2006.9.より登山順
[百名山・富山] 薬師岳 2926m (富山市有峰)127 | ||||
第2回登山 2016.07.29-31 折立より太郎平小屋泊。二日目薬師岳登頂、薬師岳山荘泊。三日目折立へ下山。 第1回登山 2015.08.25-26 有峰林道の折立より、太郎山往復。太郎平小屋泊。二日目下山。 |
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2016年07月29-31日(金・日) 折立-太郎小屋ー薬師岳 7月29日(金) 第1日 去年の薬師岳登山の再挑戦である。一週間前の白山に続き今年の夏山第2弾。早朝5.00時に小松市民病院の広い駐車場の隅で、SNKの三女史を乗せて、高速立山ICで下車、立山の方へに向かう。尖山登山口を過ぎ「芳見橋」信号を右折して、有峰林道に入る。入口で1900円支払う。6.50分に有峰湖展望台で一休み。 7.15分に折立キャンプ場の駐車場に到着。車がぎっしり。100台もあるかと思われる。何とか隙間に留めさせてもらう。行かなかったがこの先500mに臨時の駐車場があると書いてあった。トイレがあり拝借。 週末で登山者が多い。富山駅からの定期バスが到着。登山者が大勢降りている。7.30に我々も出発。 すぐ「十三重之塔 慰霊碑」がある。 ここからいきなりの急坂である。急坂は三角点ピークまでの標高差500mまで続く。 標高差500mと云えば、いつも歩いている里山登山と同じだ。登山路は古木が立ち並び、木の根がごつごつの、階段が続く。 アカモノの実 ゴゼンタチバナの実 ノリウツギ 9.50分に「三角点ピーク」に到着。パーティの3人は待っていてくれた。ベンチがあり大勢が休んでいる。ここまでで全体の4分の1の行程である。 ここから勾配が緩やかになり、草原が現れてくる。 ミヤマママコナ イワショウブ エゾシオガマ イワイチョウ アキノキリンソウ キンコウカ オオコメツツジ ヤマハハコ ライチョウ キンコウカがいっぱい。12.00時に「五光岩ベンチ」に到着。 昼食 ニッコウキスゲ オトギリソウ 草原の中を行く。天気予報は晴れだが、山に入ると霧になっている。 霧で展望は無くて残念だが、カンカン照りで暑いとまた大変である。向こうに小屋の屋根がちらっと見えた。 13.35分に「太郎平小屋」に到着。 小屋に入って一休み。 16.00時近くになって少し明るくなってきたので、太郎山へ登りに行く。「太郎山」は地理院地図にも載っており三角点もあるが、わざわざ登る人は居無い様だ。 チングルマの実 ネバリノギラン オノエリンドウ? 16.15分。太郎山頂上到着。記念撮影。 小屋へ戻る。向こうに「薬師岳」が少し顔を見せた。 17.00時に食事。夜は長いぞ。 7月30日(土) 第2日 朝起きたらガスが掛かっていて天気が悪い。食事を済ませて。6.50分に小屋を出る。ここから「薬師岳」への道は、30年前に通っただけであるから、記憶にない。 一度「薬師峠」まで降る。峠はキャンプ指定地である。ここからまた180mほどの急坂を登る。沢が流れ落ちているそばを通るので、登山路が水浸しの所もある。 オタカラコウ キヌガサソウ ウメバチソウ ウサギキク チングルマ 8.15分に「薬師平」のケルンに到着。ベンチがある。N女史カフェのモーニングコーヒーが出る。まことにうまい。 背後に「黒部五郎岳」が姿を現した。薬師平は花が多い。 クロマメノキ ミヤマリンドウ タカネヤハズハハコ オンタデとハクサンフウロ ハクサンフウロ タカネヤハズハハコ ミヤマゼンコ ハクサンイチゲ ミヤマキンバイ ミヤマコゴメグサ 尾根が近づいてくる。 「薬師岳」が姿を現した。右が「薬師岳山荘」上のケルン。真ん中が「避難小屋ピーク」。左が「薬師岳」。左端が「北薬師岳」。 突然と「薬師岳山荘」が現れた。9.50分、山荘に入り予約済と伝えると、手続きをして薬師岳往復のリュックを預かってくれる事になった。パンと水とヤッケを持って頂上向かう。 避難小屋ピークを目指しガレ場を登って行く。なかなか急坂である。 段々霧が出てきた。 11.00時に「避難小屋ピーク」に登り着く。避難小屋と云ってもブロックを積み上げた風除けスペースだった。 大きな遭難ケルンがある。中に仏像が収めてある。黒い石板に次のように書いてある。 「昭和三十八年一月愛知大学学生十三名が薬師岳頂上をめざして登山中登頂を目前にして猛吹雪に遭遇し薬師平の第三キャンプに引き返す途中この次薬師で東南稜方面に迷い込みついにその若い生命を失った。このケルンは愛知大学ならびに遭難学生遺族の協力により二度と遭難が繰り返されぬよう祈りと願いを込めて建てられたもである。昭和三十九年十月。富山県・大山町・富山県警察」 ここからは細い稜線を行く。登りは無くなりほぼ平行の岩道。 東側は大きなカールになっている。「国指定特別天然記念物・薬師岳の圏谷群」と云うのはこのカールだろう。向かいの山は「赤牛岳」と思われる。 真ん中が「薬師岳」のピークである。よく見ると大きな祠がある。その先は「北薬師岳」 ようやく頂上の祠が目の前に近づいた。11.25分に薬師岳頂上到着。 三十年ぶりの薬師岳である。 石垣の横に三角点があった。
熟女3人と爺さんの4人パーティは無事登頂成功。記念撮影。下の写真には若い男性が一人増えている。私か到着するまでにN女史がイケメンを一人ゲットしたとの事である。愛知県の男性、折立からこの薬師岳を日帰り登山との事。この後すぐ下山していった。凄いですね。頑張ってください。 15人くらいが祠の周りで食事中。我々も食事。少しでも天候が回復しないかと、40分ほど粘ったが、晴れてこないのであきらめて下山開始。 ジムカデ ヨツバシオガマ イワギキョウ ぶらぶらと降りていたら雨がポツポツときた。雨具は持って来なかった。ヤッケを着て雨をしのぐ。雨は強くはならなかったが、ズボンも水が通った。風が無く寒くなくて良かった。 今日は土曜日で山荘は超満員である。乾燥室も満員で何とかぶら下げる。続々到着する人たちも濡れている。大変だ。 人が多いので我々の食事は4.30分からの1回目である。夕方6.20分頃、晴れてきたので外へ出る。槍ヶ岳方面だが何も見えず。 下界の海の方面。晴れていれば、富山湾から能登半島まで見えるらしい。 遠くに「鍬崎山」が頭を出した。ブロッケンが見えないかと思ったが、山側に霧が無かった。 廊下は足の踏み場所もないほど混雑している。 畳3畳に、四人くらい与えられた大部屋であった。 7月31日(日) 第3日 4時ごろに部屋のほとんどの人が起き出して、薬師岳へ御来光を拝みに登りに行った。一泊で薬師岳登山の人は早朝登って、帰って朝食をして下山するようだ。我々は昨日登って居るので、5時に朝食に行く。階段の山側の窓から雲の間に、「槍と穂高」がちらりと見えた。間違いない。食事を済ませてカメラを持って外へ出たら、もう雲に覆われていた。 6時に山荘を出発して下山開始。「薬師平」を行くと前方に「北ノ俣岳」。 振り返ると「薬師岳」。 コバイケイソウ オオレイジンソウ オヤマリンドウ 「北ノ俣岳」と「黒部五郎岳」。 太郎平まで戻り、北アルプスの最奥部方面を写す。山名同座出来ないなー。8.30分。 9.45分に五光岩ベンチで休んでいたら、突然目の前に「薬師岳」の全容が現れた。とてつもなく大きい長い山である。「北アルプスの女王」という称号があるようだ。 ミヤマママコナ マイヅルソウの実 ツルアリドオシ 11.40分に次の三角点ベンチで食事をしている仲間にようやく追いついた。とっくに食事が終わっているので先に降りてもらった。 最後の急坂は、なかなか辛かった。13.45分に車まで戻り着いた。仲間を1時間近く待たせたようだ。すまない。 立山グリーンパーク吉峰の、立山吉峰温泉に入って帰る。 ★次項2016年53回登山は、8/10-11の「立山」へ★ |
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2015年08月25-26日(火・水) 太郎山往復 8月25日(1日目) 富山付近の高速道路を走っていると「薬師岳」がいつも見える。剣岳、立山連峰と続き、その右側に、横に長くどっしりとした薬師岳が見える。なんとなくとても大好きな山である。30年前に一度だけ登った事がある。もう登れないだろうと考えていたが、山小屋に二泊すれば登れるのではないかと考えはじめた。人の記録を眺めていると、一泊が普通で、なんと日帰りをする人がいるほどだ。一日目は有峰から太郎平小屋まで。二日目は小屋より薬師の頂上に登り薬師岳山荘に泊まり、三日目は下山。計画としては万全だが日程が台風15号と重なってしまった。どうなることか。実は薬師岳へは登れず「太郎山」に登って来ただけなのだが、一応「薬師岳」の項を創った。ひょっとするとまだ機会があるかもしれないと。無理無理?。 台風が九州上陸という時、早朝4.00時に家を出発。午後から雨らしいが、今は晴れている。5.20分に北陸高速の「呉羽Ⓟ」で一休み。ここは薬師岳が目の前に見える。富山インターで下車、立山ロープウェイへ行く道の途中の有峰口より常願寺川を渡ると亀谷と云う町を抜ける。どうも温泉がある町のようだ。 その町はずれから有料の「有峰林道」始まっている。朝6時から開門で、行列していたコンクリートミキサー車が動き出したところだった。1900円の料金を払ってダンプに挟まってゲート出発。 所々に工事規制がありダンプの行列ができる。 長い林道を進むと有峰ダムの下で、「折立駐車場」と「神岡からの471号線」に分岐している。以前に神岡から「天蓋山」の登山口を確かめるため、全線を走破したことがある。左へ折立の方へ進み、折立の大きな駐車場に6.40分に到着。ここから先は自家用車は通行止め。ダンプは全車この先の立山崩壊地工事現場へ行くようだ。 駐車場にはトイレあり。折立事務所があるが工事車両の検問らしい。その横に登山口がある。ここにも大きい建物があるが閉まっている。大きな木があり「太郎山を経て薬師に至る」の標識があり、ここから「太郎坂」と書いてある。6.55分。 登山路を20mも入ると「十三重之塔 慰霊碑」がある。三八豪雪の時一月、愛知大学山岳部十三名が薬師岳登山の途中全員遭難。黙祷。 登山路はすぐ古木のある急な坂道となる。 木の根ごつごつの歩きにくい坂である。 9.10分に三角点のあるピークに到着。ベンチがある。尾根の上に登りついた。山は霧だ。
一度下って草原を進むと「奥大日岳」「剣岳」「立山」と、左手に見えてきた。 奥大日岳と剣岳。弥陀ヶ原。 立山からの縦走路の山。竜王岳?、鷲岳?、鳶山?。 「薬師岳」も見えてきた。 カラフルな棒が建っていた。帰りに寄ってみたが案内板がないので何か判らなかった。9.40分。 一度、灌木帯のピークを過ぎると、あとは弥陀ヶ原みたいな草原が続く。団体さんが下りてきた。ぽつりぽつりと雨粒が混じってきた。 下のほうに「有峰湖」が見えた。湖が渇水で、湖の淵が、茶色が目立つ。 薬師岳に続く稜線の最鞍部に小屋の屋根が見えた。薬師岳山荘らしい。真ん中のピークにあるのは避難小屋。左のピークに山頂祠。 「五光岩」ベンチに到着。11.50分。谷を隔てた大きな小山のような岩山が、五光岩らしい。遠くに剣岳がのぞいている。 木道が所々に敷いてある。前方のなだらかなピークが「太郎山」。その向こうのピークは「北ノ俣岳」らしい。 振り返ると「桑崎山」。時々雨が強くなるので合羽を着こむ。 太郎山が近づき、鞍部に「太郎平小屋」の屋根がちょっと見えてきたぞ。 太郎兵衛平は、お花畑なのだがもう終わっている。チングルマの白い実が風になびく。 13.05分に太郎平小屋に到着。自分として予定通り。6時間ちょっとかかっている。 ここは縦走路の拠点である。右へ「黒部五郎岳」。右へ少し歩いて前方の沢へ下りて「雲ノ平」へ。左は「薬師岳」を越えて「五色ヶ原」へ。私は折立峠から登ってきた。 右は「北ノ俣岳」と「黒部五郎岳」。左は「三俣蓮華岳」?、「鷲羽岳」? 小屋へ入りちょっと休んで、雨の晴れ間に「太郎山」へ登りに出た。台風が近づいて来た様で風が強くなってきた。外にいた登山者は全員小屋に入って、外には誰もいなくなった。太郎山頂上近くまで木道が続いていた。振り返ると太郎兵衛平の真ん中に小屋。その向こうは薬師岳。 木道は頂上を通らずに捲いて過ぎてゆく。分岐を右に入るとすぐ頂上に出た。三角点があり、小さな標識。風が強くて怖い。雨粒も混じる。 頂上からは、桑崎山と歩いてきた尾根の道が見える。
大きな雨粒が痛い。「水晶岳」が見えた。 5時に夕食。40名くらいかな。朝食も5時との事。畳一畳に一人。ゆっくりだ。4名仕切りに二人。私の10歳年下の67歳の男性。明日は黒部五郎の小屋の予定らしい。お互い台風が気になるね。夜中ぢゅう風の音が轟々と聞こえた。だんだん腰が痛くなってきた。弱った弱った。 8月26日(2日目) 朝起きたら風が強く、小雨が降っていた。5時に朝食。出発を見合わせているパーティが多い。 6.30分に同室の男は黒部五郎へ出発した。私も小屋のテレビの天気予報を眺めながら、悩んでいた。今日も明日も天気は悪そう。薬師岳山荘までは行けそうだが、そうすると下山の標高差が1400m位になる。実は29-30日と「苗場山」を仲間と登る約束がしてある。ちょっと腰が痛いのに、中1日で苗場山は辛いのではないかと考えた。外へ出てみたら、少し降ってはいるが下界は晴れているようだ。虹が見える。 よく見ると平野が見えた。 今回は薬師岳登頂を諦めて、下山することにした。ちょっと足腰が痛いし、無理をすると仲間との苗場山登山に支障が出ると大変だ。7.00時過ぎに合羽を着こんで下山開始。20分ほど下ったら下界に日が差してきた。富山湾が見えて、向こうに伸びるのは能登半島だった。 新湊の大橋が見えた。 また虹が出てきた。雨は降ったりやんだり。 日が高くなってきたので、虹がだんだん下のほうになってきた。 イワショウブが花盛りだった。赤いのもある。 ゴゼンタチバナは赤い実をつけている。 ママコナ アカモノの実 ヤマハハコ チングルマの実 オヤマリンドウ とうとう合羽を脱ぐことなく、12.40分に折立の駐車場にたどり着いた。久しぶりの本格登山で、調子が悪く足がガタガタ。登りと同じ6時間近くもかかった。情けない。あまり人に追い抜かれなかったので、折立へ下りた人は少なかったようだ。 途中の吉峰温泉に入って帰った。 「薬師岳」には、1985年7月に一度だけ登った事がある。30年前だ。次男とKさんの3人で登った。 一日目は太郎平小屋に泊まった。 二日目は薬師岳山荘に泊まった。 二日目に頂上に登った。快晴だった。 私の次男。今は子供が一人、私の孫。バックは左に剣岳、右に立山、その下は五色ヶ原と思われる。 K女史。登山は30年前であり、今は米寿の88歳でお元気である。遭難碑のあるピークからは槍ヶ岳と穂高岳、その間は三俣蓮華岳?、下の台地は雲ノ平だろう。 ●次稿2015年第55回登山は、8/29長野県「苗場山」へ● |