た。 16.10分に駐車場に到着。 ★次項2016年第37回登山は、4/30日「菅倉山」へ★ 2012年12月29日(土)6回 山麓駅-「後高山」-金剣宮 「肥満解消今年最終登山暇人参加歓迎」とメールでサポートを呼びかけたら、3人になった。山は「後高山」にした。何年か前、金剣宮の横より風吹峠に登り、五万堂峠を経由して歩いた事がある。それを思い出してその反対廻りで歩く事にした。9.30分、獅子吼のゴンドラ駅より登り出す。 冬型でずーっと天気が悪かったが、上手い具合に今日だけは晴れている。雪の様子が判らない。カンジキは持ってきたが山を眺めて、大丈夫だろうと車に置いて出発。尾根に登り着いたら雪が深くなった。向うに「御堂山」山が見える。 11.45分、五万堂小屋に私がだいぶ遅れて到着。小屋の中に動物のウンチがある。小屋だいぶ傷んできた。御地蔵さん3体が置いてあるが、床が抜けてひっくり返らないか心配。昭和9年に建てたと書いてある。私の生まれる前だ。 スキー場の方へ向かって出発。途中凄く展望が良い。 11.20分、ゲレンデの下の無料休憩所に入り込んで昼食。S女史が大きな鍋を持ち込んで「鶏鍋」。いつもありがとうございます。窓からゲレンデが一望できるが、誰も居ない。見た目はスキーが出来そうだが、これくらいの積雪では無理なのかな?。 南の方は富士写ヶ岳から鷲走ヶ岳辺りまでくっきりと続いている。白山は奥獅子吼山の陰で見えない。 ゲレンデのふちの歩道を登る。振り返ると休憩所の上に奥獅子吼山が見える。 ゴンドラ駅でトイレを拝借。こんなにお天気が良いのに、雪遊びの子ども連れが5.6人いるだけ。頂上の獅子吼白山比咩神社まで来ると医王山が見える。その右側に遠く北アルプスが望める。ちょっと雲が掛かっている。 この辺りは雪が深い。電波塔の裏辺りから降りるのだが、降り口が判らない。適当に見当をつけて斜面を降りだす。雪が深い。時々膝上いっぱいまで踏み込んで、とても歩き難い。途中で標識を見付けて一安心 。先頭をベテランのN氏が歩いているので安心。 この先も道が判らず尾根をひたすら進む。右下にようやく林道が見えてくる。ようやく林道に降り立ったら標識があった。上手い具合に夏道通りに降りたようだ。林道を少し歩いて風吹峠をカットして、杉林の中を降りる。13.50分。ここも道は判らず見当である。川に降り立ち川沿いの荒れた所を歩く。道か道でないか判らない。 14.20分、砂防ダムを通過。ここから林道歩きとなる。林道はちょっと長い。団地に出たらぶらぶらと通りを歩いて車まで戻る。15.00時着。以前歩いた事があり、天気も良かったので、特に心配したことも無かったが、雪のある時は、初めての人は登山路が判り難いので注意。 いつも歩かない県道の、幼稚園の運動場で、「名勝鶴来八景、後高山朝霞」の石碑を見付けた。向こうに今歩いてきた、後高山の稜線が見える。 家へ帰って「名勝鶴来八景」を調べた。次の通り。 白山路桜花(しらやまじおうか) 白山比咩神社表参道一帯 後高山朝霞(しりたかやまあさがすみ) 獅子吼高原及び山麓一帯 月惜山時鳥(つきおしみやまほととぎす) 林業試験場裏山 奥獅子吼一帯 天狗橋納涼(てんぐばしのうりょう) 天狗山 天狗壁 天狗橋一帯 臥龍堤月見(がりゅうていつきみ) 十八講河原堤防一帯 金剱祠紅葉(きんけんしこうよう) 金剱宮表参道及び深山一帯 一閑院暮雪(いっかんいんぼせつ) 一閑寺堂宇境内 不動滝氷柱(ふどうたきひょうちゅう) 金剣宮石清水不動滝 久しぶりに歩いて疲れた。雪道は疲れる。足と腰が痛い。2012年の山歩きはこれで終了。いつまで歩けるか判らないが、来年はとにかく歩けそうだ。 この間伊豆半島をドライブした。。表日本は天気が良いなー。 「旧天城遂道」 「浄蓮の滝」 「富士川と富士山」 「伊豆の踊子」 2009年11月14日(土)5回 犀鶴峠-「後高山」を往復 11/14日は小生の満72歳の誕生日である。歳も歳で余り目出度くも無いが、誕生日記念登山をしようと勝手に呼びかけ四人全員揃った。天気は雨が降るかもの予報。どこか近くで雨宿りできる場所のある山に行こうとなった。過去の誕生日は一人で奥獅子吼山に2度登っている。これを恒例にしようと奥獅子吼山に登ることにした。 今朝起きたら土砂降り。段々止んでくるというので一時間出発を延期。9.30.鶴来の道の駅「しらやまさん」で待ち合わせ。「道の駅のしらやまさん」と「しらやまひめ神社の駐車場」と間違えて、9.45.にようやく遭遇。車二台で「犀鶴林道」を登る。小さい土砂崩れがあるが10.15.峠の上に到着。 雨が降っているので合羽を着る。奥獅子吼山を考えていたが、この山は食事をする場所が無いので、反対側の「後高山」を目指すことになった。10.25.歩き出す。この赤い実はS女史が名前を教えてくれたが忘れた。また教えてください。 雨は降っているが余り寒くないので助かる。10.45.に御堂山の下の延命水通過。10.55.峠の小屋を通過。 11.10.獅子吼高原のゲレンデ端に登り付く。前に一度入り込んで食事をした無料休憩所がある。入ろうと思ったら鍵が掛かっていた。 近くで作業していた人が鍵を開けてくれた。雨降りでロープウェーの客が少なく散策者が居なかったので鍵が掛かっていた。暖房を入れましょうかと聞いてきた。それだけは断った。相棒が抹茶を点ててくれた。お菓子に紅白の饅頭が出た。誕生日祝いだという。有難う。 お茶を飲んで、荷物を置いたまま「後高山」の頂上に出掛ける。ロープウェー駅の先の、白山比咩神社の祠の裏辺りが一番高いので、ここを後高山の頂上と認定して記念撮影。12.00. その先の突き当たりに仏舎利塔があった。ここから又戻って無料休憩所に入りこんで昼食にする。登山客散策客は誰も居ない。 食後に大きなパースディケーキが現れたのには驚いた。ローソクまで出てきた。長いのが70歳用、小さいのが2本で合計72歳。記念撮影をしてローソクの火を吹き消した。ひょっとすると初めての経験かも知れない。ケーキは美味しかったです。有難う。 12.20.より13.15.一時間も居て下山開始。14.15.峠の上の駐車場着。 後日こんな携帯メールがS女史より届いた。 2009年05月02日(土)4回 「舟岡山」散策-倉ヶ岳へ ゴールデンウイークだが夕方より仕事なので、午前中に疲れない山を歩くことにした。選んだのがまず「舟岡山」。ここにも未確認の三角点があるので、ついでに探そうという魂胆。メンバー4名全員参加。9.00に鶴来の白山比咩神社の駐車場を出発。 お天気がよい。金沢のほうへ100mほど戻った、交差点のそばの案内板より山に入る。すぐ竹やぶにはいる。「シャガ」「イカリソウ」「スミレ」「チゴユリ」に「マムシグサ」。 「白山比咩神社創祀之地」の碑を通り、手取川を見下ろせる「展望台」を通り、直進すると、平行な道はやがて下りに掛かる。 地図を見ると、この台地の北の端に三角点マークがある。見当をつけて右の高みに入ってみる。
案外簡単に見つかった。遊歩道から20mほど入った地点で、標識も案内も何もない。誰も気付かないだろう。近くの木に山名札を下げる。三角点があるので、ここを舟岡山の頂上と定めた。 三角点で記念撮影をして、青年の家の裏に下り、縄文住居遺跡を見て、また舟岡山に入り、違う遊歩道を歩いて展望台に出た。 10.00.一時間の散歩で車まで戻った。 今日はこれから、車で「倉ヶ岳」に上る予定だ。 2009年01月11日(日)3回 風吹峠-「後高山」-五万堂峠-山麓駅 昨年末クリスマス登山で女性コンビと、雨の中を鶴来の月橋町より「倉ヶ嶽」に登り、風吹峠より金剣宮に降りた。そのハッスルSN女性コンビよりメールで、またどこか連れて行ってください、と云って来たので、風吹峠より「後高山」に登り、獅子吼スキー場を横切り、五万堂峠(五万堂小屋)よりゴンドラ麓駅に降りることになった。成功すれば、10日くらいの間に「倉ヶ嶽」「後高山」「奥獅子吼山」と、縦走路でつながる事になる。 9.00.にゴンドラ麓駅で待ち合わせ、車1台をここに置いて前回「風吹峠」より降りてきた砂防ダムに向かう。金剣宮の手前を右に折れ、鶴来朝日町の団地を抜けた所から雪が深くなり進めないので、案内板のある広場に車を置く。駐車場みたいな広場があるので、ここが正式の登山口なのかもしれない。9.15.に歩き出し林道を歩き9.35.にダムに着く。ここまでは雪が無ければ車で入ってこれる。 前回の年末はほとんど雪が無かったが、正月の雪が残っている。杉林に雪が積もって幻想的だ。 今日は用心してカンジキを持ってきている。谷を段々登り詰めていくと、積雪で登山路が判らなくなった。確か左の斜面をジグザクに登るはずだったが?。ようやく道を見つける。積雪のあるときは、よく登った事のある山でないと迷い易い。 ようやく風吹峠の林道に出る。林道は50cm以上積もっている。林道を横断して地蔵のある風吹峠に着く。10.30。お湯を沸かしてK宗匠のお手前で抹茶を一服。 幾つもある小さい石像は雪に埋もれている。仏像ばかりでなく、いろんな人形も混じっている。誰かが置いたらしい。30分ほど休んで11.00.歩き出す。これから先は初めての道である。石像の横から獅子吼の表示がある。荒天の予報が今まで何とか持っていたが、小雪が降り出した。相棒はカンジキを装着。 風が無いので枝に雪が積もり大変綺麗だ。道であるのか無いのか判らないが、歩きやすい所を通って7.8分で林道の三叉路に着いた。地図を見てきたので予定通りの場所に出た。地図を見ると左に降りる林道は「内川ダム」に続いている。直進する林道は獅子吼に続いている。 獅子吼の方へ林道を150mほど進むと、右に標識があり登山路が始まる。この登山路は国土地理院の地図に記入がある。林道は左に大きく迂回している。歩くとうんと遠回りになる。 11.15.登山路に入る。雪が深くなってきたので、カンジキを履いた相棒が先頭に立つ。ずーっと先のなだらかなピークに、丸い大きな電波搭が見える。あそこが後高山の頂上らしい。 途中標識があるが、倒れているか壊れているものばかりだ。思ったより時間がかかって、12.30.電波搭の裏の「獅子吼白山比咩神社」にたどり着いた。吹雪でゆっくりとしていられない。すぐ近くのスキー場の大きな建物が雪で見えない。 ようやくスキー場の食堂でラーメンを注文し、持込のお握りを食べて一息。荒れてきましたのでゲレンデは注意して走行下さいの放送。なかなか吹雪は止まない。 13.25.五万堂峠に向けてゲレンデの縁を下ってゆく。圧雪してあって歩きやすい。吹きさらしでが見通しが利かない。それでも滑っている人が居る。リフトは動いている。ゲレンデの一番下に休憩所とトイレがある。その間から登山路が奥獅子吼の方へ続いている。ここから先は足跡が無い。カンジキを履いている相棒にを先頭を頼む。雪深い尾根道を上下しながら進む。林に入るので風が無くなり有り難い。 14.17.五万堂峠の小屋に到着。だいぶオンボロになってきた小屋だが有り難い。中に入ってコーヒーを沸かして飲む。一息入れて、私も今冬初めてのカンジキをつける。小屋の前で女性組が、新雪に倒れこんで大きな人型をつけて遊んでいる。子供に帰ったナ。 雪は止んだ。新雪の道を降りるのは楽しい。ひっくり返っても滑っても怖くない。展望地点から見下ろす下界は白銀の世界である。 同じ場所で、22日前の12/20日に奥獅子吼山に登った時の写真を載せておく。同じメンバーだ。 段々雪が少なくなって来たのでカンジキをはずす。下から登山者が一人登ってきた。今日は誰とも会わないだろうと思っていたのにびっくりだ、とその男性が云った。こちらもびっくりだ。我々も含めて世の中には、物好きな山好きが多く居るようだ。 後高山はゴンドラでも登れるので、なんとなく遠慮していたが、風吹峠より五万堂峠まで歩いた今日の道はなかなか良かった。草花の咲く頃にまた歩いてみたい。 2007年04月18日(水)2回 「舟岡山」散策 「舟岡山」は獅子吼高原の上や、御堂山の縦走路から下界を俯瞰するとよく見える。鶴来の町の中にぽっかりと浮いた船のように、濃い緑の小山がある。戦国時代には城があったらしい。 自宅より30分、白山比咩神社の広い駐車場に車を置く。駐車場をはさんで神社の反対側に「舟岡山」が見える。先ず白山比咩神社に参拝をする。車まで戻り山に向かって歩く。左の裏参道をぶらぶらと下るか、右の広い通りを行くと、信号のある交差点に出る。広い通りを行けば、この交差点を左折の30m先に舟岡城址の立札があり、裏参道を行けば交差点の手前30mの左に遊歩道が山に入っている。 登り口に白い花が咲いている。二輪ずつ咲いているから「ニリンソウ」だろう。10.15分に歩き出す。しばらくで竹林になる。 「スミレ」の群落があちこちにある。 10.27分に早くも本丸跡と思われる地点に着いた。「白山比咩神社創祀之地」の碑が建っている。加賀平野より霊峰白山を仰ぐ「まつりのにわ」として、西暦紀元前91年にここに白山比咩神社が建てられたと書いてある。 「ホウチャクソウ」がいっぱい花をつけようとしている。名前が違うかな。 10.36分に展望台に着いた。手取川が見下ろせる。ここだけが見晴らしの利く地点である。 10.46分に白山青年の家の裏にたどり着いた。ここが北口と表示がある。左にぐるりと回るとグランドがあり青年の家正門に出た。グランドの一角に縄文住居遺跡があり建物が復元されている。 同じ北口より入り大手参道なる道を通って展望台に出て本丸より元の道を戻った。ゆっくり歩いて30分だ。「エンレイソウ」が咲いていた。 本丸口と北口のほかに、立札によれば東口と大手口がある。小さい岡なので迷子になっても困らない。 2005年12月01日(木)1回目 山麓駅‐五万堂峠-「後高山」往復 「後高山」は2万5千分の1の地図に名前が載っており、しりたか山と仮名が打ってある。獅子吼高原のゴンドラリフトの終点のすぐ上である。リフトで登ればそれこそ10分くらいで登れる山だ。 自宅を車で出て30分、鶴来町のパーク獅子吼に着く。世界の獅子頭を集めた獅子ワールド館があり、スカイ獅子吼に上がるゴンドラ山麓駅が隣接している。広い駐車場に車を置く。ゴンドラ駅の下を潜って広場を抜けて、砂防ダムの前の小橋を渡って登山路に入る。 ジグザグ道を杉林を抜けて雑木林に入り、30分ほどで下界が望めるところに出る。12月に入り今年最後になるかもしれない登山は快晴である。海までハッキリと望める。 歩き出して1時間ほどで尾根に近づくと、目の前に小屋が見えてくる。五万堂峠の五万堂小屋に着いた。がっしりとした小屋である。 小屋の中に入ると奥に地蔵さんが三体鎮座していた。昭和8年のスキー大会で遭難した、三人の中学生を弔うものだそうだ。 小屋の前で道は左右に分かれており、獅子吼高原と奥獅子吼の矢印がある。地図にはこの上の山に三角点があり、734mの記入がある。御堂山と云うらしい。ひょっとすると頂上まで登る道があるかも知れないと、奥獅子吼の方へ歩き出す。しかし登山路は山腹を巻いて手取川を見下ろす見晴らしの良い尾根道となる。昨夜の初雪が少し残る。20分ほど行ったら、犀鶴林道が登山路のすぐ横を走っている地点に出た。 林道に下りたら、白山は奥獅子吼の山で見えないが、立山・剣・白馬が真っ白に輝き、その左に医王山が近い。 登山者が一人、今から奥獅子吼山まで白山を眺めに行くと登って行った。羨ましかったが今日は、夕方より出かける稽古があるのでここから引き返す。御堂山に登る道が無いかと注意して歩いたが、やはり無いようだ。 小屋を通り過ぎて、スカイ獅子吼スキー場の方へ行くとゲレンデの下にたどり着いた。南加賀の山が良く見える。遊歩道を登ってゴンドラ山頂駅を過ぎ、その先の小高い丘が後高山の頂上らしい。 獅子吼白山比咩神社が建っているところが頂上らしい。 横に展望台があり下界の眺めが良い。今日もハンググライダーが飛び出している。立山連峰も素晴らしい。 ゲレンデ下のガラス張りの無料休憩所に入り込んでお結びをほおばる。トイレも隣にある。 ゲレンデより登山路に入るところに獅子吼の名前の由来の立て札がある。「白山を開山した泰澄大師は、登山口として四っの祠を造り、それぞれ一夜祈祷修験をし、白山に入った。四っの宿が〝ししく〟になった」。 鶴来の町から奥獅子吼山までに、四宿があったらしい。登った道をそのまま下った。 例年に無く今年の冬は早かった。12月中頃より大雪となり、2005年の山歩きはこの山で終わった。 |