2005.04.より登山順
[加賀] 手塚山 14.71m (加賀市柴山町)165 砂田・新保・尼御前・手塚山三角点・篠原新・寺森・一白・ 新柴山・柴山潟・片山津・野田・小塩辻・田尻・高塚三角点 |
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第6回 2024.05.19. 手塚山公園より「手塚山。「実盛塚」。 第5回 2023.05.31. 手塚山公園より「柴山潟」を一周。 第4回 2022.02.15. 加賀市片山津音本、手塚山公園より「手塚山」に登り、「実盛塚」を往復する 第3回 2020.05.11. 加賀市片山津温泉、手塚山公園より「手塚山」に登り、「実盛塚」を往復する。 第1回 2014.01.22. 加賀市片山津温泉近くの三角点探し。 第2回 2014.01.25. 加賀市片山津温泉近くの三角点探し。 |
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2024年05月19日(日)6回 「手塚山」より「実盛塚」往復 私の親父の俳句に「篠原や矢叫びに似し秋の風」がある。何処かの句会で入選した自慢の句。自作の俳句と絵の色紙が残っている。 片山津の柴山潟のほとり、首洗い池の駐車場に車を置く。後ろが「手塚山」。篠原古戦場の碑。親父の詠んだ俳句の舞台である。S女史と歩きに来た。 平家方の斎藤実盛、老人なれば白髪頭を黒く染め、唯一人戦えど首打ち落される。 実盛ならば白髪のはず。池で首を洗うと白髪となり実盛と判明。首を抱く木曽義仲、左に首打ち取った手塚太郎・真ん中に謂れを知る樋口次郎。義仲は若き頃に実盛の世話になった事がある様だ。 義仲は実盛の兜を小松市の多太神社に供養を頼み納めた。芭蕉が多太神社を訪れ「無残やな甲の下のきりぎりす」と詠んだ。その句碑。 首洗い池の向こうに柴山潟。白山も見える。 手塚山に登る。実盛を討った手塚太郎による山の名前。加賀市で一番低い山。との事である。 トベラ スイカズラ ノイバラ エゴノキ ガマズミ 物見櫓の展望台。手前に「兜の宮」の祠。 櫓に上がると白山が見える。 櫓の後ろの藪に入ると三角点がある。「4等三角点・点名は手塚山。15m」 遊歩道で国立病院の方へ降りる。遊歩道は行止りだが覗くと昔の標識が残る。 廃道を適当に歩いて広場に降りる。 病院前の広場を横切り、農道に降りて歩く。 キンケイギク ハマダイコン キミガヨラン 白山の見える農道を行く。 前方に見えた来た小山に三角点があり、右の下った所に「実盛塚」がある。 山のすそを回り込むと、山に入る作業道がある。 今までと様子が違いとても倒木が多い。 地理院地図には作業道多数。地図を見ながら歩く。 斜面に赤いテープが続く。三角点を探す人が居る様だ、 小松の林の中「3等三角点・点名は寺森・21m」 また作業道に戻り「実盛塚」のある広場を目指す。 シロツメクサ スイカズラ ニガナ ニセアカシヤ ハマヒルガオ 上手い具合に「実盛塚」のある広場に出た。あずま屋で昼食。 実盛の遺骸を埋めたと伝わる「実盛塚」 車道に出て戻り始める。 田んぼ道を歩いて柴山潟より日本海に続く「新堀川」に沿って歩く。 トベラ 柴山潟の源平橋まで戻ってきた。柴山潟の上に「白山」。すぐ横が駐車場。 家にいつも飾ってある親父の書いた色紙。俳句も自作。多太神社にある兜の絵。 亡くなった親父の、同じ年齢になったなー。 ■次回登山は、5/22「蛇谷自然公園」へ■ 2023年05月31日(水)5回 「手塚山」より「柴山潟一周」 片山津温泉の首洗い池の上の「手塚山」は、加賀市で一番低い山だとか。N女史と健康登山、今日は「手塚山」より「柴山潟一周」の予定。9.30分に手塚山公園の駐車場に車を置く。後ろの階段を登る。9.30分。 すぐ手塚山公園広場。 公園の隅の物見櫓展望台、石の祠は「兜の宮」、立替られた。物見櫓の裏の藪へ入ると三角点がある。 「4等三角点・手塚山・15m」。展望無し。 首洗池へ降りて、車道を横切り柴山潟のふち迄歩く。 今日はこれから柴山潟を一周する予定。柴山潟の一周は初めてである。 中谷宇吉郎雪の科学館の方へ歩いていたら、N番の標識があった。自転車と人用の標識。 Oの標識あり。雪の科学館は休館日だった。 スイカズラ 不明 その先に「柴山潟湖畔歩道のご案内」の標識があった。 ここからは人専用の遊歩道が赤線で書いてある。 右上に柴山潟一周の道も載っている。 湖畔遊歩道に入る。風があり柴山潟は波が立つ。 白山の雲が取れてきた。 「浮御堂」がある。行ってみる。桟橋はゆらゆら揺れて怖い。 浮御堂、中には弁財天がいらっしゃる。 片山津温泉総湯の前を通る。 片山津温泉の中心部は過ぎたようだ。 町に出る。ここで湖畔遊歩道は終わり。C番の標識がある。 大江戸温泉ながやまの前を通り柴山潟湖畔に出る。中々広い柴山潟。 湖畔の道に「4等三角点」がある。丸い金属製の三角点。点名は柴山潟、標高2m。誰も気が付かない。 湖畔の道に通行止め。車道に出る。 F番の標識。動橋川に掛かる「葦切橋」を渡る。 G番の標識で川岸の道に入る。 I番の標識。 J番の標識で直進の遊歩道に入る。黄色い花。途中湖畔に降りて昼食。12.30分。 徘徊再開。なかなか長い直進道路。 振り返ると鞍掛山。後ろは鷹落山と動山。 K番標識より車道歩き。富士写ヶ岳と柴山潟大噴水。 源平橋まで戻ってきた。白山は隠れてしまった。 車に乗って帰りに、温泉の反対側にある小山の「2等三角点・点名は片山津・27m」に寄る。湖城町の住宅前に車を置き、藪漕ぎ30m位で三角点に到着。土の中にあるのを掘り出す。この三角点はピークでは無く斜面にあるので、9年前に初めて探した時は苦労した。9年前に提げた三角点札がまだ残っていた。満足して老人は帰る。 ■次回登山は、6/4「動山」へ■ 2022年02月15日(火)4回 「手塚山」より「実盛塚」を往復 S女史が「手塚山」を登ったことが無い、というので案内する。片山津の首洗い池のある公園で、三角点があり、加賀市で一番低い山だ、と聞いた事がある。 柴山潟の海への出口に掛かる「源平橋」を渡ると「手塚山公園」に着く。手塚山は実盛の首を取った「手塚太郎光盛」に寄るものだろう。トイレ寮がある。あずま屋がある。10.30分。 「首洗い池」がある。老将実盛が髪を黒く染めていたので、この池で洗い「斎藤実盛」と判明。木曽義仲が首を抱えて嘆く像もある。 芭蕉句碑「無残やな兜の下のきりぎりす」。奥の細道で詠まれた。実物の兜は、小松の多太神社にある。 手塚山に登ると、ここにもあずま屋がある。白山の見える方に板敷の舞台がある。スマホで動画を引っ張り出し、一緒に写真を撮れる、と書いてある。 スマホはあるが老人は使い方が判らない。「物見櫓」が出来ている。 物見櫓に登る。前回は柴山潟の上に白山が見えた。今日は小雨。合羽を着ている。 物見櫓の隣に新しい石祠。櫓が出来る前はここに「兜の宮」という小さな木造の祠があった。2年前は無かったのに、石だ再建されていた。 櫓の後ろに20mほど入ると三角点がある。加賀の里山ファンクラブの山札がある。 「4等三角点」、点名は「手塚山」、標高は「14.6m」。 今日はこれから実盛の遺骸を葬った「実盛塚」まで往復の予定。石川病院の方へ降りる。途中で道があやふやになるが、下に芝生の広場が見えるので滑り降りる。 芝生を横切り病院の外側の農道を歩き「実盛塚」の方へ歩く。農道を左に曲がり前方の丘に向かう。左の高い所に三角点があり、右の低い地点に「実盛塚」がある。 山裾を周ると、山に入る作業道がある。戻るようにして三角点の方角の作業道を進む。三差路は左が三角点方向だな。 突き当りの小松原の斜面の上に三角点がある様だな。 一番高い所に「3等三角点」がある。点名は「寺森」、標高は「20.7m」。点名が寺森だから「寺森山」と名付けておこう。今日の最高地点だな。 作業道は色々分岐している。前回は県道に出てから「実盛塚」へ行った。その時、実盛塚への作業道がある事を発見。今日はその作業道で直接「実盛塚」出るぞー。地図を見ながらウロウロ。 それでも予想通り「実盛塚」のある公園に直接たどり着いた。12.15分。 さっそくあずま屋に入って昼食。雨粒が大きくなって来て寒くなって来た。 この塚は実盛の遺骸を埋めた所と伝わる。 地蔵堂、かな。 句碑がある。「牡丹くずるる 天地洞然たる中に」森本之棗、という人らしい。学が無くて良く判らない。 県道へ出て片山津インターの方へ100m程進んだ向かい側に、実盛塚の駐車場がある。トイレもある。塚とは少し離れていてちょっと不便な感じ。 駐車場の向かいの細長い池のふちを歩き、田んぼのあぜ道や農道を歩き、石川病院の正門より出て駐車場に戻った。13.30分。 ■次回登山は、2/19加賀の「宇谷山」へ■ 2020年05月11日(月)3回 「手塚山」より「実盛塚」を往復 新聞に、片山津温泉の「手塚山公園」が新しくなった、と載っていた。「手塚山」は篠原古戦場にあり、下に「首洗池」があり、近くに「実盛塚」もある。「実盛」はこの源平篠原の戦いで「手塚太郎光盛」首を落とされた話は有名であり、能楽の「実盛」にもなっている。能楽師の端くれとして何度も訪れている。 「手塚山」は、加賀市で一番低い山だと聞いた事がある。実盛の首を取った「手塚太郎」が山のの名前になっているのだろう。片山津インターから温泉の方へ入ると、源平橋を渡るとすぐ「手塚山公園」がある。駐車場に車を置く。隣は「首洗池」である。 案内板を読んで「首洗池」を一周する。 「首洗池」に黄色い菖蒲が咲いている。 首実験の場の銅像がある。木曽義仲と樋口次郎と手塚太郎である。実盛は兜で表されている。 芝生広場に登る。あずま屋と展望デッキがある。さらに登ると「物見櫓」がある。以前は「兜の宮」があったはずだが、物見櫓になったようだ。 物見櫓に登ったら「白山」が見えた。下に「柴山潟」が広がっている。
三角点は櫓の下から白山の方へ30mほど入り込んだ藪の中にあった。 今日はこれから「実盛塚」までを往復する予定。健康維持徘徊だ。反対側の作業道を降りて実盛塚を目指す。 「石川病院」の前を通る。 途中から農道を降り、白山を見ながら散歩。 前方に平らな台地の松林が近づいてくる。あの山の中に「三角点」と「実盛塚」がある。 山裾に到着。タブレットのヤマップ地図を見ながら、少し遠回りをして作業道に入り込む。色々道がありここは三差路だ。 作業道の横が小松の林で、ここから入り込む。すぐに三角点は見付かった。以前に一度探しに来ているが、全然記憶がない。
ここから地図を見ながら、直接「実盛塚」へ出る作業道が無いかと歩き出す。細い道はやめて置てた方が良い。すぐ行止りとなる。 地図を読み違えて県道に降りた。篠原新町の方へ進むと八幡神社の前を通る。 さらに進むと「篠原古戦場・実盛塚」の標識が建つ参道入口がある。 「実盛塚」は大きな松が植えられており、石垣で囲まれている。実盛の遺骸を埋めた所らしい。 あずま屋に入って遅い昼食。誰もいない。うまく作業道を歩けば、このあずま湯の後ろに出て来れる予定だった。 また田んぼ道を通って車に戻る。 ようやく「源平橋」に戻り着いた。柴山潟の上にまだ白山が見える。一万歩を越えたぞ。 ■次回登山は、5/13加賀「大峰」へ■ 2014年01月22日(水)1回 加賀市の「三角点」探し 2014年の元旦は病院で迎えた。暇で暇でしょうがない。退院したらまた山登りを始める心算だが、どうもこの調子ではいきなり高い所も無理らしい。そこで平地の三角点探しから始めようと、加賀山岳会低山徘徊部の太田さんより頂いた三角点情報誌で、携帯ナビの地図を眺めながらベットで色々と調べていた。退院し大寒も過ぎ、三角点札も造り待ち構えていたら、午後になったら小雪が止み陽が差してきた。2-3時間暇があるのですぐ近くの三角点を探しに出た。13.00時。 @▲「砂田」 4等三角点 3.46m 小松の飛行場の前から片山津インターの方へ走ると、両側に工業団地が広がる。その団地の最後の工場を過ぎた所で、金網に沿って右に高速道路の方へ入る。突き当りが少し広いので車を置く。高速に並行して道路があるので車でも入り込めるが、先の様子が判らないので片山津インターの方へ歩き出す。200mほど歩いたら右に高速道路の下を通る道が分岐。構わず直進したら道路と左の下水溝の間に白いポールを見付けた。三角点は金属製だった。 続いて片山津インターの海側にある三角点を探しに行く。片山津インターの近くから海へ出る道が見付からない。とにかく海の方へ入り込んだら、なんとモーテルの裏口に直結。モーテルの駐車場を抜けて正面入口に飛び出した。ちょっと格好が悪い。仕方がないので片山津の方へ進み「汐見橋」詰めを海の方へ入る。すぐに高速の下を抜け、漁船などが置いてある広場に車を置く。 A▲「新保」 4等三角点 11.72m 砂浜の境にある荒れた道を、片山津インターの方へぶらぶらと海を眺めながら歩く。陽が差しているが猛烈に寒い。耳がちぎれそうだ。海はきれいだが砂浜はプラスチック類が打ち上げられていて少し興ざめ。1キロ程インターの方へ戻るとインター近くの砂山が高くなっている。登ってみたら白いポールと三角点を見付けた。帰りは海岸線の向こうの尼御前岬を眺めながら車に戻る。 今日は足慣らしで見付けやすい三角点を探す。今度は尼御前岬だ。高速道路のパーキングに車を置いて入り込んだことがある。ここは謡曲「安宅」にかこつけて謡曲古跡として探しに来たのだ。三角点が在るなんて知らなかった。その昔陸奥を目指す義経主従が、安宅の関が見えるこの地に来たとき、一行の中の「尼御前」が、関の取り調べが厳しい事を聞き、足手まといになる事を恐れ、主君の無事を祈って、この岬から身を投げた、と云う話があるそうだ。 B「尼御前」 4等三角点 19.00m 汐見橋を渡り篠原町の信号を右折して、橋立の方へ進むと高速道路の下を潜る。すぐ右折すると尼御前サービスエリア下りのレストランの裏へ出る。突き当りまで入り込むと公園の駐車場になる。車を置き、岬の方へ芝生の広場を降って行くと尼御前の像がある。その先20m位に三角点が在った。海が見えてその先が絶壁のようだ。あずま屋もある。 少し戻って「汐見橋」から柴山潟の方へ進むと「源平橋」に出る。橋を渡ると潟の反対側に「源平食堂」があり隣に「首洗池」がある。駐車場もトイレもある。ここに車を置く。ここも謡曲「実盛」の舞台であるので能楽師として何度も訪れている。斉藤実盛は篠原の戦いで白髪を染めて出陣。平家軍総崩れの中でただ一人踏みとどまり、木曽義仲の家来の若武者、手塚太郎光盛に首を落とされます。首実検で実盛ならば70歳を過ぎているので白髪の筈たが?と、この池で首を洗うとはたして白髪の実盛となる。木曽義仲は子供の頃実盛に一時かくまわれ、そのあと木曽の方へ逃がしてくれたので、実盛は命の恩人である。義仲は天を仰いで嘆きます。 義仲、樋口次郎、手塚光盛の3人が首実検をしている像があります。その横に芭蕉の「むざんやな兜の下のきりぎりす」の句碑があります。その間の道を高みに登って行くと頂上に「兜の宮」があります。この山は「手塚山」と云うのだそうです。加賀市で一番低い山だそうです。公園になっていますがこの時期ちょっと荒れた感じです。手塚太郎光盛からできた地名のようです。 C▲「手塚山」 4等三角点 14.71m 「兜の宮」は、実盛の兜と実盛を祀った所と云うが、兜は現在小松の多田神社にある。この兜の宮には何の説明板が無い。この宮に礼拝して左の雑木林に続く細い踏み跡を、20mほど入り込んだら三角点を見付けた。白いポールも立っている。展望無し。何べんもここに来ているが、三角点は初めてである。また曇ってきて雪がチラチラしてきた。今日はここまで。15.00時。 ●次項2014年第3回登山は、1/25「手塚山」続きへ● 下の項 2014年01月25日(土)2回 加賀市の三角点探し 昨日から急に暖かくなって晴れた。今日夕方頃より急にまた元の冬に戻る予報。しかし今はまだ温かいし晴れている。3日前の三角点探しの続きに出かける。先ず片山津インター先の汐見橋を渡ると、すぐ篠原新町になる。三角点は海際だが、篠原新町の山側に「実盛塚」があるので久しぶりに寄る。ここは篠原古戦場で実盛の死骸を埋めた所と云われている。実盛首洗い池も近い。10.00時。 塚の老松はだいぶ傷んできたようで、大きな丸太で支えてある。この時期雪吊りがしてある。ここも能楽の舞台になっている所で何べんも来ている。塚に至る参道はサザンカの生垣で、赤い花を付けている。 篠原新町のはずれより海岸の方へ入る道路に入り込む。墓地の先で車を置き、高速道路の下を潜って海岸に出る。 D▲「篠原新」 4等三角点 6.82m 近くの砂山の高い地点に登って見たら、難なく三角点を見付けた。白いプラスチックの標識は無い。木の標識らしきものが倒れている。海岸でリールで魚釣りをしている人が下に居た。写真を撮っている私を変な顔して眺めていた。何が釣れるのですか?と聞いたら、大きなフグが捕れるらしい。 車まで戻り、篠原北の信号を左折すると篠原町を抜ける。町はずれに「金明竹」の育成地があった。国の天然記念物に指定されている珍しい竹らしい。細い竹ばかりだったが、黄色い幹の、節一つ置きに、青い縦筋が入っている。ここ篠原の金明竹と、福岡県と群馬県に天然記念物の群生地があるらしい。 町はずれに出ると左手の田圃の向こうに、雑木林の小山が見える。あの山の上に三角点が在るようだ。地図で調べると一番近ずける車道は町の反対側のようだ。ぐるりとまわりこんだら小山の裾にたどり着いた。車を置いて藪に突入。道らしきものは無い。 E▲「寺森」 3等三角点 20.61m なだらかな小山なので案外歩きやすい。初めは雑木だったが上の方は若松が多くなってくる。100mほど歩くと頂上に着く。一番高い地点をうろうろと周っていたら、白い標識を見付けた。角が取れている三角点である。周囲まり見通せない。 車まで戻り柴山潟のふちを、首洗池の前から源平橋を渡り、右に柴山潟のふちの道に入る。すぐ「湖北小学校」の信号があり左に折れる。小学校と隣の保育所の後ろが崖になっており、地図を見るとその崖の上に三角点が在る事になっている。崖は垂直で登れない。ぐるりと大回りして一白町のはずれに車を置く。畑地の間を小学校の方へ進むと崖の上へ出た。下に小学校のグランドが見え柴山潟も見える。 F▲「一白」 4等三角点 29.56m 崖のふちの高い所に、白いプラスチックの標識を見付けたが、肝心の三角点が見付からない。側に草刈りした草が山になっている。どうもこの下になっているらしい。手で除けに掛かったが下の方は腐って土になっている。重くて大量で素手ではどうにもならない。少し除けて棒で辺りを突き刺してみたが、見付からなかった。人様の畑のそばをほじくっていると、泥棒と間違われそうで断念。 一白町の東に柴山町がある。その北側に大きな台地があり水田が広がっている。ソニーの携帯ナビに入れた昔の5万分の1地図の三角点マークを頼りに、広い農道に車を停め、あちこちと探し回ったが見付からない。地理院三角点情報地図も印刷してきたので、照らし合わせてみたら、三角点はいつの間にか移動していた。台地の真ん中ではなく台地の隅の方、「県営ほ場整備事業、柴山湖台地区完工記念」碑の横にあった。平成17年完成と書いてある。 G▲「新柴山」 4等三角点 23.63m 碑によれば、昔は水田は狭小、畑は急斜面。10年程かけてこの広大な台地の、大区画の水田が出来上がったようだ。どうもその時に三角点はここに移動したものと思われる。碑に「東に霊峰白山を仰ぎ、南に雄大な柴山潟を望むこの柴山台地」と書いてあるから、白山は見えるはずだが、今日は白山方面だけが雲の中だ。大笠・笈辺りと近くの山は良く見える。 柴山潟を一周するように片山津温泉を目指すと、一番先に「大江戸温泉ながやま」に着く。麻雀仲間と一度泊まった事がある。直ぐ横に潟のふちに入る道路がある。途中まで車で入れる。車を置いてふちを少し歩くと潟ふちへせり出したテラスがあった。 H▲「柴山潟」 4等三角点 2.09m 護岸に埋め込まれた鉄製の三角点を発見。鉄製仕方がないが、やはり4等でも石の三角点の方か趣があっていいなと思う。近くにプラスチックのポールもないし、札を提げる木もない。だいぶ離れた湖岸の木に提げてきた。陸地の方は桜の苗木が植えてあるがまだ小さすぎる。 片山津の街中の総湯前信号を左折、片山津温泉口にコンビニが有ったので、弁当とお茶とミカンを買って「片山津2等三角点」があると思われる、湖城町団地の一番上の山裾に車を停めて、山を眺めながら車の中で食事。目の前の斜面の上の小山に三角点が在ると思われる。上の方は急な崖になっているので、左に見える鉄塔から尾根伝いに入ろうと思って、ドコモの鉄塔横より藪に入り込む。一番高い所に着いたが三角点が見つからない。携帯ナビに入れた情報では崖の下を指している。さんざん探して、訳が判らなくてまた車に戻る。 I▲「片山津」 2等三角点 36.97m 車の中で持ってきた地図をよくよく眺めたら、なんと三角点はピークに無い。車を停めた道路からちょっと上の斜面にあるようだ。2等の三角点はちゃんとしたピークにあると思い込んでいたのが間違い。車を降りて踏み跡らしきものを20m程入り込んだら三角点を見付けた。白いプラスチックポールもひと回り大きい。こんなに近くにあったのになんと遠回りをした事か。 片山津温泉口まで戻り、左に大聖寺に行く道を進む。野田町は右にあるようだが、一面田圃で町は見えない。三角点は道路の、町の反対側の広い田圃の中にあるようだ。道路から少し降りた所に車を置き、舗装してない農道を歩いてゆく。車でも入り込めそうだが、Uターンする場所が無いと怖い。 J▲「野田」 4等三角点 22.41m 500m程ぶらぶらと進んだら、畔にプラスチックのポールが見えてホッとする。きれいな三角点である。天気予報通りだんだんと気温が下がってきた。明日は又雨から小雪になるらしい。 大聖寺への道をそのまま進むと「小塩辻南」の信号がある。この道は春江や福井へ行くときに、時々通る慣れた道である。信号を左折して200m程先の三叉路辺りに車を置く。右手に小高い森のようなものが見える。畑の先に階段があったので登る。枯れた葦の林が細長く続いている。 K▲「小塩辻」 3等三角点 26.58m 葦の林の中に三角点はあった。そこだけ葦が切り開かれていた。この先にもっと高い地点があるが、古い工場の裏の階段を登った所だった。 小塩辻の先から右折して、高速道路を越えてしばらくの、右の田んぼの畔に三角点が在る事になっている。道から少し降りた所に車を置き、畔を歩いてゆく。富士写や大日が良く見える。 L▲「田尻」 4等三角点 14.43m 田んぼの畔にすぐ見付けた。 今日の予定は大体廻った。一つ片山津ゴルフ倶楽部の中にあるのは、許可がいりそうなので今回は止めた。15.30分も過ぎている。帰りに美羽ひとつ高塚を目指す。8号線の世界のガラス館の後ろの広い畑地にあるようだ。広い畑の真ん中に大きな木が一本ある小山がある。 今は小山は全部墓地になっていた。墓地の駐車場に車を置いて高い所を目指すと、墓所の角にプラスチックのポールを見付けた。 M▲「高塚」 4等三角点 13.93m お墓とお墓の間の通路に、三角点は閉じ込められていた。 今日は加賀市の10カ所の三角点を見付けた。 ●次項2014年第4回登山は、2/17「木場潟一周」へ● |