日本百名山逍遥

 昔登った覚えのある日本百名山
 百名山踏破を目指している訳ではないが、幾つぐらい登っているかな?と、昔の写真引っ張り出して数えてみた。
  立山 1955年07月・1回目






 高校3年の時、学校登山で立山に登った。これが山登りの始まり。


 昔は金剛杖を突き、山小屋で登山の証明に焼コテで判を押してもらった。










 八郎坂を登り追分で一日目。二日目は一ノ越。三日目は雷鳥沢。四日目はまた八郎坂を歩いて降りた。山小屋はお米持参。雷鳥沢ではキャンプファイヤーをした。
 




 同級生全員は今年喜寿である。





  白山 1956年07月1回目



 初めて立山に登った翌年に、白山へ初めて登った。

 電車に乗って、どこからかバスに乗換えた様な気がする。

 弟と一緒だった。















  白山 1957年07月2回目





 翌年また2回目白山に登った。その時は「旧道」を登った。



昔の越前禅定道で、現在の六万山から指尾山を通り、観光新道から黒ボコ岩に出るコースだ。

















 仲間は呑気な連中ばかりで、水を碌に持って来ないから、大変苦労して、だいぶ遅く室堂に着いた。最終バスですか?と聞かれたのを覚えている。始発のバスだったのに。距離が長くてへたばったのを覚えている。



 これから何年か後に白山で地震があった。この旧道は崩壊でその後何年も通行禁止だった。



 黒ボコ岩もその時崩れて、少し小さくなったようだ。上の写真は崩れる前のもので、大きいのである。










   白山 1958年07月3回目





 3年連続白山。以後白山は何度も登っている。













 室堂が写っているが、今とは違うようだ。





   白山 1959年08月4回目





 4年連続の白山。



 この年は釈迦新道を降った。全員並んでいるのは大汝峰の頂上のようだ。












 すごく遠かったのを覚えている。ブナ林が凄かった。









   立山 1959年10月2度目



 高い山は白山だけ登っていたが、秋に、初登山以来2度目の立山に登った。写真は室堂ではないようだ。弥陀ヶ原のようだ。ここまでしかバスが通っていなかったのかも知れない。


 メンバーはいつも違う。いろんなサークル運動に首を突っ込んでいたので、山仲間には事欠かない。


 この後、立山はいつも登る。加賀の里山逍遥も始め出した。





   剣岳 1960年08月初登山











 剣岳に登った。若い時は元気が良い。





 上は蟹の横這い。登るときは良かったが、帰る時は渋滞した。






 これは蟹の縦這いだと思う。登り専用と降り専用の道があったように思う。











 案外狭い頂上だった。


















  立山 1961年07月


 彼女と立山に登りに行った。












 立山から富士山が見えた。




 彼女の御手製、おそろいのセーター。




  立山 1962年07月 






 3月に彼女と結婚。







 この年の立山は、大日岳・奥大日岳から、立山に登った。











 渋峠小屋









秋10月に、志賀高原を歩いた。渋峠の小屋に泊まったと思っている。新婚旅行みたいなもの。













  至仏山 1963年06月




 水芭蕉の歌に誘われて尾瀬へ行った。何処かの温泉から直接至仏山へ登った気がする。たぶん湯の小屋温泉だったと思う。至仏山は残雪が多く、登山路が判り難く、至仏の頂上近くでテントでビバークした。











 尾瀬ヶ原を横切り尾瀬沼まで歩いた。その後は尾瀬は大好きで何度も入っている。相棒は亀さん。










 この年の立山は、テントを被いて彼女と二人で、一ノ越から
「五色ヶ原」まで縦走した。


 帰りはザラ峠を降りて、松尾峠まで登り返し弥陀ヶ原へ出た。現在はこの登山コースは無くなっている。


 弥陀ヶ原でテントを張り、弥陀ヶ原からは八郎坂を降りた。彼女はだいぶへたばった。その後子供が出来たので、山へはあまり来なくなった。







  妙高山・火打山 1964年06月







 高校の同級のワンちゃんと、頸城アルプスへ行った。

 妙高山は頂上直下のカルデラでビバークしたようだった。

 高谷池から火打山に登った。一っぱしにピッケルのお古を貰って持って行った。

 生まれて初めてグリセードをして、上手く滑れて嬉しかったのを覚えている。

 帰りは笹ヶ峰の牧場にテントを張った。


 ワンちゃんは、私を鞍掛山へ初めて連れて行ってくれた人。三角点には櫓があった。1957.06である。























 確か向こうの山が火打山だったと思う。





























  黒部五郎岳 1964年07月



 有峰湖の折立から太郎小屋に登り、北ノ俣岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳と縦走して、鏡平を経て新穂高温泉に下山した。百名山の黒部五郎岳は格好が良かった。








 ハクサンイチゲの大群落。
















 鏡平だったと思う




  白馬岳 1965年08月



 はじめて白馬岳に登った。以来何度か訪れている。






 この時もテントを被いて、白馬岳、雪倉岳、朝日岳と縦走した。橋本君と二人。











 朝日岳より、日本海側の小川温泉へ降りた。遠かった。橋本君はちょっと腰を痛めた。今でも時々彼と、麻雀をするが、最近腰の痛いのは、この時の腰を痛めたのが再発したのではないか、という。ちょっと責任を感ずる。




  荒島岳 1966年05月






 福井の百名山の荒島岳に初めて登った。天気が悪くて何も覚えていない












 この頃軽のスバルサンバーに乗っていた。車登山の初めかな?





  谷川岳 1966年06月



 谷川岳をテントで縦走した。どんなコースだったか記憶がない。平標山と書いてある。












 一ノ倉を覗きこんだら、ロッククライミングをしているのが見えた。








 このピークも何処だったか覚えが無い。標識が読めない。










  1966年8月 雲ノ平




 この年の8月に黒部源流の
雲の平に入った。ここには百名山は無い。しかし良い所である。












 太郎小屋より黒部の源流に降りて、又雲の平に登り詰めた。





 山の中に温泉があり入った記憶がある。雲の平は雨に降られて良く覚えていない。




  常念岳 1967年08月



 この年は6月に、
北八ヶ岳池巡りをした。




























 池めぐりがメインで、赤岳も蓼科山も登らなかったので百名山は無し。







 八月に、従弟の久保君と燕岳、大天井岳、常念岳、蝶ヶ岳、上高地と縦走した。








 燕岳は雨の中テントを張った。常念小屋も雨で小屋に泊まった。


 常念岳を越える頃、ようやく少し晴れてきた。上高地に降りて、嘉門次小屋に泊まった。古い小さな小屋だった。


 従弟の久保君は、私が初めて白山へ連れて行った。以後、山が大好き。特に白山が大好きで、白山に関した古文書を見付けて本を出したほどだ。癌で若死にした。翌年写真を瓶に詰めて、白山に埋めてきた。


 
 私は、最近になって、燕岳、常念岳、蝶ヶ岳をまた登っている。



  雨飾山 1967年10月




 従弟の久保君と雨飾山に登りに行った。大糸線の根知駅で汽車を降りて歩いたように記憶している。梶山新湯、今の雨飾温泉から登ったはずだ。急登で頂上台地まで登れず、途中の急坂でビバークした。










 翌朝空荷で頂上に登った。








 帰りに梶山新湯で温泉に入ろうと思ったら、宿の主人が只今掃除中で風呂の栓を抜いた、と、木の箱を持ってきた。広い風呂に箱を入れ、箱の中にお湯を入れて入浴した。そのうちに溢れて湯船がいっぱいになった。




 最近、小谷温泉より再登したが、辛かった。



  浅間山 1968年06月


 浅間山に登りに行った。












 噴火口の淵から火口を覗いた。垂直のでかい壁。怖かった。








 今は浅間山は噴火口近くまで登れないらしい。登山禁止になっているようだ。




 この頃も登山禁止だったが、登山に出掛ける前年だったかに、登山禁止が解除された。




 ガラガラの斜面をよじ登って、噴火口のふちまで登った。




 垂直の壁の、巨大な穴が、ドカッと空いていた。怖くて覗けない。



 下から少し噴煙が出て出ていた。硫黄臭かった。




 山を少し降りて避難小屋に泊まった気がする。水場の水が硫黄臭くて閉口した。








  鹿島槍ヶ岳 1968年08月


 鹿島槍ヶ岳に登りに行った。扇沢から爺ヶ岳経由で登ったはずだ。




 冷池山荘らしい。








 鹿島槍は天気は良くなかったが、南峰も北峰も登った記憶がある。





  魚沼駒ヶ岳 1968年09月


 魚沼駒ヶ岳(越後駒ヶ岳)へ登りに行った。百草ノ池だったかな?




 この辺りの山は初めてであったが、なかなか良い山だった。向こうは八海山?















 駒の小屋に泊まった。山小屋の小さい娘さんと友達になった。名前は星さんだった。ハガキを貰った。











 登り口の駒の湯は、冷たい水のような冷泉だったような記憶がある。






  美ヶ原 1966年06月





 美ヶ原を登った。ちゃんと下の牧場から登った。美ヶ原は百名山である。



















 翌日、北アルプスをはじめぐるりと山が見えて感動した。以後ドライブも兼ねて何度も訪れている。






   木曽駒ヶ岳・空木岳 1969年08月


 中央アルプスへ初めて足を入れた。宝剣岳。




 御嶽山。








 翌日、空木岳の方へ縦走した。天気が悪く、あまり記憶がない。





 登ったのは確かである。










 木曽駒ヶ岳は登り易いので、その後も登った事がある。


























1976.8月。長男と白山登山。


1978.8月。一家5名で岩間温泉キャンプで、噴泉塔探訪。


何年か後に、この噴泉塔を鋸で切って壊した人が出た。けしからん。



























1979.6月。子供3人と鞍掛山登山。



1982.7月。三男もつれて白山。





1983.8月。次男、三男と立山登山。







 段々と山行は減り、ドライブで西国33ヵ所観音霊場めぐり完成。四国88ヶ所霊場めぐり完成。謡曲の古跡めぐり、芭蕉奥の細道めぐり、と相変わらず、遊び廻っている。



   薬師岳 1985年07月


 もうアルプスの高山の、百名山は登れない、と思っていたのに、薬師岳に登った。K様。




 お天気に恵まれ、最高に良かった。












 次男が付いて来た。












 最近また薬師岳に登ったぞ













 1985.08.奥さんと美ヶ原












 1986.07.尾瀬ニッコウキスゲ散策。








 尾瀬沼と尾瀬ヶ原の隅々まで歩いた。三条の滝。



 真っ黄色に埋まった、尾瀬沼のニッコウキスゲ。












 1987.07月、
西穂高独標。松本の高校生がこの付近で、10人以上、嵐と雷で死んだことがある。遭難の記念誌を取り寄せて呼んだ。追悼に登った。



















 西穂小屋より上高地に降り、奥さんと合流した。








  1988.08.白馬岳。大雪渓は急坂で長く辛いので、白馬大池小屋に宿泊したのち
白馬に登った。




















 1989.04.戸隠水芭蕉。鬼無里の水芭蕉を見て、
戸隠に遊んだ。






  1989.07.
富士山。一応富士山も登れないかな、と出かけた。8合目の小屋に泊まったが、翌朝大雨で下山した。










 1990.08.
木曽御嶽山。濁川温泉から登ったが、賽の河原上の小屋に泊まり、頂上は未踏で帰る。K様。







 1991.07.
尾瀬燧ヶ岳。またまた尾瀬に入り、長蔵小屋より燧岳に登る。ミノブチ岳まで登る。



















 1992.07.
木曽駒ヶ岳。千畳敷駅で宝剣岳。手をあげている奥さんはリュウマチを患い、薬の副作用で顔が真ん丸。
 









 山を下りて温泉でいっぱい。










 2004.09.奥の細道、蔵王山。芭蕉古跡の奥の細道めぐりで、
蔵王山の御釜の見える所まで車椅子で登る。











 奥の細道名所、山寺を登る。








 ひと月後、2004.10.妙高高原。二人でドライブ。このふた月ほど後に、彼女は亡くなった。




 これで日本百名山は幾つ登ったのだろう。只今計算中。




 合計で45山。半分にも達していなかった。もっと登ったと思っていたのに、半分以下か。



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