2005.04.より登山順
[能登] 峨山 336.15m (石川県輪島市)152 高尾山かんのんみち |
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第2回 2020.07.19. 総持寺-鬼屋-高尾山かんのん道-峨山と登る。古和秀水-総持寺と戻る 第1回 2013.04.25. 総持寺-鬼屋-高尾山かんのん道-峨山と登る。古和秀水-総持寺と戻る。 |
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2020年07月19日(日)2回 高尾山かんのん道より「峨山」古和秀水-総持寺 中世の頃、羽咋市の永光寺と門前町の總持寺の、二つの寺の住職を兼ねていた峨山禅師が、両寺院間13里を毎日20年間往復したとの言い伝えにより、師の偉業を偲び通った古道が「峨山道」として保存されている。 能登輪島は遠い。S女史と小松を7.30分に出発。7年ぶりに「峨山」を案内する。能登二見・機具岩で休憩。 10.00時に門前町総持寺の、門前の通りの市の無料駐車場に車を置く。隣は門前高校。門前高校の前を通って行く。高校は、町の雰囲気に合うような、塀で囲まれている。 総持寺の門が見える所、高校のふちを右に歩き出す。 鬼屋と云う集落を通る。「峨山道」の標識もある。 鬼屋の集落に「峨山道」の石碑を見付けた。しかし立て札があり「峨山道の入口は幾つもあり、この入口は崩落の危険があり現在は通行止め」と書いてある。 のどかな車道をさらに進む。 分岐があり、「峨山道」の立て札もあり、左に橋を渡る。 倉庫の前を通り川に沿って登って行く。川底に石が並べてある。 「高尾山かんのんみち」の石の標識あり。「峨山道」の標識もある。ここから高尾山の登りとなり、頂上まで「西国33箇所観音霊場」の石像が、一番から並んでいる。 第1番西岸渡寺 第3番粉川寺 第11番上醍醐寺 第16番清水寺 頂上が見えてきたぞ。 7年前に提げた札が残って居たぞ。 「立持寺跡地」と書いてある。 林道を降りると車道に出た。左に「名水百選・古和秀水」400mと書いてある。古和秀水から峨山道があるが、今回は前回と同じく右の林道から登る予定。 林道入口に「造林のための道路、関係者以外通行禁止」の看板あり。 気持ちり良い林道だったが、段々と荒れてきたぞ。 ついにイタドリが茂って、前を行く相棒の姿が見えなくなった。これでは関係者でも通れないぞ。 左から「峨山道」が降りて来て、右に横切っている。この峨山道に入ると、近道してこた林道と合流する。 この林道を横断して、最後の「峨山」への登りとなる。峨山道の最初のピークは「峨山」くなっている。 12.30分に「峨山」の頂上に登り着く。真ん中に観音様立像がある。林に囲まれ展望なし。真ん中は広く刈られているが、シダに覆われてきた。頂上石碑の横で昼食。 40分ほど居て13.10分に下山開始。
三角点は藪に覆われているのを見つけ出した。 林道まで降りて、帰りは林道を歩いて、古和秀水に降りる「峨山道」に入る。 途中に展望台があり山が見えるが、能登の山はまだ判別できない。 杉の林を抜けると、 六地蔵がある車道に出る。左に100mほど戻ると「古和秀水」がある。 「金明泉」の額が掛かる、観音像の建つ祠の足元から、冷たい水が流れ出している。頂く。辺りは公園のようになっている。 車道を戻り、途中分岐から、「鬼屋神明宮・総持寺祖院」の方に入る。 「鬼屋神明宮」の前を通る。「ぞんべら祭り」はこの宮のお祭りらしい。聞いた事があるな。 神社を少し過ぎた所から、また「峨山道」に入る。 途中のピークに「峨山越」の石碑があり、三角点があった。
一度林道に出て、また「峨山道」に入る。 小さな祠が幾つも立ち、ここも観音様の石像がある様だ。 総持寺祖院の「観音堂」の裏山だった。神社の拝観料は払ってい無く、予定より時間がおそくなったので、総持寺には入らなくて、門前町に降り、 町中を歩いて駐車場まで戻った。 ■次回登山は、7/22福井「鉢伏山」へ■ 2013年04月25日(木)初歩き 高尾山かんのん道より「峨山」 五日ほど前の新聞に「峨山道巡行」の事が載っていた。以前にも読んだことがある。毎年行われるようだ。記事によると、中世の頃、羽咋市の永光寺と門前町の總持寺の、二つの寺の住職を兼ねいてた峨山禅師が、両寺院間13里を毎日20年間往復したとの言い伝えにより、師の偉業を偲び古道を歩くものらしい。二日間掛けて、途中バスも使って永光寺から總持寺まで歩くようだ。 能登の里山も歩こうと思って、案内本を調べていたら「峨山」があった。また別の本では「高尾山」があった。すぐそばである。相棒と二人で、「峨山」と「高尾山」と「阿岸本誓寺のアギシコギクザクラ」を訪ねようと約束していたが、相棒は都合が悪くなり、単独行になった。 のと里山海道を走り、穴水ICで降りて門前の總持寺へ急ぐ。總持寺は2007年1月以来の訪問である。このふた月ほど後に能登地震に襲われた。總持寺の正門の手前右側が門前高校である。その手前が市の無料駐車場である。9.20分に車を置く。 高校の前を歩き、右に折れて高校の隣を進み舗装道を歩き出す。鬼屋という集落を抜ける。春爛漫である。 鬼屋川に沿って登って行くが、9.45分、左に高尾橋を渡り農道を歩く。左の砂防ダムの右が高尾山の登り口との事だが、大きな大工工作建物の裏の砂防ダムには登り口は無かった。 10.00時、二つ目の砂防ダムの右に、高尾山に登る階段が見えた。案内板は何も無し。 登り出すとすぐ観音像があり「西国観音霊場第一番・青岸渡寺」の標識があり御詠歌が掛かれている。以下二番三番と、20-30mごとに観音像が置いてある。 杉林の中のジグザグ道である。杉落葉に埋もれている石像もある。西国観音霊場三三ヵ所は、全寺廻っているので懐かしい。頂上が三三番であるから、登り具合が良く判る。 三三番石仏が終わって広場に出て、正面にお堂らしくないお堂がある。中は良く見えない。高尾山立持寺が寺名らしい。「能登国33番観音霊場の28番立持寺」と書いてある。10.20分。 荒れた感じの境内である。水は無いが霊感水の碑の横の木に「高尾山」の山名札を提げる。 作業道が登って来ているので、ぶらぶら降りたら舗装道に出た。こちら側入口に「高尾山かんのんみち」の標識がある。また左へ進むと「名水百選古和秀水・これより400m」の標識もある。 古和秀水の方へは進まず、反対の右へ300m程進むと、左に「造林作業道」が分岐している。作業道に付き関係者以外通行禁止と書いてある。この作業道を歩き出す。地理院地図に「峨山」が載っていて、この作業道が頂上近くを通過している。登山路が判らないのでこの作業道進み、頂上近くまで来たら藪漕ぎをして、頂上三角点に到着する予定である。 ほぼ平坦な作業道である。途中で「峨山道」の標識がある小道が作業道を横断していた。この峨山道を右に進めば近道だろうと思うが、どこへ通じているか判らないので作業道をそのまま進む。 11.10に再び「峨山道」が作業道を横断する地点に出た。両方とも降っているので、作業道は峠の上の感じ。左に降りた所に標識が見えた。左に「上田家2.2K」右に「古和秀水1.3K 総持寺3.5K」上に「峨山頂0.2K」となっている。 作業道10mほど先に、上へ登る登山路を見付けた。階段が続いている。藪漕ぎを覚悟していたのに登山路があって有難い。11.25分に頂上広場に登り着いた。真ん中に観音石像が建てられており、綺麗な花が供えてある。林の中で展望無し。 広場隅に三角点が在った。一人寂しく昼食。
「峨山」は峨山禅師から取った山名だろう。峨山道はピークの裾を周っているので、山頂を通らずに通過する事が出来るが、頂上の観音像に花が供えてあるので、巡行一行はここまで登ったのだろう。 下山開始。頂上登り口まで降りて、林道を廻らず「峨山道」を降りる。「イカリソウ」 10分程歩くと林道に合流し、さらに横断直進して峨山道を歩く。「エンレイソウ」 12.20分に展望台に出た。初めて遠くが見える。峨山道巡行図があるが、古くて良く判らない。峨山道は一本かと思っていたが、複数あるようだ。 大阪のN女史からメールが入り、連休の予定を聞いてきた。只今奥能登の山を逍遥中と送ったら、花が咲いていると好いね、と返事が来た。途端に杉林の中で「カタバミ」の群落に出合った。 いっぱい咲いていて感激。 12.35分に、石仏が幾つも置いてある舗装道に出た。何処に出たか少し不安だったが、右に建物が見え「古和秀水」のすぐそばだった。 広い駐車場があり公園になっていて、車で楽に登ってこれるようだ。トイレもあり有難い。水は生で飲まぬ方が良いと書いてあり、そばに別の水飲み場があった。広い公園今日は無人。 しばらく舗装道路を歩き、分岐を左に入る。峨山道の標識があり、こちらも舗装してある。200m位で神明神社の鳥居に出る。神社は杉並木の奥で往復する。 鳥居の先50m位で、右に登る峨山道古道が分岐している。峨山道の小さな標識あり。300m位で三角点に出た。峨山越の石碑がある。三尺坊とは昔建物があったのかな。13.40分。
一度舗装路に出てその先で左に入ったら、石仏が並ぶ總持寺の裏になり、慈雲閣と云う建物に出た。總持寺最古の堂宇とあり観音様が祀られているらしい。近くの本堂らしき建物は覆いがあり工事中である。寺には入れず資材置き場などぐるりと回って、外れた町の中に出た。 正門まで来たが、今日は拝観せず駐車場に戻った。14.25分。 帰りは国道249に乗り「阿岸本誓寺」に寄る。テレビで、ここの石川県指定天然記念物アギシコギクザクラが見頃と云っていたからである。 山桜の一種で、一花に170から200枚の花弁を付けると書いてある。 本堂の大きな茅葺屋根が良いね。 国道249号線より、のと里山海道西山インターに入り帰宅。 **次回登山は、4/27「奥城山」へ** |